触れたい。
触れたのならば、いったいどういう顔をするだろう、
触れたのならば、いったいどんな感触なのだろう、どんな味が、するのだろうか。
まるで恋に焦がれる少年のように―或いは少女のように、たったそれだけの理由で(けれど恋をするのに理由なんてものはいらないし、キスをするにもたぶん同じことだ)、その手をとっていた。その手を取って、引き寄せた。
眼前に(呆然と)無防備に晒された双眸は、驚きに満ちていて(何故、という言葉を象る唇は少し濡れていた)、驚きに言葉を失って、その様までが、こそばゆく耳元をくすぐる感覚に結びつく。
――まるで恋を覚えた少年だ。そう、焦がれるまでもゆかない、未熟で甘やかな、記憶のかなたに埋もれてしまったかのような。
けれどもツイハークは子供ではない。少年でもなく、青年と言うにも些か齢を重ねている。
恋を知らないわけでもない。むしろ、そういう甘さと同じくらい内包されている苦さを知り、甘さよりも苦さを忘れられず、甘く愛らしかった記憶を元のままに留めておきたくて、だから感情そのものを忘れたふりをしていた。(忘れようと、していた)
ほんの少しの甘やかさ(そして苦さ)を孕む疼きを、一度も覚えなかったわけではない。
けれど、その都度、ツイハークは理性でそれを否定してきた。
(もう二度と失いたくはない)
(もう二度と、間違いたくは、ない)
理性は、心の中に疼く、ちいさな感情を、まるで恐怖そのもののように、あっさりと否定してくれた。(だから、俺は、楽だった)(だが、ならば、何故、今回は駄目なのか)
何故。問う自分自身に答えるのはやはり自分自身で、そして、答えなど、どこにもないことを知っている。
それでも、繰り返しツイハークは問うた。何故。どうして。
理性はすぐさま(より安易な)否定を見つけてくる。
たとえば、剣を捧げるべきが妥当な相手に。
たとえば、女神に祝福されし同じベオクの女性ではない。女性ですらない。
そうした逡巡など、気にする性質でないことを、己のことだからこそ、ツイハークはよく知っていた。だがそういう戸惑いを、それなりに心の中に浮かべたり もする。理性で一度否定すれば、恐怖はやわらぐ。そうして、感情を誤魔化せる――いつもならば。今までならば、それでよかった。
だが、眼前にゆれる、実は深く、そして透明な目が(ツイハークは、一度も、この瞳が濁った瞬間を見たことがなかった)、縋るように見ている。
「ツイハーク」
淡く囁かれる己の名は、なんとこそばゆく、甘やかな音を立てるのだろう。
感覚と、感情が、ツイハークの中で反転して、転がる。
この、声だ。
この目、闇の海のような、黒々として、青く輝く、寂しげな目だ。
けれども穏やかで、凪のようで、どこまでも澄んでいて透明な空気だ。迷い子のように不安定なくせに、助けを求めることを潔しとしない、奇妙な強情さだ。
それらすべてが、つまりは、理由なのだ。
そういう、単純な話なのだ。恐怖だとか、理性だとか、否定するとか、苦味だとか、そんなものは、すべて意味などはない。
あろうことか、こんな風に抱き締めてまで、戸惑うだなんて、まったく、どうしようもなく、煮えきらない男だ、俺は。また、笑われるな。(君に、俺の中に いつだって静かに存在する、やわらかな幻想に)(いつまでも囚われるなと言ったのは、君なのに、俺の心をいつまでもしばっている)(そのくせ、俺の臆病を 笑うのだから)(とびきりの笑顔でだ)
「ペレアス」
傭兵という立場であるにも関わらず、まるで騎士のように振舞っていた男の、常ならぬ呼び方に戸惑い、一瞬、瞳の奥の青色が陰る。
ツイハークはふと表情を緩めた。
そして、凪の中に戸惑いと怯えが紛れ、元の透明さを取り戻す前に、触れたくて仕方のなかったそこに、唇を重ねた。
なんだ、簡単なことじゃないか。(だから、そう言ったのに)くすくすと笑うのは、過去に愛した女の顔ではなかった。
ようやく触れた唇は温くて、こわれもののように柔らかかった。
*こちらは2016年12月発行同人誌[Je t'aime, j'aimais]に収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。