A2ちゃんと!

「A2ちゃん、デートしよう!」
「ハァ?」

 朝から煩いのに捕まった。だいたいこいつはどうして私の居場所を知っているんだ。教えた記憶はないし、この場所を自分から誰かに話したこともない。そもそもA2の居場所――ねぐらは一定していないのだ。その時々、気分で変わるし天候でも変わる。だから、誰かに見つかることはほとんどない。見つけられるとすれば同型で思考回路や行動原理が似ている2Bか、世話好きの虫を最近やたら発揮してくる9Sのふたりくらいで。
 突然の来訪者の突拍子もない発言に思わずその顔をまじまじと見つめてしまったA2だったが、次の瞬間には興味がないとばかりに視線を逸らして立ち上がる。今日の予定などとくになかったし、そもそもそんなものを立てるタイプでもない。気が赴くままにブラブラする、それが最近のA2だった。
 ところが、問題の相手はまったく引き下がらない。どころかA2の寝床にまで押し入ってきて自己主張しだした。

「警告:ちょっと10H、女子の寝床に強引に侵入するのは倫理的にいただけないわ」
「いいからー、ねー、デートしようよーーー」
「断る」

 同行している006の警告にもお構いなし、というかたぶん聞いていない。小柄な10Hでもアンドロイド二人分の空間はない寝所はそれだけでいっぱいになる。それだけで存在圧があるという状況を自分から作り出しているのが故意かどうかはわからないが、寝起きとしては今朝は最悪の部類だ。目が覚めたらいきなり他人の声が降ってきたのだから。以前のA2だったらすぐさま剣の切っ先をそののど元につきつけていただろう。そういう可能性をまったく想定していないのが、ある意味で彼女らしいといえばそれまでなのだが。

「なんでよー、しようよー」
「断るといったら断る!」
「ケチー。ねーねー、いいんじゃん減るもんじゃないし!
」 「減る!」

 ああもうめんどくさい。こんなことになるのなら助けるんじゃなかった――この、月面基地にいた(自称ではあるので真偽のほどはわからないが、いまさら興味もなかった)というヨルハ機体10Hを「拾った」のが二ヶ月ほど前。とりあえずほうっておくのも寝覚めが悪いから拾ってレジスタンス・キャンプにいる2Bと9Sに押し付けたことだけは覚えている。そこで終わりだと思っていたのだが、なぜだか彼女はことあるごとにA2の前に姿を現した。群れるのは苦手だから、とあいつらに押し付けたのにどうしてこっちにくるんだ。彼女の行動の理由に想像がつかないA2は無性にイライラしてきた。
 とりあえず目的はなかったが多少腹が減ったので狩りでもしよう。そう決めると、随行支援ユニットに懇々と諭されながらもなおも食い下がる10Hの存在を頭から追い出してA2は歩き出した。



   狩場まではそう遠くもなかったのが助かった。そうでなければどうにかしてこのめんどくさい同行者をまいてしまわなければ、A2の頭がおかしくなりかねない。それほどに、とにかく10Hは煩かったし必死だった。
 どうも体力に優れないらしいのに、行動限界ギリギリまでA2を追いかけては息切れしてへたりこみ、自己修復を無理やり施しては再び追いかける、その繰り返しだ。しかも行動限界にならない限りその口を閉じることはない。思えばどうして彼女と歩行速度をあわせているのかもわからないが、なるほどH型というだけあって彼女自身戦闘行為は不可能に近く、万が一敵性機械生命体に出会おうものなら随行支援ユニットに任せるしかないというのは、彼女と同行してわかった。しかも、そもそも戦闘指示の出し方もわからないというから驚きだ。自動歩行兵器として造られたヨルハ機体であるにも関わらず戦闘行動ができないというのは、いくらH型とはいえ極端ではないか。などと、結局は彼女についてあれこれと詮索じみたことをするハメになっているのも腹立たしかった。
 こんな時はもう、何も考えずに敵性機械生命体の群れでも蹴散らすか、狩りしかない。以前ならば間違いなく前者を選んでいたのだが、めんどうくさい「和平協定」とかいうものが結ばれてしまいいわゆる無意味な戦闘行為は一応禁止されてしまっている。そうはいっても敵性機械生命体は倒してしまっても構わないらしいが、そもそもあの協定以降表立って敵対してくる機械生命体は減っていた。だから、おのずと後者を選ぶしかない。八つ当たり交じりに生き物を殺すという行動に抵抗がないわけではないものの、「食料」という大義名分がアンドロイドたちの間でも罷り通るらしいと理解すればその躊躇も多少は緩和された。そう、自分たちのような近年製造されたヨルハ機体たちはいざ知らず、古い型のアンドロイドや非戦闘用アンドロイドたちには動植物から栄養を補給し生命を維持するという、まるで人類のような機能が備わっているようで、定期的に他の生命を犠牲にして命を繋ぐ必要があるのだという。それを非合理的だからという理由で採用しなかったのか、別の理由があったのかはわからないが、興味もなかった。
 めんどうなことを考えるのは、そもそも得意じゃない。
 獲物を視界に捕らえれば、それだけでA2の頭の中はシンプルになる。狩るか、狩られるか、それだけだ。下手なアンドロイドや機械生命体よりも手ごわい地上の動物たちは、そういう意味ではA2にとっては好敵手のようなものでもあった。

「うわあA2ちゃんさすがだねー。いつ見ても惚れ惚れする剣さばき」

 彼女がイノシシを仕留めたことをほめているのか、はたまた今の手さばきのことををほめているのかはわからないが、とりあえず黙って欲しい。今日の獲物は中型のイノシシだった。ここら一体のボス格ではないものの、そこそこに力のある若い牡だ。もしかすればそのうち群れのリーダーになったかもしれない。だがそれはもう関係のない話だ。もうただの肉塊となったイノシシの解体を黙々とすすめるA2に、またしても10Hは一方的に好き勝手喋っている。
 A2がイノシシや鹿といった動物を狩り、解体までするのは二つ理由があった。ひとつめは、相手に対して敬意を払いたかったから。敬意を払うというのもおかしな話なのだが、自分がその命を狩った相手の面倒を最後まで見る、そういう感覚に近い。人類には食べて敬意を表するという文化もあったと聞いたことがあるが、意味合いとしてはそれだろうか。機械生命体の海洋生物型も解体して部品として利用する、という話を9Sにされたのがきっかけかもしれない。いずれにしても、命を奪うことが目的であったあの頃、ただひたすらに命を奪っていた頃ならば思いつきもしなかった考え方だった。
 そしてもうひとつの理由は、単に動物の解体が9Sよりも巧かったから任されたのだ。彼は海洋生物に関しては、機械生命体も含めて非常に手際がよいのだが、それが動物となると何故かA2よりも下手なのだ。得手不得手だと不承不承顔で彼はぶつぶつ言っていたが、自分よりも上手の相手には素直に役割を譲った。そもそもそんな役割を欲しいと思ったことも、言ったこともなかったのだけれど、旧知の仲であるアネモネにまで頼まれてしまえば否とはいえないのがA2だった。
 だから、最近は仕留め方にもこだわるようになっていた。そうなると、この「狩り」もなかなか楽しいのだ。

「すごいねえ、さっきまでスリープモードだっただなんて思えない、やっぱ戦闘タイプは違うなあ」
「それはお前がからっきしすぎる」
「同意するわ:まあそもそもこの子、戦闘自体が無理だけど」
「あはは、言い返せないかもそれ。でもでもでもね、私も自分がこんなに、とことんまで戦闘出来ないんだってこと、地上に来るまで自覚もなかったし、あと同じ戦闘タイプじゃない9Sがあんなに戦えるってのも知らなかったし、まあ、あれはちょっとばっかりショックだったっていうか、同じヨルハ機体の非戦闘タイプなのに不公平感あるっていうか」
「あれは非戦闘タイプじゃない、れっきとした戦闘タイプだろ」

 そもそもヨルハ機体で非戦闘タイプの数自体が少ないはずだ。詳細データもなにもわからないが、少なくともA2の知っている情報の中に、完全に戦闘ができないヨルハ機体なんてものはなかった。

「別に、お前が戦闘する必要なんてないだろう。H型が戦ってどうする」
「A2に同意するわ。そもそもH型が自衛しなきゃならない状況って、想定しうる限り最悪の事態よ、どういうチームであってもね」
「うーん、まあねえ、S型って単独任務多いし、土台が私みたいなのとは違うと思うけど。あ、おわった?」

 必要な最低限度の処理を終えたら、レジスタンス・キャンプに持っていく。あとはキャンプの食料担当アンドロイドたちにまかせればいい。彼らはそういう技術や知識に秀でているし、能力もある。A2の仕事は「狩る」ことと、最低限度の処理を施してキャンプに持っていくことだ。
 返事のかわりに立ち上がり、皮をすっかりと剥いでしまった肉塊を背負うと無言で歩き出す。レジスタンス・キャンプまでは彼女の歩行速度に合わせれば1時間弱というところだろう。それだけの時間彼女の一方的なお喋りに付き合わされるのは疲れるといえば疲れるのだが、聞き流せばよいことだし、どこか慣れてしまってもいる。イライラも今朝ほどではなかった。だからまあいいか、とA2は思った。
 レジスタンス・キャンプに着いてイノシシ肉と交換に、ちょうど出来上がったばかりだというカジキの唐揚を大量に押し付けられた。作った当人である9Sではなく、2Bに。なのでよけいに断りづらい。どうもこの同型は、同型だというのに扱いづらかった。自分に似すぎているから、というのもあるだろう。なんとなくではあるが2Bの方もそれを感じているらしく、彼女からA2に接触してくることはあまりない。

「あれ、これ、前に食べたときと味がちがう……また新しい調味料の配合でも考えたのかなあ。それかそもそも調理方法?仕込み段階?うーんぜんぜん見当つかない」

 当たり前のようにA2の隣にいる10Hがなにやら独り言をこぼしている。味付けとかそういう細かいことにA2は拘らないのだが、彼女はそうではなかった。それは、不本意ながら行動を共にすることが多いので気づいたのだが。

「はああ、また9Sに差をつけられちゃうなあ。これでも勉強してるんだけどなあ、S型ズルイ、あの学習能力が憎い」
「あなた地上にくるまで食べ物に興味なんて殆どなかったじゃない。スタートがまず違うわ、あきらめなさい」
「わかってますー、でもでもいつか、A2ちゃんにおいしいっていってもらえる料理を作るのが夢ですから!」

 初めて聞いた。そもそも、いつのまにそんなことを考えていたんだ。

「だったら素直に9Sに頼めばいいじゃないの、教えてくださいって」
「えっいやそれはさあ、なんか、反則っぽいじゃん……最初から答えをもらっちゃうのはなんか違うっていうか」
「悪いけどそれ、初心者が陥りがちな判断ミスだと思うけど」
「そうかなあ。味見のセンスはあるって9Sに褒められたし大丈夫じゃないかなあ」
「かわりに技術は純戦闘アンドロイドレベルって太鼓判押されたの、忘れてるでしょう」
「うっ……、私もそれは想定外でした……」

 肩を落としてとぼとぼと、それでもきっちりA2の歩行速度にあわせて(一応A2も加減はしてやっている)くるのだから、その根性は褒めてやるべきなのだろうか。褒めたら褒めたでうるさそうなのだが。
 なおも漫才を続けている10Hと006を放置して、さてあとはどうしたものかとA2は頭を巡らせた。目的は特にないし、用事があるわけでもない。
 あてもなく適当にぶらつこうか。今日はどうせ、この煩くてめんどうな同行者がついてくるだろうから。



   そういえば、砂漠地帯の岩場には珍しい花が咲いているらしい。花に特に興味はなかったが、地上のものはなんでも新鮮らしい10Hに見せたら喜ぶだろうか。この区域で何箇所かその花を見ることは出来るようだが、砂漠に咲く花というのは珍しい。2Bに一方的に渡されたデータを、どうにか掘り起こす。

「ここに行ってみる気はあるか」

 言葉と共に006にデータを転送すると、それを確認した006と10Hが同時に、違うことを言った。
「ここから遠くはないけれど……この子に行けるかしら」
「行く!行く!」

 まるきり正反対のことを同時に言われて思わずA2は柳眉を動かした。確かに、006が投影しているこの場所はたどり着くのにちょっとしたコツがいる。そして体力が極端になく、かつ連続稼働時間も短い10Hを同行させるとなると、おそらく今から出発しても到着するのは明日になる。なにしろ日は中天を通り越している時間だ。

「行くって、あなた、この場所は砂漠地帯でもちょっと面倒な場所なのよ?行けるつもりなの?」
「私には無理でもA2ちゃんがいるし!」
「ちょっとまて、私に頼る前提なのか!?」

 思わず声を荒げてしまったが、10Hは堪えた様子もない。

「うん、A2ちゃんなんだかんだ私に歩調合せてくれるから、今回も助けてくれるんでしょ?」

 断るわけがない、といい笑顔で断言されて、A2の表情があからさまに歪む。まったく、どこまであつかましいアンドロイドなんだ!



   そして結局は、10Hの言ったとおりになるのだ。ちょっとした段差の岩場でも「登れない~」と根を上げ、砂に足を取られては転び、その度に弱音を吐き、口を開けば「あつい、水ほしい」と繰り返しては必要ないでしょと006につっこまれ、変わり映えのない景色にぶつくさ文句を言う。もう頼むから黙れ、ただでさえエネルギー効率が悪いのにさらに無駄なエネルギーを使うなと何度言いたくなったことか。ただしA2は文句を言うかわりに手をかした。具体的にはただ引きずっただけなのだが。「ひどい、A2ちゃんの私の扱いがひどい。義体が傷だらけになっちゃう」文句を言う10Hは無視した。いろいろあって何度か行動を共にせざるを得なかった9Sはあれはあれで瞬間瞬間で目的が変わって制御するのが面倒だったが、自力で行動できただけ放って置けた分だいぶマシなのだとA2は痛感した。仮に9Sが10Hのように非常にエネルギー効率が悪かったのなら、間違いなく2Bだって9Sを放置したはずだ。いや、2Bのことだからなんだかんだ付き合うのか。そうなると私と一緒だ。よくわからない結論に至ってしまい、A2は嘆息する。

「あ、A2ちゃん、いまめんどくさいって思ったでしょ」
「お前と行動を共にするたびに毎回思ってる。正直、あの9Sよりめんどくさい」
「A2ちゃんひどい!でも、絶対に見捨てないA2ちゃん優しい!」
「あのなあ……それで、私は結局どっちなんだよ」
「両方!ひどいけど結局やさしいから、A2ちゃん大好き!」

 えへへ、と引きずられながら器用に笑う10Hの笑顔には疑いようもなく好意しか表れていなくて、なんとなくその顔をずっと見ていられなかった。

「うわー、きれい!なにこれ、こんな場所に咲いてるのに、すっごい瑞々しくて、なんかきらきらしてて……光ってるみたい。これ、植物なの?」
「月の涙。地上でも希少な植物ね。その美しさに反してとても生命力が強いから、どんな荒地でも花を咲かせる反面、意図的な飼育は非常に難しい品種よ。その道じゃあ映像データだけでもとんでもない高値がつくの」
「え、そしたら根こそぎ持ってったらとんでもない額が手に入るってこと?」
「それは禁止行為ね。地上の植物の種子を採取する行為だって、ここ近年ようやく認められたんだから。そもそも、アンドロイドは地上の動植物を許可なく勝手に飼育はできない……ヨルハの名がつくアンドロイドだけじゃなく、これは全アンドロイドが製造時インプットされている事項のひとつよ。あなたのその発想そのものが驚きだわ。まあ、今となっては無意味な決め事だけど」
「別にそんなことしたいわけじゃないもん。だって、この子はここで一生懸命命を繋いでいるんでしょう。見ればわかるよ、硬い岩盤と砂地に必死に根を張り巡らして地中の少ない栄養と水分を補ってる。強すぎる日差しを少しでも避けたくてこんな岩場の影を選んで芽を出して、成長して、花を咲かせてる。そういう努力を全部なかったことになんて、出来ないし」
「地上では長い間にどんどん動植物は進化して、独自の生態系を作り上げている、その中でもこの月の涙は何千年も、もしかすると何万年も変わらない姿で、どこにでも咲くことが出来る。あら、あなた、そもそも月の涙のデータベースにアクセスするの、初めてじゃない?」
「うん。目にするまでこの花のこと、名前も存在も知らなかったし。でもそういうの、生体スキャンすればわかるもん」

 10Hは、感嘆の言葉を異口同音に連ねたが、決して花に触れようとはしなかった。どこか敬意すら払うような口調とまなざしで、じっと花を見ている。それは、A2にはわからない反応だった。確かに、こんな場所に咲いているというだけで脅威に値するとは思うし、この白く儚げな花をきれいだとは思う。彼女は常にそうだ。動物でも、植物でも。そもそも食べる行為に感謝するという人類の古い文化をA2に教えたのも彼女だった。存在に感謝する、そんなものは、よくわからない。ただまあ、一方的に命を刈りとっておくための言い訳としては、悪くはないだろうな、そう思うくらいなのだ。
 そんなA2の思いも、10Hのなにがしかの思いも知らないように、月の涙は砂まみれの風の中でも凛と美しい花を空に向けて咲かせている。まるでそれが、存在意義なのだとでもいわんばかりに。

「あのね、A2ちゃん」
「なんだ」
「あの、ありがとうね」

 何の話だ。まったく、こいつはいつもこれだ。何故か結論から話題を切り出す。会話を続ければその発言の意図もわかるのだが、もしかするとそれが目的なのだろうか。一瞬そう考えてからA2は即座に否定した。そもそもそんな策略めいたことを思いつくようなタチではない。

「今日、私無理やりいろいろ連れまわしたから」
「正確には連れまわしてもらった、ね」
「ポッドうるさい。でもでも私、すごい、楽しかったし、嬉しかったよ。A2ちゃん優しかったし」

 彼女の言う「優しい」が世間一般でいう優しいの範囲よりも大分広いとは思うが、否定したり話の腰を折るつもりはA2にはなかった。どうせ、言いたいことを言わせれば勝手に黙るのだ。もうすぐ日が暮れるから――そうなると、適性機械生命体の活動が活発化する。気圧・気候が若干変化し太陽の光も弱くなる「夜」はどうやら彼らの活動には適しているようで、アンドロイドはその逆なのだ。それはほんとうに些細な差だったが、双方には絶大な影響があった。そうなれば、ただの足手まといでしかない10Hを連れ歩く気はさすがになかった。だいたい目の前で死なれても、寝覚めが悪い。
 機械生命体よけの焚き火をかき回しながら――どういうわけか彼らは火を神聖視し、畏れるのだ――A2は黙っていた。黙って、彼女のお喋りを聞いていた。朝はあれほどに気に障ったそれも、「夜」という時間がそうさせるのか、ほとんど気にならない。

「迷惑なんだろうなーっては思うよ。でも、それよりもA2ちゃんと一緒にいるの、すごい楽しくて。えっと、キャンプの皆と一緒にいるよりも、ずっとね」
「お前は9Sと仲がいいんじゃなかったのか?」
「えー、なにそれ、私と9Sって、そういう風に見られてるの?」
「いや、2Bがそう言っていただけで……別に、私は……」

 その場面を見たわけではないから、と続けるつもりが、なぜか言葉が尻すぼみになる。理由は自分でもわからなかった。

「それ9Sにいってみなよ、たぶんすっごい怒るから。っていうかないない、ただちょっと、いろいろ聞くのに一番都合いいってだけだし……ほら、A2ちゃんも2Bさんも、あんまり話してくれないし」

 私はちゃん付けだし、2Bはさん付け。それならなんで9Sだけ呼び捨てなんだと突っ込みたくなったが、それを口にするのはなんとなく躊躇われた。

「でさ、迷惑だっていう自覚はあるけど、でも楽しいし、私A2ちゃんのこと大好きだから、やっぱり一緒にいたいなあって」
「お前は」
「なに」

 言いかけた言葉を飲み込んだ矢先に、畳み掛けるように10Hは先を促す。自分よりも小柄で、華奢で、確かに戦闘なんてできそうもない義体で(それをいったら9Sもそうなのだが、あれはそういう見た目そのものが相手を欺くためなのではないかと思っているしたぶんその通りだ)、おまけにエネルギー効率が非常に悪いし体力もない。そのくせなんにでも首をつっこみたがるから危なっかしくて放っておけない。

「お前は、そう、軽々と私を好きだ好きだというが、根拠は一体なんなんだ」

 ようやく吐き出した言葉に、10Hは大きな黒い目をぱちくりとさせる。

「え、理由とかないけど」
「なんだそれは」
「なんだっていわれても……別に、理由とかいらなくない?」

 いる。少なくとも私には。そう、続けたかったのに、言葉は「言葉」にはならなかった。呆れが半分と、諦めが半分。そのどちらもが、今のA2の素直な感覚だった。
 理由もないのに、こいつは私の後をつけまわしたというのか。ただ好きだ、という、それだけで。
 言葉のかわりに漏れたのはため息で、そのまま重い腹の底をもてあましていると、急に10Hが近づいてきた。真正面にいたはずの彼女が、いつの間にか隣に身を寄せている。
 困惑し、どうしたものかと反射的に視線を彷徨わせる。けれど、こういうときに余計な口を挟みそうな006は沈黙していた。むしろ、それは主人の意図に従ってのことなのかもしれない。

「あー、A2ちゃんは理由欲しいタイプかあ。そっかー……うーん……」

 いいながら、尚も身を寄せて10Hはぶつぶつと勝手なことを言っている。だが彼女が何を言っても、今のA2には届かない。この状況をどうにかしたいのに、どうにかする手段が見つからなくて動けないのだ。軽くパニック状態に陥っていて、何かを考えることもできない――こんなふうに、誰かを近くに感じることなんて、ここ数年とんとなかったことだから。

「うーん。考えてみたけどやっぱわかんないや。A2ちゃんといるとすごい楽しくて、好きなんだけど、好きだから楽しいのか、それとも楽しいから好きになったのか、どっちが先なのかってちょっと考えてみたんだけど、わかんないものはわかんないんだよね」

 ごめんねー、とどこか間延びして告げられた声が妙に遠かった。一体彼女は何の話をしているのかも、わからないのだ。こういう一方的な好意には慣れない――敵意ならば対応できるが、その逆といえば、A2は殆ど対処したことがなかったから、こういう状況になるととたん困惑して思考も鈍くなる。そして、結果相手に圧されてしまうのだ。そう、たとえば、今朝のように。今朝のあれも、仮に進入してきたのが敵意を持つ存在ならば即切り殺していた。A2はそういう風に生きてきていた。

「そう、……か……」
「口説き文句としては落第もいいとこね」
「あちゃー、やっぱかあ。今度4Sに恋愛小説貸してもらお」
「それは彼の管轄外じゃない?」
「そだっけ。でも、紙の本のことなら、彼、ヨルハのデータベースよりすごいじゃん」
「そもそもこの雰囲気でこういう会話してる時点で、あなた論外よ」
「え、ウソ。そもそもそういう雰囲気だった?」

 そこまで言われていまさらの様に10Hが慌てだす。短く切りそろえた割に奔放に跳ねている赤毛がくるくると揺れて、炎に照らされているからだけではない頬の赤みが一気に強まった。自分の言動をまったく理解していないらしいその姿が奇妙なほどにおかしくて、思わずA2は口端に笑みを浮かべた――それは、ほんとうに無意識だった。

「あ」
「なんだ」
「A2ちゃんが笑った……私を見て、笑った」
「……私は今、笑っていたのか」
「うん、笑った!絶対笑った!あのね私ね、A2ちゃんの笑顔、初めて見たんだけどその……」

 今度は、めずらしく10Hが言葉を濁す番だった――彼女がこんな風に言葉を濁すのも、それこそA2が彼女を助けてから初めてで、むしろ彼女でも言葉を濁すことがあるのかと、少し驚いている。

「なんだ、はっきり言え」
「ええっと……ポッド、たすけて」
「知らないわよ。それは自分で言わないと意味がないんじゃないの」
「ううう」

 006のそっけない返事に、10Hは頭を抱えている。いろいろとつっこみたいのも山々なのだが、そのための言葉があいにくA2の中にはない。途方にくれているのはどちらかといえばA2の方なのに、10Hは勝手に自分を追い込んで呻いている。随行支援ポッドも匙を投げているし、これはもうA2には見守るという選択肢しかなかった。
 その間、たぶん自分は妙な表情をしていたんじゃないか、とA2は後からこのときのことを思い出すにつけ思っているのだが、あいにくとその回答を10Hから貰えたことは、未だにない。

「ええとね、その、こういうこというの変かもだけど、A2ちゃんの笑顔、その、すごい、かわいい……」
「はあ?」
「ひえっ、だ、だから言うのいやだったのにーーー」

 思わず10Hに噛み付くように怒鳴ってしまい、その勢いに圧された10Hが背中から地面に転がる。思わずA2は手を伸ばしていた。そして、抱えあげた。腕の中で、10Hがばたつく。その暴れぶりと、彼女を抱えていたという事実に驚いたA2が反射的に彼女を放り出してしまい、10Hは再び地面と背中からぶつかるハメになった。

「ひどい、A2ちゃんいくらなんでもイキナリ落として転がすのはひどいよ……」
「い、いやその、なんだ、……すまない。今のは私が悪かった」
「まあ私ヒーラーなんで、その辺は心配いらないんですけど!自己修復はお手の物!」

 真剣に申し訳ないと思ったのがばかばかしいような勢いと笑顔で10Hが続けるものだから、A2の表情はさらに奇妙なものになる。

「推奨:だからあなた空気読みなさいって」
「はいはーい」
「はいは一度でいいって何度いわれたらわかるの」
「わかりませーん」
「……もういいわ……」
「まったく……お前たちといると、退屈だけはしないな」

 思わず告げたその言葉に、10Hが思い切り食いついてきた。文字通り、子供っぽいつくりの顔――大きな黒目と、低めの鼻先と、ちいさな口と柔らかそうな頬が、至近距離にある。

「えっほんと!それって、A2ちゃんも私といると楽しいってこと?!」
「それは違うな」
「そんなあ~」

 すっぱり切り捨てると、あからさまに10Hがしょげる。まるで捨てられた子犬みたいだ、と思った。小さな義体と子供っぽい顔、こうしてみればほんとうにただの子供のように見える。うなだれたままの癖毛に、なぜか触れてみたい、とA2は思った。

「……A2ちゃん?」
「……ちいさいな、お前は」

 ちいさい、それに、あたたかい。ふれると、とても。否定はしたけれど、彼女といると「楽しい」という感覚を思い出すのは本当だった。ただ、それを告げるのはなんとなくはばかられた、だから否定した。  そして、そのことを告げるのはもう少し先でいいだろうとA2は思う。
 ふと見れば、それでいいのよ、と006が頷いたように見えた。実際にこの支援ユニットがそんな行動をするわけはないのに、なぜだろうか、そう思えたのだ。
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