きっかけは些細なことだった。
 戦闘中に仲間の援護のための舞を舞おうとしていたプリムロゼが前線に出ようとした際に魔物に狙われたところをオルベリクが庇い、負傷した。その傷もオフィーリアの祈りとアーフェンの治療で回復し、旅路に問題はなかった、ただ、プリムロゼが件の烏の男を討ったばかりで精神的に安定していなかったのだ。そのため、目の前で赤く染まった視界に踊り子は取り乱し、戦闘が終わってからも暫く落ち着かないそぶりを見せていた。
 その後、オルベリクが咄嗟のことだったが心配をかけてしまった、と愚直に謝罪を申し出たが、プリムロゼは内心気が気ではなく、動転して収まらない内面を悟られまいとそっけない態度をとってしまい、今に至る。
 喧嘩というにはあまりにささやかではあるのだが、旅路を共にする上では聊か意地の張り合いになってしまっているというか、やりづらくはあった。
 プリムロゼ自身も素直に感謝できれば良いとは思うのだが、同時に自分のために命を簡単に張るような真似はしてほしくはないとも思ってしまう。自分にそんな価値を見出すなというわけではない、ただ、もう、痛みを抱えて生きていきたくはなかった。それが仲間であれば――こと、オルベリクであれば、なおのこと。

 彼とは長い付き合いになる。砂漠の町サンシェイドで悪辣な主人の下で踊り褥を共にするような生活から抜け出したいと願っていた矢先、親しかった友人を喪う切っ掛けにもなった旅の始まり、この剛腕の剣士と旅路を共にしていた学者先生から目的があるのならば自分たちと行動を共にしないかと誘われた。
 正直、疑わしくはあった。
 だが、肝心の学者先生サイラスにほかの男たちのような他意は驚くほどに感じられず、隣に立つ剣士オルベリクも同様だった。この珍しい二人組に興味を抱かなかったといえば、嘘になる。
 それから三人の旅路は長かった。そのお陰で奇妙な男二人組の凸凹さ具合にも慣れた頃、大商人を目指す少女トレサと出会ったのだった。
 そんな旅路を続けるうちに、共にする仲間が増えて今に至る。各々が目的を持つ旅路であれば、時折行動を別にすることもあったが、それでも協力しながらこのオルステラ大陸を巡っていた。そのような最中の先の魔物との戦いでの負傷は、旅の果てに至っていたという奇妙な安堵感と、慣れているという慢心も働いていたかもしれないとプリムロゼは思う。だからこそ、己が許せず素直になれないのだ。まるで意地を張る小娘だが、事実だから致し方ない。
 それでもオルベリクはプリムロゼを責めることはないし、どころか彼はプリムロゼの剣になると誓ってからこの方、なるほど亡国の騎士然とした態度を取り続けている。その意思が揺るぐことはないだろうし、彼の存在に精神的にも大分助けられているのは事実だった。
 だから、要するに、これは甘えなのである。
 オルベリクに対して、仲間たちに対しての、彼女なりの甘えだった。
 事実、プリムロゼとオルベリクの微妙な関係を察している(サイラスは怪しいが)仲間たちは街にたどり着き散開する際も二人を残してくれていた。
 オルベリクの怪我の治療の必要はないが無理はさせられない、とアーフェンは言い残していたが、街を散策し休むくらいなら平気だとも付け加えていた。
 そうは言われても、はてとプリムロゼは困り果てる。
 そうでなくとも、オルベリクは寡黙な男だ。特に会話が続かなくとも空気が重くなることはないし、二人が揃って会話が弾むという仲な訳でもない。ただ、共にいるだけでも何となく安心ができる、プリムロゼにとってはいつしかオルベリクはそういう存在になっていた。旅の最中に何度も背中を守ってもらっていた経験も影響しているだろう。特に踊り子であるプリムロゼはどちらかといえば支援役であるし、オルベリクはその剣で仲間たちを守り、戦う役割を担っている。長い付き合いといえばオルベリクにとってはサイラスの方が聊か慣れている風ではあったが、短剣の扱いには少々心得のあるプリムロゼの舞も、彼の剛健に劣ることはないとオルベリク自身が認めてくれていた。
 というのに、この何とも言えない空気はどうしたものか。
 男女の仲であればまた話は異なってくるが、正直なところプリムロゼはそういった意識を持っているかどうかはわからない。恋の駆け引きを散々砂漠の街でしてきている百戦錬磨の踊り子であっても、実直極まる堅物の騎士相手では逆に翻弄される始末だった。そういう意味では、意識をしているのかもしれない。
 無言の空間を伴いながら街を散策する男女二人を奇特な目で見る無遠慮な視線がないわけではなく、聊か面倒になってきたプリムロゼは徐にオルベリクの手を取った。
 何事か、と視線で問うてくる男に、プリムロゼは花の笑みを浮かべる。オルベリクが眉を顰めるが、気にはしない。

「お礼が遅くなったけれど、庇ってくれてありがとう。助かったわ。私ならあの攻撃は、受けきれなかった」
「そう、か。……ならば、よい」

 オルベリクは相変わらず寡黙だが、確りとプリムロゼの細い手を取り、淡く握り返してきた。
 その行動に、プリムロゼの冷え切っていた胸の奥に、小さな炎がともる。たったそれだけのことに心躍るだなんて、幼気な少女じゃあるまいし。自嘲しながらも、決して悪い気はしない。
 プリムロゼはオルベリクの手からするりと己のものを抜き取り、悪戯に笑って見せた。オルベリクは一瞬困ったように目を瞬かせた後に、苦笑してみせる。

「今日は、私に付き合ってくれるかしら、騎士様」
「……お供しよう、花の姫君」

 こういうところは、存外に融通が利く男なのだ。プリムロゼは上向いた機嫌を示すように髪を揺らし、恵まれた体躯の男の隣に並び立つ。オルベリクもまた彼女の歩調に合わせて歩き出す。二人の影は、若干中天を通り過ぎた午後の街中に消えてゆくのだった。