聖誕祭の一日は目まぐるしい。
クリックもテメノスも互いに聖職者であれば、己の役割を全うするだけで精いっぱいだ。しかもテメノスはフレイムチャーチ教会所属であれば、祭の後の片づけまで仕事のうちだ。そんなテメノスを見かねて、自分の仕事が終わったはずのクリックは手伝いを申し出た。本当は、テメノスの力になりたいという一心からくるものだったが、さすがに疲労の色が隠せないテメノスは快諾してくれた。若く体力もあるクリックの申し出は教会関係者からも歓迎され、結局片づけも予定より早く終わり、二人は早めの帰路につけたのだった。
とはいえとうに日はとっぷり暮れ、曇天の空からは今にも雪が降りだしてきそうなほどに寒い。体温の低いテメノスが寒そうに手をさすっているのを見たクリックは、思わず手を差し伸べていた。テメノスはその意図をとらえ損ねたのか、不思議そうにクリックの顔を僅かの間見つめたが、表情を和らげてその手を取る。思っていた通り冷たくなっているその手を温めるようにクリックが包み込むと、テメノスはくすぐったそうに笑った。その笑みがあまりにも自然に浮かんだものだったから、クリックは意表を突かれてしまい、思わず見つめてしまった。
「おや、クリックくん、私の顔に何かついてるの?」
不思議そうにそう言いながら首をかしげる様はあまりにも幼くて、その年齢を感じさせない。元々はきっぱりと他人と一線を引き、柔和な笑みでそれ以上距離を詰めさせないようなひとだ。だからこそ、こんな風に表情をコロコロと変えてくれるようになったのは、とても喜ばしいとクリックは思っている。自分はそれだけこの人の懐に入れたのだと実感出来るからだ。
クリックは、テメノスに命を救われている。彼と行動を共にしていて命を落としかけたことも確かだが、それだってクリックは己の信念に従い行動しただけだった。そして、その先に必ずテメノスが真実を突き止めてくれると信じていたからだ。もっともクリックを失いかけたことでテメノスは心に深い傷を負ってしまったのだが、それもクリックが傍らにいることで少しずつ時とともに癒えてきていた。ただ、その時の名残かテメノスはやたらとクリックの体温や心音を確かめたがるようになったのだが。
二人の関係は、まだ、友人という関係を越えてはいない。だが、クリックはそれ以上の感情をテメノスに抱いていた。
それは単純に命の恩人だから、というわけではない。その人となりに触れ、隣で過ごすようになり、彼を強く守りたいと思うように自然となっていたからだ。
テメノスは、強いひとだ。一人でも生きていけるだろうし、今までもそうしてきていた。一見人付き合いは浅いように見えるし、穏やかに他人とは一線を引いている。けれども、その内では人を深く愛し、情に厚いひとだということをクリックは知っている。その証拠に、あの長い旅路を共にした仲間たちのことは未だに大切に思っているようだし、クリックのことも同じように思ってくれているのは知っていた。ただ、それが、どういった類の感情なのかまでは把握出来てはいない。
クリックが抱いている情は、友情をとうに越えたものだった。テメノスのことを人として好ましいと思っているし、傍らにいたいとも願っている。否、それも言い訳かもしれない。もっと、原初的な欲に近いものを、彼に抱いていた。彼が同性であるとか、同じ聖職者であるとか、年上であることなどは、クリックには関係なかった。クリックが初めてほしいと願った、ただひとりのひとだ。
「い、いえ、その、今日はお疲れではないのかなと」
口を突いて出たのは、そんな無難な言葉だった。けれど、心の中ではもっと傍にいたいと願っている。その存在が欲しいと、願っていた。
「君が手伝ってくれましたし、そんなに疲れてはいませんよ。それよりも君、何か考え事をしているでしょう。顔に書いてありますよ」
「え、いえ、そんな、大したことじゃありませんよ」
「ふうん?私に、隠し事?」
「だから、そんな大したことじゃないですって!」
「そういうときの子羊くんは怪しいんですよねえ。さっきから視線は泳いでいるし、かとおもえば私の顔をじっと見つめているし。何か言いたいことがあるんじゃないの?」
テメノスは一枚も二枚も上手だ。確かに、クリックが嘘をつけたためしはない。
「そ、その……今夜は、テメノスさんの家にお邪魔したいなって」
クリックが白状すると、テメノスはきょとんと目を丸くしてから、子供のように噴き出す。その様があまりにも必要以上にかわいらしくて、クリックは呆然と見つめてしまった。この人が、こんな風に笑うだなんて。テメノスはクリックの様子に気づかずに、まだ肩を揺らして笑っている。そんなにおかしかったかな、とクリックは若干不思議に思ったが、テメノスも仕事を終えて気が楽になっているのだろうか。
「何を改まって言うかと思えば……せっかくの聖夜を、こんな三十路の男と過ごしたいの、君は」
「はい、僕は、テメノスさんと過ごしたいです。その……今夜は、特別な人と過ごしたいですし」
言ってから、クリックはしまったと思った。これではほとんど告白しているも同然ではないか。案の定、テメノスは不思議そうな顔をしている。だが、ぱちぱちと大きな目を瞬かせた後、徐々にその耳から白い素肌が染まってくるのがわかった。クリックの言う意味を悟ったのだろう。流石にテメノスがそういったことに興味関心が薄いとはいえ、ここまで言われてわからないわけではなかったらしい。
「君、意味が、わかって……言ってるんでしょうね。嘘を付いている顔ではないし」
「ダメですか?テメノスさん、僕は、……あなたのことを、お慕いしてます。好き、です」
ふいと視線をそらそうとしたテメノスの冷え切った手をとり、クリックは顔を近づける。鼻先がぶつかりそうな距離に、テメノスは距離を取ろうとするが、クリックはテメノスを片手でその驚くほどに細い腰を抱き寄せ、逃げ道を断った。採火灯が二人の間で青い炎をきらめかせ、テメノスの白い素肌が染まっているのが容易に見て取れる。その薄い唇が何か言葉を紡ごうとして、閉じられた。次に、観念したように小さな吐息が漏れて、クリックは名を呼ばれる。
「クリックくん、本気、なんですね」
「はい。ずっと、あなたのことをお慕いしていました。僕のこの剣は、あなたを守るためにあると思っています」
「まったく、趣味の悪い子だ。どうせ守るなら、もっと愛らしいお嬢さんを選べばいいのに」
皮肉めいた口ぶりだが、その声色も、呆れたように作られている笑みも柔らかい。
「テメノスさん、あなたの傍にいたいです。その為ならどんなことでもしますし、努力もします。僕の命は、そのためにあると、思ってますから」
「クリックくん……後悔は、しない?」
「しませんよ。後悔するくらいなら、最初からあなたの隣を選びません。僕だって、あなたという人を、この数年ずっと見てきていたつもりです。だからこそ、あなたの隣にいたいと思うようになったんです。もう一度、何度だって言います。あなたが、あなただから好きなんです、テメノスさん」
クリックの腕の中でテメノスが言葉を失うのが分かった。その体が一瞬だけ強張り、うつむいてしまう。けれどもクリックとて、テメノスを手放す気はなかった。
いつの間にか落ちてきていた淡雪が、白くあたりを染めている。テメノスを促そうにも、クリックの中に生憎と適切な言葉がなかった。クリックにできることは、ただ、自分の想いを伝えることだけだったから。
「テメノスさん、このままでは僕もあなたも冷えてしまいます」
「あ、ああ、すみません。その、君の言葉に驚いてしまって……君の好意には、気づいてはいたのですが」
「え?」
「でもね、私は年かさですし、何よりも同性でしょう。君に何も与えることができない。君は、将来もあるし、何よりも幸せになって欲しかったから」
その言葉を聞いて、クリックの中で何かがぷつり、と音を立てて切れた。クリックの幸せは、いつだってテメノスの存在がなければ、意味のないものだったからだ。
「だったら、僕の傍にいてください、テメノスさん。あなたがいない未来なんて、僕には考えられない」
「君、本気、なの……」
「冗談でこんな日にこんなことを言いませんよ」
「そう、ですね……こんな夜に、真面目な君が冗談を言うとは、流石に思いません。でも、君……」
「テメノスさん、こうしないと、わかりませんか?」
流石にここまで言っても尚納得しないテメノスにしびれを切らしたクリックは、その薄いくちびるに己のものを重ねる。テメノスの抵抗がないのをよいことに、角度を変えて、何度も、何度も繰り返した。その温もりも、柔らかさも、いとおしくてたまらない。ずっと欲していたものだ。
「あなただから、欲しいんです。あなただから、共に生きていきたいんです、テメノスさん。僕の幸せは、あなたと共に在ることなんです」
そこまで言うと、テメノスは観念したようにクリックの方に頬を寄せて目を閉じた。淡く雪が降り積もっている肩と腰を抱きながら、クリックはテメノスのくちびるに指を寄せると、テメノスは応じるようにうっすらと唇を開く。触れるだけの、やわらかな口づけ。けれどもテメノスのてのひらはクリックの胸元に寄せられ、もう片方の手はクリックの背を抱き寄せて二人は恋人のように寄り添いあう。
「クリックくん、私は面倒ですよ……?それでも、私がいいというの?」
「僕は、あなたがあなただから、好きなんです。何度でも、あなたが分かってくれるまで言いますよ」
「……本当に、趣味の悪い子羊くんだ」
「なんとでも言ってください」
互いにぎこちなく抱擁を解いて、けれども手はつないだまま、二人は雪道を歩き出す。そこに浮かぶ表情は共に柔らかく、満たされているものだった。