Vi tu cara en un cristal.(きみの顔をガラス越しに見ていた)

 ほんとうに、珍しかった。
 サザが目の前で笑った。
 笑ったというには、わずかな表情の変化だったが、確かに、その表情は笑みをつくっていた。はにかんだ、というのが正しいかもしれないが、いずれにせよ数ヶ月に一度あるかないか、なのだ。

 感情が表に出ない性質というよりむしろ逆なのだが、仏頂面のことが多くたいていはいつも不機嫌だから、そう思われがちなのだろう。ミカヤやトパックと話をしているときの彼は年相応か、むしろそれよりも幼くすら見えるのだが。

「トパックがいたら、多分不気味だ、とか言うんだろうな」

 まさかそんな反応をされるとは思わなかったらしく、サザはすぐさま普段の仏頂面になった。

「なんであいつの名前が出てくるんだよ」

 不機嫌さは声に現れている。顔立ちは十人並み、よりは上だと思う。それも無愛想さと表情表現の乏しささえなければ、なのだが。その点に関しては、彼の育ての親でもあるミカヤと認識を共有している。顔がどうだ、とかそういう事は気にした事はないのだが、仏頂面でいられるよりは、笑顔でいてくれたほうがいい。

「そういうかなと思って」
「だからなんであいつが」

 からかうと面白い、ということにペレアスが気がついたのも、特に最近ということでもない。そこに遠慮がなくなったのは、つい最近だが。
 サザは出会った頃から内心のわかりやすい、よくも悪くも飾らない青年だった。

「もういい、帰る」

 拗ねたように言うさまに、いよいよペレアスは我慢しきれず、盛大に吹き出した。

「あんたな……!」

 当然、サザは眉間の皺を深く寄せた。琥珀の瞳の奥にある感情は、だが、その本心を垣間見せる。

「なんだか、つい、からかいたくなるって言うのは……君を見てるとよくわかる気がする」
「誰だよ、あんたにそんな入れ知恵したの」
「誰も」

 言葉をみなまで聞かず、サザはペレアスに背を向けた。
 簡素、質素という言葉を通り越した、限りなくあばら屋に近い部屋の隅、申し訳程度に置いてある椅子に向かって歩き、座り込んでみる。この狭い部屋のなかで、二人が一番距離が取れる場所がそこだった。
 勢いで、椅子が軋んだ。脚を組んでそっぽを向いたまま、腕組みをし視線を決して合わせようともしない。

 出て行く、だなんてまったく口先だけ。これでは、世話の焼ける弟が出来ただけのようだ。
 苦笑を交えながら、それならいっそそういう扱いにしてもいい、とペレアスは思った。立ち上がり、文字通り拗ねているサザに近づく。
 気配を察したところで、ちらりともこちらを見る様子もない。

「第一、なんで、わざわざこんなところ、好き好んで……」

 ぶつぶつと独り言を含み出したサザの口の端を、ペレアスは唐突に指先でつまんでみせた。
 驚きに見開かれた目が、全部でこちらを見ている。半ば開かれた口といい、本当に子供みたいだ、と思う。
 反応が遅れたのは、純粋に驚いたから、なのだろう。

「何すんだ、こっ、やぶからぼうに!」
「こうすれば笑えるだろう、ほら」

 己の口端を指先でつまんでみせる。子供たちによくやってみせているようにだ。
 子供たちは、すぐさま真似をする。一人笑えば、お互い顔を見合わせて、また、笑う。
 けれどサザは少なくとも、子供という年齢ではないし、ここにはペレアスとサザ二人しかいない。

「ばかばかしい」

 すぐさま顔をそむけ、大げさにため息をつくとサザは立ち上がった。側にペレアスが立っているのも、おかまいなしだ。一瞥してくる眉間に寄った皺はそのままだし、半開きの瞳は完全に呆れていた。

「サザ」

 サザは振り向かない。部屋の外に向かう足取りは早い。

「サザ」

 だからもう一度呼んだ。決して広くはない室内。サザは扉の前で、立ち止まる。

「いつも、ありがとう」

 取っ手にかけていた手が、下ろされる。

「……ずるくなったよな、あんたは」

 彼の背中はなによりも雄弁に彼自身の感情を語る。彼がこの場所の扉を開いたときにふと見せた表情で、彼がここを尋ねた目的そのものはわかっていた。そして、今は彼の望みをかなえられないことも。

「うん、わかってる。気が向いたらまたおいでよ。君は子供たちには結構人気者だから」

 わざわざこんな治安の悪いところで孤児院の手伝いをしているペレアスの身辺警護は、サザの仕事だった。貧民窟にある古い教会に併設されている、住居といえなくもないようなあばら家が、今のペレアスの住処だ。
 だから、たまにこうして彼はこの場所を訪れる。戦後処理の中で無謀としか思えないようなことも平気でやっていたし、提案もする。敢えて過激派の目を自分に向けている面もある。ミカヤからも再三城内に住んではくれないかと頼まれていたが、ペレアスにそのつもりはなかった。
 ミカヤを女王としてようやくデイン王国はまとまった。王の血を引かず、けれども民衆に望まれて玉座に座った彼女の存在を脅かすことだけは、どれほどに低い可能性であったとしても避けたい。彼女が旧来の呼び名でいれば印付きであることを公表している以上、それを理由に反乱を企もうとするものはすくなからず存在するだろう。それを外から防ぐのが、自分の役目だと、ペレアスはそう思っている。
 それに、この場所は自分の身を守る手段さえあれば、ある意味ではネヴァサの中では一番安全な場所だった。貧民窟には独自の情報網があり、ルールもある。見慣れない人間が入り込めばすぐさまその情報は住民間で共有される。そういう意味で、表舞台では生きていけないような連中が、この貧民窟には少なからず住んでいた。

「城には、来ないのか。ミカヤが寂しがってる」

 サザは背中で訴えた。親においていかれる子供のような声と、どこか孤独さを感じさせるそれに触れてやりたかった。

「セリノスの件が片付いたら、報告にはあがるよ」

 それでも必要以上に城に行こうとは思わない。城内であればあらゆる点で動きやすいが、余計なことまで手を出してしまいたくなる。そして何よりミカヤの身を危険に晒したくはなかった。

「また、来る」

 それ以上の答えを得られないとサザも判断したのだろう、ぶっきらぼうに言い残して、彼は帰ってゆく。お茶のひとつでも出してやればよかっただろうか。それとも、彼の望みをかなえてやればよかったのだろうか。
 ミカヤが寂しがっているというのも嘘ではないだろうが、ほんとうに寂しいのはサザなのだろう。互いに気を許すようになってから、ことあるごとにサザはペレアスの元を訪れていた。その用件もたいていが彼でなくてもよいようなものばかりで、ミカヤが作ってくれた建前を彼なりに活用しているのだろうが、こうも頻繁だといっそ逆の提案をしてやろうかとすら思う。
 けれどそれは、できなかった。
 このネヴァサで身を寄せ合うようにして生きてきたミカヤとサザを、自分勝手な理由で引き離すのは、躊躇われるからだ。自分自身も孤児として生きてきた時間が長いからわかるのだが、傍に常に誰かがいる安心感は得がたく、そしてとても大切なもの。それを奪うような真似はしたくない。
 先ほどの笑顔は、ただ自分の無事を確認出来たからこそのもので、それだけだ。

 言葉通り、彼はまたここを訪れるだろう。それも、そう日をまたがずに。

 サザは何度もここを訪れる。そして自分はそれを待っている。彼が言うように、自分はずるくて、そして臆病な人間だ。まだ、一歩を踏み出す勇気はない。

「ごめん」

 ひと気のなくなった扉に向かって小さく告げると、ペレアスは手元の書類に文字を走らせる。少なくともこうして仕事をこなしているうちは、逆に心は平静を保っていられる。決して長くはない在位中に知った自分の性格を、いまはありがたいと思った。  

 title by 縁繋