カスドロウィーク連作

DAY1 歌


 カスパルが、ドロテアの歌を聞いたのはいつが初めてだったかはハッキリとは覚えてはいない。そもそもカスパルは歌に興味があったわけでもなかったし、ドロテアが歌劇場の歌姫だったということだって彼女と仲が良くなってから知ったようなものなのだ。
 だからというわけではないのだが、初めて彼女の歌を聞いたときは驚いたものだった――カスパルにとって歌といえば、せいぜい幼少時代に乳母から聞いていた子守歌くらいのものだったから。
 カスパルが耳にしたのは、ドロテアが何気なく歌っていた鼻歌だった。とはいえその声の透明さや音感は流石歌姫というか、記憶の中の乳母の子守歌などとは全然違うものだった。カスパルは、彼女の歌を聞いて初めて「歌」というものを認識したといっても過言ではない。だから、機嫌よく歌を口ずさむ彼女に詰め寄り、遠慮なく肩を掴んで詰め寄ったのだ。

「なあ!今の歌、なんていう歌なんだ?オレ、初めて聞いたけど感動しちまったぜ!」

 カスパルの勢いにあっけにとられたドロテアはしばらくぽかんとしていたのだが、次の瞬間盛大に笑い出した。カスパルはその様子を見て憤慨するように鼻を鳴らすのだがドロテアの笑いは止まらない。

「なんだよ、なにがそんなにおかしいんだよ」
「だって、カスパルくん、今のは私が適当に口ずさんでいただけの歌なんだもの。タイトルも何もないわよ」

 ころころと笑いながらドロテアは告げて、ぽん、とカスパルの肩を気軽に叩く

。 「でも、うれしいわ。掛け値なしに褒めてくれてる、ってことだものね」

 にこりと妖艶な笑みを向けられて、カスパルは瞬間的にどきりとした。この感情は、なんだろう。経験したことがない、よくわからない感情だった。ただ、笑みを作るドロテアはとてもうつくしいと感じて、そしてもっと彼女の歌を聞きたいと思ったのは事実だった。

「ドロテア、また、歌うたってくれよ。さっきのでいいからさ」

 天下の歌姫に図々しくも頼み込むカスパルの無遠慮さに、再びドロテアはくすりと笑ってからいいわよ、と告げる。

「でも、さっきのは適当に歌っていただけだから、今度はきちんとしたものを歌うわね。カスパルくんはどういう歌が好みなの?
」 「好み?そんなもんはないぜ。お前の歌ならなんだっていい」
「そういういの、いちばん困るんだけど」

 困るといいながらもドロテアはとても機嫌がよさそうだ。何が彼女をそうさせているのかはわからないが、カスパルは早く彼女の歌を聞きたくて仕方がなかった。



  DAY2 料理


「オレ、実は結構お前の料理好きなんだよな」

 突如告げられた言葉に、ドロテアは驚く。カスパルが旅から帰ってきて三日目になるだろうか。旅先で色々と食べて舌も肥えているだろうに、自分の付け焼刃の手作り料理が好きとは、どういうことだろう。

「な、なに、突然、どうしたの」
「帰ってきた、って感じがしてさ。こういうのを、庶民でいうところのおふくろの味っていうのかな」
「なぁにそれ、私、カスパルくんのお母さんじゃないわよ」

 素っ頓狂な言葉はいつもの事なのだが、それもカスパルらしい、とドロテアはくすりと笑う。それに、彼の言葉は純粋に胸の奥が満たされる気がして気分も良かった。だからだろうか、朝食の準備をする手も軽快に動く。

「手伝うか?」

 気を遣ったのかカスパルが問うてくるが、ドロテアは丁重に断った。不器用な彼に一度料理を手伝させて、散々な目にあったからだ。

「気持ちだけで結構よ。おとなしく私の料理する姿でもゆっくり見てなさいな、久しぶりの帰宅だし、ね」
「そういうのな~、オレの性に合わないんだよな」

 言いながらもカスパルは椅子の背もたれに寄りかかりながら唸っている。その様子を見て再び笑いながら、ドロテアは調理を進めていた。昨日のうちに買い込んでいた材料から、カスパルが特に好みそうな料理を作るつもりだった。そのために彼が帰郷すると聞いたときに買い出しに出かけたくらいなのだから。ドロテアは普段はそこまで自炊することに固執はしてなかった。歌劇団の仲間たちと一緒にアンヴァル内の飲食店で済ませることの方が多いくらいだ。それぞれが忙しいということもあり、家に帰ればすぐに寝てしまうような生活をしていた。
 それでも、カスパルが帰ってくるとなれば別なのだから、普段から料理をしようという心がけ自体は持っているつもりだったし、せめて朝食くらいはと軽く自分で準備をしていた。その結果、ある程度までは料理というものを満足にできるくらいにはなったのだ――その陰には、ベレスや歌劇団の仲間たちのアドバイスも、当然あったのだが。それほど食べ物に執着してはいないドロテアにとってみれば、それこそカスパルの言う「おふくろの味」などもわからない。食べ物は、食べ物であればよかったからだ。好みなものやそうでないものもあったが、ぜいたくを言っていられる環境で育ってはいないドロテアにしてみれば、食べられる、というだけで十分なのだ。
 それでも彼のために料理をするのは、楽しかった。カスパルはドロテアの料理を好きだと公言した通り、彼女が作った料理を大げさなほどに旨いといって食べてくれる。その時に満たされる感情に、ドロテアは虜になってしまった。好いている相手に手料理を振舞い喜んでもらえる、そんな些細なことがこんなにもうれしく、満たされるとはそれこそ昔は想像もしていなかった。けれどその喜びを一度知ってしまえば、人は努力ができるものなのだ。

「はい、今日はカスパルくんの分は特別に肉を多めに煮込んで入れたわ。昨晩から仕込んでたんだからね、たくさん食べて頂戴」
「おっ、そりゃ朝から景気がいいな!早速食べていいか?」
「ちょっと待ってよ。まだ器に盛ってないんだから」
「なんだよ、オレは別に鍋ごと食べたっていいんだぜ」
「カスパルくん、そういうところよ……私の分もあるんだし、少し待ってて」
「冗談だって、少しくらい待てるさ」

 にかっと笑う笑顔がまるで少年のようで、ドロテアは再び苦笑しながらも器に料理を盛ってゆく。こんな時間がもっと続けばよいのに、と思いながら。



   DAY3 家族


 家族になる、というのはどういうことなのだろう。結婚式を前にしてドロテアは溜息じみたものを落として考えていた。

「あら~、どうしたの。花嫁さんがそんな溜息をつくものじゃないわよ」

 ドロテアの化粧を担当してくれたメルセデスがにっこりと笑みを浮かべながら諭してくる。彼女になら、話を出来るかもしれないとドロテアは思って、口を開いた。

「私、家族ってどいういうものかわからなくて……。メルセデスは、弟がいるんですよね」
「そうねえ。弟といっても、ちょっと複雑だけど。でも、家族といっても、そう難しく考えなくてもいいと思うわ~」
「え、ええと、それってどういう……?」
「私とエミールは離れていたし、エミールはあんなだけど、それでも家族っていう絆があって……私はそれを大切にしたいと思ってるの。彼がどう思ってるかは、別としてね~。他人だとか家族だとか、区別をつけなくても、そういうのはいいと思うのよ~」

 メルセデスの笑顔に、ドロテアは考え込んでしまう。彼女の言葉はわかるようでわからなかった。孤児のドロテアには、本当に理解のできない感覚だからだ。
 ドロテアの表情から何かを察したのか、メルセデスはドロテアにヴェールを掛けながら微笑む。

「難しく考えなくていいのよ。ドロテアは、カスパルと一緒に居たい、って思ったから結婚することを決めたんでしょう?それまでだって、何年も一緒に生活をしていたわけだし……互いに気心がわかっている相手と一緒にいるのは、安心もできるわ~」
「まあ、カスパルくん、あんまり家にいたっていうより旅に出てたことのほうが多かったんですけどね。でも、ここがオレの帰る家なんだ、なんて突然言い出して……」
「本当に?素敵じゃない~。それこそ彼があなたのことを家族にしたいって、望んでくれたんだから」
「そう、考えて、いいんですかね……」
「そうよ~。それはとっても、幸せなことだと思うわ~。それにドロテア、貴女だって、本当はそうなんでしょう?」

 にこりと微笑まれて、ドロテアも苦笑する。そうなのだ。長い旅路から帰ってきた彼に、家族になりたい、と告げられて感じた感情は歓喜以外のなにものでもなかった。心の中があたたかくなるような、幸せに満たされるような――そして思わず彼に抱き着いて、泣いてしまった。それくらい、感激してしまってから久しい。

「ふふ、メルセデスにはかないませんね。はい、私、本当にうれしかったんです……家族の温かさをよく理解してない私が、こんなに幸せでいいのかって、どちらかといえば不安になってたのかもしれません」
「そうね~、花嫁さんには悩み事は尽きないものね~。でも、今、貴女はフォドラ一の幸せな花嫁さんになってもらわないと困るわ~。だって、皆があなたたちの幸せを、望んでいるんですもの。先生も、ね」
「はい!」

 満面の笑みをメルセデスに向けるドロテアの目には、僅かながらに涙が光っていた。

「あらあら~、せっかく綺麗にしたんだから、泣いちゃだめよ~。花嫁さんは、笑顔でいないと~」

 メルセデスの言葉に苦笑しながら目じりを拭うドロテアの笑みは、不安を拭えたお陰かとてもきらびやかでそれはそれは美しいものだった。



DAY4 ドロテアの誕生日


 その日は朝から何故だか慌ただしかった。あのカスパルがドロテアよりも早く起きて、苦手なはずの食事の支度をしていたからである――最も、帝都にたまたま用事があって寄っていたアッシュを前日家に泊めたから出来たことではあるのだが。勿論、食事のほとんどはアッシュが作ったものだ。カスパルに言わせれば野菜は全部オレが切った、とのことだが、それは子供の手伝いと何ら変わらないとドロテアは思いつつも苦笑しながらありがとう、と告げたのだったが。
 アッシュは宿泊の礼を言うやろくに食事も食べずにさっさと出かけてしまった。なんでも、帝都でしか仕入れられないものがあるから急ぎたいのだと言っていたが、これは彼なりに気を遣った嘘なのだろう――あれだけ嘘が嫌いだったアッシュでも気を遣って嘘をつくくらいは、できるようになったのだ。

「さあ、ドロテア、食べようぜ!食事は何事においても一番大事な健康維持方法だからな!」
「ふふ、なにそれ、誰の受け売り?」
「あ~、確か五年位前に旅に出てた時の、宿場のおかみさんに言われたんだよ」
「ふうん。でも確かにそうなのかもね。こうして毎日しっかりと食事ができるって幸せなことだし、昔に比べたら私も随分健康になったと思うわ」

 昔、とはそれこそドロテアが孤児だった時代の話だが、カスパルは敢えてそのことには触れなかった。それどころか、あ、と大声を出して椅子から立ち上がる。

「どうしたの、カスパルくん。食事の準備はできているでしょう」
「ちょ、ちょっと待っててくれ!すぐ戻る!」

 それこそ大慌てでばたばたと私室に駆け込んだカスパルは、宣言通りすぐさまちいさな小袋を持って戻ってきた。

「食事、ちょい待ってくれよ!今湯を沸かすからさ!」
「お湯?お湯ならさっき朝一で沸かしていたのがあるわよ」
「おっ、サンキュー!さすがドロテア!」

 言いながらカスパルは薬缶に入っているぬるま湯を温めなおし、カップとソーサーを食卓に準備する。そして小袋から茶葉を取り出して真剣そのものの目つきで茶を淹れだした。

「カスパルくんて、お茶を淹れたことってあったのね」
「いや、正確にはない。昨日アッシュに教えてもらった」

 真剣そのものの目つきでドロテアを見つけるカスパルに、ドロテアは思わず吹き出してしまう。一体これはどういうことなのだろう。

「ねえ、そろそろ種明かしをしてもいいんじゃない?今朝からカスパルくんは頑張りすぎているけど、どういうことなの?」

 にこにこと笑みを浮かべながら、まるで答えがわかっているようにドロテアはカスパルに問うが、真顔で紅茶とにらめっこをしているカスパルは全く気付いていない。

「もう!カスパルくん、聞いてるの?」
「あ、悪い、聞いてなかった。それよりさ、ほら、茶が入ったぜ。お前が好きなアップルティーだ」

 カップから漂う甘い芳香は、確かにドロテアが好むフレーバーティーだ。わざわざ買ってきてくれたということか。その気遣いに胸の奥がほんのりと温かくなる。

「誕生日おめでとう、ドロテア。準備がちょっとムチャクチャになっちまったし、贈り物っていってもオレ、正直何を送っていいかなんかわからなくてさ。そんで、たまたま昨日ガスパールから出てきてたアッシュに街で会ったから、たまにはオレがお前にご馳走するのもいいかなって」

 告げられた言葉に、ドロテアは絶句してしまった。まさか、カスパルが自分の誕生日を覚えていてくれて、かつ、彼なりにお祝いしてくれるなんて、想像もしていなかったからだ――否、カスパルは決して薄情なわけではないし、士官学校時代も誕生日に控えめな花束を貰ったことはある。ただ、こうして年を重ねて、そうした日々が当たり前になってきて、それでいてカスパルがドロテアの誕生日をきちんと認識してくれていた、ということが、ひどく嬉しかった。まして、今年はカスパルと一緒に暮らすようになって初めての誕生日だったからだ。

「カスパルくん……」

 言葉が言葉にならず、ただ、名を呼んでドロテアは湧き上がる歓喜を抑えるように口元を手で覆った。正直なところ、偶然が偶然を呼んでたまたま巧くいったサプライズだ。それでも、茶葉を用意して自ら紅茶の淹れ方を練習していたカスパルの様子を想像すると、可笑しさがこみ上げると同時にとても嬉しく感じる。自分だけではなく、カスパルもまたドロテアのために努力してくれているのだ、と感じると、次々と湧き上がってくる感情は抑えようがなかった。

「ありがとう……私、幸せよ」

 口につけたアップルティーのほのかな甘い香りが、口の中に広がる。その甘さと同じくらいに、この時間は甘く、そしていとおしかった。



  DAY5 お茶会


「ねえねえカスパルくん、時間があるならお茶会でもしない?」

 訓練後に汗を拭いていると、突然ドロテアに声を掛けられた。

「あれ?ドロテア、いたのか」
「いたのか、じゃないわよ。で、どうなの、返事」

 カスパルの素っ頓狂な返事にむくれるようにドロテアは形良い唇を尖らせるが、機嫌が悪いわけではないようだ。カスパルは考えた。これといって特に用事はないし、訓練で汗をかいて小腹も空いている。せっかく誘ってくれたのだし、断る理由はなかった。

「いいぜ。ちょっと汗流してからいくから待たせちまうけど、いいか?」
「もちろんよ。その間に私は準備をしておくわ」

 じゃあね、と告げて去るドロテアは軽快なステップで去ってゆく。機嫌がいいんだなあ、などとカスパルは呑気なことを考えていた。


「よ、待たせたな!」

 カスパルが中庭にセッティングされた場所にたどり着く頃には、すでにドロテアは準備を済ませていた。卓の上には様々な焼き菓子とティーポット。ティーポットからは香しい香りが漂ってくる。少しだけツン、とする香りには覚えがあった。

「おっ、これ、もしかしてジンジャーティーか?オレ、これは好きなんだよなあ」
「そうよ、カスパルくんのために準備したんだもの、さあ、座って頂戴」
「オレのため?マジかよサンキュー!」

 何の邪気もない満面の笑みでカスパルは二カっと笑うと、さっそく椅子に座る。椅子に座ると周囲に設けられている花壇の花々の香りや、周囲の生徒たちの他愛ない談笑が聞こえてきて、何やら妙に場違いな場所に来ているような気になった。

「な、なんかオレ場違いじゃないか?こういう雰囲気似合わないからなあ」
「あら、そんなことないわよ。私よりよっぽどしっくりきてるわ」

 言いながらドロテアはティーポットから茶を注いでゆく。ドロテアにしてみれば、カスパルは貴族としての所作や立ち居振る舞いが当たり前にできているから、こうした場に居ても違和感はないのだ。だが、当人はこの雰囲気がどうも苦手らしい。そこがカスパルらしく、ドロテアは少しだけ笑った。

「あ!笑ったな!図星だってホントは思ってるんだろう」
「違うわよ。カスパルくんらしいなって思っただけ。はい、どうぞ、少し熱いかもしれないから、気を付けて飲んでね」

 ドロテアの勧めに従いカップに口をつけて少しだけ口に含むと、香辛料のスパイシーさ良い具合に口の中に広がり、訓練の疲労がとれるようだった。

「旨い!旨いな~、ドロテアは、茶を淹れるの上手いんだな!」

 素直に褒めてみせれば、ドロテアは少しだけ頬を染めて目をそらし、小声でありがと、とつぶやいた。

「お菓子も食べてみて。ベルちゃんに倣って一緒に作ってみたのよ、私が初めて作った焼き菓子なの」
「そうなのか?ドロテアは料理もできるんだな!オレなんかさっぱりだから素直にすげえと思うぜ!」
「そうでもないのよ、どちらかといえば苦手というか、あんまり気にしてないというか……でも、今日のは頑張ったから、食べてみてね」
「お?おう、そうなのか……じゃあ早速」

 山のように盛られた焼き菓子に口をつける。ジンジャーティーのピリリとした香辛料の効いた後味の後にやさしく、それでいてサクサクと食べやすい。カスパルは菓子に特にこだわりはないが、よく料理が得意なアッシュからもらって小腹が空いたときに食べていたが、それに負けず劣らず純粋に美味しい、と思った。

「お、こっちも旨いぞ!いつもアッシュに貰う菓子くらい旨いな」
「さ、さすがにそれは褒めすぎよカスパルくん……でも、ありがと。そう言ってもらえると私も作った甲斐があったし、素直にうれしいわ」
「なあ、お前も食べないのか?せっかくなんだし、オレばっか食べてても仕方ないし」

 カスパルが促せば、そうね、とドロテアも答えて自分のティーカップに茶を注いで口をつけ、菓子を頬張る。

「ん。やっぱりベルちゃんのアドバイス通り作ってよかった、やっぱりこういうのは得意な人に素直に倣うのが一番なのよね」
「にしても、あのベルナデッタを部屋から引きずり出してまで手伝わせたのか?」

 菓子をたっぷりほおばりながらカスパルが問う。その様子がなんだか可笑しくてドロテアは笑ってから、頷いた。

「そうよ。私とベルちゃんは友達だから、手伝ってって言ったら喜んで手伝ってくれたわ」
「へえ、すげえなお前。あのベルナデッタを部屋から連れ出すことができるなんて。オレは無理だぜ」
「そうねえ、カスパルくんには無理かもねえ」

 他愛ない話をしているうちに、あれほど山盛りだった菓子も残り少なくなり、ティーカップも空になるほどに二人の会話は弾んでいた。

 カスパルは何故だかドロテアと話していると気の置けない友人と話しているような気になるのだが、その他にもなんだか不思議な感情が湧いてくることに気づいていた。なんというか、こそばゆいのだ。ドロテアは天下の元歌姫だ、カスパルだって流石にそれくらいは知っている。その元歌姫がこんな風に自分に気軽に接してくれるのは単純に嬉しかったし、彼女との会話は楽しかった。揶揄われたりもするが、基本的に彼女と話をすることをカスパルは好んでいる。ただ、ふとした瞬間に見せる彼女の陰のようなものが気になって、仕方がなかった。彼女の生い立ちを詳しくは知らないが、それがカスパルの心にはひっかかり、だからこそ何故か共にいることが多くなっているのかもしれない。ドロテアも意図してかカスパルを誘うことが多いような気もしていた。

「なあ、なんで今日オレを誘ったんだ?お前ならもっとこう、ちゃんとした婿候補になるようなやつと話してた方がいいんじゃねえの?」
「そうねえ……」

 ドロテアは少し溜息を落としてから、答えた。

「そういうのは、今日はパスしたかったのよね。カスパルくんとなら話をしてて楽しいし、手作りのお菓子を振舞ってみたいって思ったの。理由はそれじゃダメかしら?」
「いや、ダメじゃねえけどさ。菓子も茶も旨かったし。ただ単純に気になっただけだよ。お前がそうだってんなら、オレはいつでも付き合うぜ!」

 ただし訓練が優先だけどな!と付け加えるとドロテアは盛大に笑う。その笑みを見れるのなら、こういう茶会もいいものだな、とカスパルは思った。



DAY6 戦後


 戦いが終わり、アドラステア帝国は勝利を収めた。とはいっても、まだまだやらなければならないことは多い。そんな中、カスパルはドロテアの家に滞在していた。

「旅に出るの?」
「ああ。武者修行ってやつか?色々、見て回りたいと思ってよ」
「ふうん、そういえば、戦争の最中もそんなことを言っていたしね」

 そう興味のない素振りを見せながらも、ドロテアは内心気が気ではなかった。自分は復興を手伝いながら歌劇団に戻るつもりだった――つまり、このアドラステアに残るつもりだ。だがカスパルは旅に出るという。一緒に居る時間が少なくなる、あるいはなくなるのではないかと心配していた。戦争の最中、ドロテアはぼんやりとしていた自分の気持に気が付いていたのだ。カスパルが好きだと。この、根っから明るくて前向きで、時に驚くほどに鋭い観察眼を示す青年に好意を持っていると、自覚していた。だから、戦後は共に生活しないかと言い出そうとしていた、その矢先の出来事だったのだ。

「でもなあ、色々行くっていっても、たまには帰ってくるぜ?」
「まあ、そりゃそうでしょう。お父さんも心配してるでしょうし」

 少しばかり溜息を落としてドロテアは答える。それはそうだろう、一応次男坊とはいえ、貴族の息子が好き放題風来坊をしているというわけにもいくまい、ましてこの戦争では目覚ましい戦果を挙げているのだから。

「あ?なんで親父の話が出るんだ?帰るって、お前のところにだよ」

 ところがカスパルは不思議そうにドロテアを眺めて、さも当たり前のように返してくる。

「え?お父さんのところじゃないの?」
「冗談!なんで好き好んで親父のところに帰らなきゃならねえんだよ!殺しても死なないような親父だぜ!オレはオレで好きなように生きるんだ、だからオレが帰ってくるところは、ここなんだ、ドロテア」

 にこにこと少年のような笑みで告げるカスパルに、ドロテアは声にならない声をあげて思わず口元を手で覆ってしまう。まさか、そんな。うそでしょう、だって。言葉すら、言葉にならなかった。淡い恋ともいえないような恋が実るというのは、こういうことなのだろうか。ドロテアの宝石のような瞳から一筋、涙が流れ落ちる。

「……カスパルくん……」
「ん?なんだ、大丈夫か?具合でも悪いのか?」

 首を傾げて不思議そうにこちらを見てくるカスパルの胸に、ドロテアは思わず飛び込んでいた。

「カスパルくん……ありがとう……」
「ん?んん?あ、ああ……な、なんだ、オレが戻ってくるところっていえば、お前のところしかないってだけだよ!だからさ!」

 急に抱き着いたドロテアに驚きながらも、カスパルはドロテアの背中に逞しい腕を回して背中をぽん、と軽くたたく。そして励ますようにドロテアの目をじっと見つめてから、再びにっこりと笑った。

「泣くなって!泣かれたら、オレだって旅立ちにくくなっちまうだろ……」
「ごめんなさい、でも、うれしくて……」
「そっか、それならいいぜ、どんとオレの胸を貸すから泣いてくれ!な!」

 苦笑しながらもカスパルはドロテアを抱きしめる腕を緩めることはなく、ドロテアはその胸に頬を寄せて涙を流すのだった。



DAY7 フリーデイ


 最初の印象は姦しい、というだけだったと思う。教室で席が隣で、オレは座学は苦手だからとよく授業中にノートを見せてくれだのアドバイスをしてくれだのとズカズカと踏み込んできて、若干うっとおしかった気もするが、そこまで悪い気がしなかったのは、きっとドロテアにしてみれば初めてドロテアをドロテアとして見てくれていた男性だったからなのかもしれない。
 元歌姫、という肩書が付きまとうドロテアには、多くの男性が色目を使ってきていたし、ドロテアも士官学校には婿探しをしに来ているようなものだったから、暇さえあれば様々な男性と街に繰り出して食事を楽しんだり買い物に付き合ってもらったりはしたが、何故だか満たされることはなかった。
 けれどもどうだろう、このカスパルという貴族の次男坊は決して飾ることもなく、ただ友人のようにドロテアに接してくる。そのうちに、彼の隣にいると悪戯心が湧いてきたり、それどころか心地よいと感じる自分がいた。それは、彼がドロテアをただ一人の人間として見ていてくれているからなのだと気づいたのは最近だ。
 だから彼には気さくに声を掛けられるし、買い物に誘うのも悪い気はしない。共に荷物を持とうとすると必ずオレが持つから、と意外と気遣いもできるし、オレはただの貴族の次男坊だからな、という割に自虐的ではなくカラっとしているところも好感が持てた。
 純粋に、彼と過ごす時間は楽しかった。そういう相手とはなかなか巡り合えなかったドロテアにしてみれば、カスパルという存在は稀有だったといってもいい。ドロテアは自分に張り付く笑顔を知っていた――婿探しをするための、外に向けた笑顔だ。けれどもカスパルといると自然と笑みを浮かべていて、それも心地よかった。
 だから自ら茶に誘ってみたり、買い物や食事を共にすることも多くなっていて、気が付けばドロテアはカスパルが隣にいるのが当たり前、という認識になっていた。
 彼が訓練をしようといって訓練場に向かえばその訓練の様子を眺めていたり、たまに訓練に付き合うこともある。
 それは恋だったのか、どうなのかということは、ドロテア自身よくわかってはいなかった。ただ、彼といることは楽しかった。

 その認識が確実になったのは、ガルグ=マク落成記念日の出来事だ。カスパルに誘われてダンスを踊り、そして女神の塔に呼び出された。まだまだ弟のように思っていた彼が頬を真っ赤にして、らしくはない花束を渡してきたときに、ドロテアは恋に落ちたと感じた。その感覚は、今でも新鮮に覚えている。

「オレらしくないかもしれないけど、受け取ってほしい。オレ、多分お前の事好きだからさ」

 ぶっきらぼうに告げられたセリフに、心から沸き上がったのは歓喜だった。思わず花束ごとカスパルに抱き着いてしまった。その時自分は、泣いていたと思う。そして自分にもこんな恋ができたのだということが嬉しかった。彼とならば、どんな困難でも歩いてゆけると確信できるほどに、ドロテアはカスパルにすっかり恋をしていた。

 思えば五年以上という長い月日を戦い続けられたのは、エーデルガルトのためという大きな理由もあったけれども、共にカスパルがいたからだと思う。彼の勇姿を見れば、恐れは消えた。彼が斧をふるうさまを見れば、自らも生きなければという気力がわいた。戦を厭う気持ちは決して消えなかったが、カスパルはドロテアが戦を厭う理由を直感的に理解していて、ふとした時に励ましてくれたり、寄り添ってくれた――それも、素直に嬉しかった。
 カスパルはドロテアにとって、なくてはならない存在になっていったのだ。
 だから、戦後に彼から告げられた言葉に、ドロテアは思わず泣いてしまった。旅に出ると告げたカスパルは、帰る家はドロテアがいるここなのだと笑顔で言ったのだ。結婚という形ではない。それでも、どこか家族のような繋がりを持てるということに、そしてその相手が他でもないカスパルだということに、ドロテアはこみ上げる嬉しさを抑えきれずに、子供のようにカスパルの胸に縋りついて泣いてしまった。嬉しさがこみ上げてきて、同時に切なくて、これからの未来のことを考えるだけで幸せだった。
 確かに共に居られる時間は少ないかもしれないが、彼なりに考えてくれていたのだということに、胸が一杯になった。

   そして帝都の人々は言う。アンヴァル歌劇場に復帰した歌姫は、より美しさを増し、より多くの人を虜にするようになったと――それは恋を知り、愛を見つけたからなのだと、まことしなやかに噂されたのだった。