花よ花とて 今 咲き誇れ

◇ 1 ◇



「ねぇねえマリアンヌちゃん!これ、マリアンヌちゃんの髪にすっごく似合うと思うんだけど、どうかな~」

 静かに愛馬ドルテの毛を漉いていたマリアンヌに突然声をかけてきたのはヒルダだ。まったく、彼女に対する表現として、かしましいという表現はぴったりだと思う。
今は自由時間で、金鹿クラスの生徒も各々が好き勝手に過ごしていた。イグナーツは何やら絵の道具を持ってレオニーと大修道院の外へと出かけていたし、ラファエルはいつものように訓練場へ、リシテアは彼女らしく座学中。ローレンツは黒鷲学級のフェルディナントと「意義のある」茶会を開くのだと意気揚々と告げていた。そしてヒルダは確か「ちょっとやることが」と、寮の部屋に戻っていたはずではなかったか。行方がよくわからないのは級長クロードくらいだろう。
 静かにしているわりには、金鹿学級の面子の行動はおおよそ把握しているマリアンヌは変わらずにドルテの鬣に触れてはいるものの、一応視線は満面の笑みでこちらに向かってくるヒルダに向けられている。
 彼女は不思議なひとで、こうして影のある人見知りで口数も少ないマリアンヌについて回ったり、あれこれと世話をしてくれたりするのだ。なぜなのかと問うと「なんでだろうな~、なんかマリアンヌちゃんて、ほっておけないんだよね」などと要領を得ない答えでぼかされるのだが、そう言うヒルダはとてもいい笑顔をしているから、彼女といるとマリアンヌも少しだけ表情が緩むことも多く、緊張も和らぐのだ。なんだかんだとマリアンヌは、ヒルダといる時間を楽しむようになっていた。

「ええと、その……ヒルダさん、これ、とは……」

 相変わらずにこにこと、結った髪を揺らしながらこちらに向かってくるヒルダは、マリアンヌの前に辿り着くと「じゃ~んっ」と、大げさに両手を開いて見せた。
 彼女の華奢ながらも武器も平気で握る手の中には、繊細な銀細工に透明な硝子の鈴蘭を組み合わせた質素ではあるものの気品のある髪飾りがある。見れば銀の部分は純銀でできており、硝子細工はあまりにも繊細すぎて触れるのが怖いくらいだ。こんなきれいなものを、一体どうしたのだろう。

「これ、マリアンヌちゃんの好きな鈴蘭をあしらった硝子細工なんだけどね。こないだ行商人が街に来た時に見つけて買っちゃった!ちなみにここの銀細工は、別のものと組み合わせてみたの。マリアンヌちゃんの髪の色に似合うと思って」
「え、えええ……?ヒルダさんて、そんなことまで、できるんですか……?」

 確かに、ヒルダはこういったアクセサリーの類を自分で作るのが趣味であり、ラファエルの妹のために作ってやったという話は当のラファエルが(それは大喜びで)吹聴していたので、金鹿学級の生徒は皆知っていた。けれど、何故彼女が突然自分のためにこの髪飾りを拵えてくれたのだろうか。そこがわからなかった。

「簡単だよ~。まあ、コツとかもあるんだけどね。はい、てなわけで、これはマリアンヌちゃんの誕生日プレゼント!」

 思わず、ドルテの世話をする手が止まる。そもそもヒルダと話をするならその手は止めなければならないのだが、他の生徒よりは慣れたとはいえ、まだなんとなく慣れずに違和感が残っているマリアンヌにしてみれば精いっぱいの対応だ。それに対してヒルダも特に何かを言うわけでもなく気にしてもいないのはありがたいし、そういうところが彼女と過ごす時間を決して嫌だとは思わない理由でもあったのだが。

「え?」
「あははは、顔に一体どうして?って書いてある~。マリアンヌちゃんて、結構考えてることわかりやすいよね」

 楽し気にマリアンヌの顔を一瞬だけのぞき込んでから、ヒルダはおどけてみせる。
「え、と……私の、誕生日……」
「クロードくんに聞いたの。だって、マリアンヌちゃんは大事な友達だもん、折角なら何か記念になるものを、プレゼントしたいじゃない?」

 さも当然とばかりにヒルダは言う。確かにマリアンヌの誕生日は三日後だ。そんなことは当のマリアンヌすら忘れていたというのに、彼女はきちんと記憶していて、こんなふうにプレゼントまで用意してくれていたというのか。
 けれども、マリアンヌは、そんなことを言われたことも触れられた記憶も、それこ家族以外記憶にはなかった。いつも下と過去を見ているマリアンヌにしてみれば、ヒルダのように好んで自分に関わってくる方が変わり者のようにさえ思える。担任のマヌエラにそのことをそこはかとなく相談したところ、そうは思えないけれどね、と優しく諭されたのだが、やはり彼女の言葉は自分に対する配慮のように今でも思えるのだ。けれども。

「でも、その、私……」
「あのね」

 ヒルダの顔が、気づけば目の前にあった。ドルテは今は主人の傍にいるべきではないとわかったのか、マリアンヌから若干の距離をおいていた。至近距離のヒルダからはいい匂いがする、きっと、彼女のつけている香水の香りだ。甘いようで、少しだけ柑橘系の香りもする爽やかでやさしいにおい。

「あ、別に私お礼が欲しいとか、何かやってほしいとか、そういうのじゃないからね。私はこの硝子の飾りを見たら、絶対にマリアンヌちゃんに似合うって、っていうかマリアンヌちゃん以外には似合わないって思ったから!だから、買ったの。それを、私が勝手にプレゼントしたいって思ったからあげるの。いい?私が勝手にやってることなんだから、あんまり、難しく考えないでよね~?」

 まるで子供に言い聞かせるように、一方的なようでどこか優しく告げるヒルダに、結局はマリアンヌは小さく「ありがとう……ヒルダさん」と答えるしかなかった。



***



 誕生日プレゼントだという髪飾りは何度見てもたいそう綺麗で、マリアンヌのお気に入りになった――きっと、ヒルダはマリアンヌの好みを熟知していたのだろう。いつの間にかそんなことも共有できるほど彼女と時間を過ごしていたことに驚きながらも、気づけば食堂ではいつも隣り合わせで食事をしていたし、ドルテの世話をするマリアンヌの傍らでヒルダが爪や髪の手入れをすることも当たり前になっていた。
 時折黒鷲学級の担任ベレスが食事に誘ってくれて、三人で甘味を楽しみながら談笑したり、この料理はおいしいこの料理はここをこうしたほうがもっといいなどと、とりとめのない会話をすることも増えた。そうしていると、純粋に楽しいと思えた。
 こんな時間が続けばいい、とマリアンヌは思った。
 そんな風に何かを女神に祈るのは初めてだったけれど、そういう祈りは胸の中がほんのり暖かくなって、そして、うれしいものなのだと初めて知った。


 二人の仲は担任マヌエラにも認められており、何かあれば二人そろって用事を言いつけられることも増えた。ヒルダがいればマリアンヌは少しずつ笑顔になっていたし、マリアンヌがいれば、ヒルダは面倒ごとも文句を言いながらも最後は「マリアンヌちゃんのためだし仕方ないね」と苦笑してやってくれるのだ。



***



 懐かしい思い出をふと思い起こして、マリアンヌは顔を上げる。あの士官学校生活から五年――マリアンヌは、死んだように過ごしながらも生きていた。養父の失踪、己の紋章のこと、そして彷徨えし獣の噂――夜な夜なエドマンド辺境伯領の森に出没するという異形の獣の噂は、マリアンヌの精神を確実に蝕んでいた。静かに、確実に。けれど、それでも、マリアンヌは生きていた。五年の間、孤独に過ごしながらもなんとか生きてこられたのは、おそらく友のことばがあったからだ。
 そうでなければきっと、ドルテとともにそれこそ自分が失踪していたに違いない。

――マリアンヌちゃんは大事な友達だもん。

 満面の笑みでそう宣言したヒルダの顔が、まぶしかった。彼女から手渡された髪飾りは今でも大切に身に着けている。毎日身に着けているのは、それが彼女にとって何よりのお守りだったからだ。きらきらと輝く、まるでヒルダのようなこの銀の髪飾りはとてもきれいで、輝いていて、色あせることはなくて、マリアンヌの弱い心を少しだけ強くしてくれる。そうすると、日々生きる気力がほんの少しだけ、沸いてくるのだ。その少しは、マリアンヌにとってはとても大きな違いだった。あるかないかで、生きるか死ぬか――それほどまでの、大切な違いだった。
 彼女と過ごした時間は決して長くはない。それでも、彼女と過ごしたからこそ知った喜びがあった。誰かと過ごして何かを共有する楽しみも、漠然とただ共に居て時間を浪費する一見無駄と思える行為のあたたかさも、彼女が彼女だからマリアンヌは知ることができたのだ。誰かと共にあること、そんなことをマリアンヌが考えるようになれたのは、ひとえにヒルダという少女が何気なく常に傍にいてくれたからだと思う。
 そして誰かと共にあることを、楽しいと――うれしいと感じられるのも、きっと、彼女が彼女であったからだ。



◇ 2 ◇



 あの時は、確かヒルダに片づけを手伝って貰ったのだ。片づけの要領があまりにも悪く、マリアンヌ一人では埒が明かないとぶつぶつ文句を言いながら。けれどもそう言う彼女の表情はとても楽しそうで、困ったように笑う彼女の顔が、マリアンヌは好きだった――学生時代の思い出を反芻するのはまだ早い。それでもふと思い出した甘酸っぱい記憶を飲み込んで、マリアンヌは歯を食いしばりながら愛馬の手綱を握りしめていた。

「ドルテ、お願い……もう少し、もう少しだから、頑張って……!」

 彼女は一人、レスター諸侯同盟はデアドラの港町へと駆けている。
 デアドラで皇帝軍と同盟軍の戦闘が始まった、と召使いから聞いた瞬間から、マリアンヌの心臓は破裂しそうなほどに鼓動を刻んでいた。一瞬心臓が止まるかと思ったほどだ。ぎゅっと強い力で握りつぶされるような、そんなようなイヤな感覚と脂汗が額から零れ落ちた。
 ヒルダは、以前から盟主クロードに何かあれば面倒だけど手伝わないと冗談のように言っていて、マリアンヌはヒルダの言葉が決して嘘ではないだろうと確信していたのだ――確信したくは、なかったけれども、ヒルダという女性はそういうひとだ。面倒だ、やりたくない、そういいながら、結局彼女は友人やたいせつなひとのために何かをすることが好きなのだ。 だから。だから。だから――お願いだから、間に合って。
 主人の願いをよく理解しているのだろう、ドルテもまた全力で街道を奔る――今までにない速度で、相当に無理をしているだろうに、彼もまた同じ想いを抱いているのかもしれない、とマリアンヌが錯覚するほどに人馬一体となって、ふたりは駆けてゆく。



***



 ようやくたどり着いたデアドラでは、既に戦闘が始まっていた。

「アドラステア皇帝、参る!」

 遠くからよく響く鬨の声が、マリアンヌの耳にも届く――蒼く碧くどこまでも澄んだ空を切り裂く皇帝エーデルガルトの声は、いっそ清々しくそして美しくすら聞こえた。けれどもそれは女神の声ではない。かけがえのない友の命を奪う残酷な宣言に等しい――マリアンヌはそのまま皇帝軍が展開している場所を避ける裏道へと進む。デアドラのある程度の地理は学生時代にクロードやリシテアから教えられていたものが頭に入っていたのだ――二人に心の中で感謝しながら、マリアンヌは人気のない木陰でドルテを少しだけ休ませた。その間に周囲の様子を観察する――幸い街の入り口は同盟軍が封鎖しているらしく、そこならば一年前にクロードから送られてきていた同盟領の各貴族に向けた招集状を見せれば通れるだろう――同封されていた手紙には有事の際の通行手形にもなる、と記されており、そういう抜け目のないところはさすがだと思える。

「誰だ!」

 突然声が近くで響き、心臓が縮み上がりそうになったが、鎧の色を確認すれば同盟軍の兵士だ。きつと唇をかみしめてリーガン家の印のある封を見せてから、マリアンヌは顔をあげた。

「私はエドマンド辺境伯がマリアンヌ。盟主クロードの要請に従い、祈りと魔法であなたたちを助けに来ました。癒し手は、必要でしょう」

 自分にしては上出来なほどの声で言い放つや、兵士たちには明らかな安堵の表情が見えた――見れば、彼らは既に傷だらけだ。これまでの前哨戦で手負いの兵も多いのだろう。

「癒し手か、助かる……!ああ、もう市街戦が始まっているんだが……中央がもう少しで突破されそうなんだ」
「中央はゴネリル嬢が守ってるから半刻は持つとは思うんだがなにせ敵方の参謀と将が優秀で……」
「……ヒルダ……さん……、先生……」

 口にして、マリアンヌはゾっとした。黒鷲学級の担任であったベレスは自分にも不思議と優しく、彼女のことは嫌いではなかった。自分にも目をかけてくれて、時折声までかけてくれて――一度ならず、黒鷲学級へ編入しないかと誘われたこともある。彼女はエーデルガルトが戦争を起こしたときも彼女の傍らに立ち、レアに剣を向けた。だからきっと、この戦争でも彼女と共に在るのだろう。そして、今まさにヒルダと刃を交えんとしているという――ならば、そんなベレスであっても敵だ。

 敵なのだ。

「行くわよ、ドルテ」

 きりと表情を固めたマリアンヌに応えるようにドルテは嘶き、マリアンヌは颯爽とその背に跨ると、駆けだした。唯一無二の、大切な、とものために。



◇ 3 ◇



 その光景はとてもゆっくりに見えた。
 ベレスが天に向け掲げた天帝の剣が、紅とも橙ともつかぬ光を放っている――相対するヒルダもまた、英雄の遺産たるフライクーゲルを手にしている。だが、その勝敗は既に決まっているようなものだ。呼吸、距離、表情――そういう戦の場面の独特の空気、そういうものを厭いながらも、マリアンヌも理解できるようになっていたから、なおのこと。
 ヒルダの騎竜は既に羽を痛め地に臥せっていて、彼女自身も額から血を流して全身で息をしながら、得物を支えにようやく立っている状態だ。一方のベレスはといえば、返り血や泥で汚れているものの膝をつく気配すらない。そして、ヒルダがベレスに向かい何かを言って、ベレスが静かに瞑目した――剣が、振り下ろされる――その瞬間、マリアンヌは飛び出していた。

「駄目です!ヒルダさんは、殺させない!」

 ドルテの上から声の限りに叫んだ。ドルテの蹄が固い路を蹴ると同時に素早く祈りを捧げると、マリアンヌの両手から光がベレスに向かい放たれる。
 一直線に向かっていった光――彼女にとっては想定外であったそれをベレスは天帝の剣で受け止めるが、強い衝撃に圧されたたらを踏んだ。
そこに、マリアンヌはもう一度、自分でも信じられぬような素早さで光の一撃を叩き込むと、流石のベレスも分が悪いと悟ったのかその場から少しばかり退く。

「マリ……アンヌ……ちゃ……」

 想定外の乱入に、ヒルダもまた驚きを隠せないのか動揺してよろめいてしまう。

「ヒルダさんは、殺させません!先生が相手でも……私が戦います!ヒルダさんは、私が守りますから!」

 主の激昂に従うように、ドルテが荒々しく嘶いた。その声に鼓舞されたのだろうか、ヒルダの騎竜が重たげに首をまわし小さく唸りながら主を見つめた。マリアンヌは強いまなざしでベレスを睨みつける。

「……マリアンヌ、君……」

 一瞬だけ目を見開き驚いたように見えてもベレスの声は平淡だ。士官学校で聞いた記憶しているそれとかわらない。
食事を一緒にしないか、今日はドルテを散歩させないか、そんな風に気軽に声をかけてくれたベレス。その声と寸分変わらない声。
 それが、ひどく恐ろしかった。彼女は教師になる前は傭兵をしていたという、灰色の悪魔という別名を思い出して、けれどもマリアンヌはそこから連想される恐ろしさを否定するように頭を振る。想い出を、振り払う。

「駄目だよ……マリアンヌちゃん……マリアンヌちゃんが、……戦う、こと、なんて……」
 血と汗とでぐしゃぐしゃになっているヒルダの顔が酷く歪んでいる。その顔は、諦めているような、悲しげな顔で、まるで泣いているようにすら見えた。だからマリアンヌは精いっぱいの勇気を振り絞り、力強く頷いてみせた。

 大丈夫です、私が、あなたを守るから。私がいるんですから。

「大丈夫です。私だって……戦えます。戦えるんです、ヒルダさんのためなら」

 マリアンヌはドルテから降りてヒルダを庇うように立ちながら、彼女にそっと髪飾りを見せた。

「マリアンヌ、ちゃん……」
「私は、戦えます。私だって、あなたのことを守りたいんです」

 汚れてしまった指先で髪飾りに触れると、そこから勇気が湧いてくるようだ。だって、あなたにもらったこの髪飾りは、こんなに埃だらけになってしまった私の髪にあっても、とてもきらきらしているのだから。
 少しだけヒルダを見て、マリアンヌは微笑んだ。それからふたたびベレスを見据える。
 ベレスは、相変わらず考えの分からない無表情で相対していた。
 その手にはしっかりと天帝の剣が握られている――過去の遺物、英雄の遺産。それもかのネメシスが使っていたという伝説の。勝てるわけがないだろう。
 それでも、勝てなくても、せめて、一矢報いることが、できれば。せめて、ヒルダが逃げる間だけでも、自分が時間を稼げれば。そう、そのために。
 ヒルダに生きてほしいから、だから、自分は、ここに来たのだ。

「駄目だよッ!マリアンヌちゃんは、戦っちゃダメ!それはあたしの役割で……!」

 叫ぶなり、ヒルダがマリアンヌの一歩前に、遺産を手に庇うように立つ。けれども、その背中はボロボロで、立っているのがやっとなのは目に見えていた――あれだけ綺麗だった髪の毛もぼさぼさで血まみれで、玉のような肌は傷だらけで鎧もそこかしこが壊れていて、両足はがくがくと震えている――それは武者震いというよりは、限界のサインだ、治癒手として戦場に立つ経験の多かったマリアンヌの目は、誤魔化せなかった。

「ヒルダさん。そんな状態のあなたに、無茶はさせられません。もう戦える状態じゃないじゃないですか。私が時間をかせぐので……」
「駄目!そんなのは絶対にダメ!」

 マリアンヌがすべてを言う前に、ヒルダの悲鳴が重なる。悲鳴と共にこちらを見たヒルダの顔を見て、マリアンヌは絶句する――その大きな瞳から、見たこともないほどに大きな涙がぽろぽろと溢れていたのだ。血と、泥にまみれて、ヒルダが泣いていた。

「そんなのはやだよ……マリアンヌちゃんを置いてなんて、……ぜったい……やだよぉ……」

 ヒルダは武器に縋りながらまるで子供のように泣きじゃくっている。けれども、マリアンヌは動く気はなかった。ヒルダを庇うようにベレスと彼女の間に立ちキツくベレスを見据えた。私は、負けませんから。たとえ、先生が相手でも。

「ふたりとも」

 なおも嗚咽の止まらないヒルダの肩をマリアンヌが抱きかかえるようにしていると、ベレスがその空気を割るように鋭い声で告げてきた。天帝の剣の切っ先は地面に向いており、先ほどまでのピリピリとした空気が嘘のように、彼女の周囲は凪いだ海のように穏やかだ。よくみれば、その表情もどこか緩い。

「はやく、いきなさい」

 最初は、言葉の意味がわからなかった。
 二人とも似たような顔をしていたのだろう。ベレスは困ったように首を傾げてそれから肩を竦めると、少しだけ頬を緩めた。

「せんせ……」

 ヒルダが絞り出したような声を出すのと、ベレスが背を向けたのは同時だった。

「エルに怒られたら、それはそれで仕方ないかな」

 背中でどこか笑うように告げると、ベレスはそのままその場を立ち去る。彼女に従う騎士団も、将が立ち去るのを見るや攻撃態勢から一転、見事なまでに統一された動きでその背を追っていった。
 そして、その場には、二人だけが取り残された。