「テメノス様、薪割っておきましたよ」
「テメノス様、今晩の晩酌のお供にどうですか?」
教会から帰る道の最中。町の人々に次々と声をかけられ、いつの間にか手には荷物が沢山になってしまっていた。
教皇を失ってから旅に出て、その旅が終わり再び故郷へ戻ってきたテメノスは、新たなる教皇の元で変わらずに異端審問官の仕事を続けている。
「皆さん。いつもありがとうございます。とても助かりますよ」
日中は主に大聖堂に務めることが多くなったが、それでも居をそちらに移す気にはなれないでいた。慣れた我が家が一番だというのもあるのだが、フレイムチャーチの人々の温かさも、ここを離れがたいものにする一因だろう。
「ロイ様がいなくなってから、何かと大変だろうからねえ……」
先ほど薪を割っておいたと言っていたまだ若い男性が心配そうに告げてくる。
「いえ、力仕事さえ手伝っていただければそれだけでもかなり助かります。私は力仕事だけは苦手でして」
「はは、確かにテメノス様が力仕事をしている印象はないからなあ」
そういう彼は薪割りを始めとして屋根や家の修繕、重い荷運びといった力仕事を率先してやってくれる酪農家の倅だった。見た目もこぎれいで、よく働き良く笑う彼には良縁が来るようにとテメノスも願っている一人なのだが、そのあたりは本人が奥手なのかなかなか良い話がないと両親から度々聞いていた。
「あとでお礼にあがりますので、ご両親にもよろしく言っておいてください」
「いやいや、俺が勝手にやってることだから気にしないでください。それじゃあ俺はこれで」
彼はそう言ってパタパタと小走りに我が家へと帰っていった。
途中に手渡されたのはできたての山羊のチーズに、売り残りのパン、それから採れたての根野菜とたっぷり熟れた無花果。
「ふむ、今晩はシチューにでもしようかな。確か先日いただいた山羊乳の残りがあったはず……」
帰り道すがら、テメノスは今晩の献立を考えながら、行き過ぎる町の人々に挨拶をしていた。彼らはみなテメノスを慕っており、また同時に心配もしていた。特に年老いた人々はテメノスがいつまでも独り身でいることを懸念しているのだが、生憎とそういう相手に恵まれていないのだと嘯き気楽な一人暮らしをやめるつもりもない。
そうこうしているうちに日もすっかり落ちて、テメノスは手持ちのカンテラに明かりを灯しながら歩いていた。
「おや、明かりがついている」
漸く我が家、と慣れた道をたどると、その先の自宅にはすでに明かりが灯っていた。客人に心当たりは、数人しかいない。ましてやこんな時間となると、該当人物は自ずと絞られてくる。
「ソローネ君、また勝手に入り込みましたね」
扉を開けるなり、そこにいた人物に声をかけると、彼女は悪びれることもなく部屋の中央にある椅子に座り、持参したのか見たことのないラベルのワインを一人、飲んでいた。机の上にはストックしておいたナッツ類とチーズが並んでいる。
「遅いよ、テメノス。今日は大聖堂勤務だったんだ」
「まったく……君の実家ですかここは」
「まあ、ある意味でそうかも。だってあんな掃きだめ、二度と帰りたくないしね」
「懐かしいっていってたの、どこのどなたさんでしたっけか」
「そんなこと言ったっけ?それよりこのチーズ、イケるね。だいぶ食べちゃったけど。テメノスの飲む?」
「では、少しだけ頂こうかな。それよりこれから夕食を作りますけど、君も食べる?」
台所に立つと、町の人たちからもらってきた野菜をそれぞれの収納に収めながら、必要な材料を取り出しつつ不躾な客人に顔だけを向けて問うと、彼女はにんまり笑って頷いた。
「ん、いただくよ。それからこれはお土産。半分くらい飲んじゃったけど、別のもあるから」
そういう彼女の手には、もう一本全く別のラベルの瓶が携えられていた。ナッツ類も殆ど空になっているから、ついでに何かつまみの類でも作ろう、とテメノスは棚を漁る。目に留まったのはオーシュットから貰っていた保存用の干し肉と、キャスティからもらっていた様々な種類のハーブ。干し肉を香草で軽く焼いたものでも作るか。そう決めたテメノスは先にシチューを仕込みながら、干し肉を焼くことにした。生憎と同時に調理はできないのシチューを煮込んでいる間に干し肉に香草とスパイスの香りをしみ込ませればよいだろう。
「それはそうとソローネ君、今回はどこに行っていたんですか?だいぶ顔を見ませんでした毛けど」
「ちょっと北に向かったんだけどね、あんまりに寒すぎてすぐ戻ってきた。このワインは道中で手に入れただけだけど、ソリスティアではなかなか見ないよね」
「なんだってまたそんな過酷な場所に……」
「ただの好奇心だよ。いろいろな場所に行ってみたくてね。それよりいい匂い、何作ってんの」
「山羊のシチューですよ。このところ冷えるようになったので、ちょうどいいかなと」
根野菜を均等に切り分け、玉ねぎを山羊のバターで炒めると香ばしい匂いが漂ったのだろう。ソローネが立ち上がり、鍋をのぞき込んできた。
「へえ。いつも思うけど、あんた料理上手だよね。いいお嫁さんになれる」
「そこはお婿さんと言ってください」
「料理も上手だし、家事だって得意だし、私が男だったら放っておかないけど」
「君の場合、出稼ぎにばかり行って頼りがいがあるのかないのかわからない旦那様になりそうですね」
「はは、言えてる。あ、無花果もあるんだ。珍しい」
テメノスが貰ってきた荷物の中にあった果実に目が留まったのか、彼女の声色が一段階高くなる。そういえば、彼女はこういった果実が好きだったな、と思い出す。
「ひとつふたつ、齧っててもいいですよ。邪魔をされるよりはね」
「邪魔なんかしないって。それはそうと、貰っていいならこれ貰うね」
「はいどうぞ。もし冷やしたいなら、氷の精霊石もありますから、勝手に使ってください」
「それくらい私も常備してるよ、お構いなく」
ソローネは無花果を律義に二つだけ手に取ると、大人しく椅子に戻った。玉ねぎのころ合いも丁度良くなってきたので、続けて干し肉と、人参、ジャガイモとキノコを入れてそこにたっぷりの山羊乳を入れる。少々の塩と香味で味を調えてしまえば、あとは煮込むだけだ。テメノスはゆっくりと鍋をかき混ぜながら、ソローネから貰っていたワインに口をつける。色合いからしてロゼだろうが、思っていたよりもさっぱりとしていて飲みやすい。成程、今日はそういう気分なのか。彼女は自分の知らない味を土産に持ってくることはない。ならばあまり重いつまみではないほうが良かったかもしれない。干し肉は明日食べるとして、残っていた川魚をマリネにでもしようか。氷の精霊石で保存していた小柄なニジマスを何匹か保存庫から取り出してくると、付け加えの野菜とキノコを刻んで、オリーブオイルと唐辛子に調味料を加えて漬け込んだ。砕いた別の氷の精霊石を加えて放置しておけば、食後には食べられるだろう。
マリネを仕込み終えると、再びシチューの様子を見れば、いい感じに煮込めている。それならばと先ほど頂いた残り物のパンを軽く魔法で炙り、皿に載せてテーブルに運んだ。すっかり空になっているナッツとチーズの皿を回収するついでに様子を見れば、無花果も食べ終えてソローネは手持ち無沙汰にしている。
「ソローネ君、もう少しで夕食ができるので、待っててもらえますか?」
「ん、わかった。それから、これ。オズバルドからのお土産」
「オズバルドから?珍しいですね……」
「テメノスに必要だろう、っていわれて渡された。先生、今は娘さんと一緒に暮らしているからか、だいぶ雰囲気柔らかくなってたよ」
「そうでしょうね。時々手紙も貰いますが、文章の雰囲気も変わりました」
オズバルドからの土産を確かめるのは後からでいいだろう。テメノスはそれを本棚の傍らの机に置くと、仕上がっているシチューを木皿によそいわけてテーブルへと持って行った。
「へぇ、おいしそ。食べていい?」
「なんだか君、オーシュットみたいになってきてません?」
「だってろくに食べてないし」
「まあ、そうでしょうね。遠慮なくどうぞ」
ソローネが食事をしている間、テメノスは先ほど渡されたオズバルドからの土産とやらを確かめることにした。
「これは……本?しかも、新しい……うん?著者は、オズバルド・V・ヴァンシュタイン?タイトルは……魔法における第七の根源について。……なるほどなるほど、あの旅で得た知見を、本として出版したのですね。しかも共著にエレナ・V・ヴァンシュタインとあるということは、娘さんも手掛ているのかな」
そこに書かれていることは、おおよそあの旅で得た確信に近かった。確信とはすなわち、魔法における第七の根源とは「愛」。オズバルドの助手でもあるレディ・クラリッサの意見ではあったが、「あの光景」を見たものは誰しもそう考えただろう。愛娘エレナのことを想い、力を発揮したオズバルドの魔法は、仇敵ハーヴェイのそれと対等か、凌駕していた。
「愛、ね……。しかし、何だってオズバルドは、この本を私に……」
「テメノス、食べないの?せっかくの料理、冷めちゃうけど」
「おっとこれは失礼。君のお土産に夢中になって、お腹が空いていたことを忘れてました」
「……だからキャスティに怒られるんだよ」
「はは、まったく手厳しい」
見ればソローネはとっくに食事を終えていて、再びワインをちびちびと飲んでいた。
テメノスはソローネの食器を洗い場に持っていくついでに、仕込んでいたニジマスのマリネを取ってきて彼女の前に置く。
「え、なに、こんなものまで作ってたの?」
「まあ、自分用によく仕込むので」
「さっきのシチューも店で出してても遜色ない味だし、いっそ店でも開いたら?」
「そうですねえ、異端審問官を引退したら考えてもいいかもしれないですね」
結局ソローネは食べるだけ食べ、飲むだけ飲んでひとしきり懐かしい話に花を咲かせた後、町の宿へと戻っていった。テメノスは片づけを終えて、再びオズバルドの著書に目を落とす。そこには、旅の最中には語られなかった、彼の仲間たちへの想いや感謝も綴られていた。特にテメノスに対しては、第七の根源の解明の際に非常に参考になったという記述があり、テメノスは目を見張る。そんなことをした覚えがなかったからだ。
そこに書かれていることによれば、テメノスの治癒術や光の魔法に時折六種類の根源以外のものを感じていたらしい。それで、神官ギルドや大聖堂などで聞き込みをしたところ、テメノスの扱う魔法が通常の治癒術や光魔法とは異なることに気づいたようだった。
――その力は、俺たち仲間を想う心から来るようだった。
――そして、その力に、俺たちは何度も、何度も助けられた。彼の祈りがなければ、俺は俺の目的を達成することすらできなかったであろう。無論、あの邪神を打ち倒すことも叶わなかったに違いない。
彼の手記にはそうはっきりと記されていた。
「オズバルド……」
言葉少なな学者の姿を思い浮かべる。彼は、こういいたいのかもしれない。多くを喪ったテメノスが、けれども第七の根源たる「愛」を最も体現している人物であった、と。
「……まさか、ね。けれど、否定もしきれない。実際私は、あの旅で得た祈りに助けられていたし、その力で何度も仲間たちの命を繋いでいた」
特に死力を尽くさなければならないような戦いの際は、必ずと言っていいほどにテメノスに声がかかった。それぞれの旅の終着点も、全て見てきた。そしてその度に聖火神エルフリックに祈っていた。
本から目を移し、ソローネの置いていたワインとキャスティからの土産に視線を移す。それから、戸棚にあるオーシュット特製の干し肉に。さらに再び机に目を向けると時を刻むゼンマイ仕掛けの時計――これは、パルテティオから貰った試作品の時計で、特定の時間に音を奏でる機能があるという。よく仕事に没頭して時を忘れてしまうテメノスのためにと、彼が送ってくれたものだった。その隣にあるのは、ク国特製の墨というインクだ。通常の万年筆用のインクとは異なるが、筆という筆記用具を使うとなかなかに書き心地が良く、私的な手紙の時に使うこともある。これは、ヒカリからの贈り物だった。更にはテメノスの部屋には以前のものよりもずっと小型の蓄音機もあり、これもパルテティオがくれたものだ。なんでも技術者フロイトが小型化に尽力したようだ。そこには今や世界中で愛されている世紀のスター・アグネアの「きぼうのうた」が録音されており、時折彼女の声を聴いてはあの時を思い出し、懐かしむことがあった。彼女からは良く手紙が届き、常に最後にテメノスを気遣う一文が添えられているのがやさしい彼女らしいと常に思っていた。
「……まったく、町の人間といい、彼らといい……私は……本当に皆に、生かされている」
それは、まごうことなき事実だ。
そうれもなければ、テメノスはふらりとどこかへ行ってしまいそうだと、神官長や教皇からもよく言われているのだ。だから彼らはテメノスに「仕事」を課すし、町の人たちは何かを「おしつけて」面倒を見てくれる。屋根の修理や薪割り、時に買い物だって手伝ってくれる。
カタカタと窓枠が鳴っている。木枯らしだろうか。そういえば、そういう季節だった。そろそろ雪が降るかもしれない。山間の町の冬は厳しく、長い。ウィンターランド地方程ではないにせよ、クレストランド地方でも冬場は雪に閉ざされる。そういった時も、町の男衆は雪下ろしを買って出てくれるし、実際に助かっていた。
子供たちは教会に大挙して訪れてテメノスに紙芝居や童謡を求めるし、それも立派な「仕事」だった。
もうすぐ冬が来る。
けれど、テメノスはまた次の冬も、その次の冬も、町の人々や仲間たちに支えられながら、自分はきっと同じように過ごすのだろう、と思った。