その日はかなり酔っぱらっていたのかもしれない、とマリアンヌは思い出してから、半ば後悔する。半壊した修道院の奥から果実酒を見つけてきたレオニーが乾杯しようと言い出して、甘いお酒なら、とリシテアまで賛同したのは覚えている、否ーー全部、覚えているのだ。ただし、思い出すのがはばかられるだけで。
あの夜、あの時、私は――
思い出そうとするだけで、顔から火が出そうになり、マリアンヌは思わず両手で顔を覆った。けれども不思議と後悔はそこまでない。そこまでないから、問題だった。
「マリアンヌちゃーん、もうちょっと飲みなよー……」
「ヒ、ヒルダさん、もうそれ以上は……」
肩にのしかかられて、ヒルダの癖毛が頬に触れる。ふわり、と薫る甘い匂いは果実酒のものかヒルダの身に着けている香水のものか。ほんの少しの距離に、心臓がどきどきとする。これは多分酔いからのものではないことくらい自覚はあった。
マリアンヌはヒルダが好きだった。それは友としての憧れだとかそういう感情ではなく、もっと甘やかで儚くて重いーー恋情に近いものだと思っている。女神は同性愛を否定はしてはいないが、フォドラにおいて決して褒められるものでもなかった。そしてマリアンヌは爵位をもつものであり、ヒルダもまた同じくである。その未来に幸せはないだろう、とマリアンヌは考えており、だからこそ胸の内に秘めておこうと決意していた。
窘めるようにヒルダの肩を押して戻そうとするものの、ヒルダは余計甘えるようにマリアンヌの身体に手を回し、甘ったるいため息を吐いた。
「なぁんか酔っぱらっちゃったのかなー……このお酒、思ったよりも強かったのかなあ、ねえマリアンヌちゃん?」
「え、ええと……」
あしらおうにもうまくあしらえず、ヒルダのやりたい放題やらせてしまうのも、内に秘めた恋情から来るものか。そうはいっても彼女の少しだけ高く感じる体温は心地よく、優しく、そして離し難かった。ヒルダがマリアンヌに絡んでくるのはいつもの事なのだが、今日は酒が入っているから余計になのか、どこか甘えているようにも思えて、だからこそ余計に邪険には出来なかった。
「そうかも……ですね」
確かにレオニーが持ってきた果実酒は、少しだけ強かったかもしれない。決して酒に弱いわけではないマリアンヌだが、少し飲んだだけでも自分が酔っているなと感じる程度には。小さく呟きながらマリアンヌはヒルダの癖っ毛に手を伸ばしてゆっくりと撫でる。するとヒルダはまるで猫のようにマリアンヌの身体に頬を摺り寄せて、何とも言えないような声をあげるのだった。その声が愛らしくて、マリアンヌは思わずくすりと笑う。すると、ヒルダが顔をあげてマリアンヌを見つめた。
「マリアンヌちゃん、笑ってる~……ふふふ」
にっこりと笑う、その様子があまりにも幼い少女のようだった。
そう言ってしまえば、言い訳になるのだろうか。
気が付けば、マリアンヌは目の前の柔らかそうな唇に、己のそれを重ねていた。
「……ふにゃ?!マリアンヌちゃん?」
細い、奇声のようなヒルダの声でマリアンヌは我に返る。そして、慌てて重ねていた顔を離し、思わず口元を隠した。嗚呼、今自分は何をしたのか。何をしてしまったんだろうか。
「なっ……なんでも……」
「なんでもなく、ない!」
否定しようとするも、先ほどまでのふにゃふにゃとした様子はどこへやら、気づけばヒルダにガッチリと両肩を抑えられて、目線を合わせられている――その目はしっかりと据わっており、決して逃げを許さない、そんな色をしていた。
「マリアンヌちゃん……私、本気だよ」
ヒルダの、聞いたこともないような低い声にマリアンヌはその時底知れぬ恐怖に似た、けれども喜び以上のものを感じた。それは、まったく他意のない感情だ。恐ろしいと思う一方で、自分の想いと彼女の想いが通じているのだという事実を知った何よりの喜び。
「ヒルダさん、私……」
マリアンヌが答えを返そうとしたその瞬間、肩に込められていた力がガクリと緩む。そしてヒルダはマリアンヌの膝に崩れ落ちるようにして、あっという間にすやすやと寝息を立てていた。
「あの……ヒルダ、さん……?」
本気だったのだろうか。それとも――
それは、わからない。けれども、聞いたことのない声色でしっかりと呟かれた言葉はマリアンヌの脳裏にしっかりと焼き付いて、離れなかった。
半ば後悔している。けれども、残りの半分は歓びだーーヒルダもまた、もしかすれば、自分を想ってくれているのかもしれないということ。憚られるこの想いが、通じているかもしれないということ。希望を持ってはいけないのに、希望を持ってしまうこと。それは甘やかな夢で終わらせなければならないのに、心が決して終わりを告げてくれないこと。
思っていた以上にヒルダのくちびるは柔らかく、甘くて、もう一度味わいたいと、思ってしまったこと。
今までずっと己を押し殺してきたマリアンヌにとって、ヒルダは初めての友人で、大切な存在で、常に隣にいて欲しいひとだ。だから。けれど。胸の奥がつきりと痛む。どうしていいのかわからずに、今日もマリアンヌは女神に祈りを捧げるのだった。