幾度も絶望を重ねた少女には、生半な言葉では届かない。ましてや相手はあのアドラステア皇帝だ。すでに一人で地に立ち、遺物を振るう力を持ち、腹心をもち、恐らくもっていないものなどはないであろう孤独な少女に届く言葉は何かと、日々ベレスは悩んでいた。
言葉巧みなドロテアに尋ねてみても、態度で示せの一点張り。とはいえ、その態度といってもベレスに全く見当はつかない。恋心のみならず、感情の機微には疎い自信があった。なにせ、最近までベレスは感情というものをそもそも理解していなかったからだ。
それでも、最初のころよりは随分と感情豊かになったわよ、とドロテアには言われるが、自覚はない。いずれにせよ、あのカスパルにすら「先生は本当に人の心ってのをわかってないからなあ」などといわれる始末。その直後にあなたにだけは言われたくないと思うわよ、とドロテアに釘を刺され真っ赤になって言い訳をしていたのは微笑ましかったが、そんなふたりの感情のささやかな動きを感じ取られるだけでも成長したほうかもしれない。ジェラルトが見たら、喜んでくれるだろうか――皮肉にも、ジェラルトを失ったことがベレスの中に感情の芽生えが生じた切欠のひとつだった。唯一愛情を注いでくれた父を失い、ベレスはその喪失を理解したのだ。そして、慟哭した。もう、繰り返したくないと願った。
あれから、五年が経った。一度は死の淵を彷徨ったベレスが無事ガルグ・マクに帰還して数節。帝国軍はグロンダーズ平原での大激突を経て、大きく躍進した。大陸に覇を唱える日も、そう遠くないだろう。
しかし目下の問題はそのようなことではない。戦争の方がベレスにしてみれば気が楽であり、些事に等しい。かように女帝の支えとなることは、大変なのだと痛感している日々だ。いっそのこと腹心ヒューベルトとその双璧といわれるフェルディナントにでもいっそ指示を仰ごうか。恐らく一方には企みに利用され、一方には大仰に驚かれ翌日帝国軍中に噂が飛び交うのが関の山であろうけれども。
「うん、そうだね。ドロテアの言うとおりだ」
「え?先生?」
「態度で示せばいいんだろう」
そう言って駆けだすベレスの後姿を、怪訝そうに眺めるドロテアとカスパルの胸に去来するのは、わずかばかりの不安と興味であった。
「あれ、エーデルガルトは?」
「ひっ、べ、ベルは知らないですぅ……!」
「それなら、私、見ました、墓地。さっきです、先生」
「墓地?なんだろう」
「理由、知りません。でも、少し、寂しそう、でした」
ペトラの言葉に、ベレスは考え込む。彼女が何かを思い悩んでいるのは常だが、傍にヒューベルトもつけずに墓地へ向かったなど、何か意味があってのことだろう。おそらくは見えないところでかの影は付き従っているだろうが、彼はあくまでも影に徹することのできる影だった。それに、ベレスに後ろめたいことなど何もない。ただ、白昼堂々エーデルガルトに会うだけだ。
「ありがとう、ふたりとも。それなら墓地に行ってみるよ」
果たして彼女は、墓地の片隅にポツンと立ち尽くしていた――しかし、その場所が、少しばかり意外でベレスは驚いた。
彼女は、あろうことかジェラルトの墓の前に立ち、白百合を供えて何かを祈っていたからだ。だから、ベレスは聊か声をかけるのを躊躇したが、ベレスが動く前にエーデルガルトがこちらに気づき、ぱっとその顔に笑みを散らす。歓迎されていないわけではなさそうだと、少しだけほっとした。
「師も、墓参りかしら」
「きみを、探していたんだ」
「奇遇ね。私もあなたをこれから探すところだったの」
なんのてらいなくそういう彼女の姿勢がいとおしく、以前のように虚勢を張っていないことに安堵とわずかの優越感を覚えながらベレスはエーデルガルトの手を取る。彼女は教師の突然の行動に驚き、目を見開きこちらを見上げてきた。
「エーデルガルト。君がどんな道を歩もうとも、私はその隣を歩くよ」
「師……?」
「だから、……私をおいていかないでほしい」
一瞬意味を捉え損ねたのか、エーデルガルトは奇妙な顔をするが、次の瞬間破顔して、わずかに頷く。谷から吹き上げる風が、その深紅の衣と銀糸をもてあそび、ふわりと視界に白と赤が広がった。
「ついてこれるでしょう、あなたなら」
握り返された手は力強く、けれどもとてもちいさい。この手を、この笑顔を、この存在を、守らなければ。ベレスは胸裏で亡き父に誓うと、そっとエーデルガルトの背に腕を回し、抱き寄せる。
抵抗は、なかった。
「私に君を、守らせてくれる?」
「何を言っているのかしら。もう、そのつもりでいたわ」
おそらく彼女は五年前、レアと対峙した時のことをいっている――けれど、そうではない。ベレスは首を横に振ると、小さな唇に己のものを寄せた。ふわりと薫るのは、彼女の纏う仄かな香水――ベレスはこの香りが、とてもすきだった。
「君を、生涯をかけて守る。そして、永久に誠実であることを、亡き父ジェラルトに誓うよ」
「まるで婚姻の誓いに聞こえるわ」
「そうかもしれない」
「否定はしないのね」
ころころと笑う少女のような様が愛おしく、ベレスは目の前の存在を抱きしめた。もう、大切なものを失わない。その為に剣を振るおう。たとえその道が地獄に通じていようとも、歩みを止めず、共に進もう。
「きみを、誰にも渡さない」
同盟軍にも、旧王国軍にも、セイロス騎士団にも、世界中の誰にも、このぬくもりは渡さない。この体温は、自分だけのものだ。
「愛しているよ、エル」
「……私もよ、ベレス」