1.ロクデナシ野郎、恋に目覚めること
シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエといえばいかなる男であるか。
人は言う。あいつは希代の女たらしのスットコドッコイであると。或いは、無駄も無駄に整った顔立ちと発するだけで乙女を卒倒させるような声の持ち主だが、お世辞にも素行が褒められたものではないために、一生童貞に違いないと断じた。はたまた十傑という、フォドラにおけるナニがナンだかわからないが、とにかく権威のあるゴーティエ家の嫡子にして頭脳明晰であり言論も達者でありかつそれなりに武芸者であるにも関わらず、その使いどころが基本的にいわゆる愛らしい乙女たちを口説くことのみに駆使されるがゆえに、非常に残念な男である、など。
そのおおよそが、ようするにロクでもないものである。そして本人はそのロクデナシぶりを改める事もなく、幼馴染であるフェリクス、イングリットにディミトリと共に山野を駆け巡り馬を走らせ、剣や槍の稽古をし優雅に野狩りなどをしたのかしないのか、いずれにせよ大いに迷惑をかけ続けながらも反省しない、総合的にただのロクデナシ野郎であった。
だが、彼がどうしようもないロクデナシ野郎になった理由も一応存在し、同情の余地も実はある。彼にはマイクランという大変面倒で嫉妬深くヤケクソ気味に手の付けられない実兄がいたのだが、女神の悪戯か嫌がらせ気まぐれか、ゴーティエ家の長男としてこの世に生を受けたマイクランには紋章が存在せず、うっかり次男であるシルヴァンにその紋章が有難迷惑にも顕現してしまったのだ。まったくフォドラにおわす女神の性格は悪いといわざるをえないだろう。愉快犯ならなおさらである。
説明を要さねばなるまい。この紋章の有無というのはフォドラにおいてはだいたい身分と偉さの基準たりえる、社会的影響を多大に持つ厄介な代物である。そして同時に紋章を持つものは、英雄の遺産という、うさん臭さ抜群かつ見た目的にも出来れば持つことすらご遠慮願いたい武器を扱うことが可能であり、戦時中はともかく平時はうっとおしくかつ面倒なだけの存在だった。
話を戻すと、紋章という存在を無視すれば順当にゴーティエ家を継ぐはずであったマイクランは、紋章がなかったお陰で迷惑極まりないヤケクソ暴れん坊野郎に立派に育ち、シルヴァンはシルヴァンで、性根のヒン曲がった面倒くさい実兄に雪山に置いてけぼりにされては飢えた野猿と死闘に次ぐ死闘(ただし相手は半分寝ているスキを伺ったので半ばかっぱらった)の末餌を奪い生きながらえ、井戸に突き落とされては一晩井の中の蛙と語り合う寂しい夜を過ごすなど、幼少時から散々に愉快ではない体験をさせられていた。あげくの果て、紋章を持つ子を産めば自ずと貴族の一員になれる、一攫千金玉輿を狙う肉食系乙女たち有象無象にそれはそれは色々な意味で狙われており、結果としてシルヴァンは乙女たちを口説くことを趣味とし好みながらも実は憎むという、兄マイクランに負けず劣らず実に面倒くさいスットコロクデナシ野郎に育ったのであった。
そのイロイロな意味で面倒くさいロクデナシ野郎だが、一応貴族の嫡子としての責務には逆らえず、将来的に士官となるため入学したガルグ=マク大修道院にて、ものの見事に運命の出会いを果たすのである。
女神も流石にそこまで性悪ではなかったらしい。
ただしそれは豊満な肉体を持つ黒髪の美女でもなければ、可憐な野の花のような愛らしい柔肌の乙女でもなかった。
そもそも、女性ですらなかった。
一見すればただの平凡極まりない、アッシュ=デュランという見た目とは裏腹に一筋縄ではいかない年下の少年である。
訂正しよう。やはり女神はどこか根性がヒン曲がっている。
彼は一見すると見目も麗しいメンバーの揃う青獅子の教室では目立たないが、よく観察してみれば可憐な顔立ちをしており、灰色のくせっけもなかなかに愛おしく、目の縁をかたどるまつ毛が時折光を通してキラキラと光る。存在そのものがまばゆいと思わせる節があった。そもそもその時点でシルヴァンの錯覚なのだが。
少年というか少女というかも実に微妙で、その声をきかねば乙女にかけてはそれなりに(数ばかりは経験しているので)詳しいシルヴァンでも、判別不可能であった。生来のものなのか色素が全体に薄く一見するだけならば儚げにも見え、そうした印象に拍車をかけるのかもしれない。何よりもロクデナシ野郎であり実は女性嫌いなシルヴァンにしてみれば女神の賜りものかと思わせるほどに素朴さを際立たせるそばかすと、春の新緑を思わせるような若草色の目は、もはや愛らしさの極みの一言に尽きる。その時点でシルヴァンは大分アッシュに参っていた。俗にいう一目惚れというやつである。スットコロクデナシ野郎でも、一目惚れくらいはするのだ。
シルヴァンは生まれてこの方一度も感謝したこともない女神に感謝した。
これからは毎朝聖堂で真面目に祈りを捧げると誓うほどに、本当はそんなことは実行するくせはないくせに感謝した。女好きに見せかけて女性が苦手で童貞のシルヴァンにしてみれば、アッシュは突如目の前に現れた天使、この世の奇跡そのものだったのだ。
しかし現実というものはそう甘くはないと、直後にシルヴァンは痛感する。
素朴で愛らしく生真面目で勤勉を絵にかいたようなアッシュは、別に天使ではなかった。
それどころか、どちらかといえば修道院中で好き勝手自由気ままに生きているだけで可愛がられているくせ、都合の良いときは媚びそうでない時はそっぽを向くような、きかない野良猫のような少年だった。
当初こそシルヴァンに向ける視線は純粋な好意(断っておくが、純粋に友人としての好意であり、貴族としての責務を果たせるような立派な男性だとアッシュが一方的にであり、勘違いしてたという愉快な事情によるものである)であったはずが、徐々に彼との距離が縮まるにつれ、ロクデナシ野郎の本性が露見してきてしまった。
その上その愛らしい顔を険しくさせ「何回も同じことを繰り返す阿呆ですか」「仕方のないロクデナシ野郎ですね」「いい加減素行を改めないと犬の餌食わせますよ」などと散々言われる始末である。
シルヴァンも己のロクデナシな面を取り繕う努力を怠ったことは否めないのだが、うっかりあっさり一目惚れしてしまった相手に恰好を付け続けろというのは、童貞男二十歳には相当に難しい問題だった。
どうにも、あのアッシュの目の前ではフニャリと気が抜けてしまい、いつも通りのロクデナシ野郎になってしまうのだ。シルヴァンの名誉にかけて言っておけば、一応当初は努力しており、お陰で最初のアッシュのシルヴァンに対する印象が良く、結果として仲よくとは決して言えないものの奇妙な関係にこぎつけるようにはなった。常の悪癖を発揮し乙女の怒りに触れては追い掛け回され、逃げ込むという口実でアッシュの部屋に夜毎転がり込むのである。全く褒められた行動ではないのは確かだ。
しかし、である。逆説的に考えればこれは大成功事例なのである。あの一目惚れした愛くるしいアッシュ少年とただならぬ仲になれたのである(ただし別に歓迎はされない)。これは、喜ぶべき事であり、とりあえず形式的に女神に感謝すべき事態である。
そうして一応ではあるものの仲良くなれたとなれば、段階的には一歩進んだことになる。例えば士官学校の初々しい生徒たちがキャッキャウウフと青春を謳歌するような木漏れ日の下で、アッシュ少年と共に手を取り合い穏やかに互いを見つめながら花の名や猫の愛らしさについて語ることもできる。何ならそうっと彼の肩を抱き合いながら、まるで愛する恋人同士のようにささうやかにたわむれあうこともやぶさかではない。
なぜなら、シルヴァンはアッシュに恋をしており、アッシュもまたシルヴァンに対し言葉こそ厳しいものの、「シルヴァンはその言動さえなんとかなれば、僕が目指す理想的な騎士たるひとなのですが」「おそらく本質的には気持ちまともな人ですよね」などとシルヴァンを喜ばせる言動を極々稀にしてくれることもあり、つまりそれくらいであればその程度のスキンシップは許されるだろうという、単純な童貞シルヴァンの妄想である。なお、アッシュの言動も些か誇張されている可能性は否めない。なにせ、シルヴァンの脳内で都合よく妄想されたアッシュなのである。
「何より恋というものは、ままならない。ままならないんだ」
ため息をほうとつき、その男前の顔を伏せながら、哀愁を漂わせ食後の食堂内で恰好をつけるシルヴァン。
よりによって、このロクデナシ野郎から恋という言葉が出てくるとは。
なにせシルヴァン、先述のように、大変なロクデナシ野郎である。そして恋を語るほど恋を経験しておらず、童貞である。
そのようにぽつりと呟くシルヴァンに向けるイングリットとフェリクスの視線ときたら、ファーガス神聖王国最北端の真冬の早暁の気温よりも更に冷たいものであったことを、記載しておきたい。
「お前は阿呆か」フェリクスが言う。
「妄想逞しくするのも、いい加減にしてね」イングリットが続けてトドメを刺す。だが、シルヴァンは否!と声を大にして叫んだ。
「アッシュは俺の前に現れた女神の御遣いに違いない!これは運命の出逢いだ!女性をフリながらフラれ続け、嫌われ続け、疎まれ続けたのも全てはアッシュと出会うための布石なんだ」
まったく二人の言葉を聞いていないシルヴァンは一人でモリモリと盛り上がり、目の前にアッシュがいるという妄想のもと、己よりもはるかに背丈の小さい少年をいとおしく掻き抱く仕草をして恍惚と目を閉じる。
「阿呆につける薬がないとは、このことだな。気合をいれてやろう、訓練場に来い」
「断わる!」
己の幸福な妄想に水を差されたシルヴァンは鬼の形相のごとく、友人を睨んだ。彼の頭の中では、これからアッシュの柔らかそうな頬にゆったりと触れ、その若草色の瞳がうっとりと閉じられて、乙女が口づけをねだるように顔をあげている最中であった。
「ならお前は阿呆のままだ」
「阿呆のまま馬にでも蹴られてくるといいわよ、貴方の恋路だけど」
氷点下の視線と深海並の深いため息とともに、フェリクスとイングリットはシルヴァンを見放すのだったが、これもいつものことである。
2、大貴族の御曹司、温室に引籠ること
「そういえば、アッシュは騎士に憧れているらしい」
唐突に語りかけてくる幼馴染は、ぶっきらぼうではあるものの一応シルヴァンの恋路を応援してくれているようだ。というのも、事あるごとにアッシュの情報を提供くれている。どうもフェリクスはシルヴァンとは違い純粋にアッシュから慕われているようで、それはそれで大変に微妙な気持ちになってしまうのだが、恋愛感情ではないとシルヴァンは謎の確信を持っているために大事には至っていない。
「好きなものはスミレの花、アッシュらしくて大変愛くるしいな」
「お前は人の話を聞け」
せっかく人が情報提供をしているのだぞ、とフェリクスは持ち前の眼力と表情でシルヴァンを威圧するのだが、アッシュとの妄想の夢の世界に入り込んでいるシルヴァンに届くわけもなく無駄に終わった。
「考えてみたら、野花なんてそんなに気にしてなかったが、いざ見てみると実際スミレの花ってのは素朴ながらも可憐で愛くるしく本当にアッシュらしいな。控えめでいてそれでよくよく見ればきれいな色の花弁も、この儚さもアッシュそのものじゃないか」
「だから人の話を聞けと言っている。だいたいどこでそんな情報を仕入れたんだ」
「それはもう、惚れた相手の情報を探るのは常套手段だろう。あちこち聴いてまわったんだ、主に先生とか」
シルヴァンから出てきた名称に、フェリクスは思わず振り回していた訓練用の剣をへし折るところであった。
「それは最初から答えを聞きに行っているようなものじゃないか」
「俺はアッシュの為ならば手段を選ばないからな!」
そういうことを言っているのではない、とフェリクスはほとほとと呆れたように舌打ちをしてから、再び剣の稽古を始めた。そもそも、訓練所で鍛錬しているところにシルヴァンが押しかけて一方的かつ思い込みによる惚気話を聞かせてきて、あまりのうっとおしさに適当に応じてしまったのが間違いだったのだ、とフェリクスは己の迂闊さを早々に後悔をしている。だが、完全に後の祭りだ。フェリクスは完全無視を決め込み鍛錬に集中している間も、シルヴァンのアッシュとの桃色妄想語りは続いており、そろそろ集中が途切れそうになる。できれば怒鳴りつけて退場を願いたいのだが、それもなかなかに億劫なので放っておいた。
「よし、フェリクス!俺もスミレを育てるぞ!」
そして唐突な宣言が、突如なされたのである。
「お前は一体何を言っているんだ?」
「俺が育てたスミレをアッシュに贈れば、きっとアッシュも俺に惚れ直すに違いない!」
「お前の言っている意味が微塵も理解できんのだが。スミレを育てるのはともかく、そもそもアッシュはお前に惚れているのか?」
「現在進行形で未定だ」
返す真顔でそういわれ、流石にフェリクスも訓練を中断し、幼馴染におもむろに近づくとその脳天に拳を振り下ろした。
「何をするんだ、俺は断固として暴力反対を主張するぞ!!」
「阿呆だ阿呆だ思っていたが、本当に阿呆だなお前は」
「失礼な奴だな、俺だってスミレくらいは育てられる、多分だが」
「育てられるというか失敗する方が稀だろうがな、あれは元々は野草の類だ」
「友人としては実に雑な励まし方だな」
無視されるよりはいいと思え、とフェリクスは内心思ったのだが、それは心の奥底にしまっておくことにした。ついでにその他諸々の出かかっていた言葉もゴクリと忍耐力と共に飲み込んだ。これ以上絡まれても面倒なだけだからである。
そしてその日からシルヴァンは言葉通り温室に通い出した――否、籠りだした。その熱心さは温室の管理人が遠慮して温室の端の方で目立たぬように仕事をするようなレベルであり、また真剣極まる表情で花の種を植えてはじっと眺めて待つその姿はまさに鬼気迫るものがあり、あっという間に修道院中の噂になった。
当然、その噂はアッシュの耳にも入る。アッシュは元々植物が好きで温室にもよく通っていたものだから、その噂をシルヴァンが温室の管理人に迷惑をかけていると解釈し、その愛らしい顔に似合わずそれこそ悪鬼の如き表情でシルヴァンの背後に立ち、腹の底から響くような声でシルヴァンに声をかけた。
「シルヴァン、くだらないことで管理人さんに迷惑をかけないでください」
一方的に懸想している相手に鬼のような形相で背後から声をかけられ、流石にシルヴァンも驚いた。だが、そこはシルヴァンである、意地でもこの場を動かぬという力強い意志の元、断固として動かぬという姿勢を見せた。
「ア、アッシュ⁈いや、だがこれは下らないことではないから俺も断じて譲らないぞ!この行為には俺の生命がかかっているといっても過言ではないんだ!」
「生命がかかってるって何ですか……だいたい、折角作った土に破裂の槍刺さないでください、ちゃんと植物が根を張れなくなるじゃないですか」
確かに、シルヴァンは初めは目印様にスミレの種(仮)を植えた場所に破裂の槍を無残にも刺していた。そうすれば、他人がこの場所に間違えて何かを植える事など確実にないからである。また十傑の末裔の使う武器で縄張りを示しておけば、誰も近づかないだろうという目論見もあった。何もそこまでせずとも、シルヴァンが微動だにせず温室の一か所に張り付いているだけで誰も近づかないであろうことは想像に難くないのだが、シルヴァンはことアッシュに関することとなると奇行が暴走するきらいがあったがゆえに致し方ないのだ。
「大丈夫だ、破裂の槍の力で力強く根を張り巡らし逞しく育つに違いない!俺がそう言うんだから間違いはない!」
「何を言っているんですかほんとうに。大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、大丈夫だぞ!アッシュとこうして話も出来てよりいっそう俺は大丈夫になった!」
「そうですか。声、かけなきゃよかったですね」
アッシュがぽつりと落とした言葉は残念なことにシルヴァンには届かず、シルヴァンは再び破裂の槍を刺したままの箇所をじっと眺めている。
「あの、余計なお世話かもしれないですけど。眺めていたところで、早く芽吹くとか、そういうことはありませんよ」
「わかってる。ただこれは、一応儀礼的なものだからな。俺の魂と命と念を送っているんだ」
「はあ、よくわからないけど、わかりました。とりあえず管理人さんには迷惑かけないでくださいね。あと槍は抜いてください」
「それはダメだ」
「……君も結構強情ですね……まあ、犬のマーキング程度に思っておくことにします……」
サラリと辛辣な言葉を残して、アッシュは自分の仕事に戻っていった。シルヴァンにしてみれば、懸想しているアッシュと会話ができただけでも御の字であり、胸が高鳴り脈は早くなり体温は上がり、今ならば空も飛べるはずと大聖堂の頂上から飛び降りたい気分であった。
ところが、世の中そうそう甘くはなかった。
シルヴァンは毎日毎日温室に通ってはスミレの育成の様子を観察していた。芽吹いたと思えばその場で歓喜のあまり雄叫びをあげ管理人からほとほととため息を吐かれ、芽が伸びる度にそわそわと幼児のごとく身体を揺らしながら挙動不審になり、見ている方が珍妙で愉快だと他学級の生徒にまで言われる始末であった。
それなのに、である。
一週間後にそこに生えていたのは、可憐なスミレではなく、岩ゴボウと言われるに手も焼いても食えぬどうにもならない、ただしベレスによれば食せばたちまち力が沸きばったばったと敵を薙ぎ倒せるようになるという代物であった。
その時のシルヴァンの落ち込み用ときたら脇に一週間刺しっぱなしであった破裂の槍を持って涙を流しながらやけくそ気味に温室内で暴れ出しそうになり、ドゥドゥーはおろかディミトリまで出てきてなんとか事を収めたほどであった。はた迷惑極まりない話である。
その後も、スミレの花が咲くことは殆どなく、仕方なくシルヴァンは意気消沈しつつも「俺が育てたスミレだ……」とひどく物憂げな疲労にまみれた顔でアッシュに岩ゴボウを渡す日々を繰り返していた。アッシュはアッシュで、自分のためにシルヴァンが種から育てているのを知っているために断ることも出来ず、かつその希少性を知っているために大人しく受け取り、どう調理したかはともかく元々料理も得意であるから己の手で調理し己の糧にしていた。
そもそも、何故スミレを育てようとしてこんなにも岩ゴボウが量産されるのかが謎なのだが、案外シルヴァンの言っていた破裂の槍が関係しているのかもしれない、などという荒唐無稽なことまでアッシュは考えだしてしまうあたりが、そろそろ彼もシルヴァンに毒されてきているのかもしれないが、哀しいかな、本人は全くの無自覚なのであった。
そんなとある昼下がりの事。いつものように温室に通うシルヴァンが、目を輝かせ地面に突き刺したままだった破裂の槍を引っこ抜き手にしてこの世をまさに今謳歌せんとばかりに華麗なるステップで寮に向かう姿が多数から目撃されていた。
「アッシュ!やったぞ!アッシュ、アッシュ、今度こそスミレの花が咲いた!アッシュ、見てくれ!!」
そしてところかまわずアッシュの名とスミレが咲いたということを叫びまくっているお陰で、おおよそのものが事態を把握し、ある者は苦笑し、またある者はよかったなあと温かい目で元ロクデナシ野郎ゴーティエ御曹司の奇行を見守っていたという。
そしていよいよアッシュの部屋の前に辿り着いたシルヴァンは、興奮冷めやらぬといった口調でアッシュの名を繰り返し呼ぶのだった。
「アッシュ!スミレが咲いた!スミレが咲いたんだ!これは女神の賜りものだぞアッシュ!奇跡が、俺たちの愛の力で奇跡が起きたんだ!!」
「わかっ、わかりましたから……!わかりましたから、ちょっと、声の音量を落として落ち着いて意味の分からないことを言うのをやめてそれから破裂の槍をところかまわず振り回すのをやめてください!なんなんですかもう!」
「アッシュ……!!ああ、会いたかったぞアッシュ!さあ、受け取ってくれ!」
そうして、直前の奇行が嘘のような優雅な仕草で腰を折り小さな野の花をシルヴァンはアッシュに差し出す。その様になる様子は流石に大貴族の御曹司というか、仮に曲げた腰の背後に回された手に破裂の槍を持っていようが、何故か様になるのが非常に謎である。
アッシュはアッシュで、あまりにも貴公子然としたシルヴァンの普段の態度や奇行とのギャップに暫く呆けてしまっていたのだが、いつまでも小さなスミレの花を差し出しているシルヴァンが痺れを切らしてまた奇行に走り出すのではないかとはたと現実に戻り、その小さな花束を受け取った――そうなのである、なんと、今の今まで殆ど咲かなかったスミレの花が群生するほどに今回は咲き乱れていたのだ。
「あ、その、ありがとう……ございます……。こんなに、たくさん……」
流石に自分の好きなものを、しかも失敗と奇行を繰り返しながらも必死に諦めずに咲かせたその努力と根性とその他諸々を無碍には出来ないし、何よりも途中経過はともかくとして、純粋に自分を想ってこのロクデナシ御曹司と名高いシルヴァンが一途にも行動してくれたことが、どこか嬉しかったのだろうか。アッシュは自然と柔らかく微笑んでいた。
そしてそれを目にしたシルヴァンは、嬉しさのあまり天にも昇る気持ちで発狂して破裂の槍を振り回して暴れ出し再びドゥドゥーとディミトリの出番が来たことは、言うまでもない。
3、白鷺杯で優勝を目指し勝負に挑むこと
そんなことをバタバタしている間に、季節が移ろい時は進み、星辰の節になっていた。星辰の節といえば白鷺杯にガルグ=マク落成記念日と生徒たちが浮かれ踊り日々の授業をないがしろになるには十分な行事が目白押しであった。
そして案の定浮かれすぎて地に足がついていない男ゴーティエも御多分に漏れず謎の確信に満ちた奇怪な発言を繰り返すのである。
「白鷺杯で優勝してアッシュにこの俺の勇姿を見せれば、アッシュは惚れ直すに違いない!」
目下彼の目標は、白鷺杯で優雅に踊る自らの華麗なる勇姿をアッシュに見せつけることなのだが、そもそもアッシュがシルヴァンに恋心を抱いている可能性がゼロの近似値に等しい可能性の方が大きいゆえに、幼馴染二人の呆れた反応もいつも通りである。
「また始まったか」
「また始まったわね。というかシルヴァン、あなた代表に選ばれてないでしょう」
二人は顔を見合わせて渋面を作り、またしても暴走しそうな幼馴染の言動を予測してすでに落胆のため息を落とした。
「否!青獅子の代表はまだ決まっていない、だからこれから先生に直談判に行く!俺の人生がかかっているといえば、先生もダメとはいえないだろう!」
「うん?シルヴァン。そんなに白鷺杯に出たいの?それなら別に代表は君でもいいけれど」
シルヴァンが一人で盛り上がり、フェリクスとイングリットの視線が王都フェルディアの真冬の空気のごとき冷たさを孕む前に、ひょっこりと担任ベレスが顔を出した。
神出鬼没のベレスのことなので、一人騒いでいるシルヴァンの様子を見つけて顔を出してくれた、のかもしれないしたまたま通りかかっただけかもしれない。
「本当ですか先生!!」
今にも再び破裂の槍を振り回して歓喜の舞を踊り狂いだしそうなほどに食って掛かるシルヴァンに、ベレスはあっさりとその奇行と攻撃を華麗に躱しながら頷く。シルヴァンもシルヴァンであるがベレスもベレスだ、とフェリクスとイングリットはまたしても奇妙な顔をする羽目になっている。
「いいよ、アネットに頼もうかと思っていたけれど、それくらい熱望しているものを無碍にもできないし、君なら特に練習の必要もなさそうだからね」
「いいえ、そんなことはないです!俺はどうしても……どうしても優勝しなくちゃならない、この破裂の槍に賭けても。だから、特別に個人指導をお願いします!」
するとどうだろうか、突如シルヴァンにしては珍しく折り目正しく破裂の槍を収め、折り目正しく礼をする様子を見てフェリクスとイングリットは彼の本気の度合いを知り目をぱちくりとさせ、ベレスは得心したと頷いた。
「了解、それじゃあさっそく個人指導といこうか。ただし、やるからにはきっちり優勝してもらうよ」
ぐっと親指を立ててにこりと笑うベレスの目が全く笑っていないことに気づいたのはシルヴァンだけだったが、ベレスもまたそれほどにこの白鷺杯に力を入れているのかと思うと、身の引き締まる思いであった。
そして、運命の白鷺杯当日。
シルヴァンの気合は十分すぎるほどに十分であり、前日の夜は興奮して半分ほど眠れなかったくらいである。だが眠気と目の下の隈は気合でなんとか吹き飛ばし、真剣勝負ならぬ白鷺杯に臨むのであった。
シルヴァンは、当然だが青獅子の代表である。そして金鹿からはラファエル、黒鷲からはカスパルという、大会の趣旨を明らかに間違えているようなメンツが一堂に会したのである。これからこの場違いかつ奇天烈な三人がそれぞれ審査員の前で華麗なるそのステップと優雅な踊りを競うという緊張感から、シルヴァンは思わず破裂の槍に縋りたくなったのだが、生憎と舞踏会会場に武器その他の持ち込みは禁止であるから持ち込みができない。そこで、頼みの綱とばかりにシルヴァンはアッシュの姿を無意識に探した。破裂の槍がないのなら自称ひっそり桜色片思いをしているアッシュの姿でも、と思ったのだが生憎とアッシュはアネットと何やら談笑しており、絶妙にタイミング的な問題だったのだが、シルヴァンのことをさっぱり見てはいなかった。
だが逆に、それがシルヴァンの謎のやる気を発揮させることになるのである。
これは、つまり、シルヴァンを白鷺杯優勝者から引きずり下そうとする何者かによる策略なのであると、シルヴァンは悟った。最も怪しいのはクロードなのだが、犯人はそうやすやすと自分が犯人であるというそぶりなどは見せない。普段からうさん臭さが服を着て歩き一言喋れば嘘か本当か分らぬようなことばかりをいう男が、ラファエルという変化球で白鷺杯に挑んできたのにはそれなりのワケがあろう。ゆえに、クロードは怪しくないような気がしなくもないのだ。あくまでもではあるが。
では、黒鷲の学級エーデルガルトはどうであるか。代表はカスパル、明らかに優雅な舞踏といったものとは無縁の筋肉訓練馬鹿一代会の会員である。何ゆえにアドラステア次期皇帝が直々に彼を選んだのかは杳として知れない。こちらも明らかに怪しいのだが、その怪しさゆえに裏が読めない。読めないというよりか、そもそもカスパルは踊れるのだろうかと逆に心配になってくる始末である。むしろ、我が青獅子の学級こそが最もそれっぽい代表であるとすらシルヴァン自身でも豪語できる奇妙な面々である。
ゆえに、シルヴァンは思考することを放棄した。何者かの策略であろうがなんであろうがどうでもよい。優勝すればよいだけのことなのだ。
そうすれば今はアネットと実に可愛らしくお似合いの少年少女といった風情で談笑しているアッシュもシルヴァンを見直すであろうし、何なら少しばかり甘酸っぱい恋心を抱いてくれるかもしれないし、抱かないかもしれないが、少なくとも悪い感情は持たぬであろう。そう、それでよいのだ。そもそもアッシュに認められ、ひいては甘酸っぱい恋心を抱いてもらうために白鷺杯で優勝することがシルヴァンの目的であれば、他のあれこれと煩わしい有象無象などどうでもよい。レスター諸侯同盟次期代表の策略であろうが、アドラステア次期皇帝の陰謀であろうが、今のシルヴァンの前には塵芥に等しい。
やることは、最初から一つだけなのだ。
ふと、ベレスの方を見やれば、まるで戦に挑むがごとし真剣な眼差しでぐっと親指を立てている――ベレスもまた、シルヴァンに勝て、と念を押しているのだ。お前ならいける、と彼女は信じてくれている。というよりか負けた後がこれは怖いので、決して負けられない背水の陣でシルヴァンは白鷺杯に臨むことになるのであった。
三者三様の踊りが披露され、残るは審査結果の発表となる。
その体格からは想定できぬほどに意外と見事な足さばきを見せたラファエル、案の定愉快な未開の民族踊りになっていたカスパル、そして破裂の槍がないながらもその手にはかの得物を持った想定で果敢にステップを踏みこみまくったシルヴァン――優勝者は、何故かシルヴァンに決まった。
各審査員からは「まるで獲物を一撃でとらえるが如く鬼気迫る迫力があった」「優雅でありながら殺意まみれで踊りなのか武術なのかわからなかった」「明らかに命を取りに来ていた」などという散々な評ではあったのだが、何故か優勝してしまったのだ。そもそも比較対象が悪かったのかといえば、どちらかといえば踊りというとその場にいた大多数の生徒からしてみればラファエルの方が本来の白鷺杯の趣旨に適っていたように思われていたのだが、とかく世の中は不思議なことだらけであった。
優勝者には特別な踊りの装束が渡されることになっており、その衣装には見たものを鼓舞する魔力が宿っているのだという。さっそくシルヴァンは装束に身を包み、未だアネットと談笑しているアッシュの眼前に仁王立ちした。
「アッシュ!俺の勇姿を見てくれていたよな!優勝したんだ、見事白鷺杯で優勝したぞ!」
破裂の槍は先述の通り取り上げられているので仮に持っているような仕草でシルヴァンはアッシュに堂々と己の勇姿を誇示する。
「はい、ちゃんと見ていましたけど、完全に蛮族の踊りでしたね。まるで大貴族の御曹司とは思えない勇姿でしたよ」
「ア、アッシュ……!!いくらそう見えたからって、率直すぎるよ……!!」
アッシュはアッシュでなかなか辛辣なのだが、アネットのフォローもまったくフォローになってはいない。流石のアネットである。
「構えとかかなり様になってましたし、絶対に相手を殺すっていう強い意志を感じましたよ。戦場でも大活躍じゃないですか」
とはいえ、言葉はかなり辛辣かつ各審査員の教師たちとほぼ一緒なのだが、アッシュの表情は決して冷たくはないのだ。
それどころか本当に出会った頃、初期の純粋に尊敬する眼差しに近いものを感じたシルヴァンは、その場でまさしく蛮族の踊りを踊りだす寸前であったのだが、他生徒、というかアッシュの隣のアネットの怪訝そうな表情を見て我に返った。とりあえず少しここは落ち着き、改めてアッシュに問いただせばならないことがあるからだ。
「アッシュ、どうだ、その……俺に、惚れ直してくれたか?」
「え、ええ?シルヴァンとアッシュってそういう仲だったの?てっきりシルヴァンが一人で盛り上がってるだけだと思ってたよ……?」
地味に辛辣なアネットの言葉に、残酷ながらもアッシュは頷く。だが、一人勝手に盛り上がっているシルヴァンには関係がなかった。彼の頭の中は常にアッシュとのめくるめく桃色妄想でいっぱいなのである。
「いえ、あの、なんで僕がシルヴァンに惚れている前提なんですか?確かに踊りはとてもよかったと思いますけど、話が見えませんよ」
「否!出会った頃はあれほどに俺に懸想してくれていたじゃないか!俺に何かあれば部屋に匿ってくれる仲であるし、てっきり」
「てっきり、ってなんですか。そもそも話が色々と飛びすぎてて意味がわからないんですけど何の妄想なんですか。でも、少し見直しましたよ、ちゃんと格好良かったですし」
「本当か!」
まったく話は噛み合ってはいないのだが、とりあえず目的は達成されたといってもよいだろう。思わずアッシュの肩を掴みそうになるのだが、そんな破廉恥な真似はまだ出来ない童貞シルヴァンは、一気に眠気や疲れも吹き飛び、心底奇怪なものを見る目で凝視しているアネットとなぜかそれなりに楽しそうなアッシュの前で、もう一度アッシュ曰く蛮族の踊りを踊るのであった。
そして、見てはいけないものを見てしまった顔をしているフェリクスの表情と、顔を引きつらせながらもなんとか笑顔を保とうとするイングリットの挙動は後々まで語り草になるのであった。
白鷺杯の優勝者が決定し、舞踏会会場はやや緩やかな空気になる。会場から外に出て寒々しい夜空の中身を寄せ合うようにして睦み合う男女もいれば、わざわざ会場で羽目を外しすぎて教師に怒られている生徒も少なくはなかった。中には気が狂ったように踊りあう男女もおり、中には同性同士でキャッキャウフフと桃色遊戯じみた触れ合いを場をわきまえずに開始する生徒もいるものだから、会場で出された飲物にはアルコールが入っていたのではないかとまことしなやかに噂されていたが真偽のほどは定かではない。
そのような中でシルヴァンはさっさと会場を離れ破裂の槍と岩ゴボウを握りしめ、再び真剣勝負に挑む顔つきでアッシュと対面していた――場所は、いわくつきの女神の塔である。落成記念日の夜に男女が女神の塔で約束を交わせば願いが叶う、そういった伝承は生徒たちの間では有名ではあるのだが、いくら女神が適当で気まぐれであっても流石に男同士ではそうはいかない気がするのだが、いかんせん破裂の槍を持ったシルヴァンにはそのような常識的な判断は出来なかった。その上この白鷺杯で優勝して得た衣装もある。かつ、またしても育成失敗した岩ゴボウを大量に、やけくそ気味に束ねて持っているのである――彼にしてみれば、今この瞬間、まさに人生における一大勝負時であった。
そもそも、アッシュとここで落ち合う約束をしていたわけではなく、あれからまたアネットと談笑を始めかけたアッシュを用事があるから来てくれ、と非常に珍しい真顔で呼び止めて半ば強引にかっさらってきたのである。それを見たアネットが小声でシルヴァンの背中に「頑張れ」と応援してくれていたことには生憎とシルヴァンは気づけないほどに緊張していたのだが、ともかく連れ込むことには成功した。
そして、おもむろに今度は岩ゴボウの束をアッシュに差し出した。
「またしても失敗して大量の岩ゴボウを生産してしまった。だが、お前はいつも受け取ってくれたよな。一応これも役に立つらしいから、全部やるよ。好きなスミレの花じゃなくて、悪いんだが」
「え、あ、はい。ありがとう、ございます?」
疑問形ながらも、アッシュは大量すぎる岩ゴボウを受け取った。ここにベレスが居たらあの真顔のまま激怒し天帝の剣対破裂の槍という両者問答無用の非道試合を目の前で見る羽目になるほどの岩ゴボウの量なのだが、ベレスにバレると取り上げられることがわかりきっていたので、シルヴァンは自らの部屋に失敗したとはいえ自らが育てたものであるからひた隠しに隠していたのだ。そうしてコツコツと貯めた岩ゴボウを、今日この日、ここぞというときに手渡すつもりであった。本来であればスミレの花束の予定であったのだが、残念ながら花束にできるほど咲いたのはあの時一度きりであり、その後は一切その可憐な姿を見たことはなかったのだ。
「でも、これを食べたおかげで僕でも皆さんの役に立てるくらい強くなれたので、その件に関してはシルヴァンには感謝していますよ」
ここで、アッシュからとんでもない台詞が吹っ飛んできて、シルヴァンは暫くその場に硬直し続けざま床でごろんごろんと転げそうになり、なんとか無様に醜態を晒すことだけは避けた。
想定外すぎたからだ。まさか、まさかである、アッシュからシルヴァンに対して感謝の言葉など、ついぞ聞いたことがなかったからだ。しかもほんのりと微笑んでいるように見えるし、シルヴァンを見る目も決して生暖かいものではなく、本当に至ってふつうに感謝しているのだろうということがわかる。
「シルヴァン?気の抜けた阿呆みたいな顔してますけど、本当に大丈夫ですか?寒気に当たりすぎてとうとう頭も風邪をひいたんですか?」
「いやちがう、平衡感覚が崩れるほど思わず見惚れていた」
「ああ、ここからの景色、綺麗ですからね」
「違うそうじゃない!!」
シルヴァンは地団駄を踏んだ。なぜかいつもシルヴァンの真意はアッシュには巧く伝わらず、話は常に噛み合わない。いっそ女神の陰謀かとすら思えてくるし、ならばここはその女神の塔なる場でありその縄張りであるから、敵の術中にはまっていることになる。この場所はつまり、良くない。良くないのではあるが、その例のいわくというか噂も男同士とはいえ気にしてしまうお年頃であるシルヴァンとしてはなんとかこの場で恰好をつけたいのである。
そしておもむろに脱衣しだした。
「何をしているんですかシルヴァン⁈流石に公共の場で破廉恥ですよ⁈」
「大丈夫だ、流石に俺も公共風俗に反する行いを堂々とアッシュの前でするつもりはない。ちょっとそこの暗がりで着替えてくる」
流石にアッシュの目の前で衣装の着脱をするのは公共風俗に反しすぎかつ破廉恥すぎるという自制心はアッシュに言われるまでもなくシルヴァンにもあり、宣言通りちょうど灯りが暗がりをつくっている箇所でこそこそとシルヴァンは着替えをするのだった。
アッシュはアッシュで暗がりや人気のない場所が苦手であるから、そちらを見ようともしない。そもそも彼はこの年にして幽霊やらお化けなどというこの世のものではない何かが現存すると信じておりかつ非常に怖がっていて、そのようなところも非常に愛らしいのであるが、それがこの場合はそれが幸いしたのだった。
そして着替えたシルヴァンは、意気揚々と破裂の槍を構え、宣言するのである。
「よし、踊るぞアッシュ!!」
「おど、踊るって、また破裂の槍構えてるじゃないですか」
「おうとも。これは俺の相棒だからな。大丈夫だ、間違えてアッシュに刺すなどということはしないから安心しろ」
言うなり、シルヴァンはまたしても先ほど披露した「殺意に塗れた」「命を的確に捕りにきている」「どうみても蛮族の踊り」をアッシュに一人の前で踊りだした。その雄姿は女神の塔の乏しい灯の中でもすこぶる映えてまるで前衛芸術的絵画のような踊りであったのだと後にアッシュは語っている。
その中身と踊りの方向性はともかくとして、シルヴァンはそれから夜半過ぎ、いい加減空気が冷たくなりアッシュが戻ろうと言い出すまで真剣に自前の踊りを繰り広げていたのだった。
そこで二人は何やら約束を交わしたようで、寮ですれ違ったフェリクスが、すこぶる機嫌がよいシルヴァンを奇怪なものを見る目で見ても鼻歌を歌っていたというのだから、よほどの事であったのだろう。
一方のアッシュは照れくさそうに、けれどもどこか嬉しそうに大量の岩ゴボウを器用にへし折ったのかまるで花冠のようにして被っていたと通りすがりにすれ違った生徒らがぎょっとしていたので、なにはともあれ二人は平和的に穏便にかつ互いに喜ばしい形で別れたのであろう。
4、女神は適当に、そして気まぐれに微笑んだこと
その後色々と劇的な変化があり、主に戦争がはじまりベレスが行方不明になって、青獅子の学級の生徒たちもそれぞれ里帰りせざるをえない状況となった。
中でもシルヴァンは五年間もの間ひたすらに、戦場で踊り子の衣装を常時身に纏いながら破裂の槍を振り回し、帝国兵や勝手に国境侵犯をしてくるスレン族との戦いを続けていた。戦衣装としてはいかなるものかとゴーティエ辺境伯、つまり父親にも何度も言われてはいたのだが、この踊り子の衣装はアッシュとの約束と思い出の塊だから着替える気にはなれなかったのである。何より、長く戦い続けていることにより、この衣装と破裂の槍は最早シルヴァンの半身のようなものとなっていた。
勿論王国の為、という大義名分はあるのだが、半分以上共にアッシュが来てくれなかったことに対する八つ当たりを帝国兵相手にやらかしているだけなので、正直なところ大分帝国兵に同情したくなる状況である。とはいえ王国は嫡男であったディミトリ処刑と突然の政変で大いに混乱し、帝国側に寝返るものも多数出たことから、ゴーティエ領ひいてはシルヴァンの活躍はその奇行言動も含めて旧王国領中に轟いていた。
そしてもちろんではあるが兵士たちの間ではアッシュという人物のことが噂になり、シルヴァンの両親も把握している。だがゴーティエ領での元放蕩息子かつロクデナシスットコ野郎が一転、やたらとアッシュの名を叫びながらも鬼のような頑張りを見せているものだから、両親や親族も誰も何も言えないのである。単にあのロクデナシの放蕩息子を変化させたアッシュなる謎の人物の噂だけがやたらと尾ひれがついて広がるのみであった。
そして、ベレスが千年祭当日に皆で会おうと約束をしたその日。全員とはいかなかったのだが、大分やさぐれ様相も変わり廃人のように成り果てつつも実は生きていたディミトリは置いておくとして、残りの面子は五体満足で揃うことが出来た。準備運動代わりにガルグ=マクに巣食う盗賊どもをばったばったと薙ぎ倒したのち、彼らは炊き出しをしながら再会を喜ぶのだった。
五年も経てば人は成長もする。特に女性陣に至っては、かつては芽吹いたばかりの瑞々しさであった彼女らも、今はその可憐な花を咲かせるが如くに美しく成長していたのだった。その中で、シルヴァンには一際目を惹く存在が在った。というよりも、五年間抱えすぎて熟成発酵し拗らせてしまった想いが一瞬で蒸発するのではないかと思えるほどに、目の前にいる存在があまりにも変化しすぎていたからだ。
「シルヴァン、お久しぶりです。相変わらずその格好なんですね」
輝くような(実際にシルヴァンには、きらきらと輝いて見えた)笑顔で告げられた当たり前の言葉に、シルヴァンは思わず地団駄を踏み暴れ破裂の槍を掲げて雄叫びを上げる。
「美女からアッシュの声がする!!」
再会しての第一声がそれであり、フェリクスはつきたくなる溜息を飲み込んでシルヴァンの足を代わりに踏みつけた。直後にイングリットは黙って後頭部を殴りつける。幼馴染二人のシルヴァンに対する連携は、離れていたはずなのに五年を経てより的確さに磨きがかかっていた。
「男相手に美女はどうかと思うぞ。お前が混乱していることだけはよくわかったが」
「シルヴァン、いいから破裂の槍を離しなさい、あなたそれを持っていると何をやりだすかわからないって専らの噂なんだから」
「だが、お前ら、見てみろ、どこからどう見てもどう考えても絶世の美女だ!絶世の美女からアッシュの声がするということはこれはアッシュだ!!」
興奮冷めやらぬ様子で再び前衛芸術的舞いを始めようとするシルヴァンをフェリクスは渾身の力で抑え込むと、イングリットが苦笑してアッシュに改めて挨拶をするのだった。
「ごめんなさいね、久しぶりにあなたに逢えて、大分混乱してるみたいで」
「あ、あはは……多分褒めてるんでしょうから、そう悪い気はしないんですけど、ね」
アッシュが苦笑いしながらもそのように返すものだからイングリットは一瞬真顔になってしまう。この五年間、彼に何かあったのだろうかと、よからぬことでもあったのかと、思わず不安になってしまった。
「アッシュ、大丈夫?疲れてない?本当に、その、何か辛いことがあったとか……」
「いえ、大丈夫ですよ。何もなかったとはいえないですけど……ギルベルト殿が一緒にいてくれたおかげで、大分助けていただきました」
「なんと不埒な!あの老獪め!愛くるしいアッシュから絶世の美女に成長したアッシュの、その、俺の知らない長期間をずっと見守っていたというのか!これは何が何でも勝負を挑まなければならないな!」
「シルヴァンお前は何を言っているんだ。いつものことだが」
「これは断固として譲れぬ男この戦だ、止めてくれるなフェリクス」
「別に止めはせんが」
「許せイングリット……俺は、あの不埒で羨ましいこと極まりない輩を斃すことになるやもしれん」
「不埒極まりないのはあなたよシルヴァン」
「そして、アッシュ」
「は、はい?」
「俺は必ず勝つ!お前の為にも……そして、必ずお前といつか不純同性交遊とやらをしてみるぞ!桃色遊戯もだ!」
堂々と宣言するシルヴァンの脳天に、フェリクスの剛撃が直撃する。
「お前は相変わらず阿呆だな。五年経っても変わらん阿呆だ。いやいっそ五年前よりひどくなったか?」
「アッシュ、今のは聞かなかったことにしてあげてね。五年間で色々拗らせちゃったみたいで」
「あ、大丈夫ですよ、シルヴァンの奇行も口だけの阿呆な言動も慣れてますから」
アッシュがさらりと流してくれて、イングリットは内心ほっとする。五年経って大分シルヴァンはアッシュに対する感情を熟成発酵して拗らせてしまったらしく、(実際ゴーティエ領での奇行に関しての噂はガラテア領までも聞こえてきていた)五年前では考えられない発言がそれはひどい形相とともにポンポン出てくるものだから、フェリクスが居なければ問答無用でシルヴァンの尻を槍でめった刺しにしていたに違いなかった。
しかしそれでもめげないのがシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエという元ロクデナシ現在自惚れ初恋野郎である。そのまま修羅の如き形相でギルベルトの元へと軍馬の如き俊足で向かっていった。
「ギルベルト殿も、シルヴァンの噂は耳にしていましたから、大丈夫だと思いますよ」
その様子を見たフェリクスとイングリットの懸念を他所に、アッシュはのほほんとそんなことを言うのだった。
そんな奇怪な宣言をシルヴァンがして、夕刻に差し掛かろうという時刻。シルヴァンはアッシュと公衆の面々の前で土下座をしていた。正確には、アッシュの前で土下座をして大声で己の早合点を謝罪する有様が滑稽すぎて、やいのやいのと面白根性の野次馬が集まってきてしまったのである。
「実に済まなかった!俺の早合点で、お前にもギルベルト殿にもひどい濡れ衣を勝手に着せてしまった挙句またしても暴発してしまった!こうなったら、一肌脱いで大聖堂の三階テラスで破裂の槍と共にほぼ全裸で破廉恥な踊りを踊って詫びるしかない!!」
「それはやめてください」
至極冷静にアッシュはシルヴァンの謎の提案を断る。腕組みをして呆れたように見下ろす若草色の瞳はどこか冷めていて、先ほどまでの穏やかさはどこぞへ吹き飛んでしまったかのようだ。
「まったくもう、これじゃ僕が道化みたいじゃないですか。とりあえず、もう土下座はいいので立ってください」
「いやだがしかし!」
「だがも菓子もしかしもありませんよ、いいからさっさとしてください。これ以上聴衆が増えたら余計に笑いものですよ」
確かにアッシュの言う通り、今や彼ら二人の周囲に集まった兵士たちや元士官学校の生徒たちの人数はゆうに五十人を越えていた。それほどにシルヴァンが大騒ぎをしていたので、シルヴァンにすれば自業自得ではあるがアッシュにしてみればいい迷惑なのである。
「わ、わかった。だがやはりこのままでは俺の気がすまない」
尚も我を通そうと躍起になるシルヴァンに面倒くさそうにほとほとため息をつくと、アッシュは手持ちの袋から何やら取り出して、未だ土下座の姿勢のままのシルヴァンの頭にそれを被せる。
「いいですから、さっさと立ってください」
「アッシュ、これは」
「覚えてないですか?五年前、君が僕にくれたものですよ」
アッシュに言われてシルヴァンは改めて被せられたものを手に取ると、それはまさに五年前、落成記念日に女神の塔でシルヴァンがアッシュに手渡した大量の岩ゴボウからなる冠であった。岩ゴボウの生命力はその名の通り逞しく、五年経っても少々しなびた程度でその形を保っており、器用に編み込まれた様は実際岩ゴボウと言われなければ別の何かの細工物か何かといえるであろう。
アッシュがもう一度シルヴァンの手から岩ゴボウの冠を取ると、再びシルヴァンの赤毛に乗せる。そして、満足げに微笑んでみせた。
「こうしてみると、なかなか様になりますね。君は元々、黙って奇行にさえ走らなければ五年前よりも男前に磨きがかかっているんですから」
宥めるように言うアッシュの言動は、しかし完全に逆効果であった。当然だが、五年間拗らせたあれやこれやそれや何やらが再びシルヴァンの中で業火の如く燃え上がり爆発に至り、破裂の槍を大いに振り回すと再び公衆の面前で喜びの舞いを踊りだした。それは五年前の白鷺杯での評から更に磨きがかかり、五年間帝国兵やら何やらを殺戮し続け鋭さと殺意が増したまさに生贄(仮)の儀式を前にした蛮族の踊りの如し。寸前まで非常に良い雰囲気であったはずのアッシュもあっけにとられ、また群衆も同様にどよめくのもわすれてあんぐりと口を開けてシルヴァンの雄姿をただひたすら一方的に見せつけられるのであった。
ただし当人にしてみれば初恋が成就した瞬間(と本人は思っている)であり、五年間拗らせた想いがようやく実った結果なのである。暴発するな、という方が無理であった。
そしていつのまにか生贄(仮)を目の前にした蛮族の踊りらしき奇怪な踊りを踊るシルヴァンの前には焚火が焚かれており、アッシュは強引にシルヴァンに手をとられて巻き込まれており、周囲の群衆もなぜかその謎の蛮族の踊りを踊り奇声を上げている。
何事かと集まってきた青獅子の仲間たちもその謎の踊りに巻き込まれ、いつしか日は落ちて夜になり、恐ろしい顔をしながらディミトリですらシルヴァンの踊りを真似て踊る始末である。
そうして、ガルグ=マクの夜は愉快に過ぎてゆくのであった。