途切れぬ糸

 昼間だというのに薄暗くひんやりとした長い廊下に、硬質の靴音だけが一定間隔で響く。高い天井と見事な装飾の柱と扉が並ぶその廊下には、靴音の主以外の人の気配は全く感じられない――デイン王都ネヴァサ、その中枢たる王城を懐に抱くように聳え立つ切り立った山脈の中腹、王城よりも更に高い場所に聳える塔があった。
 それを、人々は何時の頃からか女王の塔と呼び、決して近づかなくなっていた。
 元々は王族が儀式のために使っていた場所なのだが、現国王ミカヤの代になってからは殆ど使われてはいなかった。彼女は政をすべて王城及び城下の神殿で行うように仕組みを変え、この塔への出入りを禁じた。曰く、険しいネヴァサ山脈を登らねば儀式を遂行出来ないというのは、不便である――もっともといえばもっともな理由なのだが、そこにある古き土地に依る信仰を彼女は暗に切り捨てていた。それでも、民に望まれて玉座に着いた彼女の言葉に疑問を抱く者は少なく、そこが一体どのような理由で閉ざされたかなど、疑問に思う人間は殆どいなかった。

 廊下の奥まった場所に、それまでの扉とは比べ物にならないほど豪華な作りの扉があった。その大きさも、重厚さも比べ物にはならない。更には、その扉の両端には顔を覆う兜、全身鎧に覆われた神官兵が二名直立不動で立っている。彼らは「来訪者」に対して微動だにせず、ただその場で槍を携え、立っているのみ。

「…今日も、何も変わりはない?」

 まるで銀糸のような髪をふわりと靡かせ抑揚のない声で女は兵らに詰問する。二人の兵は、やはり答えない。女王はクスリと笑うと、懐から束になった鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。
 重たい音と共に扉が開き、その先にはわずかの空間ともう一つの扉。兵らを一瞥もせず、女は開いたばかりの巨大な鉄扉を閉じた。


 そこは、巨大な部屋だった。廊下と同じくらいに高い天井、そして部屋の一室におかれている巨大な寝台、家財道具を見ても貴族或いは王族の令嬢の私室のような豪華な作りである。部屋奥にはやはり大きな窓があり、其処からはネヴァサが一望できる、まさに絶景。
 そして、部屋の主は寝台に腰を掛けた姿勢で、客人を伺うようにゆったりと顔をあげた。

「女王、…陛下……」
「変わりはない?」
「はい……」
「そう。それは、何よりだわ」

 にっこりと女王は微笑むと、音も立てずに寝台に近づき、腰を掛ける。

「…随分、髪が伸びたわね……」

 寝台の上に無造作に広がった癖のある髪を指先で玩ぶ声、そして何度か首を傾げにこりと笑いかけてくる様はまるで子供のように無邪気であどけない。けれど、その笑みを向けられた妙齢の女性は辛そうに眉を寄せ、さっと目を逸らした。
 ミカヤはそんな彼女にお構いなしに髪を玩びながら、彼女の白磁の頬に徐に唇を寄せる。
 小さな音とともに落とされた口付けは、合図だ。
 ミカヤはそのまま細い肩をそっと寝台に押し倒し、うっとりとした目つきでそのほっそりとした肢体を眺めた。
 北方デイン人らしい透明感すら感じさせる白い肌。北海のように深い色合いの癖毛が卵型の輪郭に僅かに掛かっている。どこか中性的な顔立ちと、そこだけが柔和に見える穏やかな色をたたえた双眸。ほっそりと折れそうな首がそれらを支えており、染み一つない、ゆるやかなラインを描く肩はむき出しになっている。二の腕あたりまでをすっぽりと覆う暗色の手袋は手首までと、手の甲は中指に嵌められた金色の指輪に向かい三角に覆っておりほっそりとした長い指先と桜色の爪は露出している。胸元を三分の二程覆う漆黒のドレスは彼女の全体的に細い肢体にぴたりと合わせて作られており、腰の辺りで深いスリットが入りやはり細くて長い脚を露にするものだった。

「あなたは綺麗、とても……綺麗よ。もうあれから五十年も経っているだなんてまるでウソみたいに、綺麗なまま……」

 ミカヤの笑みが深まり、紅を塗った艶かしい唇が弧を描く。てのひらは肩口から胸元に移動してきており、淡いふくらみを愛撫する。たっぷりと、時間をかけて丹念に、慈しむように……けれども、仰向けに押し倒されじっとミカヤを見る双眸は、ひどく悲しげで苦痛の光に満ちている。強く結ばれた桜色の唇は甘い声を紡ぐことは久しくなく、先ほどの最低限の応じ以外に対しては、まともに言葉を発することも、殆どなくなっていた。
 それでも、ミカヤは彼女を愛している。この世界の全てと引き換えにしても構わない、心の底からそう思うほど、強く、深く――彼女のあらゆる箇所を、ものを得て味わっても尚、そう望み続けていた。
 かつて彼女が惜しげもなくミカヤに与えてくれたものは、それほどにミカヤにとって深く大きくて、途方もないものだったから。

「愛してるわ」

 詠うようにミカヤは言うや、上半身を傾け唇を重ねた。ちゅっと触れ合う小さな音、唇を触れ合わせ、舌先を伸ばせば熱は熱に応じ、淫らな音を奏で出す。てのひらはとっくに柔らかな乳房を露にして直接愛撫を繰り返していた。それでも、組み敷かれた身体は時折びくりと痙攣するも、自分を抱く女王に抱擁を返し笑みを向けることはない。
 それでもよかった。こうして、一番愛しい存在が、すぐ手の届く場所にいるというだけで十分だ。

「愛しているわ、誰よりも、何よりも、あなただけを……私の」

 唇を離し、胸元にあった手を下に移動させると、ドレスのスリットから侵入させる。指先に熱りとぬめりを感じ取り、ミカヤは再びにこりと笑う――それは無邪気に、あどけない、幼い笑みで。


 それが城下の人々の口に上るようになったのは、女王ミカヤが即位し、義弟サザと婚姻をあげた直後のことである。ちょうど、先代女王ペレアスが王位を譲渡してから二年を経過した頃だ。
 曰く、女王は日が落ちると共一人連れずに姿を消すという。初めの頃は、それは月に二度ほどであったのだが、一年を過ぎた頃から週に一度に変化した。
 そして、やがては一日とおかず姿を消すようになり、不思議に思った騎士の一人がこっそりと後をつけようと考えた。ところが、ことに及ぶ前に女王に発覚し、その騎士は称号を剥奪されデイン北海にある孤島の牢獄へと送られてしまった。
 また、別のものが塔へと向かい真相を解明しようとしたのだが、彼は塔へ向かったきり消息を絶ってしまう。とにかく、女王とかの塔の秘密に関わろうとするものは、悉く不可解な失踪を遂げた。
 そして、女王ミカヤの夫となったサザも実は例外ではない――公には、彼は既に故人である――婚姻から十余年が過ぎた頃、彼は暗殺者の手から妻である女王ミカヤを庇い、死んだ。葬儀は大々的に行われ、棺と躯は王家の墓所であるノクス神殿に収められている――もっとも、その中身を確かめたものなどはいない。
 実際には、彼はその時に死んでなどはいなかった。彼は、計画的に―相手の考えをある程度知る妻ミカヤの能力にすら気づかれぬように事を運び、そして実行した。かねてから気になっていた真実を突き止めるためである。そして、彼は見事真実に辿り着いた。ただし、真実を知った彼は絶望し、そして自ら姿を消した。
 塔には先代女王が囚われている――それが、サザが知りえた「真実」だった。ただしそれは先代が罪を犯した代償ではない。彼女は贖罪を願ったが、女王がそれを許さなかったのだ。夫であるサザにより真実を暴露された女王は怒り、塔を閉ざしそた。その名目が「信仰の中心を王都の大神殿に移動する」である。当然姿を消したサザには執拗に追っ手がかけられたのだが、捕らえられたという噂はなかった。知己を頼り帝国自治領グラーヌへと逃げ込んだという話もあったが、『帰ってくることの出来ない』男の事など、ミカヤにはどうでもよいことであった。

 そして、ただ月日だけが過ぎた――少なくとも、ミカヤにとっては、変わることのない、変わってはならないものは、寸分違わず、変わらずに。


「私のペレアス。私には、もう、あなただけなの。サナキは国を追われて死んでしまったし、サザも、もうきっと戻ってきてはくれないわ…だから、私には、あなただけ」

 人差し指と中指を使い滲み出る愛液でぬめる割れ目に触れるだけで、くちり、と隠微な音がドレスの奥から響き、ほっそりとした太腿が指の動きにあわせてぴくぴくと痙攣する。ミカヤは小さく舌なめずりをした。

「私の命とあなたの命は溶け合うの……ねぇ、それはとても素敵なことよね?」

 深い笑みをたたえたまま、ミカヤは唐突に秘裂をこじ開け膣内に二本の指をぐっと突き入れる。びくんと肢体が動き、きゅっと脚が寄せられるが脚の間に入り込む体勢を予め作ってあるからそれは適わない。薄い乳房がふるりと揺れるのみで腕はだらりと寝台に投げ出されたまま――まるで屍体を犯しているような気分になり、ミカヤは一瞬眉を潜めた。けれど、指先から感じる愛おしい熱は確かに生きている証。ゆるやかに指を動かせば、そこは淫らな音を立てて喜んでいる。ミカヤは深呼吸をして、震える乳房それぞれに小さなキスをしてそのまま頬を寄せると、目を閉じ指先の感触に意識を集中させた。

「私のペレアス……あなただけは、私をおいていかないでね」

 祈り願うように、切々とミカヤは言葉を落とすと、意識を研ぎ澄ませた。

 ベオクでもなくラグズでもないものが持つ、不可思議な力――自らの命を他者に分け与え癒す、『癒しの手』。

「っふ………ぅ…」

 決して嬌声を漏らすことのなくなった、物言わぬ恋人はこうする時だけ僅かに声を漏らしてくれる。それは快楽ではなく悲しみと絶望に彩られた嗚咽であったとしても、ミカヤの耳には心地よく甘美な響きに聞こえた。昔は、こうするだけで嘆き止めるように懇願してきた。やがて、それが無駄だと分かると行為そのものを拒み身体を開かなくなったこともある。そういう時は無理矢理に気絶するまで犯し、ぐったりとなった身体に力を注いだ。
 自らの生命力そのものを注ぎ込みながら、ミカヤはきゅっと締め付けてくる狭い膣内を指先で犯し続けた。時折くいと曲げ、あるいはナカを掻くように動かす。その都度ぐちゅぐちゅと卑猥な音がくぐもって聞こえてきて、ミカヤはこくりと喉を鳴らし、つばを飲み込んだ。
 すっと見開かれたいとしげに細められた双眸には、容貌の幼さとは裏腹の獰猛さが秘められていて、何度も指を突き入れる動きは決して相手を気遣う類のものではない。顔を背けるように反らされた喉は、快楽の疼きに蠢き何度も声を飲み込んでいるのか、時折ひくりと動く。ミカヤが指を突き入れれば、糸じかけの人形のようにピクリ肩が動き、白と黒に彩られたあでやかな肢体が白いシーツの上で踊るように舞う。ミカヤはその淫らなダンスに魅入るようにじっと視線を注いだまま、ひたすらに物言わぬ愛しい人を犯し続けた。
 淡い少女のような乳房がけなげに揺れて、肋骨のカタチがうっすらと分かるほどに細い肢体はうっすらと朱に染まる。危うげで儚く、何よりも淫靡で美しいこの身体は、何度味わい尽くしても飽きるということはない。

「ぁ…ぅあっ、あっ、あぁ………ぁ…ッ」

 指が突き入れられる度に、弓なりに仰け反ろうとする上半身だけが痙攣し、荒い呼吸音に嬌声が混じっている。ミカヤは親指以外をぐいっと濡れた秘所に押し付け、入り口をこじ開けるや強引に押入れ、強く締め付けてくる力に逆らいながらより内側に――生命が生まれる場所へと自らの命を注ぎ込んだ。

「はぅ…ぁああああああっ!」

 びくりと大きく痙攣して、弓なりに仰け反っていた上半身がくたりと寝台の上に落ちた。

 ぐったりとなり、汗にまみれ呼吸に上下する乳房にミカヤは再び唇を寄せ、透明に浮く汗をぺろりと舐め取る。

「ぁふ……」

 舌先をふくらみの上で這わせ、快楽の残滓を残す桜色の乳首に触れると、半開きの唇から甘い吐息が漏れた。ミカヤは笑みを深め、再びかたくなりかけている先端部分に軽く吸い付き、音を立ててみせる。

「そう、あなたは……私と共に、生きるの。私の力をあげるわ。私の命をあげるわ」

 そうしながら、子守唄でも詠うような抑揚でそれは楽しげにミカヤは呟いた。応えるのは、か細い吐息のみ。それでもミカヤは笑みをたたえたまま、シーツの上に投げ出された手の片方を取り、優しくその手を握り締め指輪の嵌められた中指に小さくキスをした。

「愛している、愛しているのよ、ペレアス……誰よりも、愛しているわ」