結魂

「結婚しよう」

 そう言われた時、どういう顔をしていただろうか。思い出せない。
 ただ、とても嬉しかったことだけは覚えていて、己の手に嵌められた指輪を見ると、いつでも目の前にあった柔らかな笑顔を思い出すことが出来る。
 しとどに降る雨の中、ドゥドゥーは指輪に静かに口づけをした。

「……すまない」

 静かな声は、雨音の中に消えていった。



 初めはおかしなやつだ、と思ったことをよく覚えている。
 敢えて煙たがられているダスカー人に近づきたがる人間など、このフォドラにはどこにもいないからだ。だが彼はそうではなく、無邪気に近づいてきた。その無邪気さは、うっとおしいというよりも純粋でどこか眩しかった。ドゥドゥーにはそれは春の木漏れ日を感じさせるような温かさだと思えた。
 だからだろうか、すぐに子犬のようについてくる彼を仕方ないと思いつつも受け入れ、いつしか心の中に居座るようになっていたのは。
 アッシュ=デュランという存在はドゥドゥーにとって、初めて得たフォドラでの友人だった。



 それがいつの間にか心の中で大きな割合を占めていることに気が付いたのはいつだったろう。
 ディミトリという何よりも守るべき大切な主君と同じように、それ以上に脳裏に描いてしまうようになっていたのは。近しくなりすぎたからかもしれない。それでも、後悔はしていなかった。何よりもディミトリがドゥドゥーに友人が出来たと喜んでくれたのも大きかった。
 だが、ドゥドゥー自身は知っていた、これが友情という単純な感情ではないことを。
 そして、それはおそらく告げてはならないということも。彼は気にしないとあの笑顔で笑うだろうが、ドゥドゥーとしてはダスカー人である自分が傍にいることで彼に迷惑がかかることだけはどうしても避けたい。ディミトリのような恩人であり主君である人であれば別であるが、それでも割り切るまで相当の時間を要したのだ。
 それでもアッシュは、今日もドゥドゥーに気さくに声をかけてくる。五年という月日を経てすっかりと逞しく、そして美しく成長した彼はいつだってドゥドゥーに声をかけてきた。激しく消耗する帝国との戦いの間も、間を縫っては共に料理を作り会話をし、武具の手入れをする。時に戦況を話し、共に切磋琢磨する――彼と共にそんな穏やかな時間を過ごせることが、ドゥドゥーにとっては幸せな時間だった。
 それが恋という感情なのかどうかははっきりとドゥドゥーにはわからなかった。だが、アッシュと共に居ると心が満たされ、そしてまたアッシュも笑みを見せてくれることが嬉しかった。



 帝国がいよいよタルティーン平原まで攻めてきたという話を聞き、ドゥドゥーはある決意をしてフェルディア王城へと向かった。
 この度の戦は、決して負けられない戦いだ。まして帝国軍にはあのベレスもいる。だから、これはある意味で最終手段だと思っていたし、無論ディミトリにも話してはいない。
 ただ、それに関しては自分の力だけでは限界があり、だからアッシュを頼ることにした。
 それは王城のある場所に厳重に隠されているからだ――どういった所以からかは知らないが、フェルディア王城には魔獣となれる魔石があるという噂があった。恐らくは何らかの場合の最終手段にとフェルディアを支配していた頃のコルネリアが持ち込んだものなのだろう。
 その噂を兵士たちから聞いた時、鍵開けの得意なアッシュなら、と単純に考えたのだが、淡い想いを抱いている相手に対して頼む頼み事でもないような気はした。だがドゥドゥーには他に方法が思いつかなかった。自分だけではどうにもできなかったからだ。
 ドゥドゥーはだから、すべてをアッシュに話すことにした。最後の決戦になること、自分はどうしてもディミトリを守らなければならないこと、最早手段を選んではいられないこと――それは、つまり、魔獣化する術を使うと、そう告げたのだ。
 無論アッシュは最初は反対しようとしたのだろう。
 怒ったような悲し気な顔をして口を開きかけたが、ドゥドゥーの真剣な顔を見て、そう、と小さく呟くと、いつものように笑みを作った――けれどそれはどこか無理矢理にも見えて、ドゥドゥーの胸はちくりと痛んだ。好いた相手にそんな顔をさせたくはなかった筈なのに、こんなことを頼みたくはなかったのに、他に頼れる人間はいない――アッシュにしか頼めないことだった。

「いいよ、ドゥドゥー。その代わり、僕からもお願いがあるんだ。それを聞いてくれるのなら、何でもするよ」

 そう告げるアッシュはどこか泣いているように見えて、ドゥドゥーは思わずその手を取り、抱きしめていた。

「ドゥドゥー?どうしたの?」
「……すまん」

 ドゥドゥーはただ、謝る事しかできなかった。自分よりも遥かに細身の身体を抱きながら、その体温を感じながら胸の奥はじくじくと痛む。それでも感じる温もりがあたたかくて、ドゥドゥーはそのままアッシュに口づけをしていた。

「……ドゥドゥー……?」

 呆気にとられたかのようなアッシュの声に、何も考えずに行動してしまったことをドゥドゥーは後悔したが、アッシュはドゥドゥーの腕の中から動かない。どころか、その腕をドゥドゥーの背中に回して、胸元に頬を寄せてきたのだ。

「……僕からのお願い、聞いてくれるよね。僕のことを抱いてほしいんだ、ドゥドゥーに。もう、きっと、最後になるから」
「最後などと」

 自分で言い出しておきながら、ドゥドゥーは思わずその言葉を否定していた。自分ははなから死ぬ覚悟でいた、けれどアッシュは、アッシュには――生き延びて欲しかったのだ。だから思わずそんな言葉が口から滑り落ちた。

「ううん、わかってる。君の覚悟も、全部、わかってるよ。だからせめて……君に抱いてほしい。君のことが、ずっと好きだったから」

 アッシュの言葉に、ドゥドゥーは呆けたように口をあけてしまう。本当ならば、こんなに嬉しいことはない筈だった。
 想いを寄せている相手と両想いだとわかれば、心は沸き立ち胸が疼き、歓喜に包まれる筈だ。けれども、ドゥドゥーの胸の中にあった感情は、悲しみに満ちていた――こんな形で知りたくは、なかった。どうせならもっと早くにアッシュに己の気持を伝えていれば、或いは――詮無き事だが、後悔してももう遅かった。

   そしてアッシュはフェルディア王城内部をくまなく探し、隠された部屋を探し出して見事魔石を見つけてきた。

 その晩、王城のドゥドゥーの部屋。
 魔石を渡すアッシュの表情は複雑そうだったが、ドゥドゥーは受け取る代わりに自らの耳飾りをアッシュに手渡した。

「おれの形見だと思ってほしい。お前には……生きて欲しいからな」

 灰色の旋毛を見つめながら、包み込むようにその頭を抱く。

「ドゥドゥ―……それは、狡いよ」

 ひとりで逝こうとするな、とアッシュは言いたかったのだろう。だが、ドゥドゥーにはどうしてもアッシュには生きていて欲しかった。アッシュには未来があるのだ。確かに王国の将ではあるかもしれないが、彼には最後まで戦う義務などない。逃げても良い。むしろ逃げて、逃げ延びて、どこか遠くで生き延びて欲しい。

「すまん、だが、お前には死んでほしくはないのだ。おれが、そして殿下が生きていたということを……知る誰かが、いて欲しいのだ」
「……狡いよ、……そんなのは」

 アッシュは同じ言葉を繰り返しながら、ドゥドゥーに口づけをした。甘い、口づけだった。こんな形でなければ、と本当に思う。そう思いながら薄い唇をこじ開けて、ドゥドゥーは自ら慣れぬ行為と知りつつも積極的に舌を絡めた。口づけは徐々に深くなる――アッシュの舌と己のものを絡め合い、舐めとり、唾液で水音がしんと静まり返った部屋の中に響く。口づけをしながらドゥドゥーはアッシュの上衣を性急に脱がせ、一度唇を離して喉元から鎖骨まで強くつよく肌を吸った。

「んっ」

 痛みを感じたのかアッシュが小さな声を上げる。そこには紅を落としたように赤い跡が残った――これは己のものなのだと、誇示するように証をつけたいとドゥドゥーはとっさに思ったのだ。

 こういったことには正直ドゥドゥーは慣れていない。性欲もそう強いほうではないし、自慰も数えるほどしかしていない、せいぜい処理すればいいと思っていたほどだ。  けれど、今はアッシュが欲しかった。アッシュの言葉を聞いて、欲が首をもたげてきたのだ。そして何故もっと早く己の気持ちを、欲を、素直に伝えなかったのかとまた後悔した――それでも、まだ、残された時間は僅かだがあるのだ。切ない感情が胸を一気に支配すると同時に熱が高まるのを感じたドゥドゥーは、そのままアッシュを寝台へと連れてゆくとやや乱暴に押し倒した。

「ドゥドゥー……」

 荒く呼吸しながら名を呼ぶアッシュの若草色の目元はほんのりと欲に潤んでいる――ドゥドゥーは、もう一度噛みつくようにアッシュに口づけをし、その唇を貪る。己に歯止めが利かない、と感じていた。

「ドゥドゥーも、脱いで」

 ぷは、と唇を離した瞬間にアッシュは目を細めてそう告げると、ドゥドゥーの服に手を掛ける。ドゥドゥーはどう返事をすべきか迷っていると、アッシュは手早くドゥドゥーの上着を脱がせてしまった。そして先ほどドゥドゥーがしたように、ドゥドゥーの身体のあちこちに、何かを確認するように口づけをおとしてゆく。

「ん……ドゥドゥーの身体はやっぱり大きいね……。僕もこれくらい逞しくなれれば、よかったのに」

 言いながら舌を這わされ、逞しく発達した筋肉を揉まれ、舐められてドゥドゥーは下腹部に熱が異様に溜まってくるのを感じながらも我慢していた。男同士の性行為についての知識は軍所帯であるから最低限度は知っているが、だからこそアッシュに無理強いはさせたくはなかった。本当ならば自分が主導権を握り、アッシュを蕩けさせ、甘やかせたいと強く思うのに、生憎と性行為に疎いがゆえにアッシュに主導権を握られてしまっている。現にアッシュは既にドゥドゥーの下肢に手をかけて、膨らんでいるそこに手をかけていた。

「ドゥドゥー、感じてくれているんだね、嬉しい……」

 そこで花のように顔を綻ばせると、アッシュはドゥドゥーの下衣に手をかけた。下着ごと脱がせられてあっという間にドゥドゥーの屹立したものが晒される。先ほどまでは中途半端に反応していたが、アッシュの刺激によりそこは完全に勃起し、脈打っていた。
 アッシュはその大きさにやや躊躇したのか、ごくりと喉を鳴らすも、やがて意を決したようにドゥドゥーの大きな陰茎に手をかけ、口づけを落とす。

「ドゥドゥーの、気持ちよくしてあげるね……」

 どこで覚えてきたのか、アッシュの口淫は見事としかいいようがなかった。裏筋をゆるゆると舐めながらきっちりと根本と袋も刺激しつつ、やがて先端部分を舌先でちろちろと刺激してそこから思い切り咥えられる。根本はしなやかな手に握られたままで、勃起した陰茎は刺激にビクビクと痙攣するばかりだった。ドゥドゥーはぐっと押し黙り、アッシュを離そうと骨ばった肩を押しのけようとするも、アッシュは頑として聞かない。どころか上目遣いでドゥドゥーを見上げ、一度陰茎から口を外して「気持ちいい?」などと聞くものだから堪らなかった。尚も口淫は続き、その甘い刺激にやがてドゥドゥーは達してしまい、アッシュの口内に思い切り精液を吐き出した。

 アッシュは吐き出された大量の精液をごくりと飲み込むが、飲み込み切れなかった白濁が唇を伝い頬から落ちて、白い肌を怪我してゆく――それは、あまりにも淫らな光景だった。アッシュはそのまま己の指を口の中にいれ、ドゥドゥーの精液と己の唾液を混ぜ合わせると片手で自らの下衣を脱ぎ去ってしまい、後孔へと指先を宛がい解しだした。

 ドゥドゥーは射精の快楽の余韻にそのまま呆然とその光景を眺めていることしかできない。だが、はっとなりアッシュの手を取ると、アッシュはどうしたのかという風にドゥドゥーを見上げてきた。

「おれに、やらせてくれ。これではおれだけが一方的に気持ちよくなっているだけだ。だが、それでは駄目だろう。お前にも、気持ちよくなってほしい」

 ドゥドゥーの言葉に、アッシュはまた花が綻ぶように笑う――その笑顔はいっそ眩しい程だった。

「大丈夫だよ、ちゃんと解してやれば、僕も気持ちよくなれるし……ドゥドゥーはやり方を知らないでしょ」
「……だが、おればかりがしてもらうというのは、公平ではない」

 ドゥドゥーの言葉がおかしかったのか、アッシュはそこで吹き出してしまう。ドゥドゥーはむう、と唸るのだが、アッシュはわかった、というとドゥドゥーの指を己の後孔へと導いた。

「ここをね、使うから、解してほしいんだ」

 いっそ堂々としているほどのアッシュの態度に疑問を秘めつつも、ドゥドゥーは導かれるまま赤く色づいているそこへと指を伸ばし、おっかなびっくり触れる。熱かった。とろけるように熱く、まるでドゥドゥーに触れられることを喜んでいるように思え、ドゥドゥーは出来る限り優しく縁の部分を指でなぞる。

「いっ……そ、そう、そのまま、中に指をいれて……」

 ドゥドゥーが触れた感触に何かを感じたのか、一瞬アッシュの身体がびくりと反応するが、アッシュはそのままドゥドゥーを導くように指を重ね、自らの胎内へと促す。もともとアッシュが少し解していたこともあり、ドゥドゥーの太い指をぐちゅ、と飲み込む様にドゥドゥーは息を呑んだ。

「ふ…んっ……ドゥドゥーの……指、入ってる……」

 この上なく幸せそうに微笑んでいるアッシュの声は甘く、胎内は熱く蠢いていた。ドゥドゥーは誘われるように、けれども慎重にその胎内へと指を押し進めてゆく。ぐ、ぐ、と押し進めると媚肉が纏わりついてくるように蠢いて、アッシュの喉からは甘い声があがった。

「いい、よ……もっと、指、いれて……」

 蕩ける声にドゥドゥーは眩暈がすると同時に下腹部の熱がより一層強まるのを感じた。ドゥドゥーの雄は早くこの胎内に挿入したいと感じている。だが、アッシュを傷つけたくはなかったから、ドゥドゥーは慎重に二本目の指を後孔に宛がい、挿入した。ぬぷり、と精液と唾液が混ざったそこから淫らな音がしてドゥドゥーの太い指を簡単に飲み込んでしまう。ドゥドゥーは二本の指をゆっくりと胎内で動かしだした。すると明らかに感触の違うしこりのようなものに触れた瞬間、アッシュがピクリと身体を動かす。

「あっ……そこ……!」
「いいのか……?ここが」

 繰り返しそこに触れると、アッシュの甘い声が部屋の中に木霊する。その甘さはドゥドゥーの耳を犯し、もっと聞きたいという欲が首をもたげてきた。同時に熱を持った下腹部は急くように脈打ち、早く牝を犯したいと望んでいる。だが、アッシュに痛い思いはさせたくない、だからゆっくりとほぐし、蕩けさせてから――ドゥドゥーがそう考えながら必死にアッシュの後孔をほぐしていると、アッシュが甘い表情で囁いてきた。

「ドゥドゥー、苦しそう……。いいよ、もう、挿れても。僕は、大丈夫だから」

 ドゥドゥーの表情と呼気の荒さから悟ったのだろう、アッシュはそっと頬に手を伸ばしてまるでなだめる様に撫でてくる。

「だが、ほぐさねばお前が苦しいだろう」
「大丈夫、自分でもやってたし、ドゥドゥーが丁寧にほぐしてくれたから……だから、お願い」

 アッシュが両腕を掲げて甘く囁く。ドゥドゥーは導かれるようにアッシュを抱き寄せ、唇を重ねた。やはりアッシュの唇はどこまでも甘く、やわらかだ。

「わかった……」

 唇を一旦離し、名残惜しそうなアッシュの表情に少し微笑んで見せてから、ドゥドゥーは自分よりも遥かに細い腰に手をかけた。紅く染まり精液と唾液でぬらぬらと濡れている後孔はひくりひくりと収縮していて、刺激を待ち望んでいるかのように見える。自らの性器をあてがうと、アッシュが一瞬身体を動かしたのが分かった。そしてそのままぐい、と腰を押し進めると、アッシュはびくりと身体を震わせる。

「ドゥドゥー、すごく、熱いの……はいって、きてる……!」

 アッシュの声は甘く上ずっていて、少しも苦しそうではない。そのことにほっとしつつも、ここで急いてはアッシュを傷つけてしまう、と、ドゥドゥーはゆっくりと腰を押し進めながら、アッシュに無意識に口づけを落としていた。そうしたかったから、と言ってしまえばそうなのだが、今は余すところなく目の前の身体を貪りたかったという欲もあるし、少しでもそれで負担が軽くなればという思いもあった。とにかく、アッシュには苦しみではなく快楽だけを感じて欲しかったのだ。だが、己のモノは他者と比較しても大きく、アッシュにそれだけ負担をかけることくらいはわかっている。だからせめて優しく抱きたかったのだ。
 アッシュの表情は柔らかいまま――この上なく幸せなのだというように笑っていて、ドゥドゥーはその表情を見て胸の奥が再び痛み出した。なぜだろう、ドゥドゥーの胸の内にも多幸感は溢れているのに、こんなにも悲しいのは。これが遅すぎた告白だったからだろうか。それとも、二度とアッシュには逢えないとわかっているからか――いずれにせよ、今は余計なことを考えず、アッシュのことだけを考えよう、とドゥドゥーは思い直した。そうでなければ、ここまで奉仕してくれたアッシュに対しても失礼になる。

「おれも、……熱い……お前の中は、気持ちがいいな……」
「ほん、とうに……?嬉しいよ……ッ」

 ぐい、ぐい、とゆっくりと腰を押し進めながらドゥドゥーが耳元で囁くと、アッシュは一瞬破顔してからドゥドゥーの分厚い唇に己のそれを押し付けてくる。そのまま深い口づけをしながら二人は繋がっていた。

「ん、ん……ぁ……ッ」

 アッシュの口からこぼれる甘い声がより大きくなる頃には、ドゥドゥーのペニスの最も太いところがアッシュの後孔に入り込んでいた。

「痛くは、ないか……?」
「だい、じょぶ、だよ……きもちぃ……い、ドゥドゥー……」

 アッシュの顔は汗まみれで、はぁはぁと荒い呼気は本当に気持ちがよいのか、快楽を拾えているのかはドゥドゥーにはわからなかった。ただ、アッシュの顔は朱に染まり甘く快楽に蕩けていて、いつもはまっすぐな光を宿している瞳も欲に塗れ、すっかりと甘い色になっている。ドゥドゥーが動けずにいるのがわかったのか、アッシュはドゥドゥーに急くように腕を伸ばして背をぎゅっと抱いてくる。

「大丈夫だから、……動いてよ、ドゥドゥー。好きなようにして。僕は大丈夫だから……」

 大丈夫、と繰り返すアッシュは一見苦しそうだが、腰は快楽に動き、白い肌は汗が艶のように跳ねている。目の前にある平たい胸の尖りを分厚い唇で食むとアッシュの身体がのけ反り、ドゥドゥーを締め付ける力が強まった。
 それなら、とアッシュが快楽を拾えるように乳首を舌先で転がしながらドゥドゥーは腰を動かしていった。初めはゆっくりだったが、アッシュの嬌声の感覚が短くなるにつれ、大きな快楽が体中を巡りとてもではないが抑えが利かなくなってきていた。いつしか細い腰を抱き、胸にむしゃぶりつきながらがつがつと腰を押し付ける。都度アッシュの身体が跳ね、のけ反り、ドゥドゥーの名を繰り返し呼ばれる。

「アッシュ……アッシュ……あいしている、アッシュ……」

 ドゥドゥーの口から零れ落ちた言葉に、アッシュは快楽に蕩けた目を一瞬見開いてから、僕も、と唇を重ねてきた。ドゥドゥーの背にしがみつくように腕を回し、腰をうねらせる。

「ドゥドゥー、愛してるよ、……だから、もっと、……君が欲しい……」

 ぐ、と背中で交差した腕に強い力が籠められる。ドゥドゥーはその温もりの愛おしさに胸の奥が詰まり、意を決して腰を強く押し進めた。都度、肌がぶつかり合う音が木霊して、アッシュの声が上がる。

「もっと、奥、……奥、ほし……ッ」

 アッシュの言葉通りドゥドゥーは腰をさらに奥へと押し進め、ドゥドゥーのものはすっかりアッシュの胎内へと入り込んでしまった。蠢く熱と収縮する肉に快楽を堪えるだけでもたまらなく射精感を促され、今すぐ胎内に出してしまいたかった。だが、まだだ。まだアッシュが快楽を拾えるうちは、とドゥドゥーは再び動き出し、奥へ、奥へと自らの陰茎を押し進めた。

「あぅ……あ、あ、熱い……奥、こんなの……ッ、しらな……や、おかしく、なる……ッ」
「アッシュ……ああ、もう、何もかも忘れて、……おかしくなってしまえばいい……アッシュ……ッ」

 ふと、今までとは違う感触にあたり、ドゥドゥーは一瞬だけ身体を止める。だがアッシュはそれを許さず、嬌声をあげながらもドゥドゥーを促すように触れてきた。ドゥドゥーはそのまま腰を突き入れると、アッシュの身体がのけ反る。

「ん、あ!!何、これ……すご、奥……奥、とどいて……ッ!」

 アッシュも必死に快楽を拾おうと腰を動かし、ドゥドゥーもまたアッシュにひたすら快楽を与えようと必死に腰を動かした。全身から汗が吹き出し、快楽に飲まれたドゥドゥーも加減するということを既に忘れたかのようにアッシュの身体を貪る。

「ドゥ、ドゥー……あ、あ、すご……イイ……ッ」

 腰に宛がっていた手をアッシュのそれと重ね合わせるとすぐさま縋るようにぎゅっと握られた。そしてアッシュの身体はドゥドゥーが動く度にのけ反り跳ねて快楽を拾おうと必死に動く。ドゥドゥーはアッシュの平たい胸に、鎖骨に、首筋に強く口づけを落としてゆく、これは自分のものなのだという証を沢山残したいと思った。

「アッシュ……アッシュ……気持ち、いいか……?」
「うん、……いいよ……ッ、もっと……して……?」

 健気に笑うアッシュの鼻先に口づけを落とすと、ドゥドゥーは再び腰を動かしだした。快楽が加速し、絡みついてくる媚肉の感触に頭がはじけ飛びそうになる。こんなに快楽を感じたことのないドゥドゥーは若干戸惑いつつも、愛おしくて仕方ない存在の胎内に欲をそのまま吐き出した。



「アッシュ、すまん……」

   アッシュの胎内に陰茎を埋めたままアッシュを抱きしめてドゥドゥーは頭を垂れた。

「……ドゥドゥー、何を謝るの?君が僕を抱いてくれて、……気持ちよくなってくれたみたいで、すごく嬉しいんだよ」
「いや、……その、我慢できず、お前の胎内に……」

 ドゥドゥーの言葉に、アッシュは吹き出す。だがドゥドゥーにしてみれば、初めてで胎内に出してしまうというのは如何なものかと思うのだ。女性と違い妊娠する器官もない男性は、胎内に精液を出してしまうとその後処理しなければ腹を壊してしまう――アッシュの身体に負担がかかるのだ。

「大丈夫、処理はちゃんとできるし、僕は嬉しかったから」
「嬉し、かった……?」
「……君を、僕の中に刻み付けられたみたいで、……少しはしたないかもしれないけど、嬉しかった。まだこの胎内に君のものが在るのも、嬉しい。君と繋がれたのが、本当に嬉しい」
「アッシュ、お前は……ほんとうに……」

 言葉にならなかった。そして、またドゥドゥーの胸はずきりと痛んだ。もっと早く気持ちを伝えていれば、という後悔が再び胸中に溢れる。繰り返し溢れてくる苦しみと悲しみに耐えきれず、ドゥドゥーは己の陰茎がアッシュの胎内にあるのも忘れて目の前の身体を抱きしめていた。まるで縋るような抱きしめ方に、何かを察したのかアッシュはドゥドゥーの頭部を抱きしめ、緩やかに後頭部を撫でた。

「……ありがとう、ドゥドゥー。僕の無茶なお願いを聞いてくれて。大好きだよ」

 そしてドゥドゥーの頭頂部に柔らかな温もりが触れる。ドゥドゥーは何も言えず、胸中に溢れる感情に耐えきれなくなり、いつの間にか涙を流していた。アッシュは何も言わずに、ただドゥドゥーを抱きしめ、まるで子供にするようにゆるやかに手を動かしてドゥドゥーの頭を、うなじを、撫で続けるのだった。


 まだ夜が明ける前。フェルディア王城は静寂に支配されていた。目を覚ましたドゥドゥーは、隣でまだすやすやと穏やかに寝息を立てているアッシュを静かに眺める。長い睫毛にはまだ涙が残っており、頬も濡れていた。学生時代と異なり細くきめ細やかになった髪の毛が額や頬に張り付き、薄い唇は少し開いて規則正しい呼吸を繰り返していた。
 思わず額に張り付いている髪の毛に触れどかすと、ドゥドゥーはそこに口づけを落とす。とたんに愛おしさが胸を支配し、痛みを伴う甘い感情で溢れた。平時であればきっと添遂げられる未来もあったかもしれない、とふとそんなことを考えて、ドゥドゥーはふ、と小さく笑う。そんなことを考えてしまうほど、自分は甘くなってしまっていることに――そして、それ程にこのアッシュという青年にいつの間にか入れ込んでいたということに。
 けれど、結末は変わらない。ドゥドゥーは明日には出撃し、帝国軍と相対時する。そこでどうなるかわからないが、この命を懸けてでもディミトリを守らねばならない、その為の手段も選ばない覚悟も決めたのだ。
 甘い時間は、お仕舞だ。

「ドゥドゥー……?」

 ドゥドゥーが寝台から離れようとすると、気配を察したのかアッシュが目を覚ました。そして、そのまま去ろうとするドゥドゥーの背に触れてきた。

「ドゥドゥー、少し、待って」
「アッシュ、どうした?」
「ん、ちょっとね」

 寝台から起き、立ち上がろうとするが寝台から降りたところでアッシュがよろけたので思わず支えると、アッシュは申し訳なさそうに苦笑した。

「ありがとう、ちょっと久しぶりだったから……無茶しちゃったかな」
「やはり無茶をしてたのだな……」

 自分のモノの大きさと同性同士ということで初めてで巧く繋がれたこと自体が奇跡のようなものなのだ、とドゥドゥーは思っている。そしてアッシュの負担が尋常ではなかったことも、途中から欲に自我を奪われその身体を暴いたことも、思い出せば後悔してしまいそうになり、ドゥドゥーはぐっと息を呑んだ。

「ドゥドゥー、僕は、嬉しかったって言ったよね。後悔もしてない。君に抱かれて、本当に嬉しかったんだ」

 ドゥドゥーに凭れ掛かるようにアッシュは体重をかけてくると、ドゥドゥーの裸の胸に口づけをして、それから自ら脱いだ衣服の中を探り出した。

「あった」

 まるで宝物を見つけた子供のような声をあげると、アッシュは何やらごそごそと衣服から持ち出して、ドゥドゥーに手渡してきた。
 ドゥドゥーは手渡されたものをまじまじと見つめる。それは、スミレの花を象った金属の指輪だった――樹脂を使い花を閉じ込めて、さらにその形に合わせて細工されたものだ。

「ね、ドゥドゥー。結婚しよう」
「……結婚……?」
「うん。だって、僕たち両想いだし。本当は先に言えばよかったのかな」

 何の、とは流石に口にするのは憚られるのかアッシュは顔を赤らめながらドゥドゥーの手のひらに己のそれを重ねる。

「……君からの指輪の代わりには、耳飾りを貰ってるし。ね、ここには誰もいないけど、僕たち二人だけの結婚式。ダメかな?」
「いや……」

 すぐさま否定できない時点で答えは決まっていた。本当は共に生きたかった。共に生きて、穏やかな日常を過ごし、共に食事をして笑い合い、時に悲しみながらも長い時を、彼となら過ごせるとドゥドゥーも思っていた。
 けれどもそれは、望めぬ未来なのだ。
 だからせめて。アッシュはそう言いたいのだろうか。

「……急にこんなこと言われても困るかもしれないけど、……結婚してくれたら、僕、生き延びようと思う。君のためにも、殿下の為にも……。生きること、諦めないようにする」
「……アッシュ……」

 その時の感情を、なんと言い表せばよいのだろう。ただはっきりしていることは、今まで生きてきた中で、最も歓喜に包まれた、それだけは確かだった。ディミトリに手を指し伸ばされた時と同様か、それ以上にドゥドゥーの胸の内はたったひとつの感情に満たされていた。愛する者が生きているという、歓びだ。先ほどまでの胸の痛みも、苦しみも忘れ、ドゥドゥーはアッシュを強く抱きしめた。

「ド、ドゥドゥー……すこし、くるし……」
「アッシュ……すまない、……おれは……何を言ってよいのか……」

 愛おしかった、ただひたすらに、愛おしかった。死なないで欲しかった。ただ、アッシュが生きてさえいれば、それでよかった。ドゥドゥーはアッシュから指輪を受け取ると、左手の薬指に嵌める。大きさはぴったりで、いったいどうしてと思わなくもなかったが、そこにはまっている指輪のきらめきはアッシュを想像させ、視界に止めるだけで彼を思い出すことが出来るだろうと思った。

「ありがとう、アッシュ。……アッシュ、……愛している。誰よりも、何よりも、愛している」

 いつになく饒舌なのは、きっとこれが最後だからだろう。ドゥドゥーの口からは、繰り返し同じ言葉がこぼれ落ちてゆく。

「ドゥドゥー、僕もだよ、僕も愛してる……大好きなドゥドゥー」

 アッシュは離したくないとも、止めたいとも決していわなかった。ただ、ドゥドゥーの腕の中で頬を寄せ、愛おしそうに背を撫でている。

「……何もない、誓う言葉も巧くないが、せめて殿下と女神に誓おう。おれでよければ……結婚してくれ、アッシュ」
「……うん!ドゥドゥー。僕でよければ、結婚してください」

 はにかむアッシュの笑顔は、いっそ眩しい程で、ドゥドゥーは自然に小さく笑っていた。
 そして、窓辺の月明かりに照らされたまま、ふたつの影が寄り添い、やがて重なる。
 それは誰も知らない、誰にも見られない結婚式だった。祈るものもなく、祝福するものもない、けれども二人にとっては大切な、儀式だった。
 ドゥドゥーはアッシュの左耳に先ほど手渡していた耳飾りを付けると、もう一度口づけを落とす。

「……似合っている、アッシュ。その姿をずっと見れないのだけが、惜しいがな」
「ありがとう、ドゥドゥー。愛してるよ」

 アッシュもまた、ドゥドゥーの指輪の嵌められた指に口づけを落とし、そして二人は再び強く抱きしめ合うのだった。



   けれど抱擁は長くは続かなかった。

「……アッシュ、おれは、行かねば」

 ドゥドゥーから告げられ、そうだね、とアッシュは小さく笑ってドゥドゥーから離れる。

「ドゥドゥー。殿下を、みんなを、よろしくね。僕はフェルディアで、待ってるから」

 アッシュの表情を見るのが、辛かった。けれども今見なければ、二度と彼を見ることは適わないのだ。だから、辛くともドゥドゥーは顔を上げ、愛おしいひとの顔を記憶に刻み込むように見つめた。
 学生時代とは違い少し細くなった顔の線と、伸びた背丈。甘く一見少女の用も見える愛らしかった顔はすっきりとして、男を感じさせるものになっていた――それでも美しいとドゥドゥーは思っていた。若草色の瞳は月の光の中でもまっすぐにドゥドゥーを見つめてきている。その瞳に薄い膜が張っていることには気づかないようにした。触れて知った意外と長かった睫毛に、柔らかで甘やかだった唇。雀斑が散る鼻先もすっと長く、眺めれば眺めるほどに愛おしさが募った。

「ああ、わかった」

 戻る、とは言えなかった。
 アッシュもそれはわかっているのだろう、ドゥドゥーの答えに頷くと、名残惜しそうに身体を離す。

「ドゥドゥー。愛してるよ」

 ドゥドゥーは目を細めて、もう一度唇を重ねた。その感触を二度と忘れまい、と思った。


 ドゥドゥーが出立し、アッシュは一人、王城の一室から王都を眺めていた。
 静寂の中に、控えめなノック音が響く。はい、と返事をすれば、見慣れた顔が顔を出した。

「アネット……そういえば、君も残っていたんでしたよね」
「うん、父さんと一緒にね。アッシュは……」
「……昨晩は、ドゥドゥーと一緒にいたんです」
「そっか……あれ?」

 アネットが目敏くアッシュの耳元の飾りに気づき、近寄ってくる。

「これって……ドゥドゥーの……?」

 驚いた顔のアネットに、苦笑するようにアッシュは告げた。

「僕たち、結婚したんです。これはドゥドゥーからその時に」
「わ!そうだったんだ!もー、それなら私も呼んでくれたらよかったのに!一緒にお祝いしたかった!」
「ご、ごめんなさい、急な話だったので」

 アッシュが焦るように答えると、アネットはわかっているのだ、と言いたげに笑う。

「わかってるよ、冗談。二人にとって大事な時間だったんでしょ。流石に邪魔は出来ないよ」
「アネット……ありがとうございます」
「そっかあ、でも、二人とも、学生時代から仲良かったもんね。……よかったね、アッシュ」

 アネットの祝福の言葉に、涙がこみ上げてきそうになるのをぐっと抑えてアッシュは頷く。

「はい」
「ほんとなら、皆でお祝いしたかったな……きっと、殿下も喜んだだろうし……。シルヴァンやイングリット、フェリクスもさ、きっと喜んでくれたよ。イングリットとメーチェと私でアッシュのおめかしして綺麗に正装して、ドゥドゥーと一緒に並んでさ、メーチェの作った甘いお菓子をみんなで食べて、お祝いするの。そうそう、マヌエラ先生にも来てもらわないとね、きっと先を越されたわ~、ってマヌエラ先生、泣いちゃうよ?」
「そう、ですね……ふふ、アネットは表現が上手だから、その様子がまるで目の前にあるように想像できます」
「でしょでしょー。ね、それで、皆でお祝いして、アッシュとドゥドゥーはたっくさんのお花で着飾ってとっても綺麗で……ダスカーとファーガスの関係も、きっと前よりもよくなって」

 ふと、アネットが目をそらす。 「そんな未来、きっと、あったよね……」

 彼女の窓の外に向けられた眼差しはどこか遠くを見ているようだった。

「アネット……」

 遺産を手にしたアネットが最後の戦いでどういう意思を持っているかくらいはわかる。きっと、刺し違えてでも王都を守るつもりなのだろう。

「……ねえ、アッシュは生きないとね」
「アネット?」
「だって。きっとドゥドゥーに生きろって言われた、違う?」

 アッシュは思わず絶句した。何故アネットはわかったのだろう。どうしてその場にいなかったアネットが、ドゥドゥーと同じことを言い出すのだろう。

「どうして、って顔してる。ふふ、そんなの、考えることはみんな一緒。大切な人には……特に、この世で一番大切な人には、生きててほしいもん。どんなことがあっても、何があっても、絶対に」
「……そういう、ものですか」
「うん。きっと私でも同じことを言うと思う。それはアッシュにとっては辛いことかもしれない。でも、でもね、それはドゥドゥーの我儘かもしれないけど、聞いてあげて欲しいな」

 きっと、アッシュの中にはドゥドゥーとの大切な思い出、いっぱいあるでしょう?そういわれて、アッシュは何も言えなくなった。
 学生時代から、彼に憧れていた。大きくて、逞しくて、強くて、ディミトリに使える従者。だというのに彼はどこも偉ぶらずにアッシュに接してくれた。ダスカー人だということを気にしていたが、アッシュにしてみればそのようなことはどうでもよかった。それよりも、ダスカーの文化や料理を知れることが、ドゥドゥーという人間を知れることが嬉しかった。彼と仲良くなり、共に料理をしたり、談話したりするのが楽しく、心地よかった。あこがれはやがて純粋な感情を経て別のものになっていたが、それがどこで変化したのかははっきりとはしていない。けれども、ドゥドゥーが好きだというその一点だけは、決して揺るがなかった。
 恋をしていた、のだと思う。ドゥドゥーの一番には決してなれずとも、自分を見て欲しい、自分を必要としてほしいといつの間にか願っていた。ディミトリに向けられる視線を、自分にも向けて欲しいと願っていた。

 そして、その願いは叶ったのだ――それが、例え最後の瞬間であったとしても、アッシュは幸せだった。ドゥドゥーと一瞬でも添遂げられたのだから。

「アッシュ、今少し幸せそうな顔をしてる」
「ア、アネット!」
「……ふふ、じゃあやっぱり死ねないよね。大丈夫、きっと、生き延びれるよ。皇帝軍は血も涙もないってきいてたけど、父さんはそうじゃないっていうの。私もそんな気がする……何よりベレス先生がいるでしょ。皇帝エーデルガルトだって、血を見たいわけじゃない。本当にそうなら、もっと戦火を広げていると思うし」
「……そうですね。それは、僕も、そう思います。彼女はきっと……己の理想の実現のために最短の手段をとっているんだって」
「うん。でも、……やっぱりそれでも彼女は私たちの敵だから、戦わないと」
「……アネット」
「私はいいの。わかってることだし。メーチェも迷わなかった、だから私も迷わない。でもアッシュ、私もアッシュには生きて欲しいな」
「でも、それは……僕だけ生き延びるだなんて」
「アッシュに生き延びて、私とか、メーチェとか、殿下とか、ドゥドゥーとか、皆のことを覚えている人が一人でもいてくれるなら、……私、頑張って戦えるから」

 ね?と小首をかしげて告げる言葉は、ドゥドゥーと同じだった。どうして皆、自分にそんな重い枷をつけるのだろう。どうして自分なのだろう。

「アッシュはだって、本当なら戦わなくてもいいんだもん。戦う義理も、何もないんだよ、私たち貴族とは、違うから」
「でも、僕だって将として……」
「だめ。アッシュは、生きて。生き延びて」

 お願い。アネットにまでそう言われてしまい、アッシュは言葉を失った。自分が戦う意義はないというのか。アネットが言いたいことはそうではないのはわかっていたが、アッシュは何が正しいのかわからなくなった。

 生きて、生き延びて、そしてどうすればいいのだろう。愛するドゥドゥーもいないこの世界で、一体何を希望に生きればいいのだろう。

「死なないでね、アッシュ。約束」

 アネットの細い指がアッシュのそれに絡められる。小指と小指が絡み合い、「約束、破らないでね」というアネットの言葉と共に離れた。
 ああ、これでまた死ねない理由が出来た、と、アッシュは整理しきれない感情の中漠然と思ったのだった。



 王都フェルディアが燃えていた。レアが放った炎は、煌びやかだった都を敵味方問わず焼き尽くすように激しく、その炎にまるで身を焦がされるようだとアッシュは思った。
 それでも、死ねない。約束したのだから。
 手にした弓に力を籠める。鬨の声が上がった。戦いが、始まったのだろう。アネットはどうしているだろうか。ギルベルトは。
 そんなことを考えていると、アッシュの目の前に見知った顔が現れた。

「……先生……」

 そこには、天帝の剣を持ったベレスが居た。学生時代、自分にも気さくに声をかけてくれていたベレスとは全く違う雰囲気をまとったベレスは、まさに彼女が持つ異名の如く灰色の悪魔と思えるほど、殺気を放っていた。

「……アッシュ……君が……」

 だが、アッシュを認めたとたん、ベレスの纏っていた雰囲気が変わる。ベレスは剣を収めると、悲痛そうに表情をゆがめ、溜息を落とした。

「……アッシュ。君に伝えなければならないことがある」
「先生。今は僕たちは敵です。敵対している者同士、言葉はもう必要ありません」

 それはアッシュの本心ではなかった。けれど、戦わねばならないのだ。顔見知りだからといって油断も出来ないし手を抜くつもりもない。

「君が頑固なことは知っている。けれど、これはどうしても伝えなければならないんだ。頼む、私の話を聞いてほしい」

 まるで懇願するようなベレスの言葉に、アッシュは何も言い返せなかった。ベレスがこのような言い方をするとは、思っていなかったからだ。

「……わかりました、先生。でも、……話を、聞くだけです」

 アッシュがそう言えば、ベレスはどこか胸をなでおろしたような表情をした――彼女はこんな風に表情が豊かだっただろうか、とアッシュは学生時代のことを思い出す。ベレスはどこか人間離れしていて、けれども頼れて、不思議と彼女の言葉には力があった。他学級の担任だったが、何度か勉学を教えて貰ったこともある。

「よかった。これを、ドゥドゥーの遺体……といってもよいものか……から見つかったんだ。悪い、中身を読んでしまったんだが……アッシュに、って」
「……手紙……ですか……?」

 ベレスから手渡されたものは、王国でよく使っている羊皮紙に血がべったりとこびりつき、何かが走り書きされたものだった。

「ドゥドゥーは魔獣に変化して、最期には会話もできなかった。遺体も残らなかった……ただ、そこで、見つけたのが、それだったんだ。それから、これを」

 アッシュが手紙を読もうとすると、ベレスは小さな金属片を手渡してくる――それは、あの日、ドゥドゥーと身体を重ねた日にアッシュが手渡した指輪だった。

「……ドゥドゥーが嵌めていたものだ。……スミレの造形がされていたし、君たちは学生の時に仲が良かったから、きっと君が持っているのが相応しいかと思って、とっておいた」
「先生……」

 アッシュはぐっと息を飲み込む。そうしていないと、涙がこみ上げてきそうで仕方がなかったからだ。こちらを眺めるベレスの優し気な視線に敵意は全くない。

「手紙、読んであげてくれないかな」

 ベレスに促され、アッシュはしたためられた手紙に目を通した。それは確かにドゥドゥーの筆跡で、アッシュが生き延びたらいつかダスカーを訪れて欲しい、という旨と、何があってもアッシュを愛しているという一文だけが記されていた。
 それだけを、ドゥドゥーは最期にアッシュに伝えたかったのだろう。
 気づけば、手元からは弓が落ちていた。
 双眸からは、涙がこぼれていた。
 アネットの言葉が蘇る、愛する人がいたら、誰でもそうなんだよ、と。ドゥドゥーの願いを、聞いてほしい、と。
 死ぬわけにはいかない、例え不名誉な誹りを受けようとも、自分は生き延びねばならないのだと、強く思った。

「アッシュ。私は今、何も見ていない。君が何をしようと……私は知らないし、見ていない」

 そしてベレスはくるりと踵を返し、その場から去った。戦場の中心は遠く、アッシュの部隊はその場に取り残された。

「隊長……」

 灼熱の戦場に取り残され途方にくれた隊員たちが、アッシュに声をかけてくる。
 アッシュは彼ら一人一人の顔を見て、そして決意した。

「……皆さん、皆さんは投降してください」
「隊長?!」
「皇帝エーデルガルトは反抗しないものまで皆殺しにするほど血も涙もないわけではないと聞いてます。今の……先生の態度からもわかったと思います。捕虜にはなるかもしれませんが、きっと皆さんが帝国に逆らわなければひどい扱いは受けない筈です、先生もいますしね。きっと、この戦いが終わった後には復興が待っていますから、一人でも協力者は必要です」
「隊長!ですが、俺たちは……!」
「わかってます。でも、皆、投降してください。僕はドゥドゥーの頼みを聞かなきゃならなくなりましたから」

 そう言い切るアッシュの表情は、清々しかった。もうやることを決めた人間の顔をしていた。

「ダスカーに行くんですか?危険です!」
「危険でも、行かなきゃならないんですよ。大丈夫です、きっと」

 アッシュの強い声に、隊員たちは皆言葉を失い、押し黙る。沈黙が暫く周囲に満ちて、聞こえる音は炎がはじける音だけだった。
 やがて一人が「わかりました」と意を決したように呟く。

「……隊長がそう望むなら、俺たちはそうします」
「裏切り者と誹られても、何を言われようと……」

 部下たちの決意に、アッシュは柔らかく微笑んで、ひとりひとりの手を握り、言葉を交わした。今まで自分についてきてくれた大切な隊員たちだ。アネットの言う通りエーデルガルトが噂よりも血を見たがっているとは思えないアッシュは、ベレスとエーデルガルトを――というより、敢えて見て見ぬふりをしたベレスを信じることにした。

「やっぱり、君たちは僕の部下なんですね。同じこと、言ってます」
「そりゃそうですよ、そんな隊長だから俺たちはここまで来たんです」
「隊長、気を付けてくださいね。そして、必ず生きて戻ってください、必ず……」

 納得した隊員たちに見送られながら、アッシュは戦場を後にした。仲間を裏切るという行為は騎士らしくはない、罵られて当然の行為だろう。最期まで戦うのが本来ならばアッシュに課せられたことなのかもしれない。
 けれど、それ以上にアッシュは、アネットやベレスの言葉とドゥドゥーの残した言葉に意味を見出していた。
 今はまだ死ぬ時ではないと思ってしまった。決して騎士らしくはなく、潔くもない、けれどもそれもまた一つの生き方なのだ、と思った。




 王都フェルディアでの戦いは終わり、皇帝エーデルガルトの名のもとにフォドラは統一された。その傍らには枢機卿ヒューベルトと伴侶であるベレスの姿があり、これからのフォドラは確実に変わってゆくだろうという確信を得られる光景がそこにあった。
 そんな中、アッシュの姿はダスカーとの国境付近にあった。

「ここを越えれば、ダスカーなんだ。ドゥドゥーの、故郷……。いかなくちゃ」

 自ら首飾りに加工した指輪を眺め、ドゥドゥーからの手紙を上からなぞる様に読んで、アッシュは一歩を踏み出す。それは、なんてことのない一歩だった。けれども、アッシュはもうダスカーという国に来てしまった。国境付近には関所の跡らしきものの他は何もない――もっとも中央が纏まれば、フォドラ側から兵士が駐屯させられるのだろうが、戦後のごたごたの最中ではまだそれは先の話だろう。アッシュはフォドラ人がダスカーを歩くということの意味を、まだ真に理解はしていなかった。ただ、アッシュはドゥドゥーの言われるままに彼の故郷を目指そうと思ったのだ。彼から教わっていたダスカーの言葉は最低限度だったが、意思疎通くらはとれるだろう、そう思う程度だった。  だが、その認識が間違いだったとアッシュが気づくまでそう時間はかからなかった。
 まず、街道で襲われた。戦後の混乱の最中ということであればとアッシュも用心はしていたし、あっさりと撃退もできた。だが、彼らは口々にアッシュに向かって罵ってきたのだ。「同胞の仇」「どの面下げてここにいる、フォドラ人は足を踏み入れるな」「今更何をしにきた」彼らはそんな言葉を吐きながら、恨めしそうに死んでいった。人を殺すことに麻痺してしまっていたアッシュの脳裏に、彼らの最期の表情と言葉が張り付いて離れない。アッシュはダスカー人だからといって差別はしない。だが、彼らからすればフォドラ人は同胞の仇だ。その事を、たった一瞬で理解してしまった。
 けれどもアッシュが足を止めることはなかった。ドゥドゥーの故郷に向かわなければ。アッシュはひたすらただそれだけを願いながら徒を進めていた。


 宿場町でも、アッシュは歓迎されなかった。対価を相場の五倍ほど支払ってようやく休ませてもらえたが、夜中に賊が押し入りひと悶着あった。彼らの目当てはアッシュを殺すことで、宿屋の主人とも噛んでいたらしい。殺されかけた理由はフォドラ人だというただそれだけだった。
 それほどまでに、彼らの敵対意識は強いのだ、とアッシュは痛感した。ここに安全な場所などはないのだ。それでも、とアッシュは己を奮い立たせるために耳飾りに触れる。ドゥドゥーが長年身に着けていたそれに触れると、少しだけ勇気が湧いてくる気になるのだ。この場にいるだけで精一杯で、けれども歩みを止めてはならないのだと思えた。
 だが、このままではドゥドゥーの故郷の情報を集めることすらできないと途方に暮れていた時だ。
 とある街に寄った時に、アッシュの耳飾りを見た中年の女性が声をかけてきた。勿論ダスカー語なので全ては理解できなかったが、身振り手振りを交え必死に何かを訴えている彼女の表情は今まで敵対的だったダスカー人とは違っていた。だから、アッシュは彼女が何を言いたいのか理解しようと必死に対話を試みた。
 そして結局わかったことは、アッシュが身に着けている耳飾りはその女性の夫が作ったものだということ、もしよければ話を聞かせてくれないか、ということだった。何の巡り合わせかはわからなかったが、この奇跡的な出会いにアッシュは感謝した。彼女と出会えなければ、下手をすればこの異国の地で力尽きていたかもしれないからだ。  そして彼女の家に招かれ、茶と簡単な茶請けを出されてもてなされた。彼女の主人という人は頑固な職人式質の人間だったが、アッシュの顔――というよりも耳飾りを見てとたんに表情を緩ませた。妻の方が主に商売をしているらしく、夫は自分の作品をそこまで大切にしてくれて嬉しいのだ、と笑みと共に伝えてくれた。
 だからアッシュも己の身の上を語ることにした。この耳飾りは伴侶であるドゥドゥーから貰ったものであること、そして彼とは戦争で死に別れたということ――それでも彼に生き延びろといわれ、彼の故郷まできたということを、すべて簡単なダスカー語で伝えた。
 全てを聞いていた夫婦は納得したように顔を見合わせた。妻の方は涙を流し、嗚咽を堪えている。どうしてだろう、とアッシュは不思議に思った。そこまで彼らが自分に肩入れする理由はない筈だ。アッシュの疑問を解いたのは、夫の方だった。

「ドゥドゥーといったな。確かに、俺が耳飾りをくれてやった坊主だ」

 驚くほど流暢なフォドラ語で彼は告げた。彼がフォドラ語に堪能だったことにアッシュは驚いたのだが、夫はアッシュの驚いた顔に何も特に説明することなく言葉を続けようとしていた。

「ドゥドゥーを……知っているんですか?!」
「ああ。隣村のドゥドゥーの坊主だろう。だが、ダスカーの悲劇で死んだものだとばかり思っていた。俺が初めて作った細工をそれは物珍しそうに見ていたから、くれてやったら喜んでいた」

 ああ、そうか。これが、運命の巡り合わせというものなのだ、とアッシュは思った。
 もはや女神のいないこの世界、ましてダスカーの地で誰に感謝すればよいのかはわからなかったが、アッシュは祈りたい気分だった。この奇跡的な出会いに、そして、ドゥドゥーという存在に。彼が自分とこの夫婦を繋げてくれて、そのつながりがドゥドゥーの故郷へと繋がる、こんな奇跡的なことがあるのかとアッシュが思った瞬間、双眸からは涙が零れ落ちていた。

「ドゥドゥーとは、珍しい名前なのですか?」

 アッシュが問うと、夫妻は首を横に振る。だが、彼のことはよく覚えているのだ、といった。何よりもこの職人気質の夫が自分の初めての作品を忘れることはない、と妻は続ける。

「そうか、……あいつの死に際は、どうだったんだ?満足して大地に還れたのか?」

 夫の言葉に、アッシュは一瞬唇を噛む。伴侶とはいうが、その最期は見ていないのだ。だが、嘘をついても仕方ないので、アッシュは正直に答えることにした。ドゥドゥーはその忠誠の為、主君の為己の姿を魔獣にまで変えて、そして戦い、死んでいったことを。彼の死は決して誇り高くはなかったかもしれないが、アッシュ自身は彼らしく見事な最期だったと思っているということ。そして、この夫妻になら、とアッシュはドゥドゥーの残した手紙を見せた。

「……そうか。……あいつは立派にダスカーの男として散ったのだな。あの坊主がな……そうか……」

 感慨深げに、そしてどこか寂し気に夫が呟く。

「あの、……お二人は、ドゥドゥーと知り合い、というより、仲が良かったのですか?」
「仲が良いも何も、こいつの料理をしつこく教えろとねだりにきていたのがドゥドゥーなんだよ。こいつの料理の腕は街一番だからな」
「……そう、だったんですか」

 異国の知らない人間からドゥドゥーの過去を聞くのはどこか不思議な感じがした。ドゥドゥーの料理好きは子供の頃からだったのだと、少しだけ自分と共通点を見つけて今更のように嬉しくなる。そのアッシュの表情を見た夫妻は、痛ましそうな顔でアッシュを見ていた――伴侶を亡くしたばかりだというのに、思い出させるような話をしてしまったと、気遣っているようだった。

「悪かったな、お前さんも辛いだろうに、こんな話をしちまって。お詫びと言っちゃなんだが、古い家だが今晩は泊まっていくといい。今晩といわず、滞在してもいい。何、広さだけは無駄にある家だからな。それにフォドラ人はまともに表も歩けやしないだろう」

 特に夜はひどい――夫が続ける言葉に、やはりまだダスカーの地の情勢は不安定なのだ、とアッシュは思った。実際、今までの道のりでもそう痛感させられる出来事は多々あったのだ。例えアッシュがフォドラ人でなくとも、街道沿いで襲われたりなどということが複数回あったのだ、それは政治がまともに機能していない証拠だろう。  それにしても、この夫妻にしてもドゥドゥーにしても、アッシュとドゥドゥーが同性で結婚しているということに対しての抵抗がなさすぎる、とアッシュは感じていた。ダスカーではダグザのように同性婚が多いのだろうか。そのような話はドゥドゥーからは聞いてはいない。だが、ドゥドゥーはためらうことなくアッシュを受け入れてくれて、この夫妻もアッシュとドゥドゥーが伴侶であるということに何ら違和感を示すことはない。

「……そんな、そこまでしていただくのは……」
「あの坊主の大事な伴侶を、ぬけぬけとそのへんのチンピラに殺されちまっては、あの世に行ったときに坊主にしこたま怒られちまう」

 どこか照れくさそうに話題を切った夫に対して、アッシュの疑問は結局聞けずじまいだった。だが敢えて触れることでもないだろう、とアッシュ自身も納得した。アッシュがそうであるように、どの人種でも同性愛に対して寛容な人間はその逆も然りだが存在する。この夫婦は、たまたまドゥドゥーと親しく、そして同性愛に寛容だったのかもしれない。そう納得することにした。

「……わかりました、それでは、ご厚意に甘えさせていただくことにします。正直なところ、正規の手順で宿をとっても相場以上ふっかけられることがざらで、路銀に苦労していたところなんです」
「そんなことだろうと思ったよ。上の空き部屋を使うといい。空き部屋の隣は息子の作業場で、あいつは夜中まで仕事をしているから眠るのに難儀するかもしれないが、少なくともこの家にお前さんを害そうとする人間はいないからな」

 すっかりとアッシュを気に入ったのか優し気な夫の言葉に、アッシュもまた素直に甘えることが出来たのは、ダスカーに入ってから気苦労の連続だったからかもしれないし、元来人を疑うことに慣れていない精神的疲労からかもしれなかったのだが、隣の作業部屋から時折聞こえてくる金属音すら子守歌のように聞こえ、その日は熟睡することが出来たのだった。




***




 俺の朝は遅い。というよりも、夜遅くまで作業してしまうので殆ど睡眠時間が取れないからと言っても間違いではない。親父にはそのことでよく怒鳴られるのだが、こればかりは致し方なかった。俺は早く職人として独立したかったのだ。親父が作るダスカー細工はそれは見事で、外国からでも買い取り手がつくほどの価値がある。振り返って俺は、まだまだ駆け出しの職人ともいえない有様だ。俺はどちらかといえば母親に似てしまったらしく、料理の腕の方がいいらしい。けれど、俺はどうしても細工職人になりたかった。繊細な仕事をしていると、心が静かになる。集中していると、金属は姿かたちを次々と変えてゆく――これが思い通りになれば、どれ程に嬉しいだろうか。その集中癖が悪いのだ、と親父にはいわれるが、お袋は逆に褒めてくれたことが何度かあった。俺が作った細工物を売ってくれたのもお袋で、結局良い値はつかなかったものの、自分が作ったものを他の人間が買ってくれたということが嬉しくて、その晩は結局眠れなかった。
 朝寝台なのか作業台なのかもわからない場所からごそごそと起きて一階の台所へ行くと、見慣れない顔があった。
 親父かお袋の知り合いだろうか――それにしても、この辺りじゃ珍しいまるで雪のような肌の色をしている。目は形よく春の若草のような色をしていて、色素の薄い肌に雀斑が散っていた。雪のような肌と、日の光にあてられて輝いている灰色の髪はまるで銀細工のようにきれいだ。筋肉はついているものの見るからに線の細い身体からして、ダスカー人ではない。それは肌の色からでも明らかだ。両親は外国人に対して商売することもあり、そういった偏見はないから旅人を招き入れたのだろうか。  それにしても綺麗な人だな、とぼんやりと寝起きの頭で俺はそんなことを考えていた。


「おい、お前フォドラの言葉はある程度わかるだろう。今日は天気もいいからこの人を隣村の跡地まで連れて行ってやれ」

 朝食を食べ終わると、ぶっきらぼうに親父から告げられる。はたと俺は対面で食事を終わらせ、今は茶を飲んでいる先ほどの旅人のことを見つめていた。所作は静かで、よく見れば睫毛が長く、男にしては線の細い身体も細い顎も、やはり何度見ても綺麗な人だった。そして片方の耳に見慣れた耳飾りをしている――そこで俺はようやく心得た。<これは親父の作品で、この人はきっとその伝手か何かでたまたま俺の家に泊まっていたのだと。
 それにしても、やはりフォドラ人だったのか、とどこか納得する。フォドラの事は、作業の合間によく調べていた。趣味のようなものだ。元々関係が悪かったわけではなく、あのダスカーの悲劇さえなければ今でも国交はまともにあっただろう国のことを、商売相手として考えないのは間違いだと常々俺は思っていたし、これは親父譲りの考え方だ。フォドラ語も、親父から教わったようなものだ。

「わかったよ。半日はかかるから、もう出発する」

 俺が迷いなく言うと、旅人は驚いたように俺の顔をしげしげと見つめてきた。こうしてじっと見つめられると、居心地が悪い――外国人の、それもこんな綺麗な顔をした人間は、初めて見たからだ。

「いいのですか?」

 全体の印象から受けるのと同様の、柔らかい声がその口から発せられた。

「いいも何も、俺はまだ見習い職人だし、今日は用事もないからさっさと済ませちまおう」

 旅人の顔からふいと視線を逸らしたのは、正直なところ――あまりにも見ていられないからだった。それは嫌な意味ではない、むしろ逆だった。彼はあまりに綺麗すぎた。見たこともない肌色と、まるで春の若葉みたいな透明で綺麗な瞳、そしてどこか寂し気な表情——そんな彼がダスカーの意匠を施した細工を身に着けているというだけで、心の奥が疼くのを感じた。こんなことは初めてだ。けれど、これはきっと誰にも悟られてはいけない感情だとその時強く俺は思った。彼が何者かもわからない旅人で、どのような理由でこの場所にたどり着いたのか、俺は全く知らなかったからだ。


 隣村までは人の足で半日ほどかかる。俺に乗馬の技術でもあれば別だが、生憎と俺はただの半人前の職人で、平民だ。農耕馬の扱いすら覚束ない。隣村は既に廃村になっているから馬車も通らず、徒歩で行くしか手段はなかった。

「なあ、あんた名前なんての?」

 不躾になってしまったが、まともに顔も見れないし先頭を行く俺に、旅人は動じることもなく嫌味もなく答えてくれた。

「アッシュ。アッシュ=デュランといいます」
「ふうん。珍しい名前だな」
「フォドラ人ですからね。ダスカーでは聞いたことはない名でしょう、ドゥドゥーにも言われたことがります」

 ドゥドゥーとは、よく親父が口にしていた人の名前だ。するとこの旅人はドゥドゥーの友人か何かだろうか。

「あんた、ドゥドゥーの知り合いなのか?」
「はい、伴侶です。戦争で結局ドゥドゥーは死んでしまったけど……その前に、二人で契りを交わしました」

 ああ、そうなのか、と俺はうなだれてしまうところを何とか堪え、足早に歩いた。アッシュもまた早まった俺の歩調にめげずについてくる。見た目とは裏腹に意外と健脚なのだなと思ったのだが、考えてみたらフォドラからここまで無事来れたということは、それなりの腕も持ち合わせているのだろう。

「……悪いこと聞いちまったな。ごめん」

 それから隣村まで、俺は悪いとは思いつつもアッシュに色々と話を聞いた。ドゥドゥーとどうやって出会ったのか、二人はどうやって親交を深めていったのか、共通する話題はドゥドゥーという人の事だけだったから俺から切り出せる話はそれしかなかったが、アッシュはそれはそれは嬉しそうに、そして幸せそうにドゥドゥーの話をした。
 それほどに、愛していたんだろう。
 俺はまだ人に恋をしたこともない、まして愛したことなんてない。小さなころに少し憧れていた子がいたくらいだ。だから、アッシュの気持はわからない。
 けれどもドゥドゥーの話をしているアッシュは、その間だけは本当に満たされて幸せそうな顔をしていて、それだけで人を愛するということは、そういうことなのだと思わされた。俺のちっぽけな初恋に似たものはあっさりと砕け散ってしまったけれど、この笑顔の前では素直に敗北するしかないと思えるほど、本当にその笑顔は綺麗で、道中の時間を忘れるほどに俺はアッシュの笑顔に見入ってしまっていた。


 隣村はファーガスの襲撃を受けてからそのままになっているから、荒れ放題だった。焼けたまま放置された家々には雑草や木が生い茂ってもう元の形はわからない。どこに何があり、誰かがここに住んでいたという面影すらもなくなっていた。もはやただの荒れ地と化したこの場所に、アッシュはただ茫然と立ち尽くしていた。

「ここが、ドゥドゥーの、故郷」

 言葉を紡ぎ出すのも精一杯という様子で、ひとつひとつ単語を区切るようにアッシュは呟いて、ふらふらと廃村の中に入ってゆく。野良の動物もいるから危ないと、俺は慌ててついてゆくのだが、アッシュの脚は意外と早くて追いつくのに難儀した。

「おい、危ないぞ!」

 俺がアッシュの肩に手をかけると、まるで初めて俺の存在に気が付いた、という風にアッシュが振り返る。よほど衝撃的だったのか、その肌色はただでさえ白いのに蒼白で、小さな唇と瞳は戦慄いていた。

「こんな、……こんな状態だったなんて……」
「……廃村なんてそんなもんだよ。あれからダスカーは無政府状態が続いていて、治安なんてあったもんじゃない。それでも俺たちは細々と生きてる。生きなきゃならなかったからな」

 ぽつりと言葉を落としたところで、俺は失態に気づく。これではまるでフォドラ人を責めているようにしか聞こえない。事実アッシュは難しい顔をして黙りこくってしまっていた。

「違う、あんたを責めているわけじゃない。ただ、俺は現状を伝えただけだ。それに、なんとか生きてるしな。フォドラの方も統一されたなら、そのうち色々と兵士やら役人が派遣されてきて、落ち着くんじゃないか」

 難しいことはわからなかったが、フォドラが戦乱の末統一されたという話は聞いている。今度の王は何物にも縛られない世の中を作るのだと宣言したという噂も、商人たちから聞いていた。だからきっと、世の中は悪くならない。俺は楽観的にそう考えていたのだが、アッシュが益々難しい顔をしたので、何を言ってよいのかわからなくなってしまった。

「……アッシュ、その……」
「ごめんなさい、君に気を遣わせるような真似をしてしまって。ただ、ドゥドゥーの故郷がこんなことになっていて、ちょっと戸惑ったというか……想像よりも酷かったから。でも」

 哀しそうな顔をしていたが、アッシュの表情にはどこか生気が戻っているようだった。
 でも、と言葉を区切ると、アッシュは俺に向けてにこりと笑う。思わずきれいな笑顔を見せられて俺はたじろいでしまった。

「僕のやりたいことは、見つかりました。この村を復興させるのは無理でしょうけど、ドゥドゥーやその家族のお墓を作って……見守りたい」

 優しく紡ぎ出された言葉と、周囲を見回しながら決意したように空を見たアッシュの顔はこのちっぽけな廃村の中、とても綺麗で、俺は呆気に取られて何も言えなくなってしまった。



 フォドラ人が今のダスカーで生きていくということは、生半可な覚悟でできることではない。けれど、アッシュは、俺や両親が何度説得しても首を縦には振らなかった。ならばせめて落ち着くまではこの家に、という誘いも何度も断られたのだ。
 何でもドゥドゥーだって同じだったのだ、の一点張りだ。だが話に聞けばドゥドゥーには後ろ盾があったという、しかもファーガスの王子だ。それが、アッシュにはない。だから、アッシュは渋い顔をしたが、結局この家に入ってもらうことにした。元々古くて広いだけの家で、親父が仕事場にしている工房もあるし無駄に馬屋まである。それにお袋が使っている台所も無駄に広く、元々は職人ではなく商売をしていた家柄だったのだ、と親父からは聞いていた。
 その話を聞いたアッシュが、それなら、と寂しそうな顔にぽっと明かりがともったような笑みをみせる。

「僕の両親は酒場で働いていて、小さい頃僕も良く手伝っていました。ダスカー料理はドゥドゥーから少し習ってますし、奥さんは料理上手なら、酒場を開くのはどうでしょう。勿論、工房の仕事も続けながらです。酒場の切り盛りなら、きっと僕でもできます」

 そう言うアッシュの顔は輝いていた。いっそ、眩しい程だった。強引な提案だったがやることを見つけた人間の顔をしていて、けれどもきっとこれはテコでも動かないだろうな、と俺は思った。一日アッシュと一緒に行動をして話してわかったことだが、この人は外見の儚さとは裏腹に頑固で、かなりのやり手だ。この街を出る前に護身用にと武器を買う際も商人と交渉していたが、フォドラ人と見下して吹っ掛けてくる商人に対して全く怯まず、どころか値引きまでしてみせたのだから、意外と我が強いのだな、と俺はひそかに思っている。
 実際両親も半分呆れたようにしているが、内心は嬉しいのだろう。それくらいは表情を見ていればわかる。

「ああ、それはいい考えだと俺も思う。こいつの料理は天下一品だし、お前さんもドゥドゥーの坊主から習っているなら問題ないだろう。騒がしくなるのは少々難点だが、俺の作品もより見てもらえるようになるかもしれんしな」

 親父がこんな風に言うこと自体が珍しいのだが、よほどアッシュを気に入ったのか。お袋も見れば頷いているし、きっとこの計画は巧く行くのだろうと思った。その様子を想像して、何故だか俺は少しだけ楽しみになってしまった。

「すみません、なんだかご厚意に甘えるばかりか図々しい提案までして……」
「いや、いい考えだと言っただろう」
「……ありがとうございます。ここにいれば、ドゥドゥーのお墓をちゃんと作って、月命日にはドゥドゥーの墓参りもできるでしょうし。本当に、ありがとうございます」

 アッシュはドゥドゥーの形見を持っていたから、それを墓に入れるつもりらしい。墓なんかなくとも、死んだ人々は心の中に残る。だからそこまでしなくてもよいのでは、思い出の品を手放すのは如何なものなのかと思ったが、アッシュは頑なに聞き入れなかった。それをするためにここまで来たのだ、と言われてしまえば、俺たち家族は何も言えなかった。

「それでも、ここまで出来る見通しが立ったのは、本当にあなたたちのお陰です、何とお礼を言っていいのか……」

 アッシュに頭を下げられるが、両親も俺もそんな大したことをしたつもりはなかった。ただ、ちょっとした縁が繋がった人助けのようなものだ。それに、フォドラ人であのダスカーの悲劇を知りながらダスカー人とわかりながらも婚姻関係を結んでくれたような人なら、より助けたいと思うのは、人間として当たり前だと思う。

「そんなに気にする必要はない。ドゥドゥーの坊主がつないだ縁だとでも思えばいいだろう」
「はい!」

 勢いよく頷くアッシュの満面の笑みは、今まで見た中で一番綺麗で、そして輝いていた。



***



 アッシュはそれからフェルディアにいるであろう部下たちに手紙を書いた。
 縁がありドゥドゥーの墓を作ることもできて、このダスカーの地に残り骨を埋める覚悟であることをしたためた手紙だ。彼らに届くかはわからない。そもそも彼らの処遇もどうなっているかはわからなかったが、一節ほどして返事が来た。
 それは、会えないことを残念に思うということから始まり、今はフェルディアで捕虜としてではなく普通に平民として復興の仕事をしているということ、皇帝エーデルガルトの治世は苛烈ではなく平等で、分け隔てのない世の中がやがて来るだろうということ、まだ戦いが終わってないから、ともすれば自分たちも協力するかもしれないことなどが書かれていた。だが、そのどれひとつをとっても、アッシュに戻ってきてほしい、ということは書かれていなかった。戦いが起こるのなら協力したい、とアッシュは思ったのだが、部下たちの好意を無下には出来ないし、何よりアッシュにはダスカーでやらねばならないことが出来たのだ。
 だから、アッシュは戻るような内容の手紙は書かなかった。元々最初の手紙を書いた時点で戻るつもりはなかったのだ。居場所がないわけではない。ただ、今自分がいるべき場所はここなのだと、心の底から思っているからだ。

「……ドゥドゥ―。君と出逢えて、本当に良かった。お陰で今、僕はここにいるんだと思う」

 手紙を書き終えペンを置いてから、アッシュはふとドゥドゥーに語り掛けていた。あれから一度もそんなことはしなかったのに、だ。

 思い出せば辛くなる、そう思っていた。
 けれど、幾多の出会いがあり、奇跡のような縁で結ばれた一家と居合わせて、こうして無事ダスカーの地に落ち着くことが出来た。それは、ドゥドゥーのお陰だ。そのことがただただ嬉しかった。
 耳飾りに触れると、彼の甘い声を今でも思い出す。あの晩ことも、思い出せる。どれほどたっても、幾年経っても、きっとあの晩のことは忘れないだろう――そう、きっと、忘れない。忘れたくても忘れられないほどの沢山のものを、ドゥドゥーはあの一晩でアッシュにくれたのだ。
 それだけでも生きていけるくらいのものを――それをきっと、愛というのかもしれない。
 そう、アッシュは思った。
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