サザは、ペレアスの寝顔を眺めているのが好きだった。
無防備に寝姿を見せるのが、相手が安堵している証拠だと、お互いがそんな常識が当たり前の中で育って来ているから、という理由だけでは、ないと思う。
眺めている分には、あの人好きのする声と穏やかな表情に騙され理屈で丸め込まれる事もないし、のらりくらりととらえどころのない言葉を重ねられることもない。つまるところ、確実に優位に立てるからだ、などと、そのような無様な理由がないわけではないが、それだけでもない。
「……少しは、穏やかに過ごせてるんだよな……?なあ」
けれど、寝台に身体を横たえたまま、毛布もかけず、灯を消す事も忘れて眠りこけているペレアスに、サザは触れようとはしなかった。
その安眠を妨害したくはなかった、そして触れてしまえば、それだけでは多分満足出来ないからだ。
サザとて健全な青年である。
好き合っている相手とふたりきりという状況、更にはそういうことを悪い、などと修道士めいた誓いを立てているわけではない。むしろそんな縛めなどとは、無縁だ。
ただ、一度、自分が求めてしまえば、ペレアスはそのまま受け入れてくれるだろうということ、それが、悔しかった。それでは何かが違うのだ、と、理由もよくはわからないが、サザは考えていた。
人に対し、常に受動的な所があるペレアスから告白して来た時は、心臓が縮み上がる程に驚いた。というよりか、状況が信じられず、おそろしく間抜けな顔をさらしてたろう、と思う。
好きなのだ、と言われて、思考が停止した理由に、サザが気付くまで、それなりの時を要した。そして、答えのかわりに目の前の痩身に腕をまわし、肩口に顔を埋めるまで、更に時を要した。
その時に触れていた体温が思いのほか高く、サザは結局、しばらく顔を上げられなかった。
返す抱擁がたとえようもなくあたたかかった。
他人の体温は、およそ誰かに触れた記憶など、ミカヤ以外ろくになりサザにとって、あまりにも様々に感情を揺さぶらせすぎた。
そのまま固まってしまったかのように動かないサザの背を、頭部を、さらに労るようにやさしく撫でられてしまえば、いよいよ溢れる感情は,抑えられなくなった。
泣いている顔など、絶対に見せたくはなかった。それが、先を越されてしまった事への、せめてもの抗いだった。
あれ以来、サザからペレアスに触れた事はない。
自分の後ろめたい欲望が加速するのが恐ろしかったし、王弟という身分ながら、ほとんど市井にあるようなものの自分と、恩赦を与えられたかわりにその人生を全てデイン王国のため費やすと宣言したペレアスとでは、その忙しさは比較にはならない。
今とて、たまたまこの場所にいるが、その居場所すらも王宮にあるのか、はたまたこの下町の自宅にあるのか、下手をすれば他国に逗留している事もある。
自分が想いの丈を、ただそのままに伝え、そして求めてしまったのならば、いらぬ懸念を抱かせてしまうのではないか。余計な事を、考えさせるのではないか。
ペレアスが公私をわきまえすぎる性格であることを、いやという程知ってはいたが、それでも、自分の存在が、今度はその負担になるのではないのか。以前ならば、絶対に想像してみなかったような不安が、次から次へとサザの中に生まれた。
どうしてよいのか、わからなかったのだ。
「疲れなんてものを見せない。愚痴だって言わない。前よりずっと、最初にあったときより、ずっと、あんたは穏やかになった、けど、なあ、ペレアス、……俺に、何が出来るんだよ……」
穏やかな寝顔に語りかけた所で、答えはかえってこない。
それでも、こうして一方的に語りかけるだけでも、サザは心の内が穏やかになって行くのを感じていた。どうせ起きていたところで、まともな答えが返ってくるわけがない。わかっているから、サザはあまり問いかけを、自分からはしない。言葉が欲しい訳でもないのだ。
「俺は、あんたに、なにか、出来てるのか……?」
独白めいた問いかけは、止まる事がない。
サザは、右手を寝台の上におく。簡素すぎる燭台の炎が、サザの動きにあわせ、揺れる。
穏やかな吐息は、乱れることもない。
右手を支えに、上半身をのりだして寝台の脇にかかったままの毛布を、そっとその身体の上にかけてやる。それでもペレアスは身じろぎもせず、眠り込んでいる。そういえば、なかなか眠りにつかぬ分、ペレアスは眠りは深い方だった。
様子を確認して、サザは元の位置に、身体を戻そうとし、そこで動きを止めた。
半端に伸びた前髪が、落ちてきて視界を覆う。だがそれを払う事なく、サザはじっとペレアスの寝顔を見つめた。
決して近くはない位置にある灯に照らされた顔色は、それでも以前と比べ格段に良く見える。
サザが側にいずとも、この下町に住まうおせっかいな人々が無理矢理にでも食べさせるから、一見してわかるほど、肉付きはよくなった。そう言う事も含めて、ミカヤもサザも、ペレアスが王宮住まいをしない事を黙認している。彼は、純粋に自分に向けられる好意には、極端に弱いのだ。
痩せすぎていた身体にも肉はつき、頬の色も比べ物にならない。そうなると、なるほど目鼻立ちが嫌が応にも目立つ顔立ちだから、それなりに男前である。
線の細さは否めないが、穏やかな物腰と、加えてあの、高くも低くもない、決して人を不快にはさせない声だ。本人はまったく与り知らぬであろうが、王宮勤めの侍女の間で、ペレアスはそれなりに人気がある。以前の彼の苦境を知っている連中など、まるで我が事の様に誇らし気に語る始末だ。
まるで穴があく程その寝顔を見つめた後、サザは胸中にわきあがってきた欲望を払うように、上半身を、起こす。だが、かけていた椅子には腰を落とさなかった。
「俺が…、俺は、……あんたの側にいたい。側にいて、あんたを守りたい。ずっと、ずっとだ」
ずっと、守る。子供じみて、抽象的な言葉だと、自分でも思う。
けれども、サザは、その言葉しか知らなかった。自分の想いを伝える言葉を、それしか知らないのだ。
無意識のうちに、サザは手を伸ばしていた。触れたい、という衝動に駆られて、そして、理性はそれに歯止めをかけなかった。
「そう言ったら、きっと、笑うよな……?」
心の中の穏やかな感情。どうにかしたいという欲望と、表裏一体の、それでも、決して抗えないもの。いとしいと思う心。それを、人を愛する事なのだ、とミカヤは微笑みながら言っていたことを、思い出した。
半開きの唇に、指先が触れるか触れないか。
ほんの一歩手前で、吐き出された寝息が、指先にかかる。その思わぬあたたかさに、反射的にサザは指を、手を離してしまった。
慌てて手を戻し、乱れて来た呼吸を、整える。何をしていた。自分は、何をしようとした?
さきほどまで、あれほど見つめていた寝顔から無理矢理に視線をそらす。サザは強く目を閉じた。
まったく、これほどに人の心をかき乱しておいて、そんな穏やかに眠りこけて。
場違いな憤りを覚える事で、サザは自分を誤摩化した。
それでもこの場から立ち去ろうとなどとは思わない。自分の無意識の行動にうんざりしながらも、そばにいたい、というそれまでは、拒めなかった。
「俺は」
背けた顔を、戻す。何も変わらない。かけた毛布の脇から、まるで子供のようにその左手が、のぞいている。サザは思わず微笑みを浮かべていた。こんな、まったく、まるで小さなガキみたいだな。
だがその左手の甲の、未だにうっすらと残る、忌まわしい痣が、サザの目を強くひいた。本人は、それを忌まわしいなどとは言わず、それがあればこそ、己を縛められるなどというが、サザにしてみれば、やはりあの辛い時期の記憶が甦る、そして同時に、ペレアスに対して酷い言葉をぶつけてばかりいた後悔も同様に甦るのだ。
そっと、その手をとった。温もりと同時に、触れた場所に熱がこもったように、サザは錯覚した。
触れてしまった事を、だが、後悔はしない。
骨張ったてのひらだ。まるで、老人のようなそれだ。どれほどに身体を酷使し、使役してきたのか、よくわかる手だった。そして赤黒い,痣のような紋様。
現実的な言葉などいらない。
それが、たとえ実現不可能な、逃避的な欲求であろうとも構わない。誰に誓うわけではない、ただ、己に誓うだけなのだから。
「俺はどこにもいかない。ずっと、ペレアス、あんたのそばにいる。どこにも、いかない、ここに、いる」
サザは上体をかがめ、そのてのひらにそっと口を寄せた。
*こちらは2016年12月発行同人誌[Je t'aime, j'aimais]に収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。