少年と英雄/sample1

 荒涼とした台地に、日が沈んでゆく。立ち枯れの木々の間を、二つの小さな影が縫うように走った。街道から幾分逸れたその先には、針葉樹林が緩やかに広がり、森を抜ければ旧王都だ。森を抜けずとも街道沿いに歩けば幾分か遠回りにはなるがネヴァサへ辿り着くことは出来るが、最近は街道を通る旅人はめっきり減っていた。
 ふと、影の一つが立ち止まる。随分と先へ行っていたもう一つの影が、反転して戻る――どちらも、まだ成人すらしてはいない少年だった。

「何、してるんだ…!」

 急かすよう怒鳴る少年に、もう一人の少年は沈黙し街道沿いに立ち並ぶものをじっと見詰めている。

「おい、レオナルド!」

 憶えたばかりの名を呼び乱暴に肩を掴み力を込めても、彼は動かない。凍りついたかのように、ただじっと視線を一点へ向けている。軽い舌打ちと共に相棒の視線を追った少年は、決して血色の良いとはいえぬ顔をゆがめた。
 もう、今更驚くような光景ではない。街道に、まるで街路樹のように立ち並ぶ柱の先には、駐屯軍により「処刑」されたデイン人の遺骸が突き刺さっている。恐らくは生きながら殺されたのだろう、そのすべては苦悶の、或いは憎悪の表情で、女神を呪う言葉を吐きながら果てたのではとすら、思わせる。すっかりと乾いてしまった赤黒いものやこびりついた肉片、臓物であったと思しきもの、何れも鼻がまがるような異臭――老若男女問わず無造作に突き殺され晒された遺体は無残で、中には野鳥や獣に食い荒らされそれがかつて人であったことを想像出来ぬ様を呈しているものもあった。

「おい」

 何度声をかけても、レオナルドは動かない。業を煮やした少年は、乱暴にその骨と皮だけのような細すぎる腕を掴み、ぐいと引き寄せた。それでもこちらを向かないレオナルドのこけた頬を掴み、表情のない顔に怒声を浴びせる。

「行くぞ!せっかく助かったのに、あの仲間入りしたいのか?!」
「エディ、僕は……」

 尚も、レオナルドは心をどこかへと置いてきたような顔だ。エディは唇を強く噛んで鼻をならし、唐突にレオナルドの耳元を張った。子犬のようにくるりと回る瞳が、怒りに燃えている。

「死にたきゃ勝手に死ねよ!けどさ、助けてなんて言葉いったんだから、その言葉の責任くらい取れよな!少なくとも、俺と一緒にいる間に死なれたら目覚めが悪いじゃないか、だから、死ぬんならネヴァサに着いて俺と別れてからにしろよ!」

 そこまでを一気に言ってから、エディは大きな溜息をついた。だいたい、武器も何も持たないで一人で街道をフラフラしてるなんて、殺してくださいって言っているようなもんなんだ。しかも、どう見ても貴族のお坊ちゃんみたいないい服着て、一体何考えてるんだよ、折角助けても生きてんだか死んでんだかわかんないし。
 みるみるうちに表情を曇らせても、レオナルドの反応は芳しくない。が、自分の行動がエディを怒らせたらしい、ということは理解しているのだろうか、少しだけ顔を俯かせ「…ごめん」と小さな呟きが返ってきた。わずかに間の悪い沈黙が、漂う。

「行こうぜ。駐屯軍は、しつこいんだ」
「うん……ごめん」
「もういいよ」

 殴って悪かった、ということを言うタイミングをなんとなく逃してしまったエディは、そのままレオナルドに背を向けた。後で、謝ろう。とにかく今は森に逃げ込んで、駐屯軍の連中をまくことが先決だ。即座に頭を切り替えた少年は、背後になんとかついてくる存在の事を気にしながらも、一気に駆け出した。


 すっかりと日が落ちてしまえば、この針葉樹林の中で人を探し出すのは地元の人間でもなければ難しい。
 ネヴァサ近郊は台地状の地形ではあるが、その周辺はといえば緩やかな起伏が続く山岳地帯であり、急峻な地形も多い。雪解け水に台地が削られ、或いは度重なる地震により地形が変わり、そうしてこの複雑な地形が出来上がったのである。それでも、北部のパルメニー神殿付近やマラド領などは優良な馬の生産地であり沃野も広がるが、南部デインは土地も痩せ地形は複雑で、農耕に適した土地ではない。だからこそかつてこの荒野に国を作ろうとした初代国王ヘンギストはベグニオンではせせら笑われたが、そうした厳しい条件にも屈せずに一つの国を作り上げたかの祖霊を女神と同列に崇めるのは、デイン人がデイン人である何よりの証拠かもしれなかった。下町に生まれ育ったエディは、自分が祖霊ヘンギストに祈る本来の理由などは知らない。が、その名とその名を唱えることの意味するところは、孤児であっても知っていた。その名を呟けばどこか強い気持ちになれたし、なんとなく胸の奥は熱くなる。何事にも、めげないでいられる気がした。それは信仰というのだと、町の人には教えられたが、それをなんと言うかなどはエディにとってはどうでもいいことだった。

 早春という季節の夜に、火を焚かないというだけでも疲れた身体には堪える。だから、エディは懐から仄かな熱を孕む石を取り出して、レオナルドに差し出した。

「お前、随分ムリしてるだろ」

 レオナルドは先ほどからひどく寒そうにしている。その服じゃ寒いに決まってるよなぁ、そう思いながらエディは溜息をついた。何と言うか、偶然拾ったこの相棒は、まず色々な常識が欠けていた。エディのいう常識とは下町での常識であり、こうして野宿する際の常識だったりするのだが、すれば顔立ちも整って(それっぽい格好をしていたら、女の子と間違えたかもしれないとエディは思う)、デインではとても珍しい綺麗な金髪とか、なんとなく育ちの良さそうな雰囲気だとか、言葉の端々からこの少年は貴族だったりするのだろうか?

「ひとつだけだから、ないよりまし、って程度だけどな」

 貴族なら、この石が何かくらいは知ってるだろう。そう思って差し出したのだが、レオナルドの反応はいまひとつだった。「懐炉っていう石。知らないのか?こうして、布にくるんで少しこするとさ…」レオナルドの見ている前で、エディは取り出した石を千切った布に包み、こすりだした。理屈はよくわからないのだが、こうしてこするとこの石は徐々に熱を帯びてくる。だから、冬などはこの石を集めて布でくるみ、そうして夜を過ごすのだ。デインではこの石は当たり前のように流通していて、食糧などよりもずっと安い。それは、この石が魔道を志すものがその適性を試すためにまず師から与えられる課題により生み出されるからであり、魔道兵などは実戦前、精霊の安定度を確かめるために火の精霊をこうしてそこらへんの石ころに封じ込めるのだ。これは冬場行軍することもあるデイン軍にとっては命綱のようなものであったが、他国には必要性がないからか存在すらしていない。そうした、訓練がてら生み出された簡易懐炉を、秋口に差し掛かるとエディは拾い集めていた。孤児であり頼れる家などもないエディにしてみれば、冬場を生き延びるには必須の道具なのだ。布で包むのは直接触れると火傷をしてしまうからだった。

「ほら、これを懐にでもいれとけよ」

 なんとも奇妙な表情をしていたレオナルドだが、差し出されたものに触れた瞬間、少しだけ驚いたような顔になった。

「ほんとだ、あたたかい…」
「なんだよ、懐炉も知らないのか?」

 特別な悪意を込めたわけでもないし、馬鹿にしたわけでもなかった。が、エディの言葉にレオナルドは即座に顔色を曇らせ、俯く。まったく、こうやってへこむ時だけは表情がわかりやすいよな、こいつ。「俺、見張ってるからお前は寝ろよ。いいからさ!ほら!」まだ何か言いたそうなレオナルドに強引に脱いだ外套を被せてから、エディは改めて周囲を見回した。崖近くの、人が一人ようやく隠れられるほどの小さな窪地だが、火さえ焚かなければこの森の中、暗がりでは目立たない。近くには川が流れているから土地勘がない駐屯軍兵は恐らく近寄らないだろう――雪解け水の混じるこの時期の川の水の冷たさは、彼らだって知っているはずだ。

「…エディ、あのさ」
「お前は寝てろ。俺の心配するくらいならさ、起きた時その顔色少し良くしてくれよ」

 なおも顔をこちらに向けているレオナルドの視線を感じながらも、エディはぷいと顔をそむけ、森の闇へと目を向けた。かさかさと風が枝葉を揺らす音と、水の流れる確かな音。人為的な音はなにも聞こえない。それでも、身体を休める気には、なぜかなれなかった。じっと視線を向けた先に、夕刻街道で見たあの悪趣味極まりないオブジェがぼんやりと浮かんでいるようだ。もしかしたら、この暗い森で真に恐れるべきは、生きた人間などではないのかもしれない。らしくはない不安が唐突に胸を過ぎり、エディは唇を噛んだ。そんな事を考えるな。考えたら、おしまいだ。俺もレオナルドも得体の知れない気味の悪い何かに捕まって、二人とも死ぬ。そもそも、どうしてこいつを助けたのかわからないけれど、見捨てては置けなかった。連れてきて後悔したことの方が多いけれど、でも、こんな森でたった一人で夜を過ごすよりはいい。一人でいるっていうのは、結構、寂しいものだった。

「……助けられ、なかったな……俺、やっぱり無力だ」

 エディの小さな独り言がレオナルドに届いたのかどうかはわからない。ただ、背後で少しだけ動く気配が感じられた。エディはそれには構わず、森の闇をじっと睨んでいた。


(中略)


 地面間近く横たわる湿気のひややかさに違和感を覚えてレオナルドが目覚めると、周囲は薄ぼんやりと明るくなりかけていた。が、霧が濃い。身体の重だるさは大分取れていたが、疲労感は相変わらずだ。それでも、眠りに着く前よりは大分良い、と思った。
 見れば、エディは麻布に包まりうとうとと船を漕いでいる。けれども、見張りの役目を果たさずに眠りこけている少年を、レオナルドは責める気にはなれなかった。突如襲撃してきた駐屯軍の追っ手から逃げるだけで精一杯で、親友とはぐれ彷徨っていたレオナルドを見つけたのはエディで、あの時エディと出会ってなければ何れとらわれ収容所送りにされていたことだろう。その先は、恐らく、ない。
 エディの言葉は直接的でお世辞にも上品とは言えないし、態度も時折乱暴で、適当で場当たりだ。けれど、危機回避能力という点においては、間違いなくレオナルドよりも上だろう。年頃は同じだというのに、エディとだけ名乗った薄汚い格好(それはレオナルドとて大差ないのだが)の少年は、一体どんな少年なのだろう。場違いな疑問がレオナルドの中に芽生えてきた時、エディの顔が幾分大きめにかくりと傾ぎ、続けてその上半身がぱっと伸ばされた。

「あっ、まずい、俺……」

 ぱちぱちと瞬きをしてから、少年はばつが悪そうにレオナルドに視線を向ける。「悪ぃ、俺、寝てた…?」まるっきりしかられるのを待つ子供のような表情に、なんだかおかしくなってレオナルドは小さく笑う。

「少しね、でも、大丈夫だよ」
「あぁ…うん、その、ごめん」

 なおも覚醒しきらないのか、エディは巧くろれつが回らない口調で呟く。

「そんな。僕のほうこそ謝らないと。エディにばかり見張りを押し付けてごめん、お陰でゆっくりやすめたよ」

 レオナルドが言うや、エディの寝ぼけ眼が見る見る険しくなった。

「おい、そこ、違うぞ」
「何が?」
「謝るところじゃない」
「え、でも…」
「そういうのは、ありがとう、って言うんだよ」

 ぶすっとした顔で、エディは続ける。既にその手には小汚い片手剣を持ち、携帯している小袋からなにやら取り出してレオナルドに差し出していた。「今日は、これだけな」乾燥させた、見るからに堅そうな干し肉だ。

「ネヴァサまでは、少なくともあと二日はかかるだろうし…こんな時期じゃ狩りもなぁ…」

 溜息をつき、尚もレオナルドに食え、といわんばかりに干し肉を押し付ける。

「あり、がとう…」

 囁くようなレオナルドの声に、一瞬目を見開き、それからにっこりと人好きのする笑みをエディは浮かべた。
 受け取った干し肉は口に含むと香辛料の味ばかりがして、噛み切れない程堅い。それでもこれしか口に出来るものがないのだから、仕方なく何度か咀嚼していると、ゆっくりとではあるが口の中に塩辛さと肉の旨みが混ざったような味が広がりだした。それを、素直においしいとレオナルドは感じた。

「食ったら、霧が晴れないうちに行こう。森の抜け道を通れば、ネヴァサまでは二日で辿り着く」
「うん…わかった。けど、どうしてネヴァサへ?」
「どうして、って…俺は元々あそこの生まれだし、この辺じゃ一番近い街だろ」

 自らも干し肉を齧りながら、エディは不思議そうな顔をした。つまりレオナルドは大分北上してしまっていた、ということになる。はぐれてしまった親友と向かったのは南方だったのだが――同じ旧デイン国内でも、都市機能や鉱物資源などの集まる北部地帯はそれだけでも武装蜂起に繋がると駐屯軍の監視の目が厳しく、対して主要都市がデインの玄関口ダルレカのみの南部は、人の出入りの激しいダルレカ以外の都市に対してはそう厳しい締め付けを行ってはいなかった。だから、逃げるならば南部だと考えていたのだが、どうやら自分はまったく逆の方角へ逃げてきていたらしい。再び下降気味を辿る胸中を抑えるように、レオナルドは呟いた。

「ネヴァサの方は、駐屯軍の締め付けが大分厳しくなっていると聞くけれど…大丈夫かな」
「大丈夫さ!」

 が、レオナルドの懸念など露ほども理解はしていないであろうエディは、あっけらかんと断言する。

「あそこは、俺が生まれた街で、生まれたときから歩き回ってるんだ。駐屯軍の連中なんか、街に入っちまえば簡単にまけるって!」
「そういうことじゃ、…ないんだけど」
「じゃあ、どういうことだよ?」

 干し肉をさっさと食べ終えたエディは、立ち上がる。立ち上がったところで包まっていた麻布からぽたぽたと雫が滴り落ちて、エディは煩わしそうにそれを何度か払い、丸めて手持ちの紐で縛ると背中に括りつけた。

「さ、何時までものんきに食ってないでさ、行くぞ」

 何から何まで、エディはひどく身勝手だ。レオナルドが1をする間に4つくらい何かをするほどせっかちで、人の話を聞かない。けれど、行くあてもなくて帰るところを失ってしまったレオナルドにとっては、とても頼もしい同行者に思えた。「わかった」頷いて、レオナルドは最後の干し肉を飲み下した。


 エディが「最低二日」と言ったとおり、薄暗い森を抜けた先に広大な山脈とその麓に作られた城砦をレオナルドが視界に入れたのは、それから二日と半日ほど経ってからだった。早春の森の中には驚くほど食べ物が存在していて、エディはそれを器用に捕え、あるいは採取して調理していた。手持ちの決して大きくはない鞄には最低限の調味料や火を起こす道具、防寒具他長旅には欠かせないであろうものが魔法のように詰まっていて、その度にレオナルドは驚き、感心の連続だった。エディにしてみれば街を出るならこの程度は当然の準備らしいのだが、生憎と自分の生まれた館や領内から出るという経験が殆どなかったレオナルドには、それは無用の知識だったのだ――家督を継ぐ唯一の存在として、南部の士官学校に入り、どこかぼんやりとした将来像をベグニオン駐屯軍に徹底的に破壊されるまでは。
 破壊された瞬間の事を、レオナルドは良く記憶していない。無理もなかった。
 まったく、何が起きたのか認識する暇もなく友人に手をひっぱられ、気付けば荒野に佇んでいたのだ。怒りに赤黒く変色した顔を歪ませる友人はひたすら駐屯軍を呪う言葉ばかりを吐き、まるで別人のようで恐ろしかった。けれども、彼は士官学校入学時からの友人で、数少ない友だった。その彼とダルレカを目指していたはずが、互いに不案内だからと街道を素直に行った事が仇となり、哨戒中の駐屯軍兵に見つかったのが運の尽きだった。「別々の方向へ逃げて、あとで合流しよう」そう囁いた友人の表情が、思い出せなかった――レオナルドは被りを振る。思い出したところで、心が苦しくなるだけだ。口の中が苦くなり、眩暈がするだけだ。

「どうした?疲れてるのか?」

 目聡くレオナルドの変化を察したエディが、振り向いてこちらを見ている。この少年は、たまに後ろに目がついているんじゃないか、というくらいにレオナルドの様子を常に伺っている―気にかけているように、見えた。ふと、何故彼は自分にここまでしてくれるのだろう、と思う。確かに、彼と出会ったときの自分は文字通り死にかけていたから、そのまま放置するのは目覚めが悪いという彼の理屈は、まあ、理解できる。けれど、その先まで面倒を見る理由はないはずだ。なのに、何故だろう。

「いや、そうじゃないんだけどさ、あの」
「なんだよ、はっきりしないな。ネヴァサはもうすぐなんだぜ」くい、とエディの右手親指が示す方向に聳える城塞都市、旧デイン王国首都ネヴァサ。一度も訪れたこともない場所に向かう不安感が、さらにレオナルドの疑問を後押しする。

「うん……あのさ、エディ。エディは、どうして、ここまでしてくれるの?」

 レオナルドの言葉に、返事も聞かずに歩き出そうとしていたエディの足がぱたりと止まった。

「僕は、君になにも返すことなんて出来ないし…はっきりいって、足手まといなのに、どうして」
「別に、俺がそうしたかっただけだ」

 もう一度振り向いたエディの顔は、明らかにむっとしていた。眉根を寄せて口元をへの字に曲げて、どうしてそんな馬鹿なことを今更聞くんだと言外に主張している。

「俺が、そうしたかったんだよ」

 念を押すように重ねられた言葉は、暗にレオナルドの疑問も反論を封じていた。これ以上この話題を続けるな、といわんばかりに歩き出す。その背中に、妙な距離と無言の拒絶を感じて、レオナルドも納得は出来ぬものの己の中の疑念を封じて、徒を進めた。エディが自分を助けてくれるということだけは、間違いがない。それだけで十分なのだ。多少どころではなく重たいものが、レオナルドの心を支配していた。