戦、のぞむもの 後編/sample1

▽こちらは2012年12月発行同人誌[戦、のぞむもの 後編]サンプルです。通販はBOOTHをご利用ください。▽

「さてと、デインの巫女はどこにおわしますかね」
「なんじゃそなた、まるで見当がついてたような口ぶりではなかったか」

 ようやく言葉を交わしたのは、天幕を抜け出してから大分歩いてからだった。あまりにも迷いなく進むものだから、てっきり行き先は決まっているものと思っていたのだが、徐にそんな事を告げられ、サナキは少しばかり強い口調になる。

「まさか、このまま砦に直行、そんな愚行はいくらなんでも」
「誤魔化すでないぞ。要するに、見当がついていないのじゃな」
「さてね」言いながらネサラは天を仰いだ。その視線の先にあるのは、どこまでも高く聳える針葉樹――その先となると、とてもではないが地上から目視は叶わない。吹雪は収まっているので、天候は回復しているのかもしれないが、かといって安堵できるというわけでもない。いいえぬ悪寒といえば相変わらずで、それに寒気が加わっている―周辺の空気が冷たいからではなく、もっと別の由来のそれのように、サナキは感じた。
 このノクスは古くからの霊場で、それも歴代のデイン王の眠る土地という事は知っている。だが、それだけではないようにも思えた。

「さて、ここはデイン王が眠っているだけでなく、ベグニオン人が入植するより以前の聖地であり、古くからの信仰が根強く残る場所、そうした事はご存知ですかね?」
「…うむ…デインとの対立の要因の殆どがそれじゃからな…知らぬ、というわけにもゆくまい」
「結構。なれば、当然皇帝神使という存在は、侵略者と見做される。たいそう単純な理屈だろう」

 唐突に砕けた言葉で言い放たれたネサラのそれに、サナキは思い切り殴られたかのような衝撃を受けた。反射的にネサラを見上げるも、月の光すらも届かない、篝火からも離れたこの場所で、その表情を伺うことは出来なかった。

「侵略者…わたしは…そのように……思われて、いるのか」
「デインという国は三年前に戦争に負けた敗戦国だ。そして三年間ベグニオン駐屯軍に弾圧された、帝国から独立した歴史を持つ国だ。死んでも膝をつきたくはない、頭を垂れたくないとかいう、そういう気持ちは生憎理解は出来ないが、デイン人てのは、そういう気質がベオクでも一番強いとか」

 感情の篭らない、だがどこかわざとらしい言い方は、衝撃を受けたばかりのサナキの心に容赦なく突き刺さってくる。サナキの周りの人間は、誰一人としてそういう言い方をしなかった。もっとも、皇帝神使相手にそのような不遜な物言いは許されない。皇帝神使が手を差し伸べたのならば、その手を払うなどありえぬと、サナキ以上に信じるものたち。或いは信じなければならないものたち。
 誰が、その行動を諌めるというのだろう。そういうことを、サナキは知っていた。だからこそ、常に公平たらんと努力し続けていた。出来うる限り多くの声に耳を傾けようと心がけた。だが、その声はあまりに多すぎた。多すぎ、雑多すぎて、心は乱れた。ゆえにサナキは、自らが最も信頼するものの言葉を信ずるようになっていたのだ。
 ベグニオン製の重ね織と毛皮の外套を重ねて纏っても、ノクスの森の夜は寒い。ベグニオンで雪を見る機会など、北方ガドゥス領以外ではそう多くなく、まして帝都シエネに住まうのであれば一生見る機会がなくとも不思議ではない。この寒さの中戦う祖国の騎士たちは、では、どれ程にこの厳寒に耐えなければならないのだろうか。
 時折聞こえてくるラグズ戦士の咆哮は、森の冷たさと静けさの中、あまりに不気味だった。何一つ身を守る手段なく、こうしてひとり佇んでいるからこそ、ひどく恐ろしく聞こえるのだろうか。

――これが、ラグズの声、か…。彼らの声は、このように聞こえたのか。

 多くの要素が重なり、最終的に恐怖と不安というものに結びつくと、自分はひどく無力だとサナキは感じた。
 ネサラは側にいた。だが、その気配は闇に溶け込んでしまっている――デイン陣営が間近であれば、そうして気配を消すのは当然のことで、それでも少し恨めしい気持ちにもなった。身勝手な感情だった。

「わたしは…そうか…。今の、そなたの言葉で…すべて、合点がいったぞ…」

 ネサラは応えない。それが、彼の答えなのだろう。「感謝するぞ。わたしは大切なことを…忘れておったようじゃ」サナキは立ち止まり、深呼吸をした。冷たい空気が肺に入り込むが、どこか、清められるような気もする。新たな視点を得てみれば、感じ方すらも変わるのだ。

――そうか。ただ、それだけのことなのじゃ。わたしはすべてを見ているような気になっていた…だが、何も見えてはいなかった。それは、こうして一人にならねば、わからぬことなのじゃ。

「歴代のデイン王たちよ、そして、この聖地を守りしものよ、すまぬ。そなたらの土地を、蹂躙するつもりはないのじゃ…わたしは、そなたらの敵として相対したいわけではない。じゃが、不幸なすれ違いが、互いの血を流す羽目になってしもうた」

 ごう、と遥か頭上で風が鳴いた。続けて、ぱらぱらと氷の破片が舞い降りてくる。針葉樹の隙間を縫うようにして入り込んできた冷たい風が、鋭くサナキの頬を掠めた。が、サナキは構わずに、深々と頭を垂れて、続けた。

「そなたらの魂を悪戯に騒がせ、土地を汚したこと…謝罪する。申し訳なかった。…そう詫びて済む、簡単な話ではないことは承知じゃ。わたしも血を流した同胞の事を持ち出すまい…だから話を、せめて、そなたらに連なるものと話をする為、その為この土を踏み森を侵すこと、許してはもらえぬだろうか」

 サナキは、全身全霊を持って望んでいた。そうしなければ、この声など届くまい。女神の声すらも授からぬ神使、そういう霊験とは無縁なのだ。だから、言葉を弄するしかない。態度で示すしか、なかった。
 やがて、暫くすると、薄暗闇の視界に、一筋の光が差し込む。そして、未だに舞い落ちる粉雪が、まるで光の粉のように空を漂うのが見えた――雲が晴れて、木々の枝の薄いところから光が入り込んだ、それだけのことなのだろう。
 けれどもサナキには、それが、答えに思えた。幾分か、悪寒もなくなっている――否、明らかに、楽になっていた。
 息苦しくはない。頭も、すっきりとしている。

「…ゆるしてくれると…いうのか…」

 それまで緊張感でもって立っていたのが、急に脱力してしまい、サナキはその場にへたり込む。降り積もった雪は冷たかった。けれど、そのような冷たさなど、なんともなかった。

「ありがとう…ほんとうに、ありがとう…」
「おいおい、風邪をひかれちゃあシャレにならんぞ。ま、話が済んだのなら、行きましょうや。こんなところで、デイン兵に見つかって弓を撃たれちゃかなわない」
「うむ、そなたの言う通りじゃな、慎重にゆこう…ん?」

 頭痛がなくなったお陰か、或いは別の理由からか――サナキの脳裏に、微かな声が届く。耳に聞こえた、という感覚ではなかった。

「待て、何か、聞こえぬか?」

 ラグズ王なれば、ベオクよりも遥かに優れた感覚を持っているはずだ。だが、ネサラは首を縦には振らなかった。

「いや、聞こえるのは獣牙の遠吠えくらいだな」
「おかしいのう…わたしには、今も聞こえておるのじゃ。本当に聞こえぬというのか?」

 声は、確かにある方角へサナキを呼んでいる。サナキは声の導くままに―声が、より、鮮明に聞こえる方へと、足音も気配も気にする風もなく歩みだした。「おい、おい、人が言った先から…」
「平気じゃ、早うついて来い」

 渋い顔をするネサラへ一瞥だけをくれて、サナキは足を速めた。「何者じゃ…わたしは、女神の声を賜れぬというに、そのように語りかけるなど、そなた、一体…」
「全く、困ったご主人様だ」ネサラは背後で文句を言っているが、足音はついてきている。サナキの胸中は同伴者のことよりも、声と、そしてこれから向かう先に待っている何かへの不安、そして期待で、渦を巻いて交じり合い、溶け合うものでいっぱいになっていた。