この世の中にこんな人間がいたのか、というのが、シルヴァンの最初の印象だった。いかにも大人しくて真面目で真っすぐで、こちらの言うことをすぐ鵜呑みにしてしまう。これではいつか悪い大人に利用されるか騙されるかのオチだ、と思って茶化してみれば、ぶすっと頬を膨らましながらも意外と可愛くない返事が返ってきて、それが余計に気に入ってしまった。しかもよくよく付き合ってみれば、最初の印象はどこへやら、まるで懐きにくい野良猫か山猫のような気性を持っている。そのくせ妙に面倒見がよいのは、彼が長男だというところも大きいのかもしれない。
そんな認識でいられたのは、ほんの数節前の話だ。
アッシュ=デュランという少年にやたらと付きまとうゴーティエ御曹司の噂はすぐ修道院内に広まった。その姿が何やら滑稽だとか、あれで浮名を流さなくなったから女生徒はアッシュには感謝しなければならないとか、凡そが散々な言われようではあったものの、事実概ね女生徒からは安堵の声が上がっているのは当然だろう。シルヴァンは、隙あらば女生徒に声をかけては夜の街に繰り出すような男であったから。
だがその本質は違っていた。彼は本当は女というものを憎みそして恐れていたのだ――彼は大貴族ゴーティエ家の嫡子であり、大紋章持ち。その存在を、自らの出世の足掛かりにとくらいついてくる怪物は数多といて、そしてシルヴァンはその怪物と幼少時から対面せざるを得なかった。そうでなくとも紋章の現れなかった実兄からは疎まれことあるごとに理不尽な扱いを受ければ、そのはけ口として逆に女を利用して何が悪い、シルヴァンは事実そう思っている。そうして流した浮名は数知れないし、泣かせた女の顔などいちいち覚えてなどいない。
だからだろうか、真っ直ぐに自分をただ「シルヴァン」というひとりの存在として認めて容赦なく怒ったり呆れたように小言を告げる――まるで幼馴染たちのような、それも出会ったばかりの少年に、シルヴァンが心の安寧を求めるようになったのは。
アッシュはとかく媚びるということのない少年だった。そして、人一倍の努力家でもあるから、共に居ることが多くなればシルヴァンは自分の知っている知識を彼に教授することもやぶさかではなかったし、アッシュはそれに素直に感謝してくれた。自分には学がないからと謙遜するのだが、その呑み込みの早さはシルヴァンにすればなかなかのものだとも思う。
そんな彼といれば、とにかく気が紛れた。それは言い訳だったと、今にしてみれば思う。彼の部屋に匿ってくれといったのも、無意識にその傍らにいたかった。まるで親猫にすり寄る子猫のように、シルヴァンは理由をつけてはアッシュの部屋に転がり込むことが日常的になり、それはアッシュが青獅子の学級から黒鷲の学級に移った後でも続いていた。それどころかそのあとを追うようにシルヴァン自ら黒鷲の学級の担任であるベレスに学級を変えてくれと頼み込んだのだが、シルヴァンの噂を知る生徒たちであればそれはそれだけで納得のゆく話であった――大司教レアが突如認めた教師ベレスは、その腕のみならずすこぶる美女だったからだ。
学級が変わったところで関係が変わるわけでもないのに、とアッシュは呆れたようにその日また理由をつけて部屋を訪れたシルヴァンに告げるのだが、シルヴァンはどこ吹く風という態で勝手知ったる部屋の寝台に腰を掛ける。アッシュは日常的になったその光景に特に何かを気にするわけでなく、書き物に集中していた。その背中はまだシルヴァンからすれば小さくて、頼りない。けれどもその背が小さな兄弟たちの期待や生活を一身に担っていることを、シルヴァンは既に知っている。そして恩師であるロナートに報いる為にも立派な騎士になりたいと、日々見えぬところでたゆまぬ努力をしていることも知っている。彼は、とにかく真面目過ぎるくらいに真面目で、気を抜くということがない。そういう意味では青獅子の学級のアネットとよく似ているのだが、彼女にはメルセデスという友人がついていた。何かあれば彼女が止めるだろう。けれど、アッシュはひとりだ。ならばアッシュにとってのアネットのメルセデスのような存在になりたいのか、とシルヴァンは自分で自分に問うてみたが、それも違う気がした。それを確かめるために、シルヴァンは我が物顔で寝転がっていた寝台から身体を起こし、そっとアッシュに近づいてゆく。
「アッシュ」
「なんですか、シルヴァン。もう少しで終わりますから、何か用があるのならもう少し待って……」
アッシュの言葉は最後まで告げられなかった。シルヴァンが背後から覆いかぶさるようにして抱きついたからだ。こうして改めて腕に収めてみれば、少年のまだまだ発達途中の身体は華奢といってもよく、当人も気にするとおりどこか心許ない。けれど、その性根は実のところかなり据わっていて自分などよりよほど強靭なのだということもシルヴァンは既に知っている。義父であり恩師であるロナートを討つと言われた時も、その後も、彼は、現実を現実と受け入れるのに必死で、前を向こうとしていた。そして事実彼はその現実を受け入れて、立ち上がった――そのために、彼は黒鷲の学級に編入したのだという話は、後日担任のベレスから聞いた。
「き、急に、どうしたんですか……?」
「んーん、別に。ただなんとなく、な」
慌てるアッシュに、殊更甘えるような声で告げる――それは、散々誑かしてきた女たちに対するそれに近いものだという自覚はあった。だが、言葉そのものは本音だ。背中を見ていたら、なんとなく抱きしめたくなった。だからそうした。それだけだ。その感情がどのようなものかも、シルヴァンはわからない。そもそもが、シルヴァンは男女の間における恋愛感情の本当の意味なども、知らず生きていた。恋の駆け引きは愉しむものではあれど、知る必要もないと思っていたからだ。だから相手がたとえ同性のアッシュであっても、そうしたいと思ったからそうしただけだったのだ。その触れたい、という欲の出所の感情もはっきりとはしていなくて、試してみただけだ。
するとこれが、存外心地よかった。衣服を通して伝わってくる体温を離したくはない、と思った。何よりも、今までに数多触れてきた怪物のような女たちとは違って、アッシュは温かくて、小さくて、鼻孔に届く匂いですら人を穏やかにさせるような香りがする。何者でも平等に照らす太陽のような、そんな匂いだ。
「こうしてるとなんか落ち着くなあ」
そのままシルヴァンはアッシュから離れないものだから、アッシュはやや困惑したように目を瞬かせながら机とシルヴァンとを交互に見やり、最後にため息をついた。
「君のやることはいつもよくわからないんですけど、今日のは極めつけですね。……僕は男で、君の大好きな女の子じゃありません。そういう趣味、あったんですか?」
「あったのかもなあ。意外と悪くないんだわ、これが」
甘えるようにそのまま首筋に顔を埋めてくん、と匂いを嗅ぐと、やはりどこか落ち着く。頬から伝わる体温はやわらかくて、腕で触れている感触はあまりにも離し難い。そんな感覚は、初めてだ。
「君って可笑しな人ですね」
「男に抱き着かれて動じないお前も相当だと思うけどな」
「弟や妹たちにしょっちゅう似たようなことされてましたしね。とにかく、ちょっと邪魔しないで貰えますか?本当に、もう少しで終わりますから」
アッシュの言葉に不服そうにシルヴァンは眉をしかめるが、アッシュはそれ以上語ることはなく、話を切り上げられてしまう。それがなんだか面白くなくて、シルヴァンはアッシュを拘束している腕を伸ばし、まだ幼さの残るふっくらとした頬に触れた。
「いやだ、っていったら」
「無視します」
つっけんどんな答えに、シルヴァンは喉の奥でクク、と笑う。こんなどうでもいいやりとりが、心底楽しいだなんて、いつぶりだろうか。
「そしたら俺、好き放題するけど」
「ことと次第によってはたたき出しますから」
「うへえ、容赦ねえなお前」
「それくらい今の僕ならできるのは、シルヴァンもわかってますよね?」
短いやり取りの中で、けれどシルヴァンは決してそれ以上のことはしない。アッシュもむっつりと怒ったような素振りだけはみせているものの、それ以上の拒絶はしない。
ただ、それは、お互いがお互い決めた一線を越えていないから許されているのだという事くらいは、流石にシルヴァンでもわかる。アッシュは誰にでも簡単に善意の手を差し伸べるような少年ではあるが、自ら自分をさらけ出すようなことはほとんどない――とにかく自らを語りたがらないのだ。一度尋ねてみたことがあったが、貧民には珍しい話ではない、運よく貴族に引き取られたのだと切り捨てられてしまった。そこは、おそらく大貴族であるシルヴァンの苦労を彼が完全に理解できないのと同じで、シルヴァンも下層の民である彼の苦労を真の意味で理解することはできないからだろう。
「あー……先生の特別講習を受けてるんだっけか?お前、自分で申し出たんだってな」
「せっかく黒鷲の学級に来ても、僕には魔法の才能はないですから。せめて違うところで、役に立ちたいんです」
「へえ、そこまであの皇女サマに惚れこんでるんだ、アッシュくんは」
「そういうことじゃないの、知ってて言ってますよね」
今度はアッシュが意趣返しをする番だった。シルヴァンが相変わらずゆるゆると頬に触れている手のひらに自分のものを重ねると、まるで宥めるように撫でられる。驚かせられたのは、シルヴァンの方だった。それでもアッシュの手は止まらないし、書き物をする手も止まってはいない。
まるでシルヴァンという存在がそこにはいないようにふるまう癖に、きっちりと相手はする――年下の兄弟の我が儘を聞く兄のようなその態度に、シルヴァンの胸中には複雑な思いが去来した。一気に求めていたものが得られた喜びと、それだけではないのだという不満。それから、少しの後ろ昏い感情。けれどもシルヴァンはそれをぐっとこらえて、アッシュの頬から手を離した。それでも身体は離さない。離れ難かった。アッシュは一瞬、驚いたように振り向くが、そこにまだシルヴァンが居ることを認めるとなぜか納得したように少し微笑んでそれからまた書き物に戻る。その笑顔に、思わずシルヴァンは声をあげそうになり自らの手で口を塞いでいた。
この体温が欲しい。傍にいたい。もっと触れていたい。そして、こんな感情は、今まで自分の中にはなかったものだ。一般的に言ってしまえば、それはいわゆる恋というものに分類されるのかもしれないが、そういったくくりで一纏めにするのも違う気がしていたし、まだあやふやなままでいい、とシルヴァンは思う。
なぜならこの、今の関係の心地よさに今少し浸っていたいからなのだ。恋だとか、そういう面倒ごとを彼に押し付けたいとは思わない。けれども傍らにいたいという想いは変わらないのだから、ままならないものだなあとシルヴァンはもう一度細い肩に顔を埋めてため息を吐いた。
星辰の節、ガルグ=マク落成記念日でのパーティーは、実に華やかだった。シルヴァンも何人かの女生徒の手を取り優雅にそのダンスを披露していが、その心はどこか空虚だった。さざめく人並みと今日この日の為とめかしこんだ何人もの愛らしい少女たちよりも、シルヴァンの心には別の姿が思い描かれていたからだ。
それでもそんなことは一切顔に出さずに愛想を振りまき適当に女生徒たちをあしらいながら、ふいと視線を彷徨わせる。けれど、探し求めている姿はどこにもなかった。そのうろたえようが面白かったのだろうか、「一曲お願いするわ」と急に声をかけてきたのは、ドロテアだった。ドロテアはシルヴァンのことをそう良くは見ていなかったはずなのだが、どういった心境の変化なのか。だが、修道院内でも特に人気のある元歌姫の誘いを断る程シルヴァンも愚かではない。内心の焦りを抑えつつ、自分でよければ喜んで、とその白磁のようなうつくしい指先を手にとるのだった。
そうして美男美女が踊る様子は実に様になり、会場中の注目を集める。それだというのにドロテアは大胆にもシルヴァンに寄り添い、耳打ちをしてきた。
「アッシュくんなら、大聖堂の方に行きましたよ。彼、なんだか疲れてた様子だったから」
悪戯な笑みでにこりと唇を上げるドロテアに、シルヴァンは目を丸くした。
「何の話だよ」
「あら、ゴーティエの御曹司殿が我が学級に来るほどに彼にご執心なのは、士官学校中の噂じゃないですか。お陰で、私もこうして貴方と安心して踊ることができるんですけどね」
「……なにもかも、お見通しってわけか。しかし名誉なんだか不名誉なんだか」
「あら、これでも褒めているんですよ。貴方が噂通りの人じゃなくてよかった、って」
あんな生真面目で真っ直ぐな彼に、まさか気まぐれに手出しなんか流石にしませんよね?付け加えるドロテアは悪戯が成功した少女の顔をしている。
まったく食えないなとシルヴァンは苦笑しながらも、彼女との踊りは決して不愉快ではなかった。それでも、心の中ではやはりあの少しだけ幼くて頼りない、けれども芯の強い真っ直ぐな年下の少年の面影がちらつく。
「情報提供のお代は、お土産話でよろしくお願いしますね」
ちゃっかりそう付け加えながらドロテアは大胆に、そして優雅にターンをする。そして美しく均整の取れたそのしなやかな身体が滑らかに描く曲線と優美な動きは本当に芸術品のようだった――彼女のような、どこかで完全に一線を引いてくれるような女性ともう少し早く出会えていたのなら――そんな埒もないことをシルヴァンは一瞬考えたのだが、すぐさまその考えを打ち消す。
「私は彼が学級に移ってきたとき、驚いたんです。でも、すぐその理由は理解できました。私も彼も……とても似ていたから。でも似ているけど、彼は私とは全然違うんですよ、だから……いえ、とにかく、早くいかないと、あなたのお姫様は逃げ出してしまうかもしれませんよ?」
二人が踊り終えて、観衆から鳴りやまない拍手の中、小声で囁きながらドロテアは笑う。彼女が言いかけた言葉は何だったのか、気にならなくはなかったが、シルヴァンはありがとう、と手短に礼を告げて足早にその場を立ち去ることを周囲に告げたのだった。
果たしてアッシュは、大聖堂へ向かう大きな橋の上でぼんやりと頬杖を突きながら夜空を眺めていた。近づきながら、シルヴァンもつられて空を見上げる。空気の澄んだ冬の夜空は星がよく見える――故郷のゴーティエ領は雪深くてこんな夜空をこの季節に拝めることなど稀だったことを、ふと思い出していた。
「あれ、シルヴァン、どうしたんですか?」
今更のようにその存在に気付いたのか、親し気にアッシュは笑みを作ってシルヴァンに駆け寄ってくる。ああ、いいなとシルヴァンも自然と顔に笑みを浮かべて、少しおどけたように肩を竦めてみせた。
「なに、ちょっと疲れちまってな。あれだよ、モテすぎるってのも考えものだよなあ」
「それは君が女の子にだらしないから、自業自得なんじゃないですか?」
くすくすと笑うように返す軽快な口調に、シルヴァンもつられて笑った。
「おいおい、そうはいっても俺がモテるのは事実だぜ」
「まあ、そういうことにしておきます。でも、こんな場所に逃げてきたってことは、また何かやらかしたんでしょう?」
なおも続けるアッシュに、おいおい、とシルヴァンはため息を落として少しだけ自分よりも下にある頭に手を置くと、アッシュは不服そうに見上げてくる。あからさまな年下扱いが面白くなかったのだろうが、何かやらかした前提にさせるのも面白くはないから、これは半ば意趣返しだ。
「そういうことを言う悪い子は、お子様扱いしてやないとな」
そういって撫でようとすると、乱暴に手を払われる。けれどもアッシュとて本気で怒っているわけではないのだろう、その表情は柔らかい。
「僕は少し疲れちゃいました。華やかな場所ってなんとなく、苦手なんですよね……場違い、っていうか。僕って元々平民の生まれですし、ロナート様のお屋敷は立派でしたけど、こういう煌びやかな世界とは無縁でしたから」
「ま、だろうなあ。それにしても、故郷程じゃあないけどやっぱり冬場はこうしてると寒いなあ。お前、いつからここにいたんだよ?」
言い訳のような言葉と共にアッシュの頬に触れると、予想していたよりもずっと冷えていて、シルヴァンは思わず両手をその頬に当ててしまう。
「わ、な、なんですか急に!少し気晴らしをしていただけですよ!もう、子供じゃないんですからそういう真似はやめてください!」
「わ、悪ぃ、でも大分冷えてるじゃないか……。お前なあ、だったら何か羽織って来いよ……」
「なんとなく星空を見てたら、時間が経っちゃって。前、ハピに教えてもらったんです。星に名前があるとか、星の並びで星座って呼ばれるのがあるんだとか。そういうこと考えてたら、気が付いたら時間が経ってたんです」
ここで別の、しかもよりによって女生徒の名前が出てきたのがシルヴァンには面白くはなかった。ハピといえば、ガルグ=マクの地下アビスにいる灰狼の学級だとかに所属している少女で、そういえばアッシュとよく食事をしたり談笑していたりするところを見かけたりもする。そもそもアビスにいる生徒は殆どガルグ=マクに姿を現さないにも関わらず、だ。他にもアッシュはかの教室の級長ユーリスとも妙に仲が良く、それもシルヴァンにとっては面白くない要素のひとつではあった。我ながら子供じみた嫉妬だとは思うのだが、こればかりは理性でどうこうできるものではないのだと、アッシュに惚れてから散々痛感させられていた。
「ハピって面白い子なんですよ。僕の知らないようなことを一杯知ってるし、騎士が嫌いなくせになんだかんだ僕の話を聞いてくれるし……て、シルヴァン、すごく変な顔してますけど、何か悪いものでも食べたんですか?お酒を飲みすぎたとか」
「いや、そういうんじゃねえよ……なんていうのかな、あー……。まあ、その、星の話はいいとして、お前冷え切ってるからさ、中、戻らないか?」
「舞踏会の会場ですか?うーん、僕はちょっと……もう少しこうしていたいかな。冬の星空って、なんかいつもよりもずっと空気が澄んでるからすごく綺麗じゃないですか。ガスパール領はもう少し寒くて少し雪が降る程度だったけど、君の故郷はきっと、もっと雪が多いんでしょうね」
そこで話題がハピのことから己のことに変わったことに安堵したシルヴァンはまあな、と小さく返事をして、そっとアッシュの傍らに立つ。出来ればその肩を抱き寄せてしまいたかったが、出来なかった。恋愛ごとにここまで自分が臆病だったと、内心シルヴァンは苦笑するのだが、アッシュとの関係はゆっくり、丁寧に積み上げてゆきたい。そしてできるだけ壊したくない。彼の傍にいるためだったら、なんだってできる。
傍らにただただ愛おしい体温があることを感じながら、その時はそう、先の事などを考えることもなく、シルヴァンはただ純粋にそれだけを想っていたのだった。
その認識が一変したのは、エーデルガルトが挙兵した瞬間だった。当然だがアッシュもシルヴァンも彼女についてゆくことを選んだ――特にアッシュは、西方教会の件以降セイロス教の在り方に疑問を抱いていたから、当然なのかもしれない。シルヴァンは言ってしまえばアッシュ以外の理由はなかった。ただ、帝国の反乱軍として戦うのだというアッシュと離れる事だけは絶対に避けたいと思い、それは今まで築いてきた何よりも強い想いと願いだった。アッシュの傍にいたい。力になりたい。純粋に、それだけだった。
葛藤がなかったといえば、嘘になる。何より、家を、故郷を、友人を、国を棄てる――アッシュの手をとるということはそういうことだ。全てを棄てる、裏切るということなのだ。シルヴァンは表には出さないだけで、何よりもそれらを大切に想っていた、最早人生の一部といってもよい。それらを手放すという事は、身を引き裂かれることに等しい。
それでも、シルヴァンはアッシュを選んだ。選ばない道もあったはずだが、皇帝エーデルガルトの覇道に従う道を選んでしまった。それをアッシュの所為にはしたくはなかった。
けれども、アッシュを絶対に喪えない――手を離せない、強く、強くそう想った。それとこれとは話は別なのだ。だからこそ、シルヴァンは行動を起こすことにした。
その夜、シルヴァンはアッシュを呼び出した。反乱軍の拠点は決まってはいるものの人でごったがえしていたから、人気のない箇所を探すのは聊か骨が折れたのだが、なんとか見つけ出して二人きりになると、シルヴァンはアッシュの手を握り、強引に抱き寄せる。灰色の頭を掻き抱き、縋るように告げた。
「好きなんだ、アッシュ。お前のことが、ずっと好きだった」
突然の告白と行動に、アッシュは暫くされるがままに呆けていたのだが、落ち着くように呼吸をしてから、改めてシルヴァンの胸を押すように動く――言外に腕を離せ、と言っているのだろう。けれどそれは許容できないと、ここで離したらなぜか彼が永遠に離れてしまう気がして、シルヴァンは余計に細いちいさな身体を強く抱きしめた。
観念したのかアッシュは腕の中で小さく息を吐いて大人しくなるが、代わりに顔を上げる。若草色の瞳はシルヴァンだけを、映していた。
「シルヴァン、ひとつだけ、教えてください。君はどうして……こちら側についたんですか?」
アッシュは真剣な顔をしていた。これは、答えを間違えれば恐らくいままで築いてきた信頼関係が一瞬で崩れ去りかねない、そんな質問だ。
だがシルヴァンにとって答えはひとつしかない。アッシュだ。けれどもきっと、その通りに答えればこの少年は腕の中から去ってしまうだろう。それは判っていたが、だからといって嘘をつきたくもない――アッシュは嘘が大嫌いな性格であったし、なによりシルヴァンも彼にだけは嘘などつきたくなかったからだ。
「お前だよ、アッシュ。お前がいるからだ」
シルヴァンの言葉に、あからさまな落胆の色がアッシュの顔に浮かぶ。そうであってほしくなかった、とその顔は告げていた。
「友達も……家族も、故郷も、国も、全部、棄てた理由が……ほんとうに、それだけなんですか?」
シルヴァンの腕を突き放す気力もないのだろうか。アッシュは本当にシルヴァンに聞こえる程度の声で言葉を落として、俯く。
「ああ。それだけだ。もう俺には、お前しかいないんだよ」
「そんな言い方、卑怯です」
間髪を入れずに返って来る鋭い、怒気を含む言葉に、けれどもシルヴァンが動じる理由はなかった。
「卑怯でもいい。実際俺にはお前しかいない、けど、それでいいんだ」
そのまま畳みかけるようにシルヴァンはアッシュの唇を己のそれで塞ぐ。突如施された強引な口づけにアッシュは拒絶しようとシルヴァンの胸を押して逃れようと暴れるが、シルヴァンは自分よりもずっと華奢な体躯をきつく抱きしめ離さず、薄い唇を割り開いて舌を捩じ込んだ。アッシュは尚も抵抗するが、単純に力も何もかも敵わず、されるがままになる。それでも口腔内で絡んでくるシルヴァンの舌から逃れようとするものの、そちらも経験の違いからシルヴァンに分があった。
必死に抵抗したところで敵うわけもないのにそれでも拒絶しようとするアッシュに、シルヴァンは怒りよりも悲しみと途方もない絶望を覚える。嗚呼、やはり告げなければよかった。言わなければよかった。適当な嘘をついて、誤魔化せばよかったのだ、と。
それでも、我慢ができなかった。
今日、今、この場で伝えなければ、意味がなかったからだ。そうしなければシルヴァンはこの先戦って行ける自信はなかった。それほどにシルヴァンにとってアッシュという存在は大きくなっていた。羨ましいほどに眩しくて、妬ましいほどに真っすぐで、強かな少年。彼がどうしても欲しかった。どうしても、傍にいて欲しかった――他の何もかもを天秤にかけても、それでも何物にも代えがたいと、心の底から思っている。けれどもそれを伝える手段を、普段は素早く回転する頭脳も回る舌も巧く導き出してはくれない、いざというとき人はこれほど愚かになるのだと、シルヴァンは初めて痛感した。本当に伝えたいことを伝えられるほど、自分は器用な人間ではなかったのだ。
それでも、アッシュを離すことはできなかった。彼が逃れられないように強引にその場に押し倒し下半身に乗り上げ押さえつけて衣服の中に手を滑り込ませる。声を上げられても面倒なので、唇は己のそれで角度を変えながら塞いだままにしていた。当然アッシュは暴れて拒絶しようとするが、自分よりも上背のあるシルヴァンにのしかかられている状態で拒絶しようもない。こんな愚かで暴力的な行動は、本当ならしたくはなかった。それでももう、シルヴァンの中に他の手段など思いつかなかったのだ。
手に入れてしまおう。無理矢理にでも――そうしてしまえば、縛り付けられる。女ではないから孕む危険性もない、だが馬鹿正直なアッシュのことだから一度抱かれれば他の誰かに脚を開くなど、ありえないだろう。それは、ひどく馬鹿げていて自分勝手な、理不尽な思い付きだった。
ようやく唇を離すと、互いの間にたらりとどちらのものともつかない唾液の糸が零れ落ちる。アッシュの唇はてらてらと濡れていて、それを見ているだけで腹の底から悪意に満ちた欲が満ちてくるのをシルヴァンは感じ、ごくりと唾を飲み込んだ。
「なあ……アッシュ。俺には、お前だけなんだよ……ほんとうに、お前だけ、なんだ」
震えるように笑うかすれた声に、アッシュの表情が一瞬緩む。それは困惑しているようにも見えた。こんなことをされて、今だって無理矢理身体をこじ開けられようとしているにも関わらずに他人のことを考えるそのお人好しさに思わずシルヴァンは口角を上げて笑ってしまいそうになる――だがそれは、自嘲の笑みも含まれていた。
「シルヴァン……」
何かを言いたそうなアッシュの瞳は、まっすぐにシルヴァンを見つめている。その瞳の光の揺るがなさが今は恐ろしい。だが、同時にどうしようもなく欲しくなる。シルヴァンはもう一度無言で唇を重ね、ぬるりとその口腔内を舐め上げると今度はアッシュの衣服を強引にたくし上げて肌を露わにした。押さえつけた下肢はそのまま衣服で両腕を拘束し逃れられないようにして、悲鳴を上げる暇も与えずに首筋に吸い付くと、強く吸い付いて紅く痕跡を残す。何度も、何度も、この身体は自分のものなのだと言わんばかりにしつこく滑らかな肌を吸い上げた。
「やめてください……!シルヴァン、君、何をしてるのか、わかっているんですか?!」
ようやく息をつけたアッシュが怒声を上げるが、シルヴァンは硬い表情で少年を見下ろしたまま、ぺろりと自らの唇に舌を這わせる。
「ああ、わかってる。これからお前を、俺のモノにする。他の誰にも取られないように、他の誰にも触らせないように、触れないようにしてやる」
シルヴァンの狂気ともとれる言葉と感情のない表情にアッシュは絶句して言葉を紡げないのか、驚き見開かれた若草色の瞳だけがその感情を物語っていた。嗚呼、もう、おしまいだ。その瞬間にシルヴァンは悟った。今までの関係は、もう終わってしまった。もう、それでもよかった。
「……だったら……」
自暴自棄になっているシルヴァンの耳に、か細いながらもしっかりとしたアッシュの声が届き、シルヴァンは沸騰した感情に冷や水をぶちまけられたかのような衝撃を受ける。シルヴァンが瞬きをすると、ぼろりとその眦から零れ落ちるものがあった。
「どうして君は泣いているんですか?どうして……そんなに辛そうにして……そんな顔をされたら、どうしようもないじゃないですか」
まるで宥めるような、穏やかで優しい声だ。拒絶するわけでなく、受け入れるわけでもない、ただただ、シルヴァンの行動の意図を知りたいと、それだけの言葉に、シルヴァンはどう答えてよいのかわからなくなった。まさかこんな行為の最中にそんな言葉を告げられるなど、思っていなかったからだ、強引に抱いて、強引にモノにして、そして離さなければいい。そんな身勝手な想いで動いていたというのに、けれどもアッシュはそれを許してはくれなかった。
「君が言う、君にとって僕だけしかいない、その理由の重さも……意図も、申し訳ないんですけど僕にはわかりません、僕にそんな価値なんて、ないですよ」
「ごめん、アッシュ。お前にはわからないかもしれないけど、俺には俺の理由がある。俺にはこうしなきゃダメなんだ、アッシュ。これしか手段がないんだ、もう、こうするしか」
己の頬が涙で濡れっぱなしになっていることにも構わずにシルヴァンはアッシュの肌に次々と口づけを落とし、その肌を舐め、指先で触れる。価値がないわけがない、この身体に、アッシュに、価値がないなんて言わせない。悲しみと怒りがない交ぜになり、シルヴァンの行動原理は最早滅茶苦茶だった。感情は飽和して、自らが何をしているのかも理性は把握していなかった。そのまま抵抗しなくなったアッシュの下肢から衣服を剥ぎ取り当然反応もしていない性器に強引に触れても、アッシュは身体をひくつかせるだけで声どころか悲鳴の一つもあげやしない――それが、彼なりの抵抗なのか、諦めなのかはわからなかった。ただ、一瞬その表情を見るとひどく哀しそうなアッシュの双眸と視線がかち合い、シルヴァンは視線を逸らす。そして目の前の、自分のものに比べればひどく愛らしい性器を早急に高めるように扱いてゆけば、アッシュは生理的な涙を浮かべながら、うわごとの様な声を上げはするものの、唇を噛みしめて必死にそれを抑えようとし、両目を頑なに瞑って快楽に耐えようとしていた。その態度がまたしてもシルヴァンの神経に障り、意地になってアッシュの性器を口に含むと舌と指先とで早急に扱けば、堪えきれなくなったアッシュの性器から白濁が吐き出された。その瞬間ですら、アッシュは声を上げる事もなく、ただビクリと身体を震わせただけだ。シルヴァンはアッシュの精を全て飲み込むことはなく、そのまま後孔へと舌と指を使って塗りたくり潤滑油替わりにするや、何の前触れもなく後孔を指先で犯しだした。
「ぃあ……ッ……!!」
口元を抑えながらも零れ落ちた声は痛みに耐えかねたものだったのだろう、アッシュの柳眉は苦痛に寄せられており、噛みしめすぎた唇からは紅いものが零れ落ちている。それでも、構わなかった。シルヴァンはそのまま後孔へと無理矢理突っ込んだ指で内壁をぐりぐりと引っ掻き回して、その都度アッシュの抑えた口元からはくぐもった悲鳴が零れ落ちる。指先を折って時折内壁を叩くように動かし、つま先で引っかき、そうして無理矢理に犯す指を強引に二本、三本と増やしながら後孔を犯してゆくうち、アッシュの口元から漏れる声が一瞬変じた。
そこを見つけた瞬間、シルヴァンは自ずと微笑みを浮かべる。
「なあ、今、感じただろ?……アッシュのいいところ、ココなんだな?」
自分でも驚くほどに優しい声で囁くと、シルヴァンは荒い呼気と頬を紅潮させたアッシュの額に口づけを落として、今にもはちきれんばかりになっている自分自身の欲望を曝け出した。
「今からこれを挿れてやるよ。これで、アッシュを俺のモノにする。アッシュと繋がるんだ……俺と、アッシュ、一つになれるんだよ」
恍惚とした表情と浮ついた言葉、そして己でも驚くほどに怒張したそれは、今の今まで我慢してきた想いの丈の証拠でもある。手に入れたい、ただそれだけの、それしか手段がない、不器用な男の欲望の先端を、いよいよシルヴァンは乱暴に慣らされたそこに押し付けると、後孔の蠢きをひくつきを感じながら一気に押し込んだ。
「……ッ!!」
それでも悲鳴を上げないアッシュの根性と忍耐力は、流石というべきなのか、それとも理由があるのか。そんなことは最早どうでもよかった。欲しかったモノが手に入ったのだ――シルヴァンは自ずと笑みを浮かべてしまった。
そしてアッシュが逃れようともがくほどにシルヴァンの欲はその胎内に捩じ込まれてゆき、強引に熱い肉璧を貫いてゆく快楽は何物にも代えがたく、今まで何度も経験してきたセックスの何倍も、何十倍も気持ちが良いのと同時に空虚であった。
熱くうねる肉はシルヴァンのそれを拒絶しているかのように押し返してくるが、シルヴァンはそれ以上の力をもって強引にアッシュの胎内を拓いてゆく。何も考えないように、何度も、何度も欲を押し込み、その都度アッシュの身体がひくついて腰が揺らぎ、押し殺した悲鳴が漏れるが、それすら快楽を促進させ、シルヴァンは一層暴力的な行為に走った。最早これは一方的な行為であり、セックスですらない。
アッシュのまだ発育途中の細い腰をがっちりと掴み、肉と肉がぶつかり合う音を響かせながら、シルヴァンは何度も、何度も抽出を繰り返す。強引に引き抜きかけ、最奥まで犯す。アッシュの白い喉がのけ反って音のない悲鳴を上げようが、その若草色の瞳から涙が止めどなく零れ落ちようが、狂ったように肉を犯すシルヴァンの目にも耳にそれは欲を加速させるものでしかなかった。
シルヴァンは笑っていた。笑いながら、声をあげて泣いていた。涙が次々と零れ落ちてきて、感情は、ぐちゃぐちゃだった。何を感じているのかすらもわからなかった。
ただ、抱いた身体の熱と振り子のように揺れる白い肢体が愛おしくて仕方なくて、ようやく手に入れた宝物を慈しむように何度もそれに口づけを落とし全身に触れながら、胎内の最奥に大量の精を吐き出して、達した。
「アッシュ……あいしてる。お前だけなんだ。お前だけなんだよ……」
アッシュの胎内から性器を抜きながらその耳元でうっとりと囁くシルヴァンの声に、応える声はなかった。
その後、帝国軍の皇帝直属遊撃隊として行動することとなり月日は慌ただしく過ぎていった。いかに帝国軍が精強でその数も圧倒的とはいえ、相手はフォドラを支配しているセイロス教だ。世界そのもの、すべてが敵と言ってもよい状況で、決して楽観視などはできない。それは皇帝エーデルガルトも枢機卿であるヒューベルトも理解しており、だからこそ正規軍とはまた別の遊撃隊の存在は大きく、そして重かった。そんな中、遊撃隊の中心であったベレスが行方不明になってしまった。だが、だからといって一度世界に向けて放った矢をなかったことになどはできないし、エーデルガルトも止まる気はなかった――止まれる状態では、なかった。
ベレスを失いながらも遊撃隊は大陸中のあちこちと転戦する日々が続き、息を吐く暇もなかったのは、シルヴァンにとっても、そしてアッシュにとっても逆に幸いだったのだろう。時折言葉を交わすことがあれど互いに何かを意識する暇もなく、戦いに明け暮れる日々の連続だった。
その中で、隠密行動と器用さに長けるアッシュとユーリスが、部隊ではなく単身で任務を皇帝エーデルガルトから直々に言い渡されたという話を耳にした。シルヴァンがその話を耳に挟めたのは、意図せずヒューベルトとアッシュ、ユーリスが共にいる場面を見かけて話半分に聞いてしまったからだ。
その内容を直接問いただすつもりはなかった。ただ、アッシュと一時でも離れてしまうという事実はシルヴァンにはひどく恐ろしかった。あの日から――強引にアッシュを抱いた日から、時を置かずして何度かその身体を求めては暴き、縋るように抱くことを繰り返していたからだ。それに部隊での任務ではなく単独任務というのであれば、潜入作戦になるのだろうか――何れにせよ失敗すれば二度目はない、非常に危険な任務だ。
偶然ではあるものの耳にしてしまえば、無視はできない。どころか心臓が嫌な音を立てて軋みそうになる。今すぐにでもアッシュを見つけて、抱きたかった。抱いて、その存在を確認したかった。出来ればそんな危険な任務になど行かせたくはなかったが、流石に枢機卿直々の命に異を、しかも私情で唱えることなどは将であるシルヴァンにはできなかった。
だからせめてと、シルヴァンはその日アッシュの姿を見つけるや否や、己の天幕へと有無を言わせずに引きずり込み、早急に衣服を暴いてゆく。初めてアッシュを抱いてから、もう二年ほどになるだろうか。この頃アッシュも以前のように抵抗することはなくなり、時折シルヴァンの行動に応えるような素振りを見せるようになってきていたが、その理由はわからなかった。ただ、奔放になったのかといえばそういうわけではなく、相変わらず甘い声を聞かせてくれることはなく、また、アッシュから求めてくることもなかった。それは当然だろう。
だが、今日は違っていた。衣服を暴いてゆくシルヴァンの手をアッシュが止めて、アッシュの方からそっとシルヴァンの手に口づけを落とし、つづけて唇をそっと重ねてくる。シルヴァンが驚き、何事かとアッシュの若草色の瞳を見つめると、彼は困ったように少し目尻を下げて、以前よりもすっきりと青年らしくなった顔をほんのわずかに緩めた。
「明日、僕たちは遊撃隊を離れます。長い任務になるかもしれませんし、すぐ片付くかもしれません。でも多分、君の傍には暫くいられないと思うんです」
「そりゃ、……そりゃあ、そうだろうけど」
自分で答えながらなんとも間抜けな返答だとシルヴァンは自嘲してしまう。こういうところは相変わらず器用なようで不器用な己が情けなかった。女性を口説き落としていた時の自分は、あれほどに口達者で薄情だったというのに、実際に恋焦がれる相手が見つかってみればその真逆の行動しか出来ないのだから、笑うしかない。
「正直、失敗すれば多分生きて戻れないと思います」
不穏な言葉を穏やかな笑みと共に告げて、アッシュはシルヴァンの唇にそうっと指を這わせてくる。その行動は、明確な意図を持っているようにシルヴァンには感じられた。
「そんなにヤバい任務なのか」
「だからこそ、僕とユーリスが抜擢されたんですよ」
確かにアッシュの言う通り、アッシュとユーリスといえば遊撃隊の中でも正面から戦うというよりは敵の背後をついて将を討ち取るだとか、補給線を断ち戦いそのものを継続させられないようにするだとか、或いは極秘裏に城砦に侵入してヒューベルトの策を実行するなど、裏方の作戦を専ら任せられている筆頭だ。それは、学生時代にベレスがアッシュに仕込んだ剣技や弓術と生まれ持っている俊足さと器用さ、そしてユーリスの頭の回転の速さや敵に取り入る技術などを買われているからこそなのだが、最前線で戦う者同様ある意味で最も危険な任務ともいえる。そんな任務にこれから赴くアッシュを、このまま帰す気などシルヴァンには毛頭なかった。
アッシュの言葉に眉を顰めてから、シルヴァンはアッシュに口づけをしようとするが、それはアッシュの人差し指と中指で遮られてしまう。その意図がわからずに更にシルヴァンが表情を歪めると、アッシュは可笑しそうに笑ってからシルヴァンの頬に両手を這わせて深く、唇を合わせてきた。その熱っぽい舌で唇を刺激されてしまえば、シルヴァンも即座に応じる。舌を絡めとって上唇をじっとりと舐め、そのまま下唇まで一周してから再び舌を絡めとる。互いに競い合うように、どこか急くように行われる口づけの最中シルヴァンの手はアッシュの身体性急に暴き、白い肌を露出させていたし、アッシュもまた片手はシルヴァンの頬に添えたままシルヴァンの衣類を掻き毟るように脱がせてゆく。そうして互いに息が上がるほどに口づけをしながらすっかりと衣類を脱ぎ捨ててしまうと、あろうことかアッシュがシルヴァンを寝床に押し倒してきた。
今まではただシルヴァンに抱かれるがまま、されるがままだった彼が、一体どのような心境の変化を起こしたのかはわからないが、特にそれに嫌悪感を感じるわけではなく、むしろ積極的になってくれたアッシュの行動に嬉しさが沸きあがり、シルヴァンはアッシュに顔を寄せて軽い口づけを二度、三度とする。アッシュもまたシルヴァンに口づけを返してからやや身体をずらし、ほんのわずかに勃ちあがりかけているシルヴァンの性器にやんわりと手をかける。アッシュの、決して柔らかではないものの肌のしろさが目立つ指が自分の性器に添えられているというその事実だけで、シルヴァンはごくりと唾を飲み込んでしまう。何よりアッシュから積極的な行動をしてくるのは初めてで、それは純粋に喜ばしいことだ。だから思わずシルヴァンはアッシュの顔に手を伸ばしてその頬をそっと撫でると、シルヴァンの性器を薄い唇で覆う寸前でアッシュは顔をあげ、蕩けるような笑みを浮かべる。その笑みに、下腹の熱が急速に膨れた。応じるようにシルヴァンの性器が勃ちあがる。それをよいことにアッシュは丁寧に竿をこすりながら、鈴口をとんとんとつま先で叩く。そのほんのわずかな刺激だけでも熱は膨張して、どくりと欲が背筋を奔る。器用な指先が裏筋をやんわり刺激する一方で今度は根元の精嚢をやわやわと揉まれると、いよいよ敵わない。シルヴァンはうめき声のようなものをあげながらアッシュの名を呼ぶが、アッシュは顔をあげて先ほどと同じように微笑むだけで、何も言わずにひどく紅く見える舌先で先走りが溢れてきたシルヴァンの先端部分をぺろりと舐め上げた。そうした本当に些細な刺激だけだというのに、シルヴァンの熱は昂る一方で、早く解放されたいと願う。そのままアッシュの頭を掴んで口腔内に強引に突っ込んで思いきり精を吐き出したいとすら思った。だが、それでは今までと何も変わらない。折角アッシュが乗り気になってくれているのだから、とシルヴァンは達したいという衝動と戦いながらも、すっかりと蕩けた顔でシルヴァンの性器を扱き、舌先でわざとゆっくり愛撫しているアッシュの好きなようにさせた。その顔は既に娼婦顔負けな程に淫蕩で、一体どこでそんな風な表情を覚えたのかというほどに刺激的だ。どくり、とまた熱が昂る。その都度はち切れんばかりになるシルヴァンの性器を、アッシュは愛おしそうに扱きながらも、達することは許さないとばかりに根元はきっちりと握りしめているのだ。徐々に熱が苦しくなってきたシルヴァンは、縋るような思いで声を絞り出した。
「ア、アッシュ……その、手を……」
「今は、少し我慢してください」
だが、アッシュは容赦なくシルヴァンの願いを切り捨てると、シルヴァンの性器は握りしめたまま、そこに跨るように腰を動かし、アッシュは指を咥えて唾液でたっぷりと濡らすと自らの指で後孔を解しだした――淫らな音と目の前で繰り広げられるあまりにも刺激的過ぎる光景に、シルヴァンはこれ以上我慢できないとばかりに苦し気に呻くが、アッシュは決してシルヴァンを解放しない。
どころか見せつけるように自らの後孔を指でこじ開けて、ひくつく入り口をひたりとシルヴァンの先端部分へと宛てがう。
「わかります?すっかり君のが欲しくて、僕のココはこうなっちゃったんですよ。前よりもこっちの方がよくなっちゃったんです。責任はとってくれますよね?」
何時になく挑戦的な言葉と共にアッシュは微笑んで、わざとゆっくりと腰を落としてきた。締め付けてくる熱と肉璧に、シルヴァンはいよいよ我慢が出来なくなり腰をもどかし気に動かすも、ぐいと太腿を体重をかけられて押し付けられてしまい、敵わない。その衝撃でアッシュの胎内にシルヴァンの性器が特に抵抗もなく勢いよく入り込むと、解放された根元から勢いよく精が胎内に迸りシルヴァンはあっけなく達してしまった。アッシュの胎内はその精を全て受け止めて、アッシュ自身満足げにふるりと身体を震わせて、それから熱い吐息とほんのわずかに甘い声を漏らした。
あまりに情けなくシルヴァンは自らの腕で顔を覆い、ため息を落とす。だがアッシュはそれで終わらせるつもりはないようで、シルヴァンを咥え込んだまま向かい合うように体勢を変えると肢体を押し倒し、シルヴァンの首筋に、胸元に、次々と吸い付くような口づけを落としてゆく――まるで初めて強引にアッシュを暴いたあの時のように、これは自分のモノなのだと、印をつけるように。
その意図は、やはりわからない。わからなかったが、収まったままのアッシュの胎内はひどく熱く心地よく、一度精を吐き出したにも関わらず既に熱を持ち始めている。それに気づいたアッシュはまた目を細めて笑うと、シルヴァンのしっかりと筋肉のついた胸板に両腕を置き、まるで踊りでも踊るように腰をゆるゆると動かしだした。
「ア、アッシュ……!!」
「んっ……シルヴァン……イイ、です……君の、とても、熱くて、おっきくて……ッ!!」
今までになく奔放に乱れ、身体をくねらせて快楽にその身を委ねるアッシュは、あまりにも淫らだった。シルヴァンも気づけば腰を動かし、アッシュはシルヴァンのモノを奥へ、奥へと導くように頻繁に腰を打ち付けては嬌声を上げ髪を振り乱して身体を揺らす。
「奥、奥に、いっぱい……もっと、君の、……ほし……ッ!!」
「あ、ぁあ……アッシュ、アッシュ……俺の……全部、くれてやる……だから、離れないでくれ……!」
絞り出すような声に対して、アッシュが生理的な涙を浮かべながら微笑んだことだけは、覚えている。アッシュの手が伸びてきて、シルヴァンの頬に触れた気がした。汗で湿ってはいたが、あたたかくていとおしい感触だった。
そしてシルヴァンは再びアッシュの胎内に精を吐き出して、同時に思いきりその身体を抱きしめた。せめて今晩だけは、離れないで欲しいとつよく、強く願いながら。
やはり、翌朝まだ日が昇り切る前に、アッシュは静かに褥を抜け出したようで、シルヴァンが気づいた時にはその姿を消していた。
だが、腕にはまだ彼の温もりがほんのわずかに残っている。つまり、つい先ほどまで彼はシルヴァンの腕の中にいたのだ。それも、今までなかったことだ――彼はいつだってシルヴァンが気づかないうちに褥を抜け出し、その温もりを感じさせてはくれなかったのだから。
そのことが、急にシルヴァンを不安にさせた。アッシュは昨晩何と言っていたか。戻れないかもしれない――そのような意図の事を、言っていたことを思い出して、シルヴァンはがばと上体を起こし、慌てて衣類をかき集め身に纏うと、天幕を飛び出した。あの奔放さも、初めて見せた積極的な行動も、最後だと覚悟を決めていたから――最悪の想像がシルヴァンの脳裏を過る。難しい任務だと言っていた。アッシュは自らの実力を過大あるいは過小評価はしない冷静さは持ち合わせている。ましてユーリスと共に行動をするのだ。それでも、戻れないかもしれないという言葉が出たのだ。シルヴァンの心臓は先ほどから激しく脈打ち、息苦しい。アッシュの顔を見たかった。抱きしめて、行くなと無様に縋りつきたかった。出来ぬことだとわかりながらも、それでもシルヴァンは陣地内をその姿を求めて乏しいかがり火の中で探し続けたのだが、結局アッシュの姿を見つけることはできなかった。
アッシュとユーリスが帰還したのは、それから二節ほど経ってからだった。ヒューベルトによればやや時間はかかったものの結果は上々だったようで、帝国軍は余計な血を流すことなく同盟領の一部をその支配下に置けるようになり物資も大分余裕が持てるようになったそうだ。そういうエーデルガルトやヒューベルトのやり方を見ていれば、シルヴァンの意識も若干ではあるが変化してきていた。彼女らは無駄な犠牲を払わずに、最短の道でこの世界を変えようとしている――紋章や血に苦しめ続けられている人々を、救おうとしている。それは、シルヴァンとは切っても切れないものだったからだ。兄の事、家の事、そして遺産――自分では出奔したつもりではいても、頭の片隅でどこかでしこりの様に残る、後悔じみている感情。その感情が胸の内にひっそりと小さな濁りのように少しずつ蓄積されて溜まっていて、それを見て見ぬふりをするためにアッシュを理由にする。そんな自分に反吐が出そうになるが、エーデルガルトが目指す世界が実現すれば、もしかすれば、という思いは以前より強くなっていた。紋章も、血も、遺産も必要がなければ、シルヴァンがこのゴーティエの血を残す義務もなくなるのだ。そうすれば、シルヴァンはようやくあの呪いのような家から解放される――事実、帝国軍は着々とその版図を広げつつあった。
それでも、シルヴァンにはひとつだけ気になる点があった。エーデルガルトが以前より明らかに憔悴しているのだ――理由は、遊撃隊の将であれば皆理解していた。
エーデルガルトが誰よりも、何よりも心を傾けて強く信頼していたベレスの不在だ。彼女が行方不明になって、二年。それでもエーデルガルトは仲間たちと共に、決して後ろを振り向くことはなく、己の選んだ選択を後悔することもなく、ただただ進み続けていた。そんな、自分よりも年下の少女――こんな言い方を皇帝にしてしまえば不敬罪に問われても文句はいえないが、そのような彼女を見ていれば、少しずつではあるがシルヴァンの中にも帝国軍の将としての意識が芽生え始めていたのだった。
だが、それでもシルヴァンの理由はアッシュが帝国軍にいるからこそに他ならないというのは、揺るがなかったのも事実だ。
アッシュが帰還したと聞き、すぐさまその顔を、無事を確認したいと枢機卿の天幕へと駆けだしそうになる己を何とか抑え、通りすがりのカスパルに声をかけて頭を冷やすために訓練に付き合わないかと持ち掛ければ快諾され、その日は日が暮れるまでカスパルと様々な武器を扱った訓練に時を費やした。それでも逸る心は収まらず、携帯食を胃袋に収めるのも程々に、アッシュが戻っているであろう彼の天幕へと駆けだしてカスパルに豪快に笑われる始末であった。
そうした決して平穏とは言えない日々を過ごしながらも、やがてベレスが行方不明になってから五年の月日が流れた――そう、あの日、あの時、エーデルガルトがこの場に皆で集おう、そう告げた日から。あの日からあらゆるものが変わってしまったが、変わらないものもあった。皆、そう思いたかった――そう願っていた。
最初にその人影を見つけたのは、エーデルガルトだった。
「……師……ッ!!」
彼女は言葉を失い、ただ、その陰に駆け寄った。皇帝という衣を脱ぎ捨て、ひとりのエーデルガルトという少女として、その腕に飛び込んでいった。
「ただいま、エーデルガルト」
「遅かったわよ……遅すぎたわよ……」
そう告げるエーデルガルトの双眸からは幾重にも涙が零れ落ちていた。
その日からエーデルガルトは変わった。というよりも、以前の覇気を取り戻したといった方が正しいだろう。その傍らには枢機卿ヒューベルトと師ベレスの姿があれば、アドラステア皇帝エーデルガルトは前に進むことに躊躇などはしなかった。その姿は兵士たちを鼓舞し、また、士気を上げるのだった。
帝国軍の士気は高かった。だが、それでもドロテアには一つだけ気になることがあった。アッシュの顔色が悪いのだ。確かに王国から離反したという事情があれば考えられない事態ではないが、そもそも五年間かれは帝国の将として、十分なほどに戦ってきているし、事実彼の戦闘時の行動に問題はなく、指揮も的確だった、だが、そういうことではない。勘のようなものだ、とドロテアは思っていた。そして事情を聴こうとドロテアはアッシュに茶会を持ちかけた。茶会といっても陣地中でましてや少ない物資の中で、とアッシュは最初は断ったものの、ドロテアが少し険しい顔つきで念を押せばアッシュは嫌とは言えなくなったのか、はたまた押しに負けたのか頷いた。
天幕の中に招いてもなかなか事情を話そうとはしないアッシュから、それでも根気強く理由を聞きだして、ドロテアはまずはシルヴァンに対して怒っていた。だが、アッシュは自分が悪いのだとドロテアを止める。それを聞き、確かにね、とドロテアも深呼吸をして自分を落ち着かせた。
「アッシュくん、そうね、その通りだわ。あなたも十分悪いわよ。あなたはシルヴァンくんのことを全然信用していないもの。彼だって自分のやっていることくらいは理解しているし、貴方よりきっと悩んで、それでも決断したの。その上であなたの隣に居ることを選んだ。友達を、祖国を、全部を裏切ってまで。それなのに、あなたがそのシルヴァンくんを信用しないでどうするの?彼の気持ちを考えたことがあった?」
ドロテアにそこまで言われて、改めてアッシュは気づくことがあったのだろう。ハッと顔をあげてそれから俯く。確かに今までただ流されるままにシルヴァンを受け入れてはきたが、それは後ろめたさと彼にすべてを棄てさせたという罪悪感からだった。だから、彼から囁かれる言葉もただの音でしかなくて、彼がどういった意図で発しているかなど、考えたことはなかったのだ。
「とにかくきっちり、話をしなさいな」
ドロテアはまるで姉が弟に言い聞かせるような優しい声色で告げる。その声に、アッシュは確りと頷くのだった。
話をしたい、とアッシュから言われたのには驚いた。だが、応じない理由はない。
「で、話ってのは?」
「……君が、帝国軍にいる理由についてです。何度聞いても、僕には納得ができなくて」
そこまでを聞いてシルヴァンはため息をついた。またこれだ。だが、この呆れるくらい何度もなされた問答にも慣れてきたし、諦めるつもりもなかったからシルヴァンは律義に同じ言葉を重ねる。
「お前だよ。お前以外、ないんだ。じゃなきゃあ俺は殿下の元で槍を振るっていたろうさ。それだけの理由が、お前にはある。お前は全然わかっちゃくれないだけで、な」
シルヴァンの言葉は重い。重すぎた。だからこそ、アッシュは応えられない、と思のだろう。
「わかりませんよ……君には、何の益もないんですから」
アッシュの低い声に、シルヴァンのため息が再び重なった。
「お前なあ……俺が、利益だとか、打算だとか、そんなのでお前の傍にいるとでも」
「思ってないです。けど、現実的にはそう考るべきじゃないですか。エーデルガルト様の目指す世界が実現しても……すぐには、世界は変わりません、きっと」
「アッシュ」
そこまでを聞いたシルヴァンは声色を変えてアッシュの肩を掴む。それ以上言うな、というように。
「変わらないんじゃない。変えるんだよ。変えなきゃ、ならない」
「シルヴァン……」
シルヴァンは自分の口から出てきた言葉に驚いていた。が、それは本心だとも思えた。エーデルガルトがどうだとか、理想がどうとか、そういうことは関係がなかった。アッシュが手に入らない世界ならば、変えればいい。自然とそう思っていたのだ。
だがそれは、ただの傲慢な思い込みだとシルヴァンもわかっていた。わかってはいたのだが、止められるわけもなかったのだ。ことの重さを痛感しながらアッシュから離れられないという事実にどうしようもない苛立ちを感じながらも、だからと離れられるわけもなかったのだ。
シルヴァンに避けられている、とアッシュが気づいたのは、対話をした直後からだった。そうなると、余計に気になってしまうのは人の性なのだろう。アッシュは逆にシルヴァンを気に掛けてしまう。訓練をしてほしいと理由をつくり声をかければ「カスパルと訓練をする約束があったんだ」とあからさまに嘘をついてその場を去られ、アッシュも嘘だとわかっているからこそカスパルを探せば案の定シルヴァンはその場にはいなかった。食堂ですれ違おうにも、当たり前のように挨拶はかわすものの以前のように共に食事をすることもない。
そんなことが続きすぎていていた矢先、シルヴァンが最近自分を避けるようになった、とぽつりとつぶやくと、隣で食事にかぶりついていたカスパルはあっけらかんと「お前ら何やってんだよ」と呆れるように返された。
「お前ら一体何なんだ?だいたいお前はあいつの事好きなのか?」
カスパルの言葉に一瞬アッシュは呆然となる。彼は、そういうことに無頓着だとばかり思っていた。
「おいおい、流石にあいつがお前にぞっこんだってことくらい、オレでもわかるぞ」
そんなにか、とアッシュはため息をついた。ドロテアにも言われた言葉だが、確かにシルヴァンは帝国軍に居るのはアッシュが理由だと何度も断言していた。ならば、周囲の人間だって嫌でも勘付くだろう。
「……好き、だなんていえるわけないよ」
「は?」
カスパルの呆れたような声と、アッシュの頬に衝撃が走るのは同時だった。鈍い音がして、アッシュは自分が殴られたのだ、と遅れて実感する。見れば、カスパルは判りやすく怒気に顔を紅潮させてアッシュを睨んでいた。
「いい加減にしろよ、好きなら好きで何か問題があるんだよ」
カスパルは当たり前のことを言っているのかもしれない。だが、カスパルの当たり前は、アッシュの当たり前ではなかった。彼は次男坊とはいえ貴族なのだ。平民の自分とは違う。
「カスパルはわからないかもしれないけど、相手は大貴族で、血を残す義務があって……!そんな相手に、僕を選ばせるわけにいかないじゃないか!」
アッシュはアッシュで、カスパルのあまりにも物事を簡単に考えすぎるその言い方につい感情的になり、怒鳴り返してしまう。だが、それはどこか泣きそうな声で、カスパルの勢いの半分にも満たないようなものだった。
「大貴族?義務?だから何だよ、もうあいつはお前を選んでるんだろ⁈だから一緒に、祖国裏切ってまで来たんだろ?お前があいつのことわかってやらないでどうするんだよ、あいつこそ立場がないじゃないか!!お前は頭が固すぎるんだよ!」
カスパルの言いたいことも、よくわかっていた。シルヴァンに何度も告げられた言葉だしドロテアにも先日諭されたばかりだ。
「……僕だって!そうできるならそうしたいよ……!けど!」
「けどもクソもねえ!だいたい、お前がそんなだからシルヴァンは悩んでるし、そのおかげで周りに迷惑かけてるっての、わかってねえのか?」
「……迷惑、だなんて……」
「かけてるんだよ!エーデルガルトだって、先生だって心配してるんだ!オレだってだ!だからお前はいいから今すぐシルヴァンのところにいって謝ってこい!っていうかオレが連れて行く!そうじゃないとお前、逃げそうだからな!」
言うなりカスパルはアッシュの腕を強引に取った。つかまれている箇所がひどく痛いのは、それ程にカスパルが怒っているからだろう――その怒りの理由が、特にシルヴァンのためのものなのか、それとも何時までも結論を出さない自分に対してなのか、それとも両方なのかは、わからなかった。
「い、行くって、シルヴァンの居場所がわかるの?」
「しらねえけど、一緒に探すぞ!」
「ちょっと、カスパル……!逃げない、逃げないから、離してってば!」
「いーやだめだね、オレはお前のそういうところは全然信用してねーからな!」
カスパルは尚も強引にアッシュを引っ張り、結果陣地内をところかまわずアッシュをひきずりまわしてシルヴァンの居場所を探しだした。
結局シルヴァンを見つけたのは彼の天幕付近だった。丁度馬の世話をしていたのだろうか、愛馬の毛を鋤いているところだった。カスパルは乱暴にアッシュの背中を押す。シルヴァンはカスパルに引きずられるようにして連れてこられたアッシュを見て驚くものの、二人の様子にバツが悪そうに癖毛を混ぜ返しながら「アッシュ……」と名を呼んだ。
名を呼ばれたアッシュは一瞬びくりとなるものの、おずおずとシルヴァンの顔を見る。
「あとはお前たちふたりでなんとかしろよ、オレは腹が減ったからメシでも食いに行くぜ」
言うなりカスパルは判りやすく踵を返すとさっさとその場を去ってしまい、二人は微妙な空気の中取り残されることになった。
「シルヴァン、その……」
言葉を巧く切り出せないアッシュに、シルヴァンは苦笑しながらぽつりと言葉を落とす。
「アッシュ、ごめんな。俺、お前の事避けてた」
シルヴァンの声は、今まで聞いたことがないくらいに深く、そして静かだった。
「……はい……」
「俺はさ、お前に理由を押し付けすぎてたんだ。お前がどう思うかも考えないでさ。だから少し、頭を冷やそうと思った」
そういうことじゃない、とアッシュは告げたかったが言葉に詰まる。だが、このままではシルヴァンは離れて行ってしまうのではないか、という不安もあった。アッシュとて、シルヴァンのことが嫌いなわけではない。嫌いであればよかったと、何度思ったことか。それでも駄目だった。彼を放っておくことなど、できなかったのだ。
「そうですね……君は、いつも自分勝手でした。最初から勝手に気持ちを押し付けて、僕の答えもちゃんときいてくれなくて。でも、僕も君に謝らなきゃいけないんです
」
「謝る?逆だろ、俺が俺の都合でお前に色々無理強いしたのは事実だ。まあ、もうそれもしないけどな。お前が嫌がることはもうしない。お前が離れてくれって言えば、離れる。けど、たまにちょっとくらいは話をさせてくれよな」
「そういうところですよ、シルヴァン。君は、臆病だから、いつも自分の言葉だけ告げて逃げようとする。でも、ダメです。今回は許しません。ちゃんと、僕の話も聞いてください」
「アッシュ……お前、ほんっと、いつも俺には容赦がないのな」
苦笑するシルヴァンに、アッシュもつられて小さく笑う。
「逃げないでくださいって言いましたけど、僕こそ君からずっと逃げてました。本当の君の気持ちを理解しようっていうことから、ずっと、ずっと……逃げてたんです。僕にはそんな価値は、ありませんから」
「アッシュ、それはない。なあ、何度も言っただろう、それは」
「そう、ずっと、思ってたんです。でも、それも、僕の都合なんですよね。ドロテアやカスパルに、叱られちゃいました。僕はずっと自分のことばかりで、君のことも、君の気持も無視し続けていたんだって。だから、ちゃんと謝らせてください」
居ずまいを正して、アッシュは真っすぐにシルヴァンを見つめる。改めてみると年上の美丈夫はどこか頼りなくすら見えた。
「シルヴァン、君の気持ちを無視して、ごめんなさい。本当に……ずっと辛い思いをさせて、全部棄てさせて、ごめんなさい」
ひたすら謝り続けるアッシュを、シルヴァンは黙って抱きしめた。
その温かさに、優しさに、堪えきれなくなり、アッシュはまるで子供のように泣きじゃくりだした。それでも小さな声で、一緒にいてくれてありがとう、とアッシュが呟くと、シルヴァンの腕に力が籠められる。その温かさがいとおしいと、そう素直に感じることが出来ることが嬉しくて、アッシュの涙は暫く止まることはなかった。
それが、明日の戦いに対する不安からくるものなのかそうでないのかはわからなかったが、二人は自然とシルヴァンの天幕に入り、褥を共にした。ただそこに体温があるだけで、こんなにも落ち着くものだとは知らなかった。たただただ幼子のように互いに抱き合いながら、ゆるやかに眠りについたのだった。
やがて戦いはタルティーン平原で最終局面を迎える。王国軍は教団兵と手を組み、こちらを完膚なきまでに叩きのめすつもりだ。戦場にはディミトリの、そして戦装束のレアの姿もあった。それでも負けるわけにはいかない。エーデルガルトの宣誓と共に、帝国軍は戦火を切るように一気に動き出した。
だが、数で言えば相手に軍配が上がる。それでもそこはヒューベルトとベレスの采配でなんとか持ちこたえていた。将兵も疲弊はしているものの、決して士気は低くはなかった――戦場で、その異変が起きるまでは。
轟音と共に、強大な影が戦場に影を落とす。
そして、そこには今まで見たこともない巨大な魔獣の姿があった。
「ドゥドゥー……」
今の今までそこにいた、かつての級友の名をアッシュは思わず呟く。ドゥドゥーが魔獣化した。その事実は、アッシュの頭を一瞬真っ白にした。ただ、ドゥドゥーは自らの意志で魔獣化したのだ、ということだけはわかった。
「アッシュ、気をつけろ!お前の剣じゃ太刀打ちできねえ!」
カスパルが叫んでいる。言われなくともわかっていた。力任せではなく、素早さや技巧で戦うアッシュの剣や弓ではこの巨大な魔獣には傷を負わせるのは難しいだろう。だが、アッシュの武器はそれだけではなかった。
「計略でいきます!リンハルト、カスパル、ペトラ、お願いします!」
アッシュが叫べば、緊迫した場面には似合わぬほど気の抜けたリンハルトの返事と、力強いカスパル、ペトラの返事が同時に返ってきた。四人がかりの計略で足止めをし、続けざまリンハルトの魔道が魔獣の足元を鋭く穿つ。いかに巨大といえど、足元を狙えばひとたまりもない――その巨体が轟音と共に地に着いた瞬間、エーデルガルトの遺産が彼女の覇気と共に魔獣を薙ぎ払った。そこに間を置かずしてカスパルの拳が、ペトラの斧がその肉塊を打ちのめし、耳をつんざくような方向が雨音に交じり木霊する。
「今よ!」エーデルガルトの叫びと共に、アッシュは矢を放っていた――鏃に特殊な毒を加工をした、対魔獣用のものだ。相手がなりふり構わぬ戦いをしてくるであろうと予測した枢機卿があらかじめ準備していたもので、アッシュは内心でヒューベルトに感謝する。皮肉な話だが、こんな時に役に立ってくれた。
毒と魔道で動きが鈍った魔獣は、すぐさまエーデルガルトの振るう遺産で討ち取られた。
そして、その場には、変わり果てた旧友の姿だけが取り残された。
それが、戦局の流れを一気に変え、帝国軍は雨に濡れたタルティーン平原に勝利を齎したのだった。
タルティーン平原での戦いが終わり、明日はレアが逃れた王都フェルディアへといよいよ攻め込むことになる。振り続けていた雨は止み、静寂があたりを支配していた。
「もう、二人だけになっちゃいましたね」
ぽつりと焚火をかき混ぜながらつぶやくアッシュの表情は、シルヴァンからは影になってよく見えない。
だが、彼がドゥドゥーを討ち取る部隊に居てエーデルガルトがその首を落とした瞬間を見たであろうことは知っていた。そしてアッシュはドゥドゥーが生前身に着けていた耳飾りを取り出すと、そっと焚火の中にくべてしまう。
「アッシュ……それは、あいつの形見じゃないのか」
シルヴァンからすれば複雑な思いを抱く相手ではあったが、アッシュがドゥドゥーに対して恋情を抱いていないこと、そして友人として親しみを覚えていたことは知っている。それでも若干嫉妬してしまうのは、致し方なかった。そのドゥドゥーの唯一ともいえる形見を、アッシュは火にくべてしまった。
「……でも、彼は……僕の中では、生きていますから。そういう考え方を、教えてくれたのは、ドゥドゥーでした」
「ああ、……そっか」
「ごめんなさい、こんな話、つまらないですよね」
気づけば、アッシュはじっとシルヴァンの目を見ていた。炎に照らされた若草色の瞳は不思議な色を灯していてシルヴァンはどきりとなる。
アッシュはそのままシルヴァンの肩に寄り添い、何も言わずに頭をもたげる。シルヴァンも応じるようにその肩を抱き寄せた。そのぬくもりは、雨に濡れた身体には焚火よりも温かく感じられた。
「あいつらも、……俺の中で、生きているのかな」
アッシュに縋るように腕に力を込めてシルヴァンは呟いた。するとアッシュは小さく笑って、シルヴァンのてのひらに己のそれをそっと重ねる。
「俺さ、フェリクスやイングリットを殺した。そうしなきゃならなかった」
端的にぽつりと落とされた言葉は、小さかった。
「皆、生きてますよ……ずっとずっと、君の中で。そういう考え方って、僕はいいなって思うんです。こんなこと、きっと前なら言えなかった。フォドラでは、死んだ人は皆女神の元にゆくものだって、そう考えてましたから」
「そうだな……言われてみれば、なんだかそれも、少し寂しいかもな」
「だから、ドゥドゥーの話を聞いたときに、ああ、いいな、って思ったんです。僕の中でロナート様も、クリストフ義兄さんも、両親も、青獅子の学級のみんなも……生きているんだって。自分勝手かもしれないけれど、そういう考え方って、好きです」
焚火に照らされているアッシュの横顔は、少し寂しそうで、とても柔らかかった。シルヴァンは思わず手を伸ばし、その随分と痩せてしまった頬に触れる。思っていた通り、その頬は少しだけ冷たく、けれど確かに温もりがあった。
「……なあ、今、お前が欲しいっていったら怒るか?」
「それは……」
「ごめん、急だし、よりによってってタイミングかもしれないけど、お前とこうしてたら、どうしようもなくなってきたんだ……」
まるで泣きだす寸前のような表情でシルヴァンはアッシュに顔を近づけてきた。そしてそっと顎に手を当てて上を向かせる。アッシュはわずかに苦笑してから、大人しくシルヴァンの唇を受け入れた。久しぶりのそれはまるで羽毛に触れているようにやわらかく儚くて、あたたかい。その温もりがとても愛おしい。
返事の代わりにアッシュの腕がシルヴァンの首に回り、再び柔らかな唇が重なった。
戦いは終わった。終わった、とはいっても、まだやることは山積みだ。それでも、焼き払われたフェルディアの上に帝国の旗が掲げられて、五年以上に及んだ血なまぐさい戦いはひとまずの区切りをつけたのだった。
こうして瓦礫と化した王都を見ているのは忍びなかった――それもこれも、すべてはレアが街に火を放ちすべてを滅ぼさんと牙を剥いたからである。だが、それを恨んでも仕方のないことだった。人々はもう、前を向かなければならなかったのだ。
人は瓦礫の中からでも何度でも立ち上がる。それをベレスもエーデルガルトも知っていた。何より自分達がそうだったからだ。人は決して弱くはないということ、セイロス教という加護がなくとも生きて行けるという事を、これから示してゆかねばならない、それは決して簡単なことではないが、だからといって諦めるという道はこの場にいる誰にもなかった。
戦が終わって、二年ほど経過したある日。アッシュは帝都に呼び出されていた。
「それでは、騎士叙勲は断るということなの?」
エーデルガルトの声はどこか困惑しているようにも思える。天下の皇帝の意志に頷かないなど、自分もたいそう偉くなったものだとアッシュは内心で苦笑しながらも、はっきりとその言葉に頷いた。
「僕は、王国にとっては裏切り者です。それに……ガスパールには、もうふさわしい領主がいますから」
「それは、そうかもしれないけれど……騎士になるのは、あなたの夢だったのでしょう」
確かに、王国が瓦解した今旧ガスパール領は空白地帯となっている。そこに、帝国の将であったアッシュが領主として就けば帝国としても安心できるだろう。だが、アッシュはそうは考えてはいなかった。元々ガスパールにはアッシュの弟たちが残っており、五年間の戦いの間も領民たちを支え続けていたのだ。士官学校時代もそういった統治に関する知恵や手法を記した手紙をなんども弟に送っていたのは、それが理由だった。それにアッシュ自身が自分は領主の器ではない、と思っていた。確かに戦いで多少の功績はあげたかもしれないが、それと統治の才があるということとは違う。ある程度の地盤を固めたのちは下野でもして傭兵稼業を続ける方が、自分にとっては恐らくは気楽なのだろう。シルヴァンのこともあったが、彼はゴーティエ嫡子で家を継ぐ必要があるから彼の元へは行けない。それに彼を頼ってしまえばきっと自分は弱くなってしまう、彼を頼ることで迷惑をかけてしまう――その程度は、弁えていた。
「ですが、もう、決めたことですので」
きっぱりと笑みを浮かべ言い切るアッシュに、そう、とエーデルガルトは苦笑しながら頷いた。隣に立つ微動だにしない枢機卿の表情は、その居住まい同様動きもしない。
「けれどもあなたの戦いは大いに私の戦いに貢献してくれたわ、あらゆる意味でね。そのお礼くらいはさせて頂戴。ヒューベルト、あれを」
「は、エーデルガルト様」
何やら言いつかりヒューベルトが下がると、エーデルガルトはにこりと笑う。その意味を測りかねてアッシュが呆然としている間に、ヒューベルトが一振りの剣を持ってきた。
「皇帝陛下、それは……?」
アッシュの質問に心得たとばかりにエーデルガルトは胸を張る。
「アッシュ=デュラン、貴方を、本日よりゴーティエ領の騎士に任命します。話は既に領主に通してありますから、貴方はこの剣を携えて領主を訪ねるように」
エーデルガルトの宣言に、アッシュは言葉を失った。彼女は今、何を言ったのだろう。ゴーティエ?ゴーティエ領とは、シルヴァンの故郷だ。
「心得てない、という顔ね。でも、私は生憎一度言った言葉を翻すことはないわ」
それはよくわかっている。だが、そういうことではないのだ。まだよくわからないという顔をしているアッシュに痺れを切らしたのか、枢機卿が言葉を付け足した。
「ともかく貴殿に出来ることは、今すぐこの剣を携えてゴーティエ領へ行くことです。違いますかな?」
「は、はい!」
思わず背筋を正して反射的に返事をしてしまったが、アッシュの頭の中は未だ混乱したままだ。それもだが、遥か北方のゴーティエ領までの旅路で整理もつくだろう。そう思う程度には、少しばかり冷静になっていた。
ところがである。アッシュの来訪は当のゴーティエ伯、つまりは父親から爵位を受け継いだシルヴァンですら知らなかったらしく、慌ただしく迎え入れられた。ややアッシュが気になった点といえば、シルヴァンの両親が共に出迎えてくれ、息子の慌てぶりとは裏腹に落ち着いていたことくらいだ。
そこでアッシュはピンときた。恐らくエーデルガルトは前領主であるゴーティエ伯にのみ話を通していたのではないか、と。そして、本来説得すべき相手もまた前ゴーティエ伯である。如何にアッシュが先の戦争で戦果を挙げた人間であっても王国の裏切り者であることには間違いはなく、そして北方の民は保守的だ。ましてスレン相手に長年紋章の力を使いながら戦い続けてきたゴーティエ家にとって力こそが何よりも説得力がある。
そこに、帝国皇帝お墨付きの騎士が叙勲されたとなれば、話は通りやすいとエーデルガルトは踏んだのだろう――無論、それ以外の手筈も整えられていたであろうことは、前ゴーティエ伯のアッシュを見る目から伺われた。
「君がアッシュ=デュラン君だね。息子から話は聞いている。先の戦いではよく戦果を挙げ皇帝陛下に尽力したとか。無論、我が息子にも尽くしてくれるのであろう?」
先に言葉を告げられ、アッシュは頷くことしかできなかった。蚊帳の外であるシルヴァンは目を白黒させて父親とアッシュのやりとりをただ見守っている。
「は、いえ……はい」
緊張して言葉が上擦るアッシュに、前ゴーティエ伯は苦笑しながら口髭を撫でつけて笑みを深める。
「我が領が――今は息子のものだが、北方スレン族との交渉に難儀していることは、君も聞き及んでいるだろう。君はどちらかといえば後方任務が得意と聞いている。無論、役に立ってくれるな?」
これは質問ではなく、確認だ。アッシュはそう思った。確かに、スレンとの戦争ではなく和睦を目指す今のシルヴァンの指針からすれば、アッシュの能力は買ってでも欲しいものに違いない。それを前ゴーティエ伯も分かって言うのだろう。
「はい、私でよければ、尽力させていただきたく存じます」
そこまで読めれば、アッシュに迷いはない。元よりシルヴァンとは浅からぬ仲なのだ。きっぱりと頷くアッシュを見るシルヴァンの表情がどこかほっとしているのが可笑しくて、アッシュは小さく笑う。
「だが我がゴーティエ騎士団はそう甘くはないぞ。君の実力は聞き及んでいるが、期待を裏切らないでくれたまえよ」
念を押すように、だが愉しそうな前ゴーティエ伯の言葉は、どこかアッシュを奮い立たせてくれるかのようだった。
「アッシュ、お前、どうして黙ってたんだ?」
部屋に招かれるなり強引に抱き寄せられながら、シルヴァンはどこか怒ったような詰問口調で問い詰めてきた。それでもアッシュを抱きしめる腕には力が籠っているから、離す気はないということだ。
「僕だって君が知らないだなんて、思ってなかったんですよ。皇帝陛下は、君の御両親にだけ話を通していたみたいですね」
そっと押し返すようにアッシュが胸元に手を置くが、シルヴァンはそれを許さず、いっそうアッシュを抱きしめ、大仰にため息をついた。
「あの皇帝陛下か……枢機卿か?粋な計らいなのか、だまし討ちなのかわかったもんじゃねえな……」
「いいじゃないですか、結果的に僕は君の元に来ることが出来ましたし」
「お前なあ……」
呆れたように告げるシルヴァンに、アッシュは顔を綻ばせる。
「僕だって、君と離れたかったわけじゃないですよ。でも、離れなきゃならないと思ってました。それは……」
「血筋や、遺産だろ?お前が気にしてたのはそこで、だから俺から離れようとしてた」
シルヴァンにきっぱりと告げられてしまい、アッシュは頷くしかなかった。それがまさかこういう形で再会し、共に在るなど、思ってもいなかったのだ。
「けど、お前は一つ忘れてることがある。皇帝エーデルガルトは、何を目指していた?」
「……紋章や血が支配しない世界……人が、自由に、生きることが出来る世界、ですよね」
アッシュの言葉に、頑なに回っていた腕が解かれて、驚くほどに柔らかにシルヴァンの両手がアッシュの頬に触れる。それはまるで宝物に触れるような繊細さで、見つめてくる瞳はひどく慈愛に満ちていて、アッシュは思わずごくりと唾を飲み込んでしまった。
「ああ、そうだ。皇帝陛下はそれを望んでいた。それは、決して楽な道のりじゃない、が……楽じゃないからこそ、目指さなきゃならないんだ。俺がスレンとの対話を望んでいるのも、それが理由だし、俺がゴーティエに戻ることを親父が許してくれたのも、それがあればこそなんだ」
「そう、だったんですか……」
アッシュの言葉にシルヴァンは頷き、そっと指先で下唇に触れてくる。
「キス、していいか?」
突然の、けれどもどこか自然な言葉に、アッシュがはっきりとした返事を告げられないままに重ねられた唇は温かかった。そして、今までのどんな口づけよりも甘く、悦ばしかった。
「アッシュ。俺はもうお前を離さない。お前という人間に出逢えて、俺は本当に感謝してるんだ」
「シルヴァン……言いすぎですよ、それは」
「ったく、お前はいつだって自己評価が低すぎるんだよ。だから何度でも言ってやる、お前がその悪い癖を直すまでな」
にこやかに続けながら、シルヴァンはもう一度軽いキスを落とした。触れるだけのような、子供じみた口づけにアッシュはくすぐったそうに笑う。ああ、幸せだ。こんな風に感じるのはいつ以来だろう。そう思いながら今度はアッシュからシルヴァンに口づけを落とせば、シルヴァンは驚いたように目を見開いてから、やがて再び柔らかな口づけを繰り返し、落とすのだった。