セネリオは、目を疑った。
知識としては頭にあったし、だから、現実にそのような事をする者がテリウスに存在している、ということも、頭の片隅には留めておいた。なぜならば、セネリオは現在ラグズを主体とした軍の事実上の参謀であったからだ。だが、これは。
胃の腑からこみあげてくるものを感じ、セネリオは咄嗟にその場から離れた。とにかく距離を、置きたかった。酸っぱいものがこみあがる。木陰を見つけ素早く駆け寄る。幸い胃の中は空っぽだったから、吐き出したのは胃液だけだったが、荒い息を整えるには時間がかかった。
袖で口の周りをぬぐいながら、セネリオはもう一度こみ上げてくるものを抑えるのだけで、精一杯だった。
食料。それがラグズ連合軍では問題になりつつあった。最もその事に気がついているのは、セネリオ以外ではライぐらいで、先ほどもその事で彼と相談をしていたところだったのだ。そうでなくとも、ラグズの戦士たちは戦いのみを求め、先走る。
ガリアの兵はその強靭な肉体を保つため、ベオクより遥かに大量の糧を必要としていた。それはある程度ラグズという存在と関わる経験をしていれば、想定出来る事だった。知識というほどのものでもない。
当初こそ、狩りを定期的に行ってなんとか賄っていた。だが、そんなものは所詮焼け石に水なのだ。度重なる戦闘により負傷兵が増え、狩りに割ける人員が減ったところで、必要な食料量は減らない。季節こそ夏から秋で、今はよいが、これが冬場になだれ込もうものなら…愉快ではない想像をすることも、セネリオの仕事だ。
そしてここはガリアの豊かな森ではなく、ベオクの領域だ。
「ラグズとベオクの混成軍」では、世間の見る目は冷たかった。
ベグニオン領を戦場としている。ここはベオクの領域であると同時に敵地だ。いかにこちら側に大義があると吼えたところで、ベグニオンという国にしてみれば言い訳のしようがない、侵略者である。助勢などは望むべくもない。ただ、行く手を阻まず通過を許してくれさえすればいい。
セネリオの認識はそうだったが、ボーレなどは食い物くらい分けてくれてもいいのにな、とボヤく始末だった。そして、セネリオはそんなボ−レを責める心持ちには、なれず、耳に流していた。そういう彼らを責めるのは簡単だったが、現実に食料は不足していたのだ。兵站には気を遣っていたつもりだったのだが、ラグズの食欲はセネリオの想像を凌駕していた。とにかく、早急に戦いには決着をつけねばならない。食料が不足してくれば、いかに勇猛さを誇るガリア兵とて、その結束も士気もガタ落ちだ。
空腹という不満は、それだけで統制を崩しかねない事態に発展する。ベグニオン正規軍のものを奪うことも考えたが、一度奇襲を受けてから、ベグニオン軍の兵糧部隊の警備は以前より厳しくなっており、そちらに割ける戦力などは、ない。
だから想定して然るべきであったのだ。それを見落としたのは、完全に自分の落ち度だ。重だるい身体をなんとか起こしながら、セネリオは思わずその場から逃げ出した己を、叱咤した。兵站という、基本的なものを見落としていたという、それはあまりにも重たい責だ。
その現状。どうすべきなのか。誰に言うべきなのか。考えるまでもなかった。
セネリオはようやく見慣れ、神経にも障らなくなった空色の毛並みを捜して、駆け出した。脳裏に再び甦る不愉快な記憶を払うように。
「軍師どのか、この俺に何か用かい?」
天幕の中に、なにげなく坐っている青年は、一見すれば壮健そうに見える。だが、セネリオは知っていた。あの時――ベグニオンの将ゼルギウスと牙を交え戻って来てから、この青年が本調子を取り戻せてはいないことを。
立ち上がろうとするライを、セネリオは制した。
「いえ、そのままで結構です。あなたに倒れられては、あの野獣を止められる者はいなくなってしまう」
「なるほど、お見通しってわけか。流石だな。お言葉に甘えさせてもらうとするよ。…それで、一体どうしたんだ、血相変えて」
「ガリア軍は、ガリア中から兵を集められた。そう、認識して良いのですね」
「ああ…そうだな。各部族それぞれ、戦えるものは全て参加している。まぁ、それなりに、ガリアにも、この参戦は意味があるからな」
セネリオは一度言葉を止めた。だが、言葉を飾り取り繕う事は認識を歪めるので嫌いだったし、誤摩化してよいような場合でもない。ライの人なつこい表情を殴打するような事を平然と告げる。だがそれも、必要な事だ。
「…その中に、特殊な風習を持つ部族がいませんか。具体的に言います。食人の文化を持つものが」
予想通り、ライの表情が凍りつく。空色の鮮やかな耳がぴんと立った。瞳孔が一瞬、開いたようにみえる。
「フウリ族。ガリア南西部の小都市と同一の名を持つ、閉鎖的な種族。ベオクと交わる事は、その歴史上殆どなかった。にも関わらず、ベグニオン、クリミアのみならずデインの書物にも、彼らの名はあります。その独特際まりない、ベオクには理解しがたい風習とともに」
ライは、一瞬動揺を見せたものの、セネリオの言葉を黙って聞き、そして一度頷いてみせた。
「…隠していたというわけじゃない。だが、結果的にそうなってしまったな。余計な懸念をさせたくなかった、と言わせてくれるかい?」
「そういう事にしたいのは山々ですが、首を縦に振るわけにはいきません。今更アイクがそのような特殊な風習で、あなたたちを裏切ると思いましたか」
「そうだな。確かに、その事に関しては信用しきれなかった俺が悪いよ。だが、軍師殿、あんただって驚いたんだろう?ここに飛び込んで来た時、今度はどんな絶望的な知らせが飛び込んできたのかと、一瞬、胆を冷やした…だから、な。難しいところだろ、こういうのは」
「それは……その通りです」
そしてあながちライの判断も間違いとは言いがたい。割り切る事ができる自分やアイク、ティアマトはよい。だがそれ以外の者がどうか。セネリオは、大丈夫なのだと断言は出来ない。
「とにかくフウリ族について、教えて下さい。あなたの知るところを」
ベオクの書物では、限界がある。彼らの風習に食人の文化がある、ということは記されてはいた。そしてその独自の文化により、フウリ族はラグズ、ガリアの中でも異端視されているということや、ベオクと交わる可能性がほぼない、ガリア南西部の海岸線沿いの深い森に都市を持っている、という事くらいしか、セネリオの知識はない。
クリミアの王立図書館などを捜せば、あるいはあるのかもしれないが、何せラグズ連合と合力する事になり、即開戦だった。そういった意味でも下準備などは殆ど出来てはいない。
だが、ライという人物がいることで、その懸念はほぼないといってもよかった筈なのだ。彼はガリアの頭脳であるし、アイクそしてグレイル傭兵団、ベオクを知る稀有なラグズだ。
「フウリのやつらは、ベオクの言葉を解しない。この軍にも、いても両手で足りるか足らないかってとこだ。他の部族と交わるってことも殆どないからな。逆に言えば、選りすぐりの戦士が来ている。戦力としてはトップクラスの連中だ。それに、あいつらの食人の文化は、言う程野蛮なもんじゃないのさ」
「…野蛮ではない……?何らかの、儀式的な意図でもあるというのですか」
セネリオの言葉に、ライはこの話題になってから初めて笑みを見せた。
「その通りだ。あいつらは、喰う事で相手を弔うのさ。それが、屈強の戦士なればなおさらな。そうでなくとも、喰うという行為が、あいつらにとっては相手を尊重する事になる。…そして、フウリの連中は、頭は堅いがひどく信心深く、そして高潔だ」
ベオクでも、デイン山岳部などではフウリ族ほどではないにせよ、独自の風習を持つ少数部族がいるのだという。多分、彼らとおなじようなものなのだろう。頭ではそのように理解出来る。だが、目の当たりにした時、果たしてそのように理性が働くか。それは、わからない。
少なくともセネリオには無理だった。理解できぬものを目の当たりにし、それがまして異常行動に見える。嫌悪するなという方が、土台無理だった。
「…とはいっても、やっぱり普通は見たら胆をつぶすよな。俺も、あれだけは馴染めない。だからフウリのやつらは、どうしても孤立しがちだ。だが外に出てくる連中は、それでも自分たちがどう見られるかはわかっている連中なんだがな」
「以前、あなたから聞いた、一度戦闘になると本能が闘争を求める……おそらくは、それが絡んでいるのでしょう」
「ご明察。フウリのやつらは強い。獅子には及ばないが、おそらくその潜在的な戦力はガリア一だ。獣牙の中でも珍しく争う事自体を忌避するからな。なかなかその戦力は計り知れないが、ガリアの中でその独自性を保っているのは、その戦闘力の高さにも起因している。変わったやつらさ」
ライは「変わった」と一言で済ませる事が出来る。やはり、違うのだとセネリオは思った。自分は、あのフウリの戦士を心の底から恐ろしい存在だと思った。目の前で、ベグニオン兵士を貪り喰う様は、まるで悪夢の光景だった。
「軍師殿。ラグズってのは、ベオクに比べるとおそらく種としては幼い。それは、屈強な肉体をもつことなくだからこそ知識に特化して来たベオクが、失って来たものをまだ持っている、という言い方も出来るんだ」
ライが言葉を選んでいるのはわかっていた。
ベオクとラグズが交流を互いに交流を持つ。現実的ではない。そんな事が可能ならば、こうもテリウスという大陸に二つの種族がきっぱりと分かれ、各々が独自に国を作るわけがない。
だが、それを、夢のみに留まらせることにならぬよう、自ら行動している者が多くいる。それは、時代の流れというものなのかもしれなかった。
そしてライはそれを望む、希有なラグズだ。そういうライを、アイクは友と呼ぶ。
だからこそ彼の意志は尊重したい、とセネリオは思う。それが、アイクの望みでもある。
「わかります。僕でも、あなたがたと行動を共にすれば、…知りえる事も、少なくはない」
「そう言ってくれると助かるよ。とにかく、フウリの連中の事は、俺も落ち度だったな。あんたにだけは言っておくべきだった。だから、謝るよ。すまなかった」
「はい。知っていれば、対策はとれたでしょう」
おそらく、食料事情にもっと気を遣えた。であれば、フウリの戦士があのように陣営内で敵兵を喰らう場面に出くわすことなど、なかったかもしれない。彼らのその独自の風習が、蛮行にしか見えないという印象に先行する認識に対するフォローを、セネリオから他の傭兵団員にも予め出来た。
いくらグレイル傭兵団がラグズに対して偏見がないとはいえ、それはラグズが自分たちの理解出来るであろう存在という確証があるからだ。それが崩れてしまえば、またいらぬ偏見を持たないとは、言い切れない。彼らがそのような薄情な人間でないことくらいはセネリオとて心得てはいる。だが、万に一つでも可能性があるならば疑うのはセネリオの性格で、だからこそグレイル傭兵団は屈強な傭兵団として、大陸中に名を馳せることが出来たのだ。自分は、嫌われ役だ。
その事をセネリオは、三年前より更に強く感じている。
「ですが、彼らには……」
「はは、言ったろう、フウリのやつらはベオクの言葉を解さないってな。連中には、俺から言っておくよ」
ここはライに任せるべきだろう。自分は、ラグズの事は殆ど知らないのだ。知ろうともしなかった。
「……では、宜しくお願いします。目撃したのが僕でなければ、どうなったのかは知れませんから」
「まったくだな。こればかりは、女神様のお導きってやつに感謝しなきゃならんかもしれない」
獣牙族の集う天幕を後にしながら、重たい頭にセネリオは片手を当てた。
言葉でどうにかなるものではない。そして、知っているからといってどうにかできるものでもない。セネリオは改めて、アイクが当然のように言うベオクとラグズに違い等はない、という言葉の重さを実感していた。
そう言えるアイクは、やはり自分とは違い、強いのだ。