アッシュは、いって見れば最初から気になる存在だった。何故かはわからない。理由なんてどうでもいい、とシルヴァンは思っていた。ただ気になるから気になるのだ。それだけの存在だった――つい、先日までは。
ひょんなことから部屋に匿ってもらう間柄になったのは、入学してすぐだった。それほどシルヴァンの女癖は悪く、アッシュは呆れながらもシルヴァンを受け入れてくれた。そんなことが続くうち、シルヴァンは気づいてしまったのだ。この級友の傍は、とても居心地がよいということを。さながら幼馴染達と一緒にいるか――もっと居心地がよかった。アッシュもいつものことだから、とシルヴァンが傍にいることを特に追及もしてこない。だから、というか魔が差したというか、シルヴァンはある日アッシュを背後から抱きしめてみた。するとこれが存外心地よく手放せない。
「シルヴァン?どうしたんですか?」
「いや、どうもしないんだけどな……なんとなく、こうしたくなって」
「そうですか」
アッシュはアッシュで、弟たちのいたずらかなにかだと同じように考えているのか、特に追及もせずにそのまま理学の勉強を止めない。シルヴァンは細い少年の肩越しに時折アドバイスをするものだから、アッシュもすっかりこの状態に慣れてしまい、結果シルヴァンがアッシュの部屋を訪れる回数は増えた――シルヴァンが自主的に訪れる回数が、だ。例え女子生徒に追われてなくともアッシュのもとを訪れては、アッシュが苦手とする科目を教える。それは最初は週に二~三度だったもものがほぼ毎日になる程だった。
流石にアッシュも恐縮してしまい、君に迷惑だから毎日はこなくてよいと言ったのだが、シルヴァンがアッシュの傍にいたかったので、それは断った。
「おかしいって、追及しないのか?」
「よく弟とか妹たちにされてましたから、慣れてます。こうやって、邪魔されるのも」
「あ~……そういう……」
シルヴァンは天を仰ぎ大仰にてのひらで顔を覆った。アッシュにしてみれば、弟や妹にする仕草と同じだと断言されてしまったのだ。
それは、面白くない。だから、やっぱり魔が差したのだろう。
「でも、弟や妹はこんなことは、しないだろう?」
言うが早いか、シルヴァンはアッシュの柔らかそうな頬にちゅ、と口付けをする。
「シルヴァン……?!」
流石に驚いたのか、アッシュは振り返りシルヴァンの秀麗な顔を見上げた。
「アッシュ、好きだよ」
「……どうしたんですか?急に」
「どうしたもこうしたも、好きなもんは好きなんだ」
「はあ……ですけど、僕は男ですよ?君の大好きな女の子じゃあありませんよ?」
そこまで言われて、椅子越しに抱きしめていた一回り以上小さな身体を更にぎゅっと抱きしめる。そしてアッシュの肩に顔を埋めると、アッシュの匂いがした――太陽の光のような、あったかい匂いだと思った。
「好きなんだよ……仕方ないだろ……」
「仕方ないって、言われましても……」
駄々をこねる様に、シルヴァンはそのままアッシュを抱きしめて肩に顔を埋めたまま、ぐりぐりと頭を動かす。
「お前、いい匂いだな」
「何言ってるんですか、本当に」
アッシュの声のトーンが若干低くなり、これは怒っているのかなと思い顔を上げると、アッシュは困ったように眉を下げてシルヴァンを眺めていた。それはそうだろう。困らないわけがないのだ。困らせているという自覚もあった。
「俺、本当にお前が好きだよ。理由なんか知らねえけど、いつの間にか好きになってた。なあ、アッシュ」
「だ、ダメです、これ以上は、本当に……!」
シルヴァンが顔を上げて目を細め、唇を寄せようとすると流石に慌ててアッシュは距離を取ろうとする。けれどがっちり椅子ごと抱きしめられていて離れることは適わない。シルヴァンの秀麗な顔が目の前に近づき、気が付けば唇同士が重なっていた。軽いリップ音と共に、唇が離される。
触れただけの口づけだったのに熱い。シルヴァンはぱちぱちと瞬きをしているアッシュの顔が一気に真っ赤になるのを眺めて、いましがたの自分の行為を今更のように思い出した――完全に、無意識だったのだ。
「あ、アッシュ、ごめん……その、なんだ……なかったことに、てのは……」
「……シルヴァン、本気、なんですか?」
誤魔化そうとしたシルヴァンに対し、アッシュは思いの他真剣に言葉を返してきた。見つめてくる若草色の瞳はどこまでもまっすぐで透明で、シルヴァンが大好きなアッシュの色だ。この瞳に射抜かれると何も言えなくなってしまうくらいには好きだったし、苦手でもあった。嘘がつけなくなるからだ。
「…本気だよ。冗談で男にキスなんかするか」
拗ねたように言えば、ふ、と腕に優しく触れる体温があった。よくよく見れば、アッシュのてのひらだ。アッシュの手のひらが、シルヴァンがアッシュを抱きしめている腕に触れている。
「……僕は、僕は、君の事が好きです。女性にだらしない以外は、頼りになるし、強いですし、人としても尊敬してます。でも、僕のこの感情が、君の言う好き、に相応しい感情かどうかはわかりません。だから、答えはすぐ、出せません……」
「ああ」
「……それでも、いいんですか?シルヴァン。僕は、……君の気持に、真剣に向き合いたいと思ってます。その時間を、僕に、ください」
「あ、ああ……ああ!もちろんだ、こんな急な話、答えをすぐ出せって方が間違ってるし、何より男同士だしな」
「それに君は遺産を継ぐ大貴族で、僕は平民です……簡単にいく話じゃありません」
「てことはアッシュ、そこまで、考えてくれているってことなのか?」
「あ、当たり前じゃないですか!君が真剣だっていうから、僕だって僕なりに……!」
「ありがとうな。アッシュ」
アッシュがそこまで真剣に考えてくれているというだけで、シルヴァンは嬉しくなり、ぎゅうぎゅうとアッシュを抱きしめる。椅子から立ち上がらせて、そのまま背中と腰をぎゅっと抱きしめると、たまらなかった。なんて心地良い体温なんだろう。今まで女性と何度も身体を重ねてきたけれど、こんなに満たされることはなかった。今、シルヴァンの心の内は暖かいものが一杯に満たされている気がした。
「もう一回、キス、していいか?」
アッシュの耳元で囁くと、小さくこくり、とアッシュが頷く。これは脈ありと考えてもいいのだろうか。
徐に向き合うと、なんだか気恥ずかしかった。自分よりもずっと小さな体躯に合わせてかがんで、唇を合わせる。
「んっ……」
アッシュの小さな声がした。シルヴァンはアッシュを抱きしめながら唇を割り開き、舌を侵入させる。ぬるりとしたアッシュの口の中は暖かくて、もっと食らいたい、という欲求が芽を出した。そのまま舌先を絡めとる様に動かすと、アッシュの舌もシルヴァンのそれを追うように求めてくる。キスが思っていたよりも巧いな、と不信に思いつつもそのまま舌を絡めとりながらくちゅくちゅと水音を立ててゆくと、アッシュの息が徐々に上がってきた。
「んんっ……」
ぎゅ、とアッシュの手がシルヴァンの胸元で握りしめられて制服が皺になるが、気にしない。そのまま舌先で頬から上唇へと移動してわざとらしくちゅぱちゅぱと水音を立てると、アッシュが涙目になりながら瞬いた。それでもシルヴァンは角度を変えて再び舌を絡めとり、舐めとり、味わう。そうして一分ほどそうしていたろうか――漸く満足したように唇を離すと、アッシュは顔を真っ赤にしてぷは、と息を吐き出した。
「シルヴァ、ン……君、しつこいです……」
じとりと睨みつけられるが、その顔ですら可愛らしい。そうだ、俺はしつこいんだ。そう思わせるための口づけだったのだから、当然だ。
「そうだよ、俺はしつこいからな。覚悟しろよ、アッシュ」
にやりと笑うと、アッシュはうんざりとしたような顔をして溜息を落とすのだった。