ディミトリの墓所の前で将来を誓い合い、ベレスや数人の級友とらにその仲を祝福されて、アッシュとドゥドゥーはその後海を越えてダグザへと向かう事にした。
アッシュがカトリーヌからダグザでは同性同士のパートナーは珍しくないのだ、という話を聞いていたからだ。勿論フォドラでも旧帝国ではそういったことは珍しくはなかったのだが、旧王国領や旧同盟領の一部などは違う。それに、改めて新しい生活を始めるにはよい機会かもしれない、というベレスの言葉の後押しもあった。
二人とも、フォドラに未練がないわけではない――それでも、これから新たなる人生を踏み出そうという気持ちは強かったし、例え海を越えようと、祈りはどこにいても届くのだと、先にドゥドゥーに言われてしまえば、アッシュに反対する理由はなかった。
「昔は、ガスパールだけが世界の全部だと思ってたんだ」
ドゥドゥーの胸元に頬を寄せながら、アッシュは小さく呟く。アッシュのあとをついて離れない少年は、ここ数日ですっかりカスパルに懐いたのか、はたまたカスパルの「訓練」でへとへとになってしまうのか、カスパルと共に寝てしまうことが多かった。カスパルはあの通りのおおらかでわかりやすい性格もあり、ドロテアという理解者も傍にいれば、少年もどこか安心できるのかもしれない。それはそれでやや寂しくはあったものの、こうしてドゥドゥーと貴重な二人きりの時間を取れることは、素直に嬉しかった。
「両親を亡くしてからは……僕はね、色々なことをやってきた。盗みもしたし、人に顔向けできないようなことも、たくさんやったよ。弟たちを、養わなきゃならなかったから」
ドゥドゥーは応えず、だまってアッシュを抱きしめながらその背を撫で続ける。
「お金のためならなんでもやった。盗みだけじゃなくて……」
「もういい、アッシュ」
それ以上の言葉を、ドゥドゥーは続けさせたくはなかった。彼が言いかけていることはだいたい想像がつく。日々の暮らしもまともにできない子供がその日の糧を得るためにできる手段などは限られていて、それを利用する人間がいることも、知っているからだ。
「もういい。お前は、もう、おれの家族だ。そんな昔の話は、しなくていい」
「ううん。そうじゃないよ、家族だからこそ、知っててほしいんだ。寒くて、雪が降っていて、お腹がすいていて……それでも、盗みにも失敗して、ほんとうにどうしようもなくなったとき、……身体を売った、売るってことを、覚えさせられたんだ」
アッシュは決して誇れない過去を、ドゥドゥーの目をまっすぐに見つめて語りだす。そこに悲壮感はない。ただし、他の感情も垣間見えない。
「罪悪感は、なかったといえば嘘になると思う。でも、それよりも弟たちを食べさせてあげられることが出来る方が、よっぽど大事だったから」
「お前は」
ドゥドゥーはそこまでを聞くと、胸の奥にぐっと詰まった感情とともにアッシュを強く抱きしめた。
「もっと、自分を大切にしろ。おれの家族になったからには、もう二度とそんな思いはさせん」
「ん、うん……きっと、そういってくれるかなって、思ったよ」
腕の中でくしゃりと笑う青年は、まるでドゥドゥーの言葉を待っていたのだと言わんばかりだ。なんとなく試されたようで少し面白くはなかったが、彼がいとおしいという気持ちに、変わりはない。それに、告げにくかったことを敢えてはっきりと告げてくれたことも、自分を信頼してくれているからこそ、だろう。
「ドゥドゥーは、なんだか前よりもおしゃべりになった気がする」
「そうか」
「そうだよ、たぶん」
こういう仲になったからかな。言いながらアッシュはドゥドゥーの胸元に唇を落とした。そのわずかな感触とぬくもりですら、切なくなるほどに愛おしい。
「明日にはもう、ここを発つんだよね。今度は、海を越えるんだ……でも、初めての場所でもきっと、君とあの子ととだったら、大丈夫だって思える」
ダスカーに旅立つ前にも、アッシュは同じことを言ってた。そして、その結果はお世辞にも良いものだったとはいえない。それでも彼はまた、同じことを笑顔で言ってみせる。ほんとうに、ほんとうに愚直でしたたかで、そしてあまりにも彼はこの世界で生きるにはきれいすぎた。
だから、ドゥドゥーは言葉にせずに胸の内で誓う。陛下、おれは何があっても彼を守ります。この世界のなにものからも、すべてから、絶対に守り抜いてみせます。
「ドゥドゥー、……少し、痛いよ」
「すまない、アッシュ……アッシュ」
何度呼んでも飽き足らない名を呼べば、花が綻ぶように微笑みを返す青年を、ドゥドゥーは一生離せそうにない、と思った。
「いやあ、なつかしいフォドラ料理が食べられる店があるからって来てみたら、店主がお前だったなんてなあ、アッシュ」
豪快に笑いながら麦酒を飲み干すのは、ひどく懐かしい顔ぶれだった。カトリーヌとシャミア。二人はあの五年半の戦争の後に正式にパートナーとして誓約をかわし、フォドラのみならず様々な箇所で傭兵稼業のようなことをしているのだとは聞いてはいたが、まさかこんなふうに再会できるとは思ってはいなかった。
「違いますよ、厨房を取り仕切ってるのはドゥドゥーですし、料理も殆ど彼がつくってますから」
「ああ、そういやドゥドゥーの料理も美味かったからなあ!あ、悪い、こいつをもう一杯くれるか?」
「おい、いくらなんでも昼間から飲みすぎだ」
相棒の杯が重ねられるたびに呆れたようにシャミアが釘を刺すのだが、カトリーヌはまあまあ、とまったく気にした様子もない。そんなやりとりも、アッシュの記憶にある二人とかわらなくて、思わず苦笑してしまう。
「そういえばお前たちも結婚したんだってな。大司教から聞いたときは、まあ、いずれそうなるだろうなとは思っていたが」
妙に絡みだしそうな雰囲気のあったカトリーヌの先手を打つように、シャミアがアッシュに水を向ける。
「あ、はい、ええと……やっぱり、わかってたんですか?」
「わかるというかな。まあ、あの時の必死さを見ていれば、だいたい想像はつくさ」
「あはは、その話はもう忘れてください」
「さあて、どうしようかな」
シャミアとアッシュが軽口をたたいていると、アッシュよりも背の高い青年が料理と追加の麦酒を持ってやってきた。
「追加の料理です。アッシュ、知り合い?」
「そう。僕が士官学校時代からお世話になってて、二人とも僕の師匠みたいなひとかな……こっちがカトリーヌさんで、こっちがシャミアさん。ふたりとも、凄腕の傭兵だよ」
何故だか二人を警戒するようなまなざしで見る青年に、二人は少しばかり怪訝そうに眉を顰める。先に口を開いたのは、カトリーヌだった。
「なんだ?アッシュの子供か?」
「は?な、なにバカなこといってるんですか!この子はダスカーの戦災孤児で、養子として育ててるだけです!」
「ははっ、冗談だよ、冗談。なにせ、久しぶりの再会に美味い料理に旨い酒だろう。少しくらいいいじゃないか」
「お前の冗談はまったく面白くないからな、悪いなアッシュ」
「いえ、大丈夫です、なんていうか懐かしいなあって……」
青年は再び厨房へ戻り、他の客の注文を取りながら運ぶなどてきぱきと働いている。ダスカーの孤児院での唯一の生き残りであった彼もあれから十年近く時が経ち、立派に成長してこうしてアッシュやドゥドゥーの仕事の一端を担うようになっていたのだった。
「でも、お前たちも元気そうにしていて、何よりだよ。風の噂でダスカーで苦労したって聞いたからな……心配もしてたんだ」
「そうなんですね。でも、僕にはこの子とドゥドゥーがいてくれましたから。それに、他にも、ずっと僕の理解者はいてくれたんですよ。だから、この世界も、そう悪いものじゃないんだって、思ってます」
「そうか。まあ、お前は元からそういうヤツだったからな……呆れるくらいに」
アッシュを眺めるカトリーヌの眼差しは、どこか眩しいものを見るように細められる。シャミアもまた、懐かしい弟子がこうして平穏で幸せな人生を得ることが出来たことを喜ぶように、小さく笑うのだった。