灯火

こちらは2017年2月発行同人誌[to tell a story-tell a tale]に収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。

「ううん……どこだったっけかなあ」

 見知らぬ土地、見知らぬ人々。そんな中でも、少女はあまり物怖じすることなく歩き回っていた。
 ここにいる人たちは少女に危害を加える者はいないし、皆優しい。母カリルのことをよく知る人たちも多い。だから、少女はそういう意味で不安になることは、あまりなかった。

「ねこの、おにいちゃん……ええと…」

 けれど、少女の声はどこか辛そうだ。右足をかばうように、あまり雪の積もった地面につけぬように歩いている。注意深く彼女の足取りを見れば、彼女の右足の靴が殆ど用をなさず、おそらくは凍傷にかかっている、と見抜けるだろう。

「……んー……」

 痛い足を引きずりながら歩いても、目的とすべき場所を知らない少女には、どうにもならなかった。

 少女エイミがこの第三部隊で知っている人間は、限られている。
 エリンシア女王や、女王周りの人―、元気な天馬騎士のマーシャ、「ろくでなし」のマカロフとステラお嬢さん、それから、ジョフレ将軍に、将軍の部下のとても元気で強い騎士ケビンに、手品が上手なウハラダ。そして、猫のお兄ちゃん――ライという名だった、ということまで、エイミは記憶している。
 ライの所在を聞こうにも、このあたりにエイミの知っている人はいなかった。それはその筈、エイミが迷い込んでいたのは、クリミア陣営が集まる場所ではなく、デイン陣営が集う場所だったのだ。

 こんなときかあちゃんがいたら、まよわないのに。

 幾分か不安になりながらもきょろきょろと周囲を見渡していると、一人の青年と目が合った。
 その人は驚いたような顔でエイミを見てから、少しだけ哀しそうな顔をした。その表情を見たとたん、胸の奥がきゅっとすぼまるような、不安に似たような、けれどそれとは違う感覚を覚えて、エイミは一度瞬きをしてから青年に近づく。

「ええっと…あたしエイミ!えっとね、ライていうひと、どこにいるか、わかる?」
 何で、この人はそんな顔をするんだろう。不思議に思いながらも、エイミはライの所在を問う。エイミの表情が不安げに見えたのだろうか、その人はにっこりと笑ってかがみこむと、エイミの頭をゆっくりと撫でてくれた。

「ライなら、ガリアの陣営…こことは反対側だよ」
「とおいの?」
「…そうだね、エイミの足だと、ちょっと時間がかかるかもしれない」

 時間がかかる、と言われ、エイミは顔を曇らせる。足は、感覚がよくわからなくなってきている。歩くのも、少ししんどい。

「暗くなってきているし、僕が一緒に行こう」
「ほんと?」

 誰だか良くわからないけれど、ねこのおにいちゃんのことも知っている。それに、優しそう。エイミはそれだけの事ですっかり安堵していた。

「うん、あたし、おにいちゃんといっしょにいく!」

 先ほどまで感じていた不安を吹き飛ばすように、エイミは満面の笑みを浮かべると、青年はそれは穏やかな微笑みを浮かべる。教会の神父様みたいだな、とエイミは思った。



「それでね、おとうちゃんはいしになっちゃって……でも、じょふれしょーぐんも、じょおうさまも、やくそくしてくれたの、それに、かあちゃんにも、あわせてくれるって!」

 ゆっくりと、子供の足に合わせてはいたつもりだったが、この雪の上を彼女の足では少々辛かったようだ。言葉の快活さとは裏腹に、更に足が地面につかないように、どこか不自然な歩き方をエイミはしている。
 凍傷か、そうでなくとも痛むのだろう。ネヴァサの貧民窟では、よくこんな歩き方をする子供たちを見ていた。

「エイミ、おいで。そんな歩き方をしていたら、疲れてしまうよ」
「えっ……、う、うん」

 エイミは驚いたようにペレアスを見上げた。どうして、とその目は問うていた。
 ペレアスが屈みこみ小さなエイミを抱えあげると、少女はほっとしたようにため息をついた。宙に浮いた右足を、彼女はしきりに気にしている。

「そんな薄い靴で……痛むだろう。少し、見せてもらってもいいかい?」
「う、…ん…」

 ペレアスの言葉に、エイミは素直に従った。人を疑うことのない無邪気さもあるだろうが、痛むのも事実だろう。ペレアスが小さな靴を脱がせてやると、案の定その足は腫れていた。携帯していた寒さを避ける為の火石―炎魔道の初歩の遣い手が、精霊の扱いに慣れるために仕込む道具を布で包み小さな足にあててやると、エイミはうぅ、と小さくうめき声をあげて、震えた。そのまま、エイミの足に火石を固定し、小さな身体を横抱きにしてペレアスは立ち上がる。

「う、なんか、じくじくしてきた……」
「いいかいエイミ。そうやって、どこか痛くなったりしたら、すぐに大人に言わないと、もっと大変なことになるんだよ。少しこのままにするけど、いいかい?」

 言葉は厳しくとも、ペレアスの口調は穏やかだった。だからエイミは、青年の言うことに素直にこくりと頷いて、神妙な顔をしながらもペレアスに身体を預けた。
 そのままエイミを抱えながら、ペレアスはガリア連中が集う場所へと歩き出す。
 痛むであろう少女の足を気遣い、その歩みは静かに、そしてゆるやかだった。
 途中ツイハークとすれ違うと、剣士は驚いたように主君の姿を見て、次の瞬間にこりと彼らしい柔らかな笑みを浮かべ頷いてくる。

「ガリアのライのところに。心配はいらない」
「将軍には、そのように伝えておきますよ」

 二人の男のやりとりを不思議そうに眺めている少女に、再び歩み始めてからペレアスは微笑んだ。子供らしい広い額をてのひらで撫でてやると、エイミは少し、くすぐったそうに笑った。
 足は痛むはずなのに、それでもエイミは泣き喚いたりはしなかった。それでも、小さな唇はきゅっと結ばれて、ペレアスの衣服にすがる小さな手に時折力が込められる。
 この少女は、驚くほど気丈だ。素直にペレアスは思う。脆弱な心を持つ己とは、違う。親と離れ離れで心細いだろうに、それをおくびにも出さないのだ。

「おにいちゃん、おくすりやさんなの?それとも、きょーかいの、しんぷさま?」

 唐突に、少女は問うた。じっと、きまじめな眼差しで、自分を抱きかかえる青年を見る。

「どちらでもないよ」
「ふうん……あのね、かあちゃんがよくいくおくすりやさんは、ほんとうはしんぷさまだったんだけど、エイミたちみたいなこどものために、おくすりやさんになったんだって。あたし、よくわかんないんだけど、かあちゃんは、そのひとのこと、えらいってほめるんだ。おにいちゃんも、そういうひとなのかなーって」

 時折笑みすら交えながら、子供らしい率直な言葉で語るエイミは、楽しげですらあった。
 ほとんど見ず知らずの青年というにも関わらず、ペレアスに対して怯えるでもなくすっかり信頼しきっているようだ。

「だって、エイミの痛いところ、すぐわかっちゃたでしょ」

 知らない人間にこうも無邪気に心を開けるエイミという少女。彼女を育てた両親というひとは、おそらく彼女に最大限の愛情を注ぎ、慈しんでいるに違いない――ネヴァサの貧民窟ではめったに見ることの出来ない少女の無邪気さが、まるでまばゆく尊いものに思え、ペレアスは顔を綻ばせた。
 ペレアスが笑みを見せると、幼子はそれは嬉しそうににっこりと笑った。

「僕は、その、教会の神父様のように立派でもなければ、偉いわけでもないよ。でも、僕には沢山の弟や妹がいたから、エイミみたいな怪我をする子も沢山いたんだよ」
「きょうだい、たくさんいたんだ?……いいなぁ…あたしも、きょうだい、ほしいなあ」
「兄弟がいたら、お父さんもお母さんも、その子と分けなきゃいけなくなるんだよ」
「…それは……やだっ!あ、…ううん、やじゃないよ、いやじゃないけど、やっぱり……」
「大丈夫。エイミには、友達だって沢山いるし、お父さんもお母さんもいるだろう?…兄弟は、そのうち、欲しいって、お願いしてみればいい」
「うん!そうする!おにいちゃんも、エイミのともだちだね!」

 にこにこと無邪気な笑みを絶やさない子供に、ペレアスは一言、ああ、とだけ答え、もう一度小さな頭を撫でた。

「足は、まだ痛むかい?」
「うん、でも、へいき、エイミはかあちゃんのこどもだから、つよいんだもん」

 それから一言二言言葉ををかわしたのだが、疲労からかエイミの語気に勢いがなくなり、時折かくりと小さな頭が揺れた。

「エイミ?」
「……うぅ、ねこさんまくら、まだかなあ……?」

 とろんとした目を小さな手のひらでこすり、あふ…と小さく欠伸をしては、すがり付いてくるその体はゆらゆらと揺れていた。
 日はようよう傾いてきている、闇の刻限に近い。今日一日は、戦闘になることもなく隊の空気もそう緊張はしていなかった。凍傷になってしまうほど何をはしゃいでいたのかはともかくとして、余程疲れていたのだろう。
 そんな姿を見ていると、訣別してしまった弟や妹たちの顔、姿、声、しぐさ――あまりにも明確に覚えている彼らのことが急に思い起こされ、ペレアスの胸の奥、閉ざした記憶と心にちくりと刺激が走る。

 彼らは――時を止め命を止められてしまったあの子らは、一体、あの瞬間、何を思い、生きていたのだろう。かつて誰よりも近しくて当たり前だった、今は遠く非日常的な存在。

 よく、寝つかない小さな妹を抱え、あの掃き溜めのような瓦礫と家屋の隙間を、歩いた。
 空を見上げても両脇にまるで岩壁のように聳え立つ、石造りの建物。昼間ですらほとんど日のささない様な水底を思わせる路地を、寝つかぬ妹を眠らせるために、ペレアスはよく歌を歌った。それは、記憶の奥底で断片的に覚えている――デイン北部地方では当たり前の子守唄だった。

「…そのおうた、なぁに?」

 うつらうつらと眠たそうに体を揺らしながら、耳慣れぬ音と言葉に少女は反応する。足はもうそんなには痛まないのだろう。
 首にすがりつき、ぴたりと寄り添う体温は、子供らしく暖かい。

「僕の国の、子守唄だよ。エイミが知っているものとは、少し違うかな」
「うん、ちがう……」

 大陸の母、つまりは女神アスタルテに安らぎを祈り子を慈しむ市井の人々の間に伝わる民謡のようなそれは、デイン王国独特の抑揚と音で成り立っている。どこかでラグズ―彼らの使う言葉に近い響きであるそれは、文化人などと自らを称するクリミア貴族やベグニオン人には不愉快な音に聞こえるらしい。

「…でも、あたし、このおうた、すき……あったかい」

 やがて、すぅ、と小さな息が肩口から聞こえてきた。子供の高い体温が、ひどくやさしいものに思えた。


「……で、エイミを抱いて、子守唄まで歌ってここまできてくださったってわけですか」

 半ばあきれ半ば関心するように、ガリアの戦士は不躾にペレアスと、ペレアスに抱かれ熟睡しているエイミを眺めた。

「あ、失礼しました」

 はっとしたようにぺこりと頭を下げるライの耳朶と尾がぴんと張っている。それが、ガリアの戦士なりの「礼」なのだという話は、ラグズ奴隷解放軍の少年トパックから聞き及んでいた。

「いえ、皮肉で言ってるんじゃないですよ。その、……なんだか、違和感がないなぁって…」
「おいライ、お前、また失言してる」

 その、ライやガリアの戦士らの天幕の中「当たり前」のように居座り酒を嗜んでいるフェニキス王の目は、すっかり杯を煽ってからようやく向き直った。

「いいよヤナフ、僕は前は孤児院にいた。弟や妹たちの面倒も見てたから、こういう子供の扱いは、慣れてるんだ」

 おいヤナフ。小声でライがその態度を責めるが、ペレアスは構わないと首を振った。

「へええ。なんつーか、…人生、どう転がるかわからないって感じですね…」
「お前わざといってんだろ」
「ライ。この子のこと、勘付いてるんじゃないか?」

 熟睡するエイミを起こさぬように、そっとライに手渡しながら、ペレアスはそれまでとは打って変った静かで鋭い口調で、唐突に問う。

「何のことですか」
「こんな状況で、この子だけが生き延びている理由を」

 一瞬の間もおかず、ライはペレアスの問いには答えなかった。エイミを柔らかく受け取りながら、軽く肩をすくめるだけだ。

「普通、こんな子供が軽度とはいえ凍傷にかかって、平気なわけがない」
「そりゃあ、デイン王の応急処置が適切だったからですよ」

 ヤナフはといえば、会話の意味を捉え損ねたのか、二人を交互に見やり、眉間に皺を寄せている。

「子供ってのはなんであれ、本能的に自分を守ってくれるやつを選びますからね」

 そうっと少女を重ねたぶあつい織物の上に寝かせて毛織物をかぶせてやりながら、ライは小さく笑った。

「デインの巫女が、どうしてあんなに強かったのか。なんとなく、わかった気がしました」

 ちらりと、ペレアスを仰ぎ見る二つの色彩。その尾がしなやかに揺れている猫の瞳は、穏やかに見えた。