両手から零れ落ちる

 後悔と満足感とが同居する、どちらかといえば不愉快な感情に、サザはいらいらしていた。身体は欲望を全て吐き出してしまった倦怠感が先立ち、動くのも億劫だった。ただ、すがった温もりは離したくはないし、かといって何かを語らうような場面ではない気もする。
 もとより雄弁ではない。まったく、この状況をサザは持て余しているといって良かった。

「サザ」
 耳元で囁かれた己の名に、極端に肩をびくつかせて、サザは上体を起こした。
「後悔している、って顔だ」
 穏やかな表情でそう囁かれ、そっと頬を撫でられてしまえば、一瞬言われている意味をとらえ損ねたとしても、仕方ないだろうか。まして狭い寝台の中で服も身につけず向かい合っていれば、尚の事だろう。
 ただ、サザは失念していた。自分の今の立場と、ペレアスがひどく嘘をつくのが巧かったことを。

「王弟陛下は恋狂いのあまり、元老院の男妾を抱いたが最後取り込まれ、傀儡と成り果てる」
 突き放すような唐突な言葉の意味を解しかねたサザが怪訝な表情をしている隙に、ペレアスはサザを押しのけると寝台から降り、手際良く乱れた衣服を整え始めた。
「おい。俺はそんなつもりであんたを抱いたわけじゃ………」
 言い訳じみた言葉をかけるもその表情は硬く、触れようとのばした手からもあっさりと逃れられる。取りつく島がない。
 これは明らかに怒っている。どうにも巧く回ってくれない頭でぼんやりそのような事をサザが考えていると、胸中を見透しでもしたのか、ペレアスは振り返った。
 元老院の男妾、と自嘲めいた言葉通り、一時元老院の何れの者、それも不特定多数とそのような交わりを強制的にペレアスが持たされたのは、噂ではなく事実だった。そして彼が、そのことを自身のではなくデインという国に関わる風評ということでひどく気にしてもいたのだが、一方でその身支度の巧みさは、そうした風評をなるほどと思わせるものがある。サザは妙な所で感心してしまい、ペレアスの表情の頑さに不穏なものを感じながらも、自らの為に言い訳などを用意出来なかった。
「安易な気持だったというのなら、この事はなかった事にする。君が下手を打たなければバレはしない。だから、二度と僕には近づかないと、約束してもらう」
 先ほどまでの穏やかな時間が何だったのか。それはあまりに一方的で突然な絶縁宣言であり、今までの関係をすべて否定するものだった。だから、一瞬何を告げられたのか理解できず、言葉を噛み砕き理解したとたんこみ上げてくる怒りのようなものを、抑えられなかった。
「そもそも、先に好きだと言って来たのは、あんたの方じゃないか、ペレアス」苛立ちが声色に表れていた。が、それとて相手にさしたる影響を与えるわけではないらしい。静かな眼差しは、じっとこちらを見詰めたままだ。
「だからこうなった。そうだろう」
「ああそうだよ、だいたい…」
「まさか、何も考えず事に及んだ、なんて子供じみた言い訳は聞きたくはない」
「それは……」勢いで抱いたかといわれて、正直な所否定できなかった。サザとて健全な青年男子だ。恋人という関係で、しかも長い間互いに離れ離れで再会して、ただ仲良く睦みあえればよいとか、側にいることができさえすればよいだとか、そういうわけにもいかなかった。
「サザ。よく考えるんだ。君は、今や女王陛下の弟。僕は一度は国境の牢獄送りになった罪人だ。その罪を償うため、こうしてネヴァサに居を構える事を許されている。本来なら…このように落ち合う事すら、許されない」
 その言葉に、サザはまるで冷水を頭から掛けられたような気分になる。同時に、だから何なのだと強く思った。だから、どうしたというのだ。そんなことが、いったいどれほどの意味があるというのだ。
「…………だから、何なんだ」
 口中で呟くように言ったそれは、自分でも不明瞭な言葉だった。ペレアスがサザの独り言のようなそれを無視し、再び机上に山積しているものへ向かおうとするのを見た瞬間、サザの身体がはじかれるように動く。
「俺は待った、ずっと待った、待ってたんだ」
 意識してではなかった。が、強い衝動はあった。ぎり、と強い力で細い手首を掴み、ペレアスを再び寝台に引っ張り込む。。抵抗する間もなく捕えてしまえば、身体的には以前より一回り程成長したサザと、在位期間中に無茶な政務をこなし身体を痛めつけていたペレアスとでは格段の差があった。
 抱き締めた身体の温もりと、女性のそれではない骨ばった堅さ。ペレアスは上半身だけ寝台の上にあり、丁度片手を寝台につくことで身体のバランスを保っている状態だった。
「あんたに手を出しちまったら」
 声が、自ずと震えていた。その事に気がついたのか、ペレアスの身体のこわばりが解れ、そのままサザの方に倒れこんで来る。痩身をもう一度、今度はせいいっぱい柔らかく抱擁すると、鄙びた紙とインクの匂いが鼻をくすぐる。サザは言葉を続けた。
「それこそ追いつめる事になると思ってずっと我慢してた。牢獄送りだって、本当はしたくなかった、けど、それだってあんたが望むから黙ってた。会いに行きたかった、でも、いけなかった」言葉がたどたどしくて、まるで感情が息切れをおこしているようで、自分でもうまく言いたい言葉を言えているのかサザ自身わからなかった。が、今はどんな言葉でもよいから己の感情を告げなければ、多分ペレアスを失ってしまうというような、恐れがあった。
「サザ」戸惑うように、ぽつりとペレアスが名を呼ぶ。その声色は戸惑い、驚いているようにも聞こえた。
「でも、行けなかった、俺は行けなかった」 「本当は会いたかった、ずっと、こうやって、腕の中に閉じ込めてしまいたかった」
「そうしなきゃああんたは、俺の側にはいてくれないんだろう?」
 俺がこうして求めなければ、去ってゆく。常にこうして求め続けなければ、きっと。自分は不要だとペレアスが悟った瞬間に、ふといなくなってしまう――漠然と、けれども直感的にサザはそう感じていた。そうでなくとも今のペレアスは――否、昔からそうだった。漠然とそこにいるだけで自分の居場所はここではないというような、不安定な輪郭をしていた。だからこそ時に苛立ち、何故そうなのかと腹の中では馬鹿にしていたし見下していた。  初めて顔を上げてみせたサザの両の頬が、濡れていた。涙は止めどなく流れている。声は、最早叫びに等しかった。
  「よく、わからなくなった、久しぶりにあんたの顔を見たら、もう何もかも、よくわからなくなった……何を我慢して来たのかも、何をこんなに遠慮して来ていたのかも、なにもかも」
 言うべき言葉を捜しながら、ペレアスは姿勢を変え寝台に座る素振りを見せると、サザは驚く程素直に両手の縛めを外した。路上に置き去りにされた子供のような様で、ただペレアスの顔を、涙で濡れた顔でじっと見つめている。
 何やら見ている方が情けなくなり、加えて彼がひどく幼い心の持ち主である事をペレアスは思い出していた。久しぶりの再会と、抱擁、そして口づけ。恋仲の者同士がそのような再会の仕方をすれば、自ずとやることは決まっている。身体を重ね、互いに欲望のままに貪り合いながらも、ペレアスはサザもそれなりに、心身ともに成長しているのだと思い込んでいた。
 現に、再会して数時間のうちは、実に王弟という立場をわきまえながら、サザは振る舞っていた。だがそれが、自分に都合の良い思い込みだったのだ、ということは、このサザの様子を見れば一目瞭然だ。
 だが、だからといって、言った事を訂正する気はペレアスにはなかった。世間はそう優しくはない。どのような目で見られるか、ということを考えなければ、上に立つ人間は生きて行く事は出来ない。ペレアスはサザの肩を抱き寄せると、肩口に頬を乗せた。こうしていれば、互いの体温を感じることはできるが、表情は見えない。
「サザ。君の気持と、僕の気持は同じだよ。君がその思いに苦しんだというのなら、それは、僕も同じ事だ。君の事は心配だったし、何より、側にいなきゃならないと思っていた」
 サザは身じろぎもせず、驚くほどに静かだった。或いは感情を吐露したことを後悔しているのだろうか。わからなかった。
「…………長い間、ずっと。君の事を、抱きしめてやりたいと思っていた。出来る事なら、その側に立っていられるのなら。何度も、何度も」
 嘘ではなかった。幼い頃から大人であることを必要とされてしまった孤児がどういうふうに育つのか、己もまた愛情をよく知らず親というものもよくわからないからこそ、ペレアスは理解していた。サザという青年が抱えているいいようのない寂しさも、だからこそミカヤという存在に依存し続けていたことも、誰よりも、よく理解出来るのだ。
 その依存の相手がミカヤから自分にかわっただけなのだとしても、それでも彼の側にいたい――そう思う心を、ペレアスもまた抑えきれてはいない。そう、ペレアス自身も人肌と愛情に飢えた子供を己の中に住まわせ続けているのだから。
「相手を愛しいと思う、だから、側に居たいと思う。触れたい、肌を寄せ合いたい、体温を感じたい、言葉を交わしたい。勿論それを否定はしないし出来ない。僕も、そう思う」

「その事だけは、知っておいて欲しかった」 「君は、もう、昔とは違うんだ。昔のように、ぎりぎりの、けれど、気ままでいられた頃とは違う……君のやること、なすこと。全てに監視がつくと思っていい。人の上に立ち、人を導く立場とは、そういうものなんだ。だからサザ。僕と君との関係を、以前のままに考えて迂闊に動く事は、危険なんだよ。物事はすべて悪意にとられる、そう考えても間違いじゃない」

「俺は、まだ、あんたに沢山教わらなきゃならないことが、あるんだな」
「本当なら、僕よりも王宮の人間を頼って欲しい。さっきも言ったけど」
「それは、駄目だ、あいつらは話し方が下手だ」
「…………サザ」
「あんたに教わった方が早い。今、そう思った。それに、城には使用人ってことで出入りすれば良い」
「そして、王弟殿下は公務をほっといて厨房や廊下をウロウロする?サザ、本当に僕の言った意味を」
「わかってる、冗談だ。けど……」
「頼りにしてくれるのは嬉しい。けれど駄目だ。二度目は、言わせないでくれ」

「俺はただ、…こうして、一緒にいたいだけなんだ」
 縋るように頬を寄せて抱き締めてくるサザに、ペレアスは曖昧に微笑むことしか出来なかった。


titleby:アンティオペ



  *こちらは2016年12月発行同人誌[Je t'aime, j'aimais]に収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。