携える重さ

「そういえば、カリルから聞いたのですが」

 唐突に、傭兵男がそう切り出した――傭兵という言い方は正しくないのかもしれない。が、彼は騎士でもなければ従士でもなく、どころか部下ですらない。一度は自分の元から去ったはずである。にもかかわらず、今こうして共に行動をしていて、彼は自分の側から離れない。彼がいうカリルとはクリミア女王の知り合いという炎使いの魔道師だ。豊富な知識があり可也の手練であることは、同じ魔道遣いであるペレアスには彼女の作法や詠唱から判断が出来た。
「先ほどはありがとうございました。結構、危なかったんですよ」こともなげにそう言って微笑むが、軽さの中に潜む僅かな戸惑いのようなものを、ペレアスは見逃しはしなかった。

「いえ、その前にまずお礼を。まさか陛下が聖杖にも通じているとは思いませんでしたが…本当に助かりました」

 続く言葉が彼の告げたかったものではないのは明らかだったが、詮索はしなかった。何か思う所があるのだろうが、そうした他人に対する干渉に、ペレアスはあまり慣れていない。

 それでも、ミカヤら馴染んだ顔と離れて他国の、それもラグズの王を中心とした部隊に組み込まれてしまい如何に神意といえど抵抗がないわけではなかったペレアスにとっては、以前のように変わらぬ素振りで接してきたツイハークの存在は心強かった。タウロニオやフリーダたちとは違う気さくさも持っているのだ。

「昔少しばかり真似事をね…本来ならば、この玉は司祭様に認められないものには扱えない代物なんだ。するとベオクの力を引き出す道具というのは、女神からの授かりものなのかもしれない」信仰と奇蹟は殆ど同義なんだ、魔術的な意味においては。付け加えると納得したように傭兵男も頷いた。光魔法、或いは聖杖の根源は信仰の力そのものである、というのは大陸でも広く知られている事実だ。

「ああ、成る程。俺の場合はあまり変わらなかったですけどね。けど」

 そこで、ツイハークは言葉を切る。ペレアスもこれ以上何かを言うつもりもなく話題もなかったので、会話はそこで一旦途絶えてしまった。ペレアスが少し先を行きツイハークが後ろからついてくる、という格好でそのまましばらく無言で歩き続けた。ツイハークが前を行かない理由は以前ちらりと聞いたことがあったが、実際この行軍の中でも彼のお陰で何度命拾いをしたかわからない。魔道の力には優れていたとしても、ペレアスの得意とする闇の魔道は殆どが相手を傷つけるか滅ぼすようなものばかりで、自らを守るようなものは殆どない。まして索敵能力などペレアスにあるわけもなく、そうしてみると彼の存在は非常に心強く有難かった。

 ペレアスが考えに少しばかり意識を奪われていると、僅かに早まったツイハークの足音が耳に届いた。敵か、と我にかえるものの、それにしては先を行っているハズの仲間たちの反応は薄いし、すると単独で乗り込んできたのか−−全身を黄金に包まれた、既に人としての意識をなくした女神の尖兵は、何もない空間に突如現れるのだ。一瞬身を硬くするも、隣に並んだツイハークの表情は穏やかなままだった。

「俺は、そうして誰かの傷を癒すとか、そういう陛下は、らしいと思いますよ」

 こちらを伺う声も表情も、いつもの彼のものだ。ツイハークの言いたい事はわからないではないし、実際聖杖を扱えるようになった時にほぼ同様の事をタウロニオにも言われていた。が、それはそれでどこか複雑でもある。自ら望んで闇精を宿し力を得た、たとえ他に選択肢のない状況でどうしようもなかったとしても、そういう側面をないがしろにされたような気になるのだ。無論ツイハークにそんな意識はないだろう。すると尚更、そういうつまらない考え方をしてしまう自分自身にウンザリした。

「…皆、そういうんだ。けれど皮肉なもので、実際に扱い慣れているのは奇蹟だとか祈りだとかとは正反対の、『負』の権化たる闇精だけどね」

 皮肉だとか、あてつけだとかそういうつもりではなかった。が、やはりツイハークの眼がわずかに揺れた。「いや、…悪気がないのは、わかっているのだけど」困ったように続けると、傭兵の目が緩く細められた。

「今のは俺が悪かったです。陛下の選択だとかそういうものを、否定したかったわけではなくて…まあその、…そうですね、お互い様ということで、おしまいにしましょう。俺が陛下の御技で助かったのは事実で、これからも頼りにさせてもらってもよいというのなら」
「あ、ああ……」ツイハークの言葉は、素直に嬉しかった。自分の力を認めてもらえたという喜びでもある。今の今まで、そのような経験はついぞなかったし、実際果たして歴戦の戦士たる仲間たちの共に戦う資格があるのかと常に自問自答を繰り返していて、その答えは常に「否」だったのだ。
 だからやはり、続く言葉の歯切れは悪い。「……それは、本気で?」
 ツイハークの表情が、それこそ見たこともないような奇妙なものになる。いつでもどこかに余裕のあるような、含みがあるようなそれではなく、感情をあらわにしたもの――心底驚いた、という顔をしていた。やがて、男は体を屈めて小さく噴出す。

「俺は傭兵ですよ。そういうおべっかとか偽りは、命取りになる商売です」
「あ、そうか…、それは…そうだな」
「鷹王の言葉は額面どおりではないですよ。それに、今ではしっかりと認めておられると俺は思います。でなきゃ、戦場に立つ事だってかのラグズ王許しませんよ。ラグズは、そうした側面が強いですから」
「……そういう、ものだろうか。それならば、よいのだけれど」

 曖昧な言い方で曖昧に笑いながら返すと、ツイハークはそれも肯定するようにしっかりと頷いてくれた。少し、気分がマシになる。
 とはいえ実際にどうなのか、確かめてみる度胸はペレアスにはなかった。あの、王としての自分を当然と思うその態度や揺るぎの無さに、どうしても気負ってしまう。どうしても、器の小さく愚かな自分自身と比較してしまう。そうしてまた惨めな思いばかりをするのだ。無論、かの鷹の王はそのようなことは考えてもいないだろう。

「陛下の使われる魔道は、御し難くゆえに使役者も少ないと、それもカリルから聞きています」

 気づけば、ツイハークの眼差しは真剣だった。歩む足も、止まっている。こちらを正面から見据え、真意を知ろうとする者がそうするように静かに佇んでいる。

「そういう魔道を扱うのであれば、もっと己の力を信じるのも必要だと思いますよ。それは剣を信頼せねば商売にならない俺たちと、たぶん同じ理屈です」

 自分自身の力量を信じなければ、そもそも闇魔道などというリスクの大きな魔道は扱えない。それは、漆黒の背表紙を手にした時から知っていたはずの、当たり前のことだった。が、今の自分はどうなのか。改めて、ツイハークの言葉から考えてみれば――恐らくは、出来てはいないのだろう。自分という存在そのものすらも信じられないのだ。それは危うい。暴発すれば、威力の大きな闇魔道は一個小隊程度なら軽く滅ぼすことが出来るのだ。

「すまない。君にそう言われるまで、…そういう考え方を、忘れていた。昔は、いや、戦場に立つのだという覚悟をした時には、そういう風に考えることができていたのだけれど」

 言葉を吐き出して眼を閉じると、少し、ではなく大分気持ちは楽になっていた。考え方一つというけれども、その考え方自体が、ずっと塞ぎこむ方向に行っていたのだから当然かもしれない。が、いつまでもそれでは、それこそ無益な戦を強いられ犠牲となった民や兵達にどういう言い訳ができよう。せめて、彼らのために戦うことが、自分に残された唯一の道だ。
 深呼吸をする。そして瞼を開ければ、当たり前みたいに佇んでいる傭兵男が軽く頷いてみせてきた。

「それにこの隊で聖杖使いは貴重ですからね」

 最初にその言葉を言わないのが、この男なりの気遣いなのだろう。「行きましょう。遅れると迷惑になりますから」言いながら、やはりツイハークは背後を行くのだ。随分と冷えている足を踏み出す。すると足音がついてくる。重さを幾分か取り払った心には、その足音の頼もしさの意味合いが少しばかり違って聞こえるような気がした。