Tears fall vanish into the night

こちらは2015年8月発行同人誌[Tears fall vanish into the night]本文サンプルです。通販はBOOTHをご利用ください。

 黄昏色がゆっくりと街を染めてゆく。徐々に色彩を失い藍に沈み行く景色は、言葉を失わせ足取りを重くさせるには十分だった。空腹を誘ような夕餉の支度のにおいも、あちこちから立ち上る細い煙も、一仕事終えた職人たちの明るい声も、だが、何一つ心には響いてこない。
  ミカヤはネヴァサ市街の中でも、中流層と下流層が混在する西地区へと足を運んでいた。義弟サザとは先ほど別れたばかりだった。彼は彼なりに仕事があるようで、多忙の身であるミカヤもまた彼の動向を気にすることも出来ず、結果別々に行動することも多くなっていた。いずれにせよ用事を済ま せればミカヤはいつもの隠れ家に戻るつもりだった――王に用意されたデイン城内の居室ではなく、貧民窟に程近い粗末ではあるものの最低限雨風は凌げる建物。そこが今のミカヤとサザ、そして暁の団の拠点でもあった。
 商人たちよりも職人の多いこの区画は、同時に女神アスタルテを奉じる教会が立ち並ぶ地区でもある。ゆえに、復興は貧民窟を除く他の区画に比べいささか遅れを伴ってはいたが、それでも人の流れが途絶えることはない。
  ミカヤは、王都ネヴァサの活気を肌で感じながらもけっして晴れない心持だった。四肢を強張らせ、ひどく重たくのしかかってくるようなそれを思う。石畳の、 だが整備はされきれていない道をゆくミカヤの足取りは速く、耳に届く市民たちの諸々の声からまるで逃れるかのようだ。

「おっと、ごめんよ」

  声が聞こえたと同時にミカヤは顔をあげた。そこには、見るからに人のよさげな赤ら顔の大柄な青年のそれがあった。どうやら、すれ違い様に彼とぶつかってしまったらしい。長年の習慣で出歩く際まず金目のものは持ち合わせてはいなかったしその必要もなかったので、例え彼がスリだとしても大丈夫だ。そう己の中で言い聞かせてから、ミカヤは改めて場を取り繕った。

「あ、いえ、ごめんなさい、私も急いでいたものですから、気づかないで…」
「はは、お互い様か。見た感じ怪我はなさそうだな。なにせ俺はこんな図体だろ?転ばせなかっただけでもよかったか。いや、本当にすまなかった」

 陽気に笑う青年になんと返してよいのかとっさに思いつかず、とりあえずミカヤは軽く頭を下げた。
「いえ、大丈夫ですから…」
「おっと、俺も急いでたんだった!刻限まで間に合うかな…ああ、それじゃあな!」

 言うなり青年はその大柄な体躯に似合わない意外な俊足で駆け出し、あっという間に雑踏に紛れ込んでしまった。その背の方向をしばらくぼんやりと眺めていたミカヤだったが、軽く懐と腰元を確認すると、再び石畳の上を重たい足取りとともに歩んでゆく。


 たどり着いた先に在る教会堂は、決して立派とは言いがたい建築様式ではあるが、年季の入り具合からそれなりに由緒はあるようだった。古代語で『大いなる全ての母とその子らに』という意味の言葉を石扉の上に掲げた教会堂は、薄暮のネヴァサの影に一体となって沈もうとしていた。
 その薄暗さに漠然とした不安が襲い来る気がして、ミカヤは急いで重たい鉄製の扉を開く。重厚で軋んだ音が、がらんとした教会堂の中に大きく響いた。

「あ、ミカヤさん」

  音に反応して影の中にぼんやりと浮かび上がる白い顔が、声をあげる。黒髪は宵の気配に一体化していたが、纏う薄黄のローブが彼女の輪郭を際立たせているようだ。少女はミカヤを認めるや、手にしていた燭台に手早く灯を点すと明かりをゆらめかせながらぱたぱたと駆け寄ってくる。

「ローラ。久しぶり…元気そうね?」
「はい、お久しぶりです。なんとかやってます。ちょっと暗くてごめんなさい…節約するようにって、ここの司祭さまは厳しくお言いつけになられていて」

 どんなときでもきっちりとしている。そのしつけのよさを伺わせる少女を見ると、ほんの少しではあるがミカヤの心は軽くなった。

「そう…仕方ないわね。今デインは復興の最中だもの。けれど、変わりないようでよかったわ」
「はい、あの」

 だが、いつでも野花がほころぶような笑顔の少女の顔はどことなしか影がある。何かあったのだろうか。ミカヤの心の中に漂う重さが、再びずしりと傾いた気がした。

「ブラッドは一緒じゃないのね」

 だから、彼女の幼馴染の名前を出してみる。が、それはどうやら逆効果だったようで、少女の顔はますます頑なになった。

「…ブラッドは…エディやレオナルドと一緒に、お城です」
「…え?」

 お城、つまりはデイン王城のことだ。ミカヤは何度か城に足を運んでいたが、長身の青年を見た記憶がない――もっとも、ミカヤも片手で数える程度しか王城の門をくぐってはいないのだが。

「…ミカヤさん?顔色が、よくありませんよ」

  考え込んでしまったミカヤを伺うように、ローラが顔を覗き込んで来る。少女のダークグリーンの瞳が心配そうにミカヤを映しこんでいた。が、ミカヤはといえば彼女の懸念を一蹴できる状態ではなく、どころかよりいっそう心の鉛が沈みこんでゆくのを感じていた。きつく、唇をかみ締める。
 ローラは目の前にあった参列者用の椅子の背もたれに細く白い両手を置き、目を伏せた。

「戦争に、なりますか」

 ローラの声にミカヤはぴくりと肩を震わせる。

「どうして、そう、思うの?」

 ミカヤの硬質な声に、ローラは伏せていたまなざしを上げる。まっすぐなまなざしはミカヤを直接貫くようだ。
「皆さん、…ええと、暁の団の皆さんとか、それから街の人たちとか、…噂してるんです。ブラッドたちは、最近訓練が厳しくなったっていってました。レオナルドなんかは、まるで戦争の準備みたいだって、はっきり言ってましたし」

  ローラの言葉にミカヤははたと気づく。そういえば、サザ以外の暁の団の面々とはここ最近顔を合わせていなかった。隠れ家に帰っても、彼らの戻った気配がないのだ。ローラの言葉通りなのであれば、デイン軍に入隊したエディやレオナルドはそのまま城に用意されたであろう彼らの部屋で過ごしているのかもしれない。そう、だから、逃げた訳ではないのだ。ミカヤは己に言い聞かせる。逃げてはいない。そのはずだ。自分は、どこからも、何からも、逃げてはいない。

「街のひとたちは…今度こそ手柄をあげるとか、戦争なんて冗談じゃないとか、せっかく国が戻ってきたのになんでいまさら、とか…」

 ミカヤは深呼吸をして、それからローラの細い指先が忙しなく椅子の背もたれを行き交う様をじっと眺めた。彼女の、年の割には苦労の垣間見える白い指先が、背もたれをきゅっと掴む。

「司祭さまが…しきりに、言うんです。今の王は何を考えているのか、ベグニオンに統治されていた頃よりはマシだが、それでも、収容所送りが徴兵に変わっただけだ、って」

 ミカヤは顔を上げることが、出来なかった。
 それは、女神に誓って真実だからだ。
 王の徴兵。それは、揺るぎのない事実。デイン軍総大将たるミカヤが知らないわけがない。実際ミカヤは王ペレアスから告げられていた。次の作戦のことも、徴兵のことも。だからこそ心は重く、思考は鈍く、視線は俯いていた。こんなことは望んではいなかったからだ。デインという国を取り戻してそれで、 その先には、希望があったはずなのだ。誰も戦争などせずにすむ、豊かで平和な時代が来ると思っていたからだ。
 だのに現実はそうではなく、ほかならぬ王に告げられた言葉が、ミカヤの足取りを重くしていたのだった。

「司祭さまがかわいがってらした甥御さんが…ちょうどさっき、ミカヤさんとすれ違いになったんです」

 さきほどまで。ミカヤはとっさにすれ違い様にぶつかった青年の顔が思い出された。もしや。あの、人のよさそうで前向きな情熱を秘めていた面立ちを思い出す。
 ローラの顔は、黄昏を通り越した外の景色を見ていた。人影すらも判別がつかない刻限だ。灯されている燭台は手元のものひとつだけ。そのあかりが、少女の素朴な横顔を鮮明に浮かび上がらせている。そこには、複雑に入り混じった感情がありありと描かれていた。

「…すごく、喜んでました。これでもう、叔父貴に苦労をかけないですむ、半獣をしとめたら多額の報奨金が出る。…新しい王には感謝しなきゃいけないって」

 ローラの控えめな声はミカヤの良く知るものだった。けれど、その色はミカヤの知らないものだった。常は天真爛漫で明るい彼女のそれが、今はとても固くまるで石のようだ。

――半獣狩り。
――報奨金。
――デインの参戦。

 そう、すべて真実だ。直接王から告げられた言葉そのままだ。

「私は、難しいことはよくわかりません。どうしてだとか、あまり、考えたことはありません。でも、彼がどうして喜んでいたのか…どうして司祭さまがお嘆きなのか、考えました。考えて、たくさん考えて、そして…女神さまに、祈ってました」

 ローラの声が、静まり返った教会堂の中に溶けてゆく。
 物音ひとつなく、闇だけが蓄積されてゆく。
 細い灯をともす燭台と、ほのかにゆれるそれに照らし出される女神像。石造りの女神は、厳しさの中にも柔和さをたたえた表情で正面を向いていた。大陸中の教 会の中でも、デインのそれは独特の表情をしているのだと、そういうことしかミカヤは知らない。ミカヤの知る女神とは、常に人を導きその罪を見守るような表情をしている。無意識に、ミカヤは女神のそれを闇の中で伺っていた。すがるように、祈るように。

「ミカヤさん」

 少女の声がした。
 はっきりとしたそれは、迷いを断ち切ったそれのようにも聞こえて、ミカヤは瞬きをする。

「私は、何が正しいとか、何が悪いとか…やっぱり、よくわかりません。色々考えてしまうと、結局女神さまに祈りを捧げたくなるんです。でも」

 まっすぐにミカヤを見つめる瞳の色は深く、そしてゆらいでいる。そこにあるのは、おそらく決意。ミカヤは思わず背筋を伸ばしていた。

「ミカヤさんがまた戦わなければならないのなら、私もお手伝いします」

 きっぱりとローラは言う。
 ミカヤは、思わず目を見開いていた。
 立場をわきまえず本心を言ってしまえば、それは今一番聞きたくなかった言葉だった。せめて彼女が拒んでくれれば、無理強いをするつもりはなかった。
  ミカヤがこの教会堂を訪れた本当の理由――それは、デイン軍でも数少ない光魔道と聖杖の遣い手でもあるローラの参戦を要請するためだった。彼女は正式に軍属なわけではなく、教会勤めという名目もあった。たとえその祈りが奇蹟の光となり敵を滅ぼしうる力を有しているとしても、その願いは癒しとなり味方を鼓舞し支える力であろうとも、ミカヤが仔細を黙ってさえいれば、彼女は戦場に駆り出される必要などはない、ただの少女だ。
 けれど、それは甘く儚い、勝手な願いだったのだ。

「…ローラ」

  どこか非難がましくなる口調は、ローラに対してではなく自分自身に対してのものだ。総大将として、従軍を強いねばならない立場を弁えず甘いことを考えるな と、まるでそこに在る女神像に告げられた気がして、ミカヤは身の置き場がない思いだった。そんなミカヤに、ローラはにこりとやわらかな笑みを向けてくる。

「だめだ、なんていわないでくださいね。…もうそれはブラッドたちに言われましたから。司祭さまにも怒られました…でも、私…ミカヤさんは、きっと、心が痛いんじゃないかって思うんです。私よりも、もっと…わからないことだらけで、つらいんじゃないかって」

 ローラの笑顔は、実に彼女らしい穏やかなものだ。ほのかな灯の中に浮かび上がる穏やかな面が、まるで今のミカヤを包み込んでくれているようにも思える。

「私の祈りでも、ミカヤさんを助けることが出来ます。私、女神さまと同じくらい、ミカヤさんのことを信じていますから」

 微笑のままに告げる少女のことばに迷いはない。
 ミカヤは、返す言葉がみつからず、ただ、彼女を抱きしめていた。