内包する痛み

*こちらは2017年2月発行同人誌[to tell a story-tell a tale]に収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。

 久しぶりに訪れた帝都だった。
 以前のように、というわけにはいかない。今回は、かつては腹心でもあり、そして今はラグズ議員という、ベグニオン帝国議会に籍を置くムワリムを尋ねたのだ。
 現在ムワリムはベグニオン帝国で正式に認められたラグズ議員であり、帝都シエネは大神殿の一角に住まいを持っている。トパックはグラーヌ砂漠を領地と認められたグラーヌ候だ。もっとも、トパックはそういう名前はどうでもいい、と思うのだが、「グラーヌ候」の名を弱冠二十歳かそこらで得てしまった青年の名は「ラグズ奴隷解放軍」の名称と共に、今では帝都シエネで知らぬ者はいない。
 それは、とりあえずよいことなのだとトパックは思っている。そうでなければならないのだ、とも。

「結局、宰相は蟄居を命じられた…それじゃ、皇帝の独裁になるじゃないか。それは…」

 従者としてついて来たビーゼは、先ほどまでは一緒にいたのだが、解放された元奴隷の友人を訪ねると言い出かけていた。
 以前のようにムワリムが淹れてくれた茶を飲む。何時来ても、この味は変わらないなとトパックは思った。

 話題はかの宰相の扱いだった。皇帝が正式な決定を下したのが、半月ほど前。それまでは、皇帝を裏切った者として、マナイル大神殿下の深き地下牢に捕えられたままだった。死は許さず、だが生きることも許さない。それを、重すぎると罵るベグニオンの人間はいなかった。マナイル大神殿下の牢獄という場所のことを知らぬベグニオン人はいない。

「その為の議会です。旧元老院所以のものや、ラグズ奴隷、元ラグズ奴隷、商人、平民、それから武官出身のもの、そういった多くので組織される、議会を再編し、議会の認証なくしては皇帝とて勝手な真似は出来ません」
「それは当たり前だ!おれが納得いかないのは、そっちじゃなくて」
「蟄居といっても、セリノスの森の最奥――安らぎとは程遠い、死者と瘴気に包まれた石牢という話です。その決定を下したのは、他ならぬ連合国王と皇帝陛下なのですよ、坊ちゃん」

 主人の疑問に、ひとつひとつ答える。考えがいくつも先走りすぎるトパックという青年は、やはり変わらなかった。今はビーゼがついている。だからムワリムも安心していた。トパックは稀有な才を持つも、誰かが傍で、その無茶無謀を止めなければどこまでも先走ってしまう、そういう気質の持ち主でもあった。

「………けどさ」

 拗ねるように、トパックは陶器のコップを乱暴に置いた。ムワリムの顔を見てはいない。口を尖らせ、ぶつぶつと何かを口の中だけで言う。背丈も伸び、顔は精悍さを増している。それでも、やはりトパックはトパックだった。ムワリムは懐かしさに、ふと目を細める。

「各国の王も了承済みです。リュシオン殿とペレアス王が、納得されております」

 二人の友人の名を出され、流石にこれにはトパックも言葉がなかった。うつむき、表情が険しくなる。ムワリムもわかっていて、その名を出した。
 リュシオンは他でもないセリノスの鷺王族の生き残りだ。愚かな所業をした鷺の民セフェラン―エルランを、怒りのあまり殴り倒さなかっただけでも僥倖、と言えるほどにかの王子は憤っていた。
 そして利用されていた、という意味では、おそらくトパックなどとは比べ物にならぬほど、ペレアスは人生を狂わせられていた。仮にペレアスが友人でなくとも、間接的にその身の上に起きた出来事を聞いただけだとしても、トパックは同情していたに違いない。それが友人であれば、同情よりは先に怒りが来る。

「おれは、セフェランに直接何かされたわけじゃない。逆に恩はたくさんある。けど、かわいそうだとか、そんな感情は持ってない。アイクみたいな言葉も、絶対に、出てこない。おれは、薄情なのか?ムワリム」
「それで、良いと思います。私やビーゼも、皆も、多かれ少なかれ、坊ちゃんと同じ思いです」

 言葉はそこで途切れ、トパックは沈黙していた。強い炎の色を宿す瞳が、揺れている。微動だにせず、真横に閉じられた口が、全てを物語る。
 ムワリムもまた沈黙していた。こういう時に、余計な口は挟まない。この親子のような主従の、暗黙の了解のようなものだった。
 であれば、その沈黙を破るのは、第三者ということになる。

「そなたの声はよう聞こえるわ。ここはグラーヌ砂漠ではなく帝都じゃぞ、少しは口を慎めい」

 扉を叩く音もなく、突如開かれた扉より姿を現した皇帝サナキに、トパックはぎょっとなった。ムワリムは、動じた風もない。当たり前のように会釈をし、椅子を勧めている。その手際のよさ、こういった唐突な来訪が日常であると言っているようなものだった。

「こっ、…皇帝、陛下…!」

 上擦った声で叫ぶようなトパックを、サナキはじろりと一瞥した。そしてわざとらしくため息をつく。

「…そなたが私をそのように呼ぶと、些か気味が悪いの」

 サナキは、珍しく共を連れていなかった。物騒だと思う一方、それだけムワリムという男が信頼されていると思うと、トパック嬉しくもあった。

「皇帝陛下、どのようなご用件でしょうか」
「うむ、そのことじゃ。偶然ここを通りかかれば、偶然あやつの名を叫ぶ懐かしい声が聞こえての」

 いけしゃあしゃあとサナキは言う。ムワリムに勧められた椅子に当たり前のように座し、ムワリムの入れた茶をやはり当たり前のように飲んでいた。

「何が偶然だよ…明らかに狙って来てんじゃん…」
「何か、言うたか」
「いーいえ!なーんでもございません!」
「何れそなたには説明せねばならぬと思うておった。デイン王や連合国王のように、そなたは物分りは良くはないゆえな」
「ちぇっ、言ってくれるぜ」
「誉めておるのじゃ。セフェランのことじゃが、私も未だに思慕は…正直を言えば、断ち切れてはおらぬ」

 きれいな仕草でコップを置き、そしてゆるくトパックを見るサナキの目は、真剣だった。トパックに、返す言葉もない。先ほどまでの憤りは、とりあえず腹の底に押し込めておいた。

「じゃが、それは、サナキという一人の人間としてじゃな。私は、ベグニオン帝国皇帝でもある。そして、今、この国も、大陸も、私に皇帝であることを求めておる」

 サナキは、当然という顔をしていた。それを苦である、という風には見えないし、トパックもそういうサナキの側面を、グラーヌ砂漠からではあるが、見守っていた。彼女は、この数年で、本当に見違えた、と思う。皇帝であることが、彼女の矜持でもあるのだろう。忙殺される日々は、彼女に感傷など許さないのだ。そうしているサナキは、輝いても見えた。

「それはよいのじゃ。なればこそ、私もあやつの事を忘れられるでの」

 だが、それでも。ペレアスといい、サナキといい、トパックの知る友人たちは皆そうだった。それが悪いことではない。けれども、どこかで、トパックはそれだけではいけないのだと叫びたかった。

「何じゃその顔は。不気味じゃ、やめい」
「何だその言い方、人が心配してやりゃあ、言いたい放題…!」

 トパックの言葉に、これは心外とでも言うようにサナキは驚いた顔をしてみせた。誰がどう見てもわざとらしい。そういう胸中を面に出すことはまずないはずのムワリムは、一瞬視線を外した。

「心配?この私を、そなたがか?」

 大きな瞳を、ぐるりと回して、眉根を寄せる。そういう表情をすると、サナキは幼く見える顔立ちだった。とてもではないが、普段の聡明で怜悧な皇帝と同一人物とは思えない。

「……ムワリムよ、私は頭が痛い。帰るぞ」

 わざとらしいため息を重ねて見せた後、サナキは立ち上がる。ムワリムは、それをやはり当たり前のように受け入れ、頷く。いったい何しに来たんだよ、口の中で呟くトパックをサナキは一瞥した。

「そうそう、本題を忘れておった」

 その小声が聞こえたのか聞こえないのか。扉の一歩手前でサナキは立ち止まった。そして背を向けたまま、言う。トパックは思い切り顔をしかめながらため息をついた。セフェランの件じゃないなら何なんだ。

「トパックよ、そなたの友人がやらかしてくれたぞ。まったく、これでは私はデインという国に頭があがらぬ。それもまたベグニオン皇帝である私の、逃げられぬ宿縁じゃのう」

 言葉とは裏腹に、サナキは何やら楽しそうだ。話が唐突過ぎて見えないのだが、なんとなく漠然といやな予感がトパックはしていた――サナキの悪癖を、思い出す。

「……何の話だ?」
「何、知らぬのか。近々デイン王は退位すると表明したのじゃ。旧元老院の罪、それを放置した我が国の是非を問いながらの。代わりに王になるのは……恐らくは、姉上じゃ」
「…いや、ちょっと待て、何?」

 思わず、トパックは詰め寄りそうになった。だがそれは抑えた。そういう分別くらいは、つく。数年前とは違うのだ。自分は今や爵位を得ている。

「おやまあこれは、そなたのその阿呆面を久しぶりに拝めたとなれば、デイン王に感謝せねばのう」

 サナキは人の悪い笑みを浮かべながらトパックを一瞥し、そして立ち去った。オルティナの血を引く、それだけならば美女ともいえる姿に成長したサナキだが、トパックにとっては人の悪い上司以外何者でもなかった。またか、というため息。今日、ムワリムの部屋を訪れてから何度目のため息だろうかと考えた。

「で。ムワリム、どういうことなんだ?」
「いえ、要するに皇帝陛下は、シエネを訪れている坊ちゃんに、挨拶がしたかったのでしょう」
「あれが?あれが、挨拶か?じゃなくて、ペレアス王が退位って何の話なんだ」

 トパックの剣幕は相当なものだった。ムワリムはそれも予想していたのだが、皇帝の余興に付き合ってしまった、というどこかでばつの悪い思いもあった。皇帝サナキから今回のことはすべて言い含められていたことだったのだ。
 デイン王ペレアスから正式な書状が帝都シエネに届いたのが、三日ほど前。おそらく、グラーヌ砂漠ラグズ奴隷解放軍本拠地にも、既にその情報は入っているはずだ。ムワリムには、直接皇帝経由でそれよりも二日ほど早く情報は入っていた。
 トパックが帝都を訪れたタイミングが、絶妙に悪かった、としか言いようがない。

「その話でしたら、既に私のところにも来ております。といいますか…」
「うん?……もしや……、……そうなのか?」

 トパックはすべてを理解したようで、今まで一番大きなため息をついた。そして冷えてしまった茶を一気に飲み干す。コップを戻してから、もう一度ため息をつく。肩まで力なく落とされている。

「……たく、何なんだよその子供みたいなしょーもない発想……やっていいことと悪いことがあるだろ…」
「いえまあ、皇帝陛下のなさることですから…」
「だーから問題なんだっつってんじゃん……俺ホント、うまくやってけんのかなぁ」
「大丈夫ですよ。坊ちゃんのことは、皇帝陛下も信頼されております」

 信頼、という言葉にトパックは顔を顰めた。サナキの悪癖の被害者の数は、実はそう多くはない。それが彼女なりの親愛の情なのだと、トパックもわかってはいるのだが、それでもこうも毎度毎度となれば疲れもするのだ。

「にしたって、…くそう、あとできっちり文句言ってやるからな…」

 憤然たるものが冷めやらぬ様子のトパックを見ながら、ムワリムはサナキがああいうタイミングで現れたことに感謝していた。彼女のことだ、恐らくは様子を伺っていたのであろう。
 セフェランを、トパックはあの戦い以降憎み続けていた。怒りではなく憎しみ――以前、デイン王国解放の戦いの折、ムワリムが正気を失うという事件があった。その怒りとその後の紆余曲折を経て、トパックはペレアス王と友情めいた絆を持つことになったのだが、あの時のそれとは、そもそも質が違っていた。簡単に、覆るような感情でもなかった。
 そういう感情を、トパックが持つ、ということをムワリムは悪いことだとは考えなかった。
 己の中にある、どうにもならぬほどの憎悪。けれども、そういうものを抱きながらも、トパックは決して進むべき方向を間違うまいという確信もまた、ムワリムにはあった。だから放っておいたといってもいい。トパックは、部下を抱えていた。そしてビーゼを始めとした部下たちは、皆トパックが好きだったのだ。
 サナキもまた、トパックの怒りを知っている。落ち込むトパックの姿を見かねた。そう言えばよいものを、とも思うが、だがムワリムは皇帝の真意を告げることは止めた。
 いつか分かることだった。
 そして、こういう「余興」もまた、あらゆる物事に忙殺されているベグニオン皇帝サナキの、数少ない楽しみであり安らぎなのだ。何よりも、親のようなセフェランを断罪せねばならぬという、その辛さに、彼女はひとり耐えねばならない。
 だから、それは、いつか、必ず。

 とりあえずムワリムは、いつものようにトパックに穏やかな目を向けた。気づいたトパックは、面白くなさそうにそっぽを向く。やはり、変わらない主人の態度に、ムワリムは目を細めた。