早春賦/sample

 騎士タウロニオは、久方ぶりに酒を味わっていた。暖かな炎、公人としてではなく私人として語らいの出来る場に、酸味と甘みが程好く交じり合うクリミア産果実酒。デイン特産の火酒に比べれば酒の類ではないが、口当たり良くそして適度に酔える。そういう酒を、タウロニオは特に好むわけではなかったが、嫌いでもなかった。

 戦は、小康状態だった。夜半であれば急襲がないという保障はどこにもなかったが、張り詰めてばかりいては疲れるだろう。そう言い、自ら視察に出かけたフェニキスは鷹王本人だった。第三部隊を率いる豪放な鷹ラグズ王が伴っていた人物のことを、タウロニオはあえて己の思考の外に置いておいた。そうでなければ、酒の味など味わえない。どれ程な美酒であろうと、たちまち味も香りもなくなり、酩酊の心地を忘れてしまうだろう。一瞬落ちかけた思考を、タウロニオは談笑の場に戻した。
 部隊の面々は、一箇所に寄り添うように集っていた--それは、クリミア女王の発案だった。いつどこからともなく現れる女神アスタルテの使徒に的確に対応することなど、ほぼ不可能。せめて分散せず集い、各個撃破されぬように。それは確固たる信念が伺える、凛とした物言いだった。
 デイン王国出身の者は、この部隊にも少なくはない。現国王ペレアス、そしてデイン王国軍の実質総大将であり将帥でもあるタウロニオ旗下の者は殆どがこの隊に属している。民間のゲリラ組織暁の団の面々も幾人か、見ていた。
 互いに最早歩み寄るすべなどはない、そのような戦いの最中の唐突な出来事により、そして突如復活し理不尽とも言えるような仕打ちを施した女神アスタルテの一方的ともいえる蹂躙じみた行為のお陰で、一時休戦、協力すべしという結論が、各国元首の緊急協議により強引にまとめられた。そこに、もう一人の女神の存在があったことは、いうまでもない。


「なんかさ、俺が思うに、固いっ!っていうカンジが、しすぎるんだよね、あんたたち」
 杯を高々と掲げ、自ら膝を打ちながら熱い口調で語る男マカロフは、加えて大仰な動作でタウロニオに向けて人差し指を立て、左右に振って見せた。その顔はすっかり朱に染まり、吐息は完全に酒気を帯びている。
「ちょっとっ、兄さん!」
 慌てて天馬騎士マーシャがそのだらしない素振りを嗜めるが、妹の諫言がまったく耳に入らぬのか、再び傍で穏やかな笑みを浮かべている淑女より注がれた酒を味わい、喉を鳴らしていた。
「す、すみませんタウロニオ将軍…この人の言うこと、あんまり気にしないでくださいね」
 ペコリと頭を下げる様子は、だらしない兄の尻拭いにこなれたしっかり者の妹、という風情だ。騎士とはいえ、彼女の兄マカロフも、そして彼女自身もそう堅苦しい様子はあまりない。これで、元ベグニオン騎士団に属していたというのだから、それはタウロニオにしてみるとやや意外に思えた。あそこの――特に聖天馬騎士団の規律の厳しさは、他国にも有名であった。
「いいや。マカロフ殿、いま少し、そなたの話を聞こう」
「わ、物好きー」
 マーシャがこそりとステラに囁くが、そんな様子すら心地よくタウロニオの目には映る。
「うーん、と、この場合……いや、俺はね、だから、騎士だとか何とかいったって、ジョフレ将軍みたいなのもいれば、ケビン隊長みたいのもいて、んで、最下層に俺みたいのみるから、どーでもいいんじゃないのかって」
「兄さん……自分が駄目だって、自覚はあるのよね……ハァ」
 二人の緊張感のなさは、実は何もこういう場だからというわけではない。いつでもどこでも、この二人はそうなのだ。たとえ戦場でも気楽さを失わない。ある意味では、強いのだ、この兄妹は。
「以前も思ったのだが、クリミアとは…どこかで開放的な国なのだな。奔放で、そして穏やかだ」
「あ!それは、わかりますよ。私たちも、ベグニオンから移住して、最初にびっくりしたのが、そこでした。貴族のお偉方はちょーと勘弁、ってカンジなんですけど、基本的に良い意味で適当なんですよね」
「そうそう、だーから俺もついつい…」
「兄さんがカリルさんの店や他でツケたまりまくってるのは、ぜんっぜん別の話」
「まぁ、俺みたいなゆるいヤツじゃあ、デイン王国軍騎士団なんか逆立ちしたって務まらないだろうけどさ、つまり、なんだ、そればっかでも駄目なんじゃないの?」
「ふむ、貴殿にそのように言われると、どこか成程と思える」
「えっ、タウロニオ殿って真顔で冗談言うようなタイプでしたっけ?」
「おいおいマーシャ、お前のほうがよっぽど失礼だって」
 ごめんなさい、と小声でマーシャは呟き、手のひらをふりながら自らも果実酒の入った杯に口をつける。
 そういうマーシャの仕草や、マカロフの言葉を、タウロニオはやはり心地よく感じる。
「でもなんか、こうしていろんな国の人たちと一緒にいるって、懐かしいなー。なんか、前に戻ったみたい」
 マーシャは、タウロニオも記憶しているあっけらかんとした笑みで、笑った。彼女の笑顔は、晴天のクリミアの空のように穏やかで明快だ。隣では、マカロフがヘラヘラと情けない顔をしていた。
「前のように、か……」
 彼女の言う「前」とは、あのデイン―クリミア戦争のことを指している。主として、タウロニオが己の信念からただ一人見切りをつけた狂王アシュナード。かの戦いでタウロニオは祖国を裏切り、友を失い、主君を亡くした。それでも、あの一時の事をタウロニオは後悔はしていない。
「前のように、も何も、だって何も変わってないだろ?俺の借金癖とか、お前の小言とかさ?」
「兄さんて、たまに、感心するくらい、感動的に、馬鹿よね。ていうか、お、お、ば、か、よね」
「マカロフ様はご立派ですわ。件の叛乱軍討伐の折も、クルベア候配下の正規軍相手の折も、私、何度も助けられましたもの。私が今こうして、生きて皆様と言葉を交わせるのは、マカロフ様がいらっしゃるからに他なりません!」
 唐突に会話の輪に加わるステラの顔が上気しているのは、間違いなくマカロフが理由だろう。
 己のことは兎も角として、こうした人の感情の機微というものに対し、意外にタウロニオは繊細だった。もっともかつてはそのような心配りなどは必要のないもの、などと思っていた時期があり、代償としてかけがえのないものを失った結果の経験論的な側面は、自身でも否めない。

 そういう懐かしげな感傷を思い起こさせるほど、このクリミア王国にそれぞれ籍を置きかつ部下を従えている各々の将らのやりとりというのは、ざっくばらんであり、そしてどこか温もりを感じさせるものであった。この静寂を切るような闇夜の中の篝火と同様に、あたかかく、やわらかい。
「え、あー…あ、うん、まあ、そゆことに…しと、く…?」
「何だよマーシャ、俺の顔がそんなに不細工か」
 マーシャとマカロフの、一見似ても似つかない兄妹のやりとりは、酔いも入ってか収集がつかなくなりつつある。そこに時折ステラが言葉を挟み、マーシャは嘆息する。
 マカロフが笑い、タウロニオに酒を差し出す。受け取った酒は、美味かった。甘く、香りよく、するりと喉を通り程よい酩酊を運ぶ。タウロニオは、どこかで彼らをうらやましい、と思っていた。
「あっ、そうだ、タウロニオ将軍、これ!」
 唐突にマーシャが背後をごそごそと探り出し、一振りの杖を取り出した。
 ぱちぱちと弾ける焚き火の明かりを頼りに、タウロニオはそれを受け取る。重くもなくも軽くもない--武人であるタウロニオにはあまり馴染みのない素材で出来たそれは、おそらくはそれなりに高級なものだ。聖杖についてそう詳しくはないのだが、最低限の知識として見分けや効用、価値くらいはわかる。
「それ、デイン王にって、エリンシア様が下さったんです、わ、忘れてたんじゃないんですけど…ごめんなさい!」
「……クリミア女王が、陛下にと……?」
「あ、は、はい。だって、私たちの部隊って聖杖扱える人、エリンシア様の他にカリルさんしかいないじゃないですか」
 確かに、鷹王率いる第三部隊はラグズが多く、ゆえに戦闘能力は他の二隊と比べても突出している。ただし、聖杖の扱い手―つまりは癒し手が極端に少なかった。
 しかし、マーシャは何を言っているのか、とタウロニオは思う。確かにペレアスは魔道、それも稀少な闇魔道の使い手ではあるが、聖杖は扱えないはずである。根本的に魔道と聖杖は扱う理屈が違う、という話は過去何度も魔道将らから聞いている。
「…だが、我が王は…」
「えっ?…あれ、知らなかったの?俺、こないだデイン王に傷治してもらったぜ?」
「そうそう、兄さんたらステラさんにかっこいいとこ見せるんだぜ、ってばっかみたいに突っ込んでって…」
「わぁああ、マーシャ、思い出させるな!思い出すだけでも痛いから!」
「ほんと、もうこりゃ死んだかなーと思ったんですけど、デイン王が側にいてくださったおかげで、とおっても残念な事に…バカも直らないまま生き延びてます」
「マーシャ……あのな、まるで俺が死んだ方がいいみたいなこと言うな」
「兄さんの借金癖とバカが治るなら、五回くらい死んだほういいわよ」
 二人の兄妹の軽快なやりとりも、彼らを諌めるステラの声も、どこか遠かった。

 一体ペレアスは何時の間に、そのような事が出来るようになったのか。
 そうでなくとも近頃は--そう、あの忌々しきかつての臣と再会してからこちら、ペレアスはタウロニオと意識的に距離を置いているように思えた。
 そしてタウロニオもまた、そんなペレアスにどう接してよいものか判らず、最低限の身辺の警護のみに終始していた。

 戦いになれば、ペレアスは望んで自らを死線に晒す。その事を、誰よりもタウロニオは良く知っていた。あの若き王の苦悩を最も近くで見守ってきているという自負はどこかにある。そう、ペレアスに執着とも言えるような愛情を注ぐアムリタよりも。戦場で、王宮で、場を問わず、タウロニオは若き王ペレアスに対し多くを教えてきていたし、また教えを乞われてもいた。自らの無知を恥じるペレアスを叱咤し、励まし、見守り続けてきていた。
 だが、そんなペレアスを今守っているのは、己ではなくマラド騎士フリーダや傭兵剣士ツイハークだ。
「これ、ちゃんと渡してくださいね?さっきも言いましたけど、私たち、戦い得意な人はたくさんいても、傷を治せる人少ないんですから!」
「そうだなあ、しかも『当たらなければどうってことはない』とかフェニキス連中なんか言って、ふっつーに弓兵相手に突っ込むしな…」
 なおもタウロニオが躊躇うように三人のクリミア騎士を伺うと、マーシャは彼女らしい満面の笑みを、マカロフはどこか照れくさそうにそっぽを向きながら、そしてステラは花がほころぶような微笑を、それぞれタウロニオに向けてきた。
「タウロニオ将軍、ちゃんと、向き合ってあげてください。きっと、デイン王、ペレアス様も…応えてくれますよ」
「……マーシャ、そなた」
 タウロニオの声にある湿っぽさを感じ取ったのか、慌てたようにマーシャは顔の前で両手をばたばたと振り、あははと笑ってみせる。
「あっ、えっとそのっ、あれですっ、あれあれ、ほら私って駄目兄貴の面倒ずうっと見てたじゃないですか!その分要らん苦労とかもしてきてて…だから、なんとなく、こう……ちょっとだけ、他人の余計なトコロが見えちゃったりすること、あるんです。余計なおせっかいかもしれないんですけど…」
「お前な」
「マーシャ様のそういうところは、素敵だと思います。とても」
「え、えへへ、あはっ、そ、そう?」
 心の奥底に、ほんのりと暖かなものが、灯る。フッと小さく嘆息し、タウロニオは目線をあげた。
「すまぬな、いや………感謝する。マーシャ殿、マカロフ殿、ステラ殿」
 改めて、渡された聖杖を握りなおす。これは遠方の仲間も治癒出来るという、基本的には司祭階級以上のものにしか携えることを許されていないものだ。当然だが値は張るし、教会に認められたものでなければ扱えない。
 そのような貴重品を、クリミア女王エリンシアは惜しげもなく、かつての敵国の王へと送る。そういう度量の深さと優しさが彼女らしい、と、あのたおやかな笑みを浮かべる女性を思い出しながらタウロニオは小さく顔を綻ばせた。
「クリミア女王にも、後ほどお礼に参ろう…陛下と共に」
 あくまでも生真面目に騎士は言う。すると、今度は突然マカロフが噴出した。
「…ちょっとっ、兄さん!この期に及んで…!!」
「い、いや、だってさ……将軍の物言い、まるで父親だろ?あ、いや、おかしいってんじゃなく、な?」
「……どうだか…ほんっと失礼なんだから…!って、あれ?タウロニオ将軍??」
「いや、いや、…よい。……マカロフ殿の言う通りなのだ。わしは、陛下を陛下と敬いながら、…どこかで、息子を重ねていた」
 わかってはいた。だが、自覚したくはなかった。だから、どのように接してよいのかが判らなくなっていたのだ。

 再び、失うのではないか。
 再び、その手は離れてしまうのではないか。
 再び、あの、侮蔑するような…他人を見るような眼差しを向けられるのではないか。

 かつて妻と子を、己の甲斐性のなさで失った。今彼らは遠く離れたクリミアの地に根付いている。
 それは、すべてタウロニオの灰色の過去の記憶だ。あえて封じ、忘れたふりをしていた、タウロニオという男の人生におけるただひとつの、致命的な間違い。そういう--絡めてはならぬ感情をペレアスに対して抱き、己の役目をすっかりと忘れてしまっていた。
 とすれば己は、父としても不適格であろう。
 子から逃げ、腫れ物に触るように接しているのでは、互いの信頼なぞ望みうるべくもない。
「ふーん。まぁさ、それならそれでいいんじゃない?あの王様、結構寂しそうだし」
 なんてことない、と言わんばかりのマカロフの言葉にタウロニオははっとなった。
 慌てるようにそののんびりとした表情の男を見ると、やはりのんびりとした調子でマカロフは表情を緩める。
「……そなたらは、失礼だが似ても似つかぬと思っていた、だが…やはり、兄妹だな」
 タウロニオの言葉に、マカロフとマーシャは互いに顔を見合わせ、同じようになんとも形容のしがたい表情を作る。その様がまたそっくりで、タウロニオとステラは小さな笑みを漏らした。