この疼きがひどくなったのは、いつ頃からだったろう――持て余す濡れた欲に困惑しながらも、自らを慰める夜毎に呼ぶ名前は決まっていた。そして、その名を呼ぶ度にレオナの中では空しさと寂しさが募ってゆくのだった。
その日も、まるで決められたかのように下腹部が疼いてきた。年齢的に性欲が強くなるだとか、そういう話を聞かないわけではなかったが、レオナはこれまで自分はそちらの方面にしてはストイック、というより無自覚だったがゆえに、自分自身にこれほど性欲が在ったのか、と半ば驚き、半ば嘆いていた――それもこれも、婚約者が生きてさえいれば、このように思い悩むことはなかったのだろうか。
相手がいなくとも欲を覚えてしまうものは覚えてしまうし、かといってレオナの性格から一夜限りの相手を探すなどという発想はできず、今晩もまた己で己を慰めるしかないか、そう思って指先を眺めつつため息をついた、そのときだった。
「夜分すまぬの、少し邪魔するぞ」
控えめなノック音と共に聞きなれた声が扉の向こうからする。レオナは我に返ると、慌てて衣服を整えて遅い来訪者を出迎えた。
「へ、陛下……いったい、どうしたのですか?こんな時間に……」
「いや何、いつもの気まぐれじゃ。そなたと茶でも飲もうかと思うてのう」
にっこりと笑みを浮かべるフォリアの手には見たことのない茶葉の袋があった。なるほど本人が言うようにいつもの気まぐれなのだろう。近頃は、あの元盗賊王のもとにすら「気まぐれ」を発揮して訪れているらしいという話は義弟から何度か聞いていたが、考えてみれば彼女がこのようにレオナの私室を訪れるのは、初めてだった。それにしても、と思う。なんとタイミングが悪いのか。じわじわと熱を保つ下腹部に対し理性を総動員して抑制しながら、なんとかレオナはフォリアを出迎えた。
「それとも都合が悪かったかの?」
「い、いえ!」
即座に応じてから自分の返事がおかしくなかったか、とレオナは一瞬不安になったが、フォリアはといえば満面の笑みで茶葉の袋をぷらぷらと掲げている。
「ならば深夜の女子会じゃ!」
「って、私と陛下だけじゃないですか」
なんともまあ迷惑な、と思わなくもないが、レオナとて決してフォリアが嫌いなわけではない。王として主として尊敬もしているし、自身の忠誠に微塵の揺るぎもない。ただ、このような突拍子もないことを頻繁にやらかすのには少々辟易してはいたが。まして、今日はタイミングが悪かった。
「いいのじゃ!女子が二人そろえば女子会なのじゃ。さてと、茶器を借りるぞ?先に湯を沸かさねばのう」
レオナの怪訝そうな返事にもお構いなしに、部屋の主の許可を得たのだと堂々とフォリアは備え付けられている台所へと向かった。愉しさを隠そうともしないフォリアの背中に、そういえば常に付き従う白い獣の姿ないことに違和感を感じたのだが、流石にかの星の獣も主のプライベートな時間までは同行したいということだろうかと考える。
「陛下、そいうえばハクタクの姿がないように思いますが……」
「うむ、おいてきたぞ。女子会じゃしな!」
疑問を口にしないということができないレオナの疑問に、フォリアは良くぞ聞いてくれたとばかりに胸を張った。
「それは、確かに、私の部屋を訪れるというのであれば危険は考えにくいです……ですが、私も武人の端くれとして陛下をお守りするのはやぶさかではありませんが、もう少し危機感を持ったほうがよろしいのでは……」
それは、イデルバ軍人として当然の発言だとレオナは思ったのだが、相手にとってはそうではなかったらしい。むぅ、と小さくうめくと、火をかけた薬缶をそのままにレオナの方へとつかつかと歩み寄り、頬を膨らませて抗議の意志を見せてきた。
「そなたもカインも、ハクタクと同じようなことしか言わんのう!今日は女子会じゃ、そういう面倒なことは抜きなのだと、妾は言ったつもりだったんじゃが?」
「あ、そ、それは、その、申し訳ありませんでした……気がつかなくて」
「まあ、そなたにそのような気を回せというほうが、少々酷であったかのう……わかればよいのじゃ」
言外に気を回せないのかといわれているのだが、事実であるからレオナには反論しようがなかった。とはいえやられっぱなしも癪に障り、小さくため息をつくとフォリアのかわりに茶の準備をしようと卓上に置かれたままの薬缶を手に台所へと近づく。
「これ!そなたは座って待っておれ、妾がやるのじゃ!」
「だめですよ、こんなことで陛下が火傷でもしたら、みなに合わせる顔がありませんし……私、お茶を淹れるのは結構好きなんです」
ここぞとばかりに貼り付けた笑みは半ば自棄ではあったが、フォリアは不承不承ではあるものの乱暴に椅子に座ってみせる。
「そうまで言われては仕方ないの、茶を淹れる役目は譲るとしよう。そのかわり、妾の言うことは聞くのじゃぞ!そなたも初めて見る茶葉じゃろう」
「確かにそうですけど、よくわかりましたね」
「そなたは自分が思っている以上に顔に出ておるんじゃよ」
仕返しとばかりににこやかに返すフォリアに、レオナは沈黙せざるをえなかった――とはいえ、別に気分を害したわけではないのだ。ただ、やりこめられた、というのが少々面白くなかっただけだ。
こうして何かをしていれば、そのうちこの疼きや熱も峠を過ぎてくれるだろう――己のその考えがとてつもなく甘かったということに、このときのレオナが気づけるよしもなかった。
フォリアが持参した茶葉は、淹れ方も確かに一風変わってはいたが、なによりも不思議な香りがした。甘さを含みながら爽やかな香りもほんのりと漂い、体の奥底に火をつけられる様な妙な感覚があった。それでいていざ口に含んでみると割にあっさりとした味わいで、クセも渋みも一切ない。どころか心が安らぐような香りが喉から鼻にぬけてゆき、レオナは思わず安堵のあまりほぅ、とため息をついていた。熱は相変わらず身体の奥に澱み、鼓動にあわせて蠢いてはいるものの、茶の香りの割にはシンプルな味わいに心は不思議と落ち着いてきていた。
「ふふ、どうじゃ?なかなかに美味じゃろ」
「美味といいますか……不思議な香りと味ですね。落ち着くようでそうじゃないようで……甘いけど酸味があって、苦味や渋みは一切なくて、香りが強いのに嫌じゃあない……これって、ナル・グランデの茶葉なんですか?」
「否、これはグランたちが持ってきた彼らの空域の花茶らしいぞ」
「なるほど、通りで見たことのないお茶だったんですね。香り付けとかしてるのでしょうか……?」
「どうかのう、グランは花茶だと言っておったから、茶葉だけではないのではないかのう。なんだったか、彼らの空域の星の獣が好きなのだとか」
「え?星晶獣も茶を飲むんですか?確かに彼らは不思議な集団ですけれど、想像できないというか」
「そうじゃのう。ハクタクも妾の前で食事をした試しがないからのう、想像がつかん、というのは同意じゃな」
「それにしても……なんだか、不思議ですね。他の空域のお茶なんて飲めるようになるなんて、しかも、こんな夜中に陛下と一緒になんて……ふふ」
思わず笑みがこぼれてから、その事に気がついてレオナははっとする。素直に笑ったのなど、いつぶりだったろう。記憶しているのは、トリッド王国がまだ健在だった時分――「彼」がまだ生きていたころ。
「ふむ、まだ思い悩んでおるかの……否、悩むな、とは、軽く言えるわけではないがの」
レオナの微妙な表情の変化を読み取ったのか(そういうところはひどく聡い王である)フォリアは静かに茶器を置くと、椅子から立ち上がりレオナの元へと寄り添うようにやってきた。少女らしい足音とともに、ふわりと上品で清楚な香りがただよう――花茶の香りではない、かといって香水の類でもない、フォリア自身が持っている彼女の香りだった。その、柔らかく相手を包み込むようなやさしい香りが、レオナは好きだった。ふわふわと酩酊にも似た感覚を覚えるが、アルコールのそれとは比べ物にならないほど弱い。ただ、溜め込んでいた心のうちをさらけ出すのに、それは十分な効果があるようだった。
「私は……今、このままでいいのか、よく、わからないのです」
フォリアは答えず、ただじっとレオナの双眸を見た。ふた色の瞳の奥底の感情は相変わらず読めないが、少なくとも悪意はまったくない――どころか、部下を、部下というよりもより親しいものへの気遣い、そういうようなものが垣間見える。ずいぶんと年下に見える、けれど実際は自分よりも年齢は上の「少女」に、ふつふつと沸きあがってくるなんともいえない感情を吐き出すがごとく、レオナは独白するように続けた。
「アベルがいなくなってから、私はずっとひとりで……いえ、カインはいてくれるし、彼も大事な家族だから、ひとり、っていうのは厳密には違うのかもしれないですけれど、時折強く孤独を感じることがあって」
「そういう夜は、こうして自らを慰めるしかなかった、というわけじゃな?」
突如悪戯な笑みを浮かべたフォリアが、レオナの頬の輪郭にするりと触れてきたかと思うと、ちいさな桜色の唇をそうっと押し当ててきた。
「へ、陛下?!」
「むう、このような場合そういった呼び方はいささか萎えるの。フォリアでよいぞ」
「へ、いえ、ですが、あの、へ、……フォリア、さま……」
何をされたか理解しきれない、というよりも理解しようとしないレオナは目を白黒させながら素っ頓狂な声をあげてしまう。フォリアはといえば変わらず楽しそうににこにこと、レオナの黒髪をいとおしげに指先で愛撫していた。
「……はあ、お主にそういった要望はちと酷じゃったかの。それはそれでよいわ」
手元に手繰り寄せたレオナの髪の束にもあわい口付けを落とすや、レオナよりもほそく小さな体が背後にぴたりとくっついてきた。ふわりと香る清廉なフォリアの香りに、花茶の匂いに酔ってしまっていたレオナの感覚はおぼつかなく、軽い酩酊を覚える。ああ、これは、いけない。己を鎮める声は頭の中でひっきりなしに木霊しているのに、一度疼いていた身体は、まったくといってよいほど言うことをきかなかった。下腹部がどくんと脈打つように熱を持ち、己の太ももの隙間にじわりと汗がにじむのがわかる。
「なにやら火照っておるようじゃのう、如何かしたか?」
含み笑いや悪戯に光る目、そしてその奥に灯っている炎を見てレオナは悟る。フォリアの目的は、最初からこれ――つまり、レオナの疼きを確かめるためだったのだと。
「陛下、あ、あの……!」
「おや、こちらはずいぶんと熟れておるようじゃが」
言いながらフォリアはレオナの髪の間から見える耳たぶをペロリと舐める。
「ひゃあ?!」
カン高い声をあげてしまってから思わずしまったと思うが、思っている間にもフォリアの小さな手はするするとレオナの腰元に回され、下腹部をやわくまさぐっていた。
「熱いのう?」と意地悪く問うフォリアに、レオナは強く目を瞑り歯を食いしばった。すると堪える様子がたまらないというように低い声で笑うと、フォリアは戸惑うことなくレオナのむき出しの太ももに触れてくる。ひんやりとした、ちいさく幼ささえ感じられるてのひらがさらさらと素肌に触れている。その度にぞくりとした快感めいたものが背筋を奔り、いよいよレオナの吐息は荒っぽく、そして熱っぽくなっていった。
「やめ…てください!」
「やめろというてものう……そなたの身体は欲しておるようじゃが?」
確かに、フォリアの言葉通りだった。先ほどの茶に催淫効果が含まれていたのか、レオナの下腹部はいよいよ熱を持て余し、ごまかすようにすりあわせた太ももの間からは濡れた音が小さく響き、思わずぎゅっと唇をかみ締めた。
「そ、それは……」
腰から徐々に下へとシフトしてゆくフォリアの手。拒めるはずなのに、疼きに必死に耐えているレオナにそれを拒む余裕はない。ただ必死に歯を食いしばり目をつむって欲を否定する。だめだ、だめだ、だめだ。けれどもそんなレオナの努力をあざ笑うかのように、フォリアの手はレオナの股間にたどり着き、意地悪くすれすれの箇所を愛撫していた。
「すっかり熟れておるようじゃがのう……さて、と」
「ぁ、へい、か……ァ」
はぁ、とたっぷりの甘い吐息とともに肢体をずらし、なんとか熱と快楽を逃そうとレオナは身体を動かすものの、かえって一層レオナ自身を追い詰めるハメになった。熱は熱に収まらずに刺激を欲している。その事はほかならぬレオナ自身が理解していた。だが、その、主のちいさな愛らしい手が己の足の間にあるということ自体が信じられず、また、かすかに残っている理性が必死に否定しようとしていた。
「むう、やはり頑なじゃのう……じゃがそれも、どこまでもつかの」
ふて腐れたような子供じみた声でそういうや、フォリアは徐にレオナの胸元に手を寄せて、先ほどから刺激に飢えているかのようにしっかりと存在を主張している頂へと衣服ごしに触れた。
「ひゃ、あ!」
衣服越しだというのに、そこはひどく敏感にわずかな熱にすら反応してしまう。突如与えられた刺激にレオナは思わず背筋を反らせてしまう――それはつまり、目の前にいるフォリアに向けていっそう乳房を突き出す形となってしまい、獲物を捕らえたといわんばかりに笑みを深めたフォリアがやわらかな乳房を掴みやわやわと揉みだした。
「ぇ、やめ………んんっ」
「ほうほう、前からそなたの胸はさぞもみ心地がよいじゃろうのうと思っておったのじゃが、これは想像以上じゃぞ!」
はしゃぐような言葉とは裏腹に、フォリアの愛撫は熟練じみた優しさでゆるやかにレオナを追い詰めていた。刺激がほしい、もっと強い刺激をとレオナが思わず動いてしまうような、じれったい、甘い愛撫だ。フォリアは決して衣服に手をかけようとはしない。ただむき出しになっている乳房の部分を、あるいは衣服ごと柔肉を揉んでいるだけなのだ。もっとも敏感な部分には決して触れないじれったさに、何度も唇をかんでいると、それに気づいたフォリアの指先がレオナの唇をゆるくなぞった。
「そのように噛んでしまっては、せっかくの愛らしい唇に傷がついてしまうぞ?」
そしてゆるりと背伸びをしたフォリアは、それはそれは愛おしそうにふた色の瞳を細め、その紅潮した目元にレオナが釘付けになっているのをよいことに唇を寄せた。