明けの憧憬

*▽こちらは2012年8月発行同人誌[戦、のぞむもの 前編]に加筆修正版を収録済です。通販はBOOTHをご利用ください。▽

「ラグズ奴隷解放軍……役立ってはくれましたが、勝手に動かれると、面倒です。計画に狂いが生じてはならない。今は、大事なとき。わかりますね」

 ゼルギウスは沈黙のまま、頷く。元より、主に逆らう気などはなかった。心などはとうに失ったもの。そう思わねば、この主についてゆくことなど、出来はしない。
 セフェラン救出のために助力してくれた彼らを捕える、などという命令は、そう驚くようなものではなかった。
 セフェランの美しすぎる面が、穏やかに笑っている。穏やかに笑いながら、この人はこういう言葉を平気で吐く。だがそれは、いつものことだった。何故ならセフェランの眼差しは、深く、そして途方もなく暗い。絶望、などという言葉は生ぬるいと思える、そういう目をしている時がある。そして、そういう目をしている時、セフェランは必ず、微笑むのだ。

「首領を、拘束なさい。他は殺して構わないでしょう。兵は、元老院直轄部隊を動かせば良い。ことさらに私の名を使わずともあなたなら出来るはずです、ゼルギウス将軍」

 もう一度、ゼルギウスは頷いた。
 主の抱えている闇の一端を、ゼルギウスは知っていた。長い間絶望の闇に向かい合ったセフェランの瞳は、光をまったく失っている。そのことを知っているのは、自分だけだ。そして長い間、セフェランの眼差しを見ていることは、危険なのだと本能で理解している。
 人を見る目が、恐ろしいほど冷たさを含んでいることも、知っている。やわらかく花を愛でるような微笑をしながら、全てを憎み嘲笑っていることを、知っている。
 ゼルギウスですら未だに慣れることが出来ないのは、セフェランが神使を慈しんでいる眼差しだった。あれは、虚ではなかった。セフェランは、サナキを心底、慈しんでいた――最大限に利用すべき、道具として。そこに、既に正気の色などはない。心を壊しながら、セフェランは小さな皇帝を慈しみ、その小さな手を取っていた。小さなサナキは、セフェランを実の親のように慕った。
 思い出すだけでも、悪寒を覚える――あの光景は、多くに絶望しているゼルギウスにすら、歪んで見えた。
 だが、それだけだ。自分に言ったこと全てが、彼の人の闇であるとは思わない。ゼルギウスもまた、深い闇を抱えていればこそ、そう思うだけだった。

「よもや、彼らがデインとつながっているとは…」

 静かに退出した騎士を満足げに眺めながら、セフェランは静かにひとりごちる。優雅で酷薄な笑みを浮かべ、闇の中で小さく喉を振るわせた。
 彼らは――配下のラグズは兎も角として、あの少年は自分を信頼しているのだ。トパックという名の、ラグズ奴隷解放軍を率いる、年若き指導者。彼は、信頼を力とする。信じることが、力なのだと考える輩だった。だから、扱いやすかった。
 理想をちらつかせれば、扱える類。トパックも、そしてゼルギウスも、この世界に希望などはないのに、前者はまるで当たり前のように、後者は最後の拠り所として、信じている。
 何れも滑稽だ。セフェランはもう一度、笑った。


「おかしいです…」

 異変に、最初に気づいたのはビーゼだった。そこは流石に鴉、といったところだろう。けだるげな瞳が、珍しく剣呑な光を宿す。彼女は背を屈めて身を低くし、羽を伏せた。

「ムワリムさん、感じませんか。この、気配。…多分、訓練されている人たちです。鉄の音…山ほどしますし」
「…囲まれた、か。外と、連絡は」
「駄目です、皆……捕まったか、…殺されてます。私たち、罠に嵌ったみたいです…」
「どういうことだよ?…ここは、…だって、あの、宰相の屋敷だろ?ゼルギウス将軍は、ここで待ってれば、って…」

 二人の従者の表情は、既に固い。だからトパックも、理解したくない可能性を、理解せざるをえなかった。

「さっき出されたお茶、…私の知ってるおかしな臭いがしたから、飲まなかったんです」
「そうか。鴉の民は、あの貧しい国土で栽培しているあの臭いは、体に馴染んでいるというわけか」
「はい…少量ですし、それに、多分…私が気づくこと、想定してたと思います。気づいたからって、何も、出来ませんから」
「…ちょっと、待てよ二人とも!なんで……そんな、落ち着いて…」

 冷静な二人のやり取りがどこか他人事だったトパックの耳に、悲鳴が聞こえた。続けて、金属のぶつかる音。何かが、断ち切られる音。腹の底からの、咆哮。断末魔。
 すべて、トパックが聞き取れる範囲内での出来事だ。ムワリムの耳朶が震え、ビーゼは鋭いまなざしのまま辺りを伺っている。トパックの全身を、絶望にも似たものが貫いた。

「坊ちゃん。宰相は、敵です。わかりますか。仲間は捕まりました、殺されたものもいます。どうしますか」
「どうするも、こうするも…」

 ごくりと、唾を飲み込んだ。口の中が渇ききっていた。自分が置かれている状況はわかった。けれど、これから自分はベグニオンを抜け、デインに向かわなければならない。友人たちを、助ける。そう決めた。
 デインからの書状は二通あった。一通は、どこにでも流通している安物の紙に、走り書きのような文字――友人サザからのもの。そこには、ただ一言『まずいことになった』とあった。あのサザが、そんな端的な言葉を、よこしたのだ。
 そしてもう一通。こちらが最初に届いた。いわゆる『解呪』という初歩魔道を使わねば開けぬ文書を持ってきた男は、ある言葉とともにそれをトパックに渡した。その言葉とは、トパックがデインを去る時、ペレアス王から受け取った様々な品と共に教えられたもの――古の言葉で「幸いなれ、わが友」という意味の言葉だった。文書そのものは、白紙だった。それを届けた男は、「時を置かずしてもう一通、届くはずだ」と言い残し、砂塵に失せるように姿を消した。その男はおそらくデイン王家直属の間諜部隊に属する人間だろうとトパックは思った。
 そして、その男が言う通り、その日のうちにもう一通がトパックの手に届くことになった。


「こうしてたって、サザやミカヤ…や、ペレアス王たち、を、助けられない。俺は、あいつらを助け……なきゃ、だから、逃げ…あれっ」

 立ち上がろうとすると。ぐるぐると、視界が回る。身体がどこか他人のもののように、ふわふわと浮いている。見えているはずのものが知覚できない。同時に、そういう感覚を味わったトパックは、巧く立ち上がれず、その場に倒れこみそうになった。
 素早くビーゼが動き、少年の体を、受け止める。ばさりと背の翼をはためかせ、彼女の目が鋭さをいっそう帯びる。

「…ムワリムさん。首領は、あたしが運びます。こんなこともあろうかと、オウリイ草、持ってきてありますから」
「そうか。では、私が囮になろう。落ち合うのは、西の共同地下墓地。巧くいけば、逃げ延びた連中がいるかもしれない」
 二人のラグズは、化身する。
 トパックをしっかりと掴み飛翔したビーゼを見送るムワリムは、力の全てを解放はしなかった。おそらく、長時間戦わねばならない。数は、多い。下手をすれば百、いや、それ以上。
 割れた窓の音に、一斉に反応した兵士たち。跳躍した。緑色の塊が、中空に浮かび中庭に降りる。一斉に、槍を向ける兵。最初に狙ったのは、弩を構えている隊――ビーゼを、逃がさねばならない。咆哮と、跳躍は、同時だった。食いちぎった肉片を振り切る。前肢も、顎も、牙も、爪も。
 ムワリムの全身が凶器そのものとなり、ベグニオン正規兵の中へと踊りこんだ。



 予想通り戦闘が繰り広げられているペルシス候邸にようやくたどり着いたゼルギウスは、目を見張った。
 あのラグズは何だ。最初に、そう思った。
 ゼルギウスがすぐさま手配可能だった元老院直属の部隊は、そう多くはなかった。だが、それはセフェランの息のかかったもの――直属部隊の中でも、一定の水準を満たしそして精強な兵たちだった。
 その、彼らが倒されているのだ。たった一人のラグズに。
 確かに、一人の純粋な戦闘能力を考えれば、ラグズはベオクを圧倒する。だがこれは。
 美しい緑の毛並みが、ぞくりとゼルギウスの心を奮わせた。
 無駄な動きが一切ない。強靭な肉体は、何度槍を受けようと、揺るがない。緑色を血で染めながら、白い牙が肉を絶つ。前肢が振り上げられれば、二つ、首が飛ぶ。ベオクの武装など、猛虎はものともしない。また、首が幾つか飛んだ。
 ベグニオン帝国式槍が、その肉を穿つ。噴出す血流、虎の強靭な顎がそのまま槍を持つ手を食いちぎる。断末魔。
 ゼルギウスが微動だにせず見守る中、屋敷の中庭はあっという間に血の海と化していた。ちぎれた肉片と、ぶちまけられた臓腑の臭い。そこは、まぎれもなく戦場だった。

「見事、と、言わせてもらおうか」

 一歩踏み出すゼルギウスに、虎が唸る。血にまみれ、荒い息を吐くその姿は、間違いなく立っているだけで精一杯なのだろう。だが、虎は近くにあった草を無造作に食んだ。そういう動きをしながら、決してゼルギウスから獣の目を逸らさない。
 低い唸り声が耳に届くと、ゼルギウスの心が、再び奮えた。
 虎は、獣の目をしていた。だが、その目は、哀しげな怒りだった。そしてその怒りの中に、光があった。信じるべきものを疑わぬ、強い意志が感じられた。

 この命全てを果たす覚悟にて、お前を討つ。だが、己は死なない。己を待つ人の元へ帰らねばならない。

 無言の圧迫感が、ゼルギウスを刺した。そこにあるのは、紛れもない「希望」というもの。決して根拠のないものではなく、しっかりとした信念がある希望。
 ゼルギウスの心が三度奮える。
 同じものを、つい先日、見たばかりだった――哀しげな瞳をしながら、だが強い光を宿す乙女。彼女を、最初は『同じもの』だと思った。だが違った。彼女は、確かに同じ印付きだったが、ゼルギウスとはあまりにも違いすぎていた。再会した彼女は、強い信念のもと、ゼルギウスの力を必要ない、と言い切ったのだ。彼女は、強き導きに出逢っていた。そしてそれは、ゼルギウスとは正反対の性質を持つ、だが同様の導きだったということを、ゼルギウスは知らない。
 ゼルギウスは、手にしていた剣を鞘に収める。沸き立つ心は、抑えられなかった。
 「殺して構わない」ゆったりと微笑んだ主の声を、脳裏から消した。

「その雄雄しき戦いぶりに敬意を抱く」

 虎は、じっとゼルギウスを伺っていた。血と、臭気と、うめき声の中、二人の男は暫く対峙した。

 やがて、先に動いたのは、ゼルギウスの方だった。虎に、背を向ける。だが、虎は襲い掛かってはこなかった。
 低いうめき声と共に、彼は、足早に去ったのだ。

「戻るがいい、そなたの、導き手の元に」

 ゼルギウスは、微笑した。ほとんど誰にも見せたことのない、憧憬を交えた表情で。