明日の夜明け

*こちらは2017年2月発行同人誌[to tell a story-tell a tale]に収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。

「本当に、これで良かったのかしら」

 ぽつりと呟くミカヤに、その場の誰かが答えることはなかった。横たわる沈黙は、重たかった。

「いいんだよ。最後まで逃げるような真似をする人間が、王であることは不幸だ」

 続くサザの言葉は辛辣ではあった。けれども、彼の語気に常の鋭さはない。不幸だ、といったその言葉がどこに向けられているのか、サザ自身もよくわからなかった。
 歓声に沸く城下、行き交う人々の笑顔。デインという国は、ようやく、国の姿を取り戻すことが出来る。今日というこの日は、その第一歩だった。
 デイン王国第十五代国王が、即位した、目出度き日なのだ。



 その、祝福の言葉と喜びに満ち溢れる大通りを避けて通るように行く一頭立ての移送馬車があった。罪人が、こと重大な犯罪を犯した者が乗せられる移送馬車は、一昔前の奴隷売人のものを髣髴とさせた。行き先はデイン王国領の最果て、北海に位置する絶海の孤島にある収容所だった。御者は、軽装ではあるが武装しており、それはデイン正規軍のものである。
 時折擦れ違う人々は、その物々しい馬車に眉をひそめ、何かを囁き合い、申し合わせたように馬車に道を譲った。彼らが向けるまなざしは、憎悪と侮蔑、憤りの色をしていた。誰かが道端に、唾を吐いた。

「売国奴、裏切り者は二度とこのネヴァサの門をくぐるな!」

 男が、叫ぶ。御者は動じずに、ひたすらに馬を駆る。馬を駆る鉄仮面の奥の表情は伺えず、もう一人の兵がちらりとその面を動かし、群集を伺う。それだけだった。

「父ちゃんをかえせ!おいらの、死んだ、父ちゃんを、返せ!」
「まったく、ベグニオンの犬だったとはな……俺たちの希望を、弄びやがって」

 誰かが、石を投げた。彼らは中に収容されている人物を知っている。けれども、その名をみだりに口にはしなかった。女神の名を穢した、悪人の名なのだ。その名を口にすることなど、女神に叛くことに他ならない。


 全てを告げる。その決断をしたのは、誰でもない、自分自身だった。どのような罰も、謗りも受ける。それは、自分がしたことを思えば、当然のことだろう。それほどに多くの人々を裏切り、そして不幸にした。国を滅ぼす寸前だった。だから。
 数え切れない言い訳をしている。やはりだ。そうやって言い訳をして、自らがしてしまったことから目を背けていないか。立ち向かうのだと、そう、あの時に決めたのではないか。
 これから行く場所のことを思った。噂には聞いている。アシュナードの時代は、多くの文官が理由なくそこに送られ、悲憤に自ら命を絶つことも許されず、生きながら死んでいったのだという。ペレアスが在位していた僅かな期間に恩赦を出したものの、表に出てくる事の可能だった人物は、殆どいなかった。

「おい」

 兵士が、立ち上がり外を眺めようとしたペレアスに気付き、迷惑そうな目を向けた。
 彼が、上官らしい。罪人を、無事に牢獄まで移送するのが、彼の役目だ。移送の日時自体が殆ど知られてはいなかったはずだが、ペレアスを裏切る人間など、このデインには大勢いるだろう。そもそも、彼らを裏切っていたのがペレアスなのだ。

「……す、すみません。ですが、馬車を、止めていただけませんか」
「俺の任務は、あんたを運ぶことだ。あんたを無事届けなきゃ、俺は移送程度の任務を果たせなかった男という烙印を押されるわけだ」
「い、いえ、……そう、ですね。…すみません」
「余計なことをするな。座ってろ」

 結局、ここで彼らの謗りを受け、彼らの憎しみに立ち向かったとしても無意味なのだ。兵士は、そういうことを言いたかったわけではないのだろうが、ペレアスはそう思っていた。
 がたがたと揺れる荷台に座り込みながら、溜息をつく。背にした鉄格子は冷たい。暗がりに座り込み、膝を抱えると、昔に戻ったような心地になり、どこかで安堵していた。
 結局、自分とは、何だったのだろう。
 何者でもなかった。そう、ただ、それだけのことだったのだ。デインの王子だと言われた事も、母と会えたということも、デイン王国復活に一役買えたのだという自負も、全てはまるで白昼夢のように、虚空に漂う影だ。
 けれども、自らの罪の記憶だけは拭えなかった。
 自ら、無知という罪を犯した。王という立場を考慮していなかった。理解していなかったのだ。何を信頼すべきか、何を信ずるべきか、そして、己が何をすべきかなど、考えていなかった。
 誰も何も言ってくれなかった。そういう言い訳だけは、したくはない。結局は器ではなかった、そういう結論に至りたいわけでもない。
 全ては過ぎ去ったものだ。今更、結果を覆すことは出来ない。ならば、せめて、己の罪に対しては誠実にあろう。
 そういう思いから全てを告白すれば、罪人として罰せられることは目に見えていた。
 だがそれが、恐らくは逃げずに生きるということなのだ。王宮に残ってほしい、そういうミカヤに、首を縦には振れなかった。そこまで厚顔無恥ではない。そして、針の筵にあるよりは、一度罪人として処罰されたい。そういう、弱さがやはりどこかにあった。
 だが、ペレアスが一人罪人となり、民の憎悪の矛先になることは決して無為ではない。そう進言したタウロニオの一言が、結局は決定打になっていた。
 だからまず、ペレアスは生きて牢獄から戻ろう、と思っている。何年になるかはわからない。だが、必ず生きて戻り、そしてもう一度デインという祖国の為に、生きる。それがどういうことか、何をすべきかは、まだ漠然としていた。
 戻ったところで居場所もないだろう。そして、裏切り者であるという事実は終生付きまとう。
 それでいいのだ、と、ペレアスは思った。気づけば、街道を大分北西に進んでいた。荒涼としていた景色に、緑が混じり始める。大分下ってきたのだろう。北の海岸線を目指すのだ。そして、北海の荒波のその先にある牢獄――政治犯や重要犯罪人が送られるという、絶海の孤島の牢獄へと、向かう。

 ペレアスは、わずかに顔を上げ、後方を眺めた。鉄格子の先、もう、ネヴァサは見えない。
 こめかみに手を伸ばすと、血が滲んでいた。恐らくは、ネヴァサの城壁を潜った際投げられた石が当たっていたのだろう。
 それを、痛い、と感じなかった。けれども、指先にはうっすらと血がついてくる。
 生きているのだ、と、改めて実感した。この決意が、あるいは過酷な牢獄の生活で揺らぐのかもしれない。だが、それでも、生きよう。死を思うことは二度とない。
 ただそれだけを、思った。