7 kisses/衝動

 憎い、という強い感情を抱く程でもなく、だから、嫌いというのでもない。
 正直、どうでもいい。そう考えていた。
 けれども、今は違う。
 こんなにも、誰かを、好きにはなれない。
 こんなにも、どうしようもなくバカで、どうしようもなく愛おしい。そう思える存在を、俺は知らない。

 
 認識が変わったのは、いつからだっただろう。よくは、覚えてない。
 ミカヤが何故、あそこまで庇うのか、なんとなくわかってきたのは、皇帝軍と最後の戦いをしている最中だった。まるで人が変わったように容赦のない指示を出し、徹底的に皇帝軍を叩く構えを初めて見せた、その軍議の最中、まるで別人を見るような思いで、俺はあいつを見ていた気がする。
 言う事全てに筋を通し、だからあいつの話を聞いていると、悪いのは皇帝軍で、神使サナキだという気になってきていた。実際、それが正しかったのかどうかはわからない。ただ、デインの兵たちは、最後の戦いの最中、自分たちの王の名をしきりに呼んでいた。

 兵士なんてのは、何はなくとも、上官を信じるものだ。まして、それが、国王というなら。

 普段は無口なブラッドが言っていた言葉と、表情は今でもよく覚えている。あの冷静な眼差しが、熱っぽかったからだ。

 結局あの戦いは有耶無耶におわって、その原因が、今ミカヤの中に宿っているユンヌの言葉を信じるなら、女神アスタルテだった。そんな話を、急には信じられない。急にじゃなくたって、普通の神経の持ち主ならば信じられるわけがない。
 けれどミカヤはユンヌを信じた。
 それに、ユンヌが嘘をついていたとしても、俺たちはユンヌを頼るしかなかった。

 
 そのユンヌの神託に従って、「女神の裁き」から生き延びたものは、三つの部隊に分けられた。俺はミカヤと一緒で、レオナルドやブラッドもいた。けれど、何故かエディがあいつのいる部隊に配属されていた。あとから、レオナルドに聞いて判った事だが、エディのやつはいつの間にかペレアス王贔屓になっていたらしい。何か、ミカヤかノイスあたりに余計な事でも吹き込まれたのか、とにかく,だから、俺はあまり考えないようにしていた。
 
 どこかで、エディのやつがついている、だから大丈夫だ。そう思っていたのかも、しれない。タウロニオ将軍やフリーダ、ツイハークも一緒だった。それに、あのティバーンとかいうフェニキスの王やクリミア女王相手にも、多分あいつなら大丈夫だ。いつのまにか俺はそういう目であいつを見ていた。

 ミカヤを守る、それが、俺の生きる意味だった。けれど、いつの間にかミカヤは俺の手なんか必要としないくらい、強くなっていた。ミカヤが、神使サナキや鷺の姫と一緒にいることが多くなったのは、今にしてみれば当たり前の事だったのかも、しれない。
 ミカヤは未だに悔いていた。あの時俺がドジを踏んだばっかりに、神使を捕え損ねた事を、ずっと悔いていた。
 それがわかって、それでも強引に側にいる。以前の俺なら、多分そうしていた。けれども、神使や鷺の姫に見せるミカヤの笑顔は、いい笑顔だった。そういう風に、誰かに囲まれてミカヤが笑う。俺が望んでいたのは、もしかしたらそう言う事だったのかもしれない。
 いつのまにか、どこからか。そういう考え方を、俺はしていた。
 
 部隊が合流してから、俺はまっさきにあいつの姿を、捜していた。途中、トパックのやつがつっかかってきて、思いきり怒鳴られた。
 トパックのやつは何時ほだされたのか、やたらとあいつの肩を持っていた。言い訳するつもりはなかったが、あまりの剣幕に、俺は一方的な罵声をしばらく受けつづけた。そして、一方的にトパックは立ち去った。
 その後で、ようやく見つけた姿の隣に、フェニキス王と扱いづらい鷺王子がいた。あいつが、二人に向ける表情は、見た事がないようなそれだった。よりにもよって、あの、フェニキス王と、まったく対等に話をしているその姿に違和感がなくて、けれどもそれを喜んでいいのか、理解出来ないと感じているのか、やっぱり俺にはよくわからなかった。


 女神アスタルテが待つという高い高い塔。静まり返った空気にまで、全身をさされるような感覚のする場所。当然のように、フェニキス王や鷺王子と一緒に、あいつはいた。その脇には、影みたいに付き従うタウロニオ将軍とフリーダ。それから、ノイスとエディ。変わった、どころの話じゃないと思った。歩く様子一つとっても、表情にしても、立っているだけで存在感がある、以前の何かに怯えたような様子がどこにもない。
 けれども、俺はあいつがそこまで変わった理由を、「よいもの」だと思っていた。だから、忌々しい元老院のあのルカンという爺と、あいつが対峙するまで、俺は特別、何も感じる事はなかった。



 そこで交わされた言葉は、全部は覚えてはいない。というより、覚えていたくはなかった。
 あまりにも、ひどい侮辱を、ルカンという元老院議員は、俺たちの王に向けて,吐いていた。

 そのことで、フェニキス王がひどくいきり立ち、けれどそれ以上に怒りに身体を震わせる鷺王子がいたから、そして、侮辱されながらも決して顔を俯かせる事がないペレアス王がいたから、多分鷹王は手を出さなかった。
 アイク団長ですら、剣を背中に収め、黙って成り行きを見守っていた。
 
 逆の見方をすれば、滑稽だったのかもしれない。これだけ、大勢の前で、ルカンは自らの罪状を全て、暴露した。それは絶対的な自信が、絶対的な女神への信頼があって、だけれどもどこにも、信じられるものがなかったから、だろう。

 そして、言葉の応酬が終わると、神使サナキがペレアス王の隣にたった。二人の王は、互いに短く言葉を交わして、共に、俺には聞き取れない言葉を呟いた。
「お前んとこの王様は、やっぱ、すげえな。少し、デイン人が羨ましいかもしんない」
 隣に立っていたトパックが、らしくない事を言った。
 けれども、俺は、目の前でルカンが魔道の力で滅ぼされて行く様を見るよりも、ペレアス王とルカンが交わした言葉の、その内容の方がひどく気になって、仕方なかった。

 
 血の誓約は解除された。
 あれほどに、俺たちを縛った、忌々しい呪いは、あまりにあっけなく解除された。詳しい理屈をペレアス王と神使が話していたが、理解は出来ない。それよりも気になる事があった。けれど、それを本人に問うのは、いくら何でも、ないだろう。だとしたら、一緒にいた連中に聞けばいい。タウロニオ将軍やフリーダは、多分口を割らないだろう。選択肢は、限られた。

 ところが、あの鷺王子の方から、俺に話しかけて来た。
「………あなたは、ペレアスの何だ?」
 あまりにも唐突すぎて、何を意味するのかわからない質問に、俺の頭の中は真っ白になった。鷺王子が何やらさかんに言葉を続けていたが、頭には入ってこない。
「何故、ペレアスの側に、こんなベオクがいるというのです、ティバーン!」
 ようやく、耳に入って来た言葉が、それだった。どうやら、この鷺王子は、俺がペレアス王に近くあった、ということが、ひどく気に触ったらしく、フェニキス王に対して散々喚いていた。
「あの、ミカヤという女性はわかります。彼女はペレアスを信頼しているし、ペレアスも彼女に信用をおいている、ですが」
「おい、リュシオン。本人の目の前でそうぽんぽん遠慮なくモノを言うな。別にこいつは、ペレアスの為にいるわけじゃないだろう。ミカヤって女の、お守りだ」
「それにしたって、王という存在の側にいるのなら、その義務を果たさない、などと…理解しがたいのです!」
「まあ、お前が理解せんでも、ペレアスがそれでいいってんだから、いいんじゃねえか?」
「ティバーン!あなたまでそんなことを!」
「ああ、そうぎゃんぎゃんわめくな、お前が友人を思うのは結構だが、当人を無視して意見を押付けんのは、どうかと思うぜ」
 要するにわざわざ文句を言いにきたらしい。そういえば、トパックにも同じような事をいわれた。その事自体、確かに…そういう風に見られても、文句の言えない態度を俺は取っていた。
 ミカヤを守るため。その事だけを考えていたから、当時はなんとも思わなかった。

 けれども、今は、こんなにも居心地が悪い。
 それは、なぜか。
 ひとつは、鷺王子の言う通りだったからだ。


 俺は、ペレアス王がそもそも、デイン王子として育っているわけではない、俺とたいして変わらない生まれだという事を無視して、当たり前のように王という存在は、それだけで王だと思っていた。
 王というのは、女神の授かり物、そういう考え方は当たり前だった。ふつうのやつらとは、まったく違う存在だった。
 そして、それだけだった。
 別に、ペレアス王が王として器量が優れているかどうかは、どうでもよかった。ミカヤを苦しめたり、悩ませたりしなければそれでよかった。
 だから、どんな事を考えて、どんなことをしているか、なんてのは、興味のないことだった。
 ミカヤが、あまりにも信頼しすぎているから、それが、面白くなかったのかもしれない。
 一時を境に、ミカヤは本当に、俺の手が届かない所に行ってしまっていた。側に居るのに、触れられなかった。ペレアス王と同じ目をして、同じ言葉を語るミカヤを、ミカヤだと思えなかった。

 薄々、そんなふうに感じていたから、余計俺はミカヤの側を離れたら駄目なのだ、と、言い聞かせていたし、ミカヤにも言った。
 ミカヤが以前と違い、困ったような目をする事が多くなっていたのにも、気がつかない、ふりをした。
 そして、おそらくはミカヤを変えた張本人が、ペレアス王なんだって事も、知らないふりをして、その為に、王宮に行こうとするミカヤを、俺は無理矢理町中に引っ張り出していた。
 もしかしたら、その事が、悲劇を呼んだのかもしれない。
 けれど、言えなかった。
 ミカヤにも、誰にも、言える訳がなかったし、ミカヤは、俺の手を振り払ってまで、ペレアス王の元へ行こうとはしなかったから、だから、俺はそれだけで安心していた。

 ペレアス王には、誰かが居る。けれど、ミカヤには俺しかいなくて、俺にだってミカヤしかいない。
 そう思う事で、俺は自分自身の安寧を得られた事を、素直に喜んでいた。



 けれども、俺の思い込みは、所詮ただの思い込みだという事が明らかになり、ミカヤは、俺の手を選ぶより、自分の場所を確実に得ていた。塔の中に入ってからも、神使サナキや、トパックの部下の鴉娘が気遣わし気にミカヤに話しかけている。特に、あのビーゼって鴉のラグズは、まるで自分がミカヤを守るんだ、そういう、昔の俺みたいな目をしてた。そしてミカヤは、そんなビーゼを、まるで妹を見るような、いたわるようなまなざしで、見ていた。
 
 その時に、初めて俺は気がついた。
 俺は、他人からは、こんな風に見えていた事を。どんなに粋がっても、俺はミカヤの、弟でしかなかった。

 ミカヤは優しくて、けれども、どこか、心に弱い影のある人だった。
 その弱さを、俺は、守らなくちゃならない。ミカヤの奮える手を取った時に、直感的に俺はそう感じた。だから、ずっと、ミカヤのために生きて来たし、ミカヤもそれを望んでくれていた。
 ミカヤの手は、気がつけばいつもすぐ側にある。それが当たり前だった。強くなりたかったのは、ミカヤのためだと、ずっと思っていた。
 けれども、そんな世界が、ずっと続く訳がない。ずっと、あの薄暗い路地で過ごしていたら、叶ったのかもしれない願いは、けれども今の俺にとっては、ひどくちっぽけで、色あせた夢だった。



 この塔は、登れば登る程、いやな空気は濃くなる。
 上にいるのが、確かに、女神アスタルテで、俺たちは、拒まれているのだから、あたりまえなのかもしれない。
 あれほどに口うるさかった鷺王子が口を閉ざしっぱなしだったり、フェニキス王は殺気を隠そうともしていない。
 そんな中、身体が丈夫ではないペレアス王は、真っ青な顔をしながらも、何も言わず、心配するタウロニオ将軍やフリーダにも構わず、先をゆくアイク団長の足取りと変わらない調子で、その後を追っていた。それを見たトパックがまた何やら言っていた。
 

 宰相セフェランという名を、ペレアス王が忌々し気に呟く理由を、俺は、この場にきて、今,初めて知った。トパックや神使があれ程に信頼している相手を、何故、ペレアス王が吐き捨てるように言うのか。多分、ペレアス王は薄々勘付いていたんだろう。つまり、今までの全ての原因が、目の前のこのセフェランという男にある事を。

 俺たちの、デインの王は、誰でもない、ペレアス王だった。
 ミカヤが信頼しているから、トパックがそう言うから、タウロニオ将軍やノイスやブラッドが黙って従うから、そういうことではなくて、俺自身が、強く……いつのまにか、本当にそう思っていた。
 セフェランに対し、静かに怒りを爆発させたのは、確かに、デイン王という立場が、そうさせたんだと、俺も思った。

「お前は確かにデイン王だ、名実共にな。お前が認めなくたって、俺が認める。クリミア女王が認めてる。頼まなくたって、多分リュシオンのやつもな」
 倒れ伏したセフェランを前に、フェニキス王がそういって、ペレアス王に声をかけていた。ペレアス王が答えた言葉を、俺は知らない。
 俺は、何も言えなかった。

 ペレアス王が、王家の血を引いていない事。
 それは、ベグニオンという国が、都合良くデインを属国化するための、策謀だったこと。
 別に、それはペレアス王でなくとも、誰でも、よかったこと。

 その事をペレアス王が知ったのは、帝都シエネに辿り着く過程での話で、だから、とっくの昔にペレアス王は全部わかっていて、それでもデインの為に、ずっとその命を削りつづけていた、事。

 俺は何も,知らなかった。


「サザ。もう良い、ミカヤの側に、いてやるんだ」
 自分の方がよっぽど疲れた顔をしているくせに、ペレアス王は俺に声をかけてきた。そして、聖杖を掲げる。ふっと、身体が浮き上がるような感覚があった。
「ミカヤに頼まれたんだろう?けれど、もう、いいんだ」
 俺は、何を言われているのか、さっぱりわからなかった。ちがうんだ、そう言いたかったのに、言葉はうまく、出てこなかった。
 ちがう。ミカヤに頼まれたからじゃない。ミカヤには、もう俺がいなくても、いい。ミカヤには、神使も、ビーゼも、ついてる。ミカヤの隣には、アイク団長がいる。ユンヌがいる。

 実際、その時、ミカヤは泣きじゃくる神使をずっと抱きしめていて、皆がミカヤとアイク団長のまわりにいた。
「サザ。約束をしたろう?ミカヤの事を守るのは、君だって、そういう」
 俺は段々腹が立って来ていた。どうして、こうも人の都合を無視するんだろう。
 どうして、そんな事を勝手に、決めつけるんだ。ペレアス王にしてみれば、俺が周りをうろうろしているのが、それは不思議な光景だったんだろう。けど、そんなのは関係ない。俺が、そうしたかったからだ。ミカヤの事が、どうでもよくなった、そういうことでもない。半分は、そうかもしれない。半分は、ミカヤが羨ましかったのかもしれない。

 力を使えば使うほどに、命を削る。
 そんな馬鹿な事をしながら、馬鹿みたいにデインのため、そんな、馬鹿げた事の為に、たった一人で、苦しんで耐えつづけて来ていた。自分が、何ものでもない事を知っても尚、それでもデインの為に、ただそれだけのために、戦いつづけていた。
 
 明確な理由なんかは、後からいくらでも付けられるんだと思う。
 その時は、ただ、突き抜けるような感覚があっただけだ。

 このひとが、たまらなく、許せない。許せなかった。許せなくて、見ていられなくて、バカらしく、理解出来なくて、ひたすらにその存在が、愛おしい――多分、そういう感覚を、そういうふうに言うんだと思う。突然、頭の中でひらめいた。

 何も判らないような顔をしているその顔を強引にひきよせ、俺は、目の前の唇に自分の唇を重ねた。
 やわらかくて、あたたかくて、伝わってくる体温と、息を感じると、どうしようもないほど、その存在を掻きむるように抱きしめたくなって、そのまましばらく、俺はペレアス王の身体を、離せなかった。

 抱きしめてみると、怖いくらいに、その身体は細かった。こんな身体で、ずっと無茶をして、精霊に命を喰わせながら戦っていた事に、また、理不尽に怒りを覚える。そのまま、抵抗らしい抵抗がないものだから、きつく身体を束縛した。
「俺が守る。俺が、側にいる、もう、無茶なんかさせない」
「サザ」
「だから…、俺が守るから、死なないでくれ、ペレアス王」

 答えをきくのは怖かった。だからもう一度、唇を重ねた。


  *こちらは2016年12月発行同人誌[Je t'aime, j'aimais]に収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。