The Rose

 旅の始まりは、君との出会いでしたね。そういうと少々格好がつくでしょうか。アグネア君は喜んでくれそうですが、ソローネ君あたりは茶々を入れそうですね。まあ、いいでしょう。
 けれども、嘘ではないというのは君もわかっていますよね。
 あの時は、ずいぶんとまたカラスに相応しくない新人騎士だな、なんて思ったものですが……君にそう言ったら怒るからな。それとも呆れてしまうかな。悪い意味ではありませんよ。
 君との出会いは、ある意味では青天の霹靂でした――少なくとも、私にとっては、ね。けれども君は私の想像を超えて逞しく、頼りになる聖堂騎士だった。それは、あの大聖堂で魔獣と戦った時に強く感じたことです。こんなことは、ついぞ言えませんでしたが。言えなくてよかったのか悪かったのかは……私が君の元に行ったときに、教えてください。

 さてと、こんな風に久しぶりに筆を執ったのは、君に伝えたいことがあったからなんですが、こうして紙にしてしたためれば君に届くかもしれない、なんていう空想主義者みたいな考えを私が持ったことに、君はまず驚くかもね。
 本当は、私の考えじゃありません。アグネア君の提案でした。
 ロイを失い、教皇を失い、そして君まで失って、そんな私を皆が心配してくれていることは知っていたけれど、一番最初に私にそのことをわかりやすく伝えてくれたのはやはり彼女でした。
 明朗快活で未来を背負って立つ大スターの彼女には、そんな風に私を心配している暇なんてないはずなのに、旅が終わったら真っ先に妹君と私を訪ねてきて、手紙を書いたらどうか、なんて提案をしてきました。後々そのことを知ったキャスティやソローネ君、果てはそういったことに興味がなさそうなオズバルドにまで賛成されてしまって(他の面子は言わずもがな、ですね)、仕方なくこうして君に手紙を書いている次第です。
 仕方なく、なんて言いましたけど、本当は、私は君にたくさん伝えたいことがあった。教えたいことも、ありました。
 けれど、君は存外敏くて、そしてあまりにも早く逝ってしまった――本当に、このことに関しては私の落ち度に他なりません。如何に皆が口を揃えて違うといっても、君自身が否定したとしても、あの時の自分を叱りつけたいし、後悔している。ああ、こんなことを書きたいわけじゃないのにね。つらつらと言葉を連ねればいい、思ったことを、感じたことを書けばいいというのは存外難しい。書いたとたんに破り捨てたくなるけれど、残念ながら自由を謳歌しているはずの盗賊が私の家に張り付いていて、そんなこともできやしない。
 何もかもお見通し、とは、本当にこういうことを言うんでしょうか。私だって別に暇なわけではないですよ。新たな教皇猊下のもと、聖火教会を立て直すべく日々奮闘している最中です。だというのに、時間が空けばこうして何とはなしに君に手紙を書いている。どういうことなんでしょう。

 少しばかり私のことを書こうかな。君には殆ど話した事はなかったし、仲間たちに語ったこともありません。知っていたのは家族だけ――ロイと、そして教皇イェルク様だけでした。
 私は、ロイを喪ったときに一度死にました。死んだように何にも興味を持てなくなったのです。日々のお勤めをただしているだけの、まさに生き人形だった。
そんな私を心配して、教皇イェルク様は私を余計に危険から遠ざけてしまったばかりに、今回の一連の悲劇が起きてしまったのかもしれない。そう考えると、やっぱり私は自分のことが許せなくなるのです。考えすぎかもしれないし、仮定の話に意味はないかもしれない、けれど。
 考えてしまうのです。
 そして、その都度私の中で何かが確実に割れていく音がしました。自分が壊れている、と感じたのはいつだったか、わからないな。こんなことを書かれても、君も困ってしまうだろうけれど。ただ、役割を演じている時は楽でした。異端審問という仕事を、神官としての務めを、祈りを捧げている時は、私は私として立つことが出来た。歩くこともできたし、笑顔を作ることも簡単でした。
 だというのに、一度その仮面を外してしまうと、どうしていいかわからなくなる。だから、努めて仮面を外さないように私は心を砕くようになりました。その結果、割れた音は数知れないし、耳に慣れてしまっていて、なんとも思わなくなっていた。
 だけれども、そんな私が、明日という希望を夢見ることが出来たのは、君のおかげなんですよ、クリック君。
君だけではなくて傍らで支えてくれた七人の仲間たちの存在は、もちろんだけれども。けれど、きっかけは君の言葉だった。
 君の言葉が――私を信じたいと言ってくれたあの時の言葉が、あたたかな炎のように私の中に灯をつけてくれた。だから、私は真実を求める旅を続けて、そして、その最果てに辿り着けたのでしょう。

 それはともかく、旅の話ですね。君は知っていたかどうかは分かりませんが、君とフレイムチャーチで別れた後は、私は西大陸を目指すつもりでした。ところが、定期船を乗り間違えてトト・ハハ島にたどり着いたのです。まあ、よくある話ですよね。
そんな始まり方をした私の旅ですから、まあ、道中は散々でして……と、そんな風にして私は初めてトト・ハハを訪れたわけですが。
 そこで出会ったのが、獣人オーシュット。私の、傷心旅行の、最初の同行者でした。



 獣人の手当てをしてから、テメノスはため息を落とす。
 彼女の無茶は、今に始まったことではない――それこそ、旅の始めから無茶ばかりしていた。

 お腹が空けば自分の背丈のゆうに三倍以上あるような魔物にもひるまずに挑むし、その結果傷だらけになることも多かった。それまでは放っておいたというのだから、頭が痛くなる。そのせいだろう、彼女の身体には見えるところだけでもいくつも古傷があった。
 それを彼女は特に気にしてはいないようだが、見ていてあまりにも痛々しい。そんな理由から、旅の始めに回復魔法を使って治したことがある。そんなテメノスを見て、彼女はひどく驚き、興味を持ってくれた。  それが彼女との――オーシュットとの、本当の意味での旅の始まりだったかもしれない。

 彼女とは、偶然出会ったようなものだ。本来東大陸に渡る予定だったテメノスが、間違えてトト・ハハ行きの定期船に乗ってしまったのが事の始まりだった。
 慣れない土地と気候にウンザリしながら人里を探していると、獣人と人間が共存するケノモ村へと辿り着き、そこで伝説の魔物を探す旅に出る彼女と出会い、行動を共にすることになった。



 クリックと再会した極北の町ストームヘイルでは、彼の青臭くて健気で儚くて脆い、けれどもとても真摯で綺麗な信念を目の当たりにして、彼の理想を笑えなかった自分に気がついた。
 実際は軽く笑い飛ばしてみせたのだが、それでもそんなものも悪くはない、と彼に言えたのだ。
その時のクリックの、鳩が豆鉄砲を食ったような表情は忘れられない。
絶句して、口をぱくぱくさせて、けれども何かを飲み込んだ後に、彼は笑みを作った。だから、テメノスも同じように笑みを返したのを覚えている。

「おやすみなさい、テメノスさん」

 そういって、彼は吹雪の中に消えていった。
その背中に「おやすみ」と声をかけた。
 彼は当たり前のように明日を迎えて、また二人で肩を並べて真実を紐解くのだろう。彼とならば、やれる。真実へと辿り着くことが出来る。
 吹雪の中だというのに、心の内が、温かくなった。
そして、彼が信じてくれた自分を信じてみてもよいのかもしれない、と、思えた瞬間だった。

   だというのに、彼の存在は無情にも奪われた。
 その時の感情をどう吐き出していいのかは、整理はついていないし、いまだわからない。

 この世界の理不尽さと残酷さを再び見せつけられて、心の中で「割れた音」がした。
 ガチャリ、と無機質な音。何度も聞いた、仕掛けじみていて、恐ろしくて、抗えないあの音。
 ああ、まただ。そう思った。せっかく修復していた傷が、またあいてしまったなと他人事のように感じた。
 結局この世界は冷たくて重たくて容赦がなくて、たったひとりの人間のいのちなどは簡単に壊れてしまう。
 そんなことは、わかっていたはずなのに。
 それでも希望を持ってしまうのは、どれほどに罪なことだというのか。どれほどの罰を受ければ、この先に希望を見出すことを許されるのか。わかるわけがなかった。

だからロイを奪われたときのように、イェルクを亡くしたときのように、まるでその時をなぞらえるように、テメノスは「仕事」をすることにした。 

 「仕事」とは、真実を見出すこと。ひいてはこの一件を解決し、全てを明るみに出すことだ。そして異端審問官として働き、祈り、信ずるところに尽くすこと。役割を演じていれば、恐れることはなかった。
 心の中の音も、世界の冷たさも、いびつきわまりない自分自身のことも。
 親を喪った自分を愛してくれた教皇イェルクを失った痛みも、兄弟のように育ったロイを失った悲しみも、そのいずれもがクリックを失ったものとは違っていた。



 幾人かの旅の仲間を増やしながら大陸中を回り、来る戦いに向けてトト・ハハ島の伝説の魔物を集めるというオーシュットの旅の目的も、この霊峰アルタヘの猛吹雪の原因でもあるグラチェスを捕えれば最後であった。
 見事に魔物を捕えたオーシュットだったが、怒りに荒ぶるグラチェスを宥める代償に深い傷を負った。しかもそのままでさらに人助けまでしようとする彼女の悪癖——ある意味純粋で善性の塊のような彼女らしいのだが――が出てしまい、思わすテメノスは問答無用で彼女を引き留め、治癒術を使った。それも、今まで使ったことのなかったものを。
 神官ギルドを訪れた際に手解きはされていたし、そもそも使えなければギルド奥に鎮座する祭壇へと案内はされなかっただろう。そして、今の自分ならば十分使えるであろうと考えたからではあったが、その効果の程はいかなるものかまでは、想定できなかった。
 癒しの祝詞を紡ぎながらてのひらを、表面の皮膚どころか肉までずたずたに引き裂かれ、凍傷になりかけているオーシュットの脇腹へとかざすと、膨大な魔力の奔流があたりを包み込み、そして収束した。

「は、はわわ~~~、おったまげたべ、テメノスさん、いつの間にそんな魔法……初めて見るべ……」
「なんと暖かな光……これが、究極の癒しの秘術か」

 感心したように、武装を解いたアグネアとヒカリが目を見張る。
 テメノス自身、こんな大魔法を使ったことはなかったので若干の疲労を感じながらも、効果の程には驚いていた。先ほどの無残な傷口はすっかりと塞がり、どころか体力まで回復しているのか、オーシュットの耳がぴんと立ち上がり、尾がせわしなく動いている。

「超過回復の術、初めて使いましたが……なるほど秘奥と言われるわけだ」
「シャキーン!テメノス、ありがとう!わたしはもうすっかり元気だよ!どこも痛くないし、肉を食った後みたいに元気もりもりだ。じゃあとっととおっちゃんを麓まで運ぼう!」

 さっさと蹲っている狩人を背負おうとするオーシュットを制し、テメノスは件の男の傷の様子を見る。こちらは、致命傷ではないものの、このまま放置して山を降るにはいささか危険だった。何より、動いていなかった分体温が急速に低下している。

「オーシュット、待ちなさい。彼にも薬草と治癒術が必要でしょう」
「で、でもテメノスさん、グラチェスと戦ってた時だってずっと魔法を使いっぱなしだったし、もう魔力は底をついているんじゃない?」
 アグネアは察していたらしい。確かに、手元にあるプラムはあと一つ。無茶というわけではないが、帰路に出る魔物のことを考えればできれば温存はしたかった。だが、彼を助けることにしたのはオーシュットの選択だ。今回の件、テメノスは彼女に従うと最初に決めていた。それは出会ってすぐに彼女の中にある炎に気付いたからでもある。
 いつか、この子は聖火神に祝福されるような、そんな気がする。
 漠然とした予感めいたそれは、近頃は確信に近くなっていた。真っすぐで純粋で、他者を思いやり弱きを助ける――聖堂騎士クリックが言っていた言葉を思い出し、つきりと痛む心臓とともに、テメノスは立ち上がり蹲っている狩人に近づく。

「あなたも、そのままでは麓まで降りるのに難儀するでしょう。傷を癒します。それから、この薬草を嚙みなさい、体温が少し戻るでしょうから」
 アルタヘへ登ると決まった直後にキャスティに渡された保温用の薬草を手渡すと、狩人の男は素直に従う。とはいえ、流石にオーシュットに使ったものと同じ術はもう使えない。単純に魔力が枯渇しそうだからだ。テメノスは残り一つになっていたプラムを齧って飲み込むと、簡易的な詠唱で狩人の傷を癒す。

「あ、ありがとよ、神官さん……」
「礼ならば彼女に。私は仕事をしただけにすぎませんから」
「あ、テメノス、おっちゃんも治してくれたんだ、センキュー」

 胸元までしかない体躯の獣人がぴょこん、と飛びついてくる。ふさふさの尾が感極まったように揺れていて、彼女の喜びを如実に表現していた。

「さあ、面倒な魔物がこないうちに、麓に向かいましょう」
「そうだな。テメノスは下がっていてくれ。俺たちが先陣を切ろう」
「うんっ!私たちに任せて、テメノスさんは休んでて!」
「そうはいっても……」

 だが、如何せん魔力の枯渇した自分では足手纏いということは自覚していた。テメノスは頭を振り、ヒカリとアグネアに改めて目を向ける。二人は力強く頷く。

「……こんなところで意地を張るものではないですね。素直にお二人の言葉に甘えさせていただきます」
「テメノス~、わたしももう平気だよ?」
「オーシュット、君はそちらの方を背負っているのですから戦えないでしょう」
「う~む、言われてみればそっか。でも、かわりにマヒナが戦ってくれるよ、ね、マヒナ!」

 彼女の相棒であるマラマフクロウはホロッホー、と甲高く一声だけ鳴くと、ちょこんとオーシュットの肩に収まってしまう。彼女にどうやらそのつもりはないようだ。

「いいから二人に任せましょう」
「わかったよ、テメノス」

 流石のオーシュットも、人を抱えながら弓を引くわけにはいかないと理解しているようだ。不満げに鼻を鳴らすが、案外と素直に飲み込んでくれた。

「全く。どうしてこう、私の旅の相棒は揃いも揃って無茶ばかりするんでしょうね」

 誰に向けたわけではない、小さく落とした声が風雪に紛れる事をわかっていて、テメノスは半ば呆れたように、そして半ばわかっていたといわんばかりに呟く。
 それでも、彼女の旅路の行く末を見守ろうというくらいには、オーシュットと共にあることは心地よかった。



 テメノスにとっての最終決戦の地でもあるトト・ハハ島に向かう前に、一行は東大陸いちの観劇都市・メリーヒルズへと向かった。
 目的は、そこで催される大舞踏祭であり、アグネアがその出場権をもぎ取っていたからだ。それは彼女にとって夢への最終舞台でもあり、同時に晴れ舞台でもあった。世紀の大スターであるドルシネア・ルーセルその人から認められ、大会への足掛かりをアグネア自身が掴んだ結果であり、何よりも最たる理由は、メリーヒルズでの大舞踏祭のスケジュールが迫っていたからだった。その為一行は険しいクレストランドの山地を足早に駆け抜ける羽目になった。
希望は、何よりも強い光であり、願いでもある。己の逸る復讐心を抑え込み、テメノスはアグネアのためにも「仕事」に徹することに決めた。
 アグネアは旅の中盤に仲間に加わったが、持ち前の明るさと器用さ、そして何よりも彼女の得意とする踊りでもっておおいにテメノスの旅路を助けてくれた。また、彼女の料理の腕は抜群で、料理をたしなむ程度だったテメノスは学ぶことも多かった。
 メリーヒルズは東大陸の南西部に位置しており、同じクレストランド地方でもフレイムチャーチとはだいぶ趣が違っていた。まず、その規模の大きさ、そして何より街の北側に大きく鎮座する大舞台だ。びっしりと規則正しく敷き詰められた石畳で造られる街は大道芸人や歌手に詩人、踊り子などといった芸術をたしなむ人々で溢れ、いかにも大舞踏祭の前といった賑わいを見せていた。また辺りには露店も立ち並び、商魂たくましい商人たちがこぞって己の自慢の品で商売をしており、活気に満ち溢れている。清閑なフレイムチャーチや大聖堂とは違うな、とテメノスは肌で感じながらも、興奮冷めやらぬアグネアの様子を見て微笑ましく思っていた。

「ど、どうしよう、こんな大きな舞台だなんて……」
「大丈夫ですよ、アグネア君。今までだって本番ではなんとかなってきたじゃないですか。それに、忘れないでね、君の後ろには、私たちがいます」
「テメノスさん……ありがとう。よっしゃ、怖がってても、なにもできねえべ!……て、ほげぇっ!」
「おやおや、舞台前に傷をこさえては、台無しですよ。今癒します」
「うぅっ……申し訳ねえ……」

 軽い祈りなど日常茶飯事だし、魔物との戦いでできる傷よりは浅く、けれども彼女の一張羅のドレスに少しばかり傷がついてしまっていた。

「おや、ドレスがすこし破けちゃってますね……それくらいなら私でも繕えますから、宿で着替えてもらえますか?修繕している間は、オーシュットと街の観光でもしてくればいいでしょう?」
「へ?で、でも……」
「いいから、いいから。ほら、放っておくとオーシュットが匂いにつられて先走っちゃいますよ」
「あ、あーっ!オーシュット、ま、まだ駄目だべ!一緒にいくから!」
「え~~アグ姉~~、ここ、いい匂いがいっぱいするから、わたし、お腹ぺっこぺこだぞ~」

 まるで駄々っ子のようなオーシュットの仕草にテメノスは小さく笑い、彼女の手を取って宿屋へといそいそ向かうアグネアの後をヒカリとゆっくりと追いながら、そのさまを目を細めて眺めていた。

「そなたも、まだそのように笑えるのか」

 不躾にヒカリが告げてくる。ク国の王子は、決して悪気があって言っているのではない。そもそも彼には裏表がなく、その心に偽りがあることを疑う方が間違いだということは、出会って早々に理解できた。

「そう……ですね。あの子たちを見ていると、おのずとね」
「ならば、よかった。ずっと気が張っていては、足元を掬われかねんからな」
 彼が何を言いたいのかは分かった。直接クリックを手にかけたのは聖堂機関長カルディナだが、その手引きをしていた副機関長クバリーもまた、テメノスの中では許しがたい人間の一人だった。そのクバリーに直接引導を渡した際に初めて感情を露わにしたテメノスを、意外に感じていたのだろう。

「ありがとう、ヒカリ。ご忠告はきちんと受け取りますが、それは君にも同じことが言えるんですよ」

 そういって微笑みを返すと、ヒカリは思わぬ反撃に息を詰まらせ、ぐう、と小さく唸る。しっかりしているようでも、まだまだ彼は若いのだ。

「う、うむ、そうだな。ありがたく受け取ろう」
「さて、アグネア君から荷物を受け取らないと」

 いざというときのためというか、ロイと暮らしていたころから、針仕事はテメノスの役割だった。大雑把で正義感の強かったロイは、よく法衣を汚したり破いたりして来ては、テメノスにくどくどと文句を言われながらも悪びれなかったものだから、得意になりたくてなったわけではない。だが、こんなところで結果的には役立っており、ならばあの時のロイに感謝すればよいのかと考えると、いささか癪ではあった。

「それにしてもそなたは繕い物もできて、料理もできる。存外家庭的なのだな」
「それ、褒めてますか?あなたのことなので、おそらく褒めてるのでしょうが」
「出来ないよりは出来た方がよいのであろう」
「あなたに必要ではありませんよ。あなたは、それよりも、ずっと大事な役目があります」

 国を追われてもなお、祖国を想う心を忘れぬ優しい王子。彼が願う未来は、クリックが願っていた明日と同じ、青臭い理想道で、けれども嫌いにはなれない、否定もできない、希望に満ちた明日だった。

「わかっている。俺は、ク国を、善き国にしたいと願っている」

 応じる声は確りとしていて、ヒカリの目は、はるか東、遠い祖国を見ているようだった。

「そのためならば、私たちは力を惜しみませんから」

 するりと口をついて出た言葉は、嘘ではない。そもそも彼に、彼でなくとも旅の仲間たちに嘘はつきたくはなかったしつくつもりもない。
 テメノスの言葉に応じるように笑うク国の王子は、その未来に相応しく、頼もしく見えた。


 アグネアの舞踏は、最初こそドルシネアに押されていたものの、彼女の旅で出逢った、或いは助力してきたひとびとの呼びかけで、そして何よりテメノスたち旅の仲間たちの助力がして、メリーヒルズの大舞台で燦燦と輝いていた。
そのまばゆく強い光は、かつてアグネアに対抗意識を燃やし悪質な嫌がらせをしてきたニューデルスタの劇場支配人の心すら動かし、大勢の観客を魅了した。  彼女が紡ぐ「きぼうのうた」は旅の最中に彼女自身が綴った彼女自身の歌だ。元はニューデルスタの下町の酒場をやっているマスターが作った曲に、アグネアが各地で紡いできた希望と願いをのせた。  その歌が華々しくフィナーレを飾ると、会場は割れんばかりのアンコールに満ち、繰り返されるその声に、くたくただったアグネアは力を振り絞り舞台に挑もうと足を持ち上げる――けれど、激しい舞踏の末、彼女の脚は限界を迎えていたのだ。

「私の祈りで役に立つかはわかりませんが……アグネア君、大丈夫ですか?」
「う、うん、ならなんとか……痛っ」

 だいぶ腫れあがり、痛々しい細い踵に手を翳して、もはや慣れたものの超過回復の祈りを紡ぐ。本来の体力以上に力を取り戻すそれは、踊り子にもう一度舞台に立つ力を与えた。こうして仲間のために、誰かのためにこの祈りを紡ぐことが出来るのは、素直に喜ばしかった。それが、生死を分けるような危機的状況でないのならば、なおのことだ。

「ありがとう、テメノスさん。テメノスさんの魔法は、いつでもあったかくて、心地よくて……なんだか家でベッドで眠っている時みたいな気持ちになる」
「ふふ、それは、褒め言葉として受け取っておきましょう」
「うん、私たち、何時だって助かってるんだから。それじゃあ、いってくるね!」

 満面の笑みを仲間たちに向けてから、彼女は長い栗毛を揺らして舞台への階段を上ってゆく。さながら、舞踏姫シルティージが姿を現し、その舞いを人々に施しにゆく背中のように、テメノスには見えていた。
 彼女は、正しく「希望」という言葉を、そして「明日」を体現している。そして、テメノス自身の心の中にも、温かなものが芽生え始めていた。