「ねえ、クリックくん。フレイムチャーチに来ませんか?」
ぼんやりとしていた僕に、突然投げかけられた言葉。その言葉はあまりにも現実味がなくて、一瞬思考が止まる
。
目の前できれいな仕草で食事をしているテメノスさんは優しく微笑んでいて、なんだかその笑みは何時もの顔に張り付いているそれとは違っていて、心から楽しそうだ――そんな笑みは、あまり見たことがない。だから、僕はついドキドキしてしまった。
テメノスさんの旅が終わってから、一年弱。僕は聖堂騎士として復帰して再び聖堂機関に勤め、友人であり副機関長でもあるオルトの手となり足となり、日々働いている。そんな僕の元に、テメノスさんが尋ねてくるのは珍しくはない。今日も久しぶりの再会を祝して、ストームへイルに一軒だけある酒場で顔を合わせながら火酒とストームへイルの味の濃い料理に舌鼓を打っていた。
テメノスさんの旅の中で、僕が生死を彷徨ったことがあった。その事がきっかけで僕はテメノスさんを強く意識するようになってしまった。
共に戦ったとか、恩人だとか、救ってくれたからだとか、そういうことだけではないものを、この人に感じてしまったからだ。
出来ればテメノスさんの旅に同行したかったけれども、その時の僕の身体は満身創痍で、生きているのが不思議なくらいだった。だから同行はできなかったのだけれど、傷を癒し聖堂騎士として復帰出来るようになってからは、何度か任務で聖火の郷に赴いたこともある。
「よろしいのですか?」
僕が思わず問うと、テメノスさんは笑みを深めて頷いてから、「けれども」と言葉を続けた。
「君の友人、オルト君が許してくれれば、ですけどね」
「そんなの!無理やり納得させますよ!」
思わず酒場の机を叩く勢いで立ち上がると、周囲の視線が一斉に僕に向けられる。テメノスさんは面白そうに笑うし、僕は恥ずかしい思いをするしで散々だけれど、それくらいの勢いがなければオルトを説得は出来ないだろう――今の聖堂機関は人手不足で、正直僕が異動出来るかどうかもわからない。
でも、密やかに心を寄せているテメノスさんの故郷に行けるのなら、それ以上のことはない。一緒に仕事をすることだって、それならあり得るだろう。完全な下心からくる動機だけれど、テメノスさんから言い出してくれたということは、もしかすれば口利きをしてくれているかもしれない。僕は僕にとって都合がいい想像だけをしながら、残りの食事に手を伸ばす。
「ふふ、きっということを聞いてくれますよ。きっと、ね」
そう続けるテメノスさんの不敵な笑みに、少しの安堵と不安を覚えながらも、悪いようにはならないだろう、と勝手に僕は軽く考えていた。
そして、僕の異動願いはあっさりと承諾されたのだった。なんでも大分テメノスさんが無茶を言ったらしいけれど――聖堂機関はテメノスさんに大いに借りがあることは知っていたし、そもそも信頼が失墜していた聖堂機関が建て直せたのだって聖火教会ひいてはテメノスさんの功績が大きい。
そんな恩人のたっての頼みを断るほどオルトは薄情ではないし、殆ど新人騎士と変わらない僕が体力を取り戻しながら功績を積むためには、聖火の郷で任務につくというのは決して悪い選択肢ではないのだ。
と、色々と理屈を並べ立ててしまったけれど、結局のところ僕は、テメノスさんの傍らに居たいだけだった。
最初は、憧れから始まった。異端審問官という立場も勿論あったけれど、行動を共にしていて、その人となりを理解すると、テメノスさんは案外と善人で、ただそれを皮肉とよく回る口で隠しているだけの、心には熱い炎を持つ敬虔な聖火教の神官だった。
当然のことなのに、僕は最初の印象だけでだいぶ彼のことを貶めてしまっていたと、反省することしきりだった。だから、僕はせめて僕の剣を頼ってほしいと願った。彼の剣になれるのならば、それ以上の誉れはないと思っていた――けれどもそれは、決してそれだけの感情ではなかったということに気づいたのは、僕が命を喪いかけたときだった。目の前に彼の顔が浮かんで、何が何でもテメノスさんの元に真実を届けなければ、そう思ったときに、気づいたのだ。
テメノスさんは、僕にとって特別な人だった、ということに。
僕に道を示してくれたロイさんと同じか、それ以上に――僕はテメノスさんに、焦がれていた。
ようやくたどり着いた彼の地――フレイムチャーチの郷は記憶と変わらない佇まいだった。穏やかに流れる時間、歩くとかさかさと音を立てる落ち葉、のんびりと草を食む家畜たちと素朴で敬虔な村人たち。彼らはテメノスさんの姿を認めると、駆け寄ってきた。
「今回はずいぶんと長い滞在だったねえ。おかげで大聖堂のほうは大変だったみたいだよ」
「おや、今回は騎士さまも一緒なのかい?」
「テメノスー、いつ帰ってくるかわからなかったから、ずっと待ってたんだぞ!」
「テメノスさま、これ、とれたての野菜です。ぜひ食べてください」
「ほら、このパン、焼き立てだからもっていきな!」
口々に用事を語る人々ひとりひとりに丁寧に応じながら、テメノスさんは帰路につく。その手にはたくさん荷物が抱えられていて、そんな様子を見ながら、ああ、テメノスさんはやっぱりこの場所に必要な人なんだなあとじんわりと感じるのだった。僕も何の疑問も持たずにその背中を追うと、テメノスさんに大量の荷物を持たされた――その殆どは、村人たちに頂いたものだったけれど。
「さてと、荷物を片付けたら、デートでもしましょうか」
「は?え、ええと、え?」
思いもかけないテメノスさんの言葉に、僕は片付ける手が止まってしまう。テメノスさんは、今、何と言った?
「それとも子羊君には先に食事のほうがいいかな?」
「え。あの、ええと、……」
「何を間抜けな顔をしてるの。どうします?色々と買わなければならないものもあるし、一緒に買い物ついでに、君に見せたいものもあるからお誘いをしたつもりなんだけれど」
「は、はい!ぜひ、ご一緒させてください!」
僕が勢いよくそういうと、同時にお腹が鳴った。
「あははは、子羊君にはどうやら先に食事が必要なようだ。簡単なものしか作れないけれど、それでいい?」
「……はい……お願いします」
僕が恥じ入るように呟くと、テメノスさんはそれも余計に面白かったのかひとしきり笑うと料理の準備を始めるのだった。
僕が手伝えることなんてたかが知れていたから、大人しく出された蜂蜜入りの山羊乳をちびちびと飲んでいた。少しだけ温められたそれは、ほんのりと甘く優しい味で、旅の疲れがとれるようだ。
家の中をぼんやりと眺めているうちに、テメノスさんはてきぱきと料理をしてゆく。確かに一人で暮らしているから家事もできて当たり前かもしれないけれど、なんとなくその姿が意外で僕は何をするわけでもなく、その背中を眺めていた。
「私が料理をするのは意外?」
鍋で何かを煮込みながら、テメノスさんは器用に顔だけをこちらに向けて問うてくる。
「え、いえ、なんというか、まあ……普段の貴方からあまり想像がつきませんから」
「それはそうでしょうね。でも、この村には酒場が一軒あるくらいですし、自炊しても余ったものをお裾分けすればいいですから、これでも料理は割と得意なんですよ。私のシチューは評判もいいですし」
「そうなんですね、それなら楽しみです」
「ふ、ふふ……あはははは」
「て、テメノスさん?何がそんなにおかしいんです?」
「いえ、君は本当に正直でまっすぐだなあと思いまして」
その後に何か小さくテメノスさんは付け加えて呟いたが、あいにくと聞き取れなかった。けれどもその表情はとても楽しそうで、なんだか見ているこちらまで幸せになるような笑みだった。
テメノスさんがそんな笑顔を浮かべるのは結構意外だったから、僕はどんな顔をしていいかわからなくなって、与えられた山羊乳をぐいと飲み干して、手持無沙汰になった視線を窓の外に投げやった。
窓の外は晴天で、けれども少しだけ肌寒い風がカタカタと窓を叩いている。部屋の中は暖炉がつけられているからほんのりと暖かいけれど、外は少し肌寒いだろうか――それでも万年風雪にさらされているストームへイルと比べればずっと穏やかで過ごしやすい。
「少し風が出てきたみたいですね。けれどストームへイルに慣れている君なら平気かな。ちょっとね、日が暮れたら君を連れていきたいところがあって」
そう言いながら、テメノスさんは完成したシチューを木皿に入れて運んできてくれた。それくらいなら僕がやるのに、と立ち上がろうとしたが、手で制されて僕はもう一度腰を椅子に沈める。
「さあ、どうぞ。さっき頂いたバゲットも今準備するから、少し待っていてください」
「ありがとうございます……!すごく、いい匂いがします」
実際、目の前に置かれたシチューからは食欲をそそる匂いが立ち上ってきて、僕のお腹がもう一度盛大に鳴った。テメノスさんは笑いを堪えながらバゲットを準備してくれて、それから自分の分も木皿によそうと僕の向かい側の席に座る。
「こうしてこの家で、誰かと向い合せで食べるのは、何年振りですかねえ……」
少しだけ遠い目をしてそう呟いてから、テメノスさんは食事前の祈りを捧げだした。
僕もそれに倣いながら、ああ、きっとロイさんのことを言っているんだな、と思い至った。ロイさんのことを聞き出すつもりはなかったし、それに関してはテメノスさんが話してくれるまでは待とうと思っていた。詳しいことはわからないけれど、ロイさんのことでテメノスさんが心に深く傷を負っているということは、なんとなく想像はついたからだ。誰だって触れてほしくない傷の一つや二つある。
「こうしていると、なんだか昔を思い出して、懐かしくなりますね。さ、昔話はこれくらいにしていただきましょうか」
「はい。いただきます!」
テメノスさんのシチューは、素朴でとてもやさしい味がした。それでいて体の芯から温まるような、これは、食べる人のことを最大限考えて作られた料理だ。
ストームへイルからの旅路で疲れが溜まっている身体にはとても染みる味で、僕は言葉も発するのを忘れて食べるのに夢中になっていた。バゲットも適度に焼き上げられていて素朴だけれどもとても美味しくて、テーブルの上に準備されたものの殆どを僕が食べてしまった。テメノスさんはそんな僕の様子をどこか満足気に眺めながらゆっくり匙を口に運んでいる。もともと食の細い人だけれど、心配になるくらい小食だ。最も身体が資本の僕たち聖堂騎士と違って、テメノスさんは最低限食べていればいいのかもしれないけれど。
「あの、テメノスさん……」
「うん?どうしたの?量が足りなかった?」
「いえ、そうではないんですが……殆ど僕が食べちゃって、よかったのかなあと思いまして」
「そんなことを心配していたの?大丈夫ですよ、これは君が食べる量を想定して作ったものですから。たくさん食べなさい」
「そ、そうだったんですか……」
「それに、そうやってたっぷり食べて貰えるほうが作り甲斐もありますからね」
これは、もう食べないほうが失礼だろう。そう思って僕はシチューを何度もおかわりして、結局鍋が空っぽになるまでたらふく食べたのだった。
「それで、僕を連れていきたいところって、どこなんですか?」
「それは、秘密です。けれど、そうですねえ……まずは村を少し回ってからにしましょう。ちょっとまだ、時間もありますしね」
テメノスさんのいうことは要領を得なくて、というか上手くはぐらかされて、けれども差し出された手とテメノスさんの子供みたいな笑顔にどきりとしながら、僕はその手をとった。手を取ると改めて、僕と同じ男の手なのに、どこか細くて頼りなくて、やっぱり守りたくなってしまうなと思う――そんな必要なんてないくらい、テメノスさんは強い人なんだけれど、そう思うことをやめられない。
正直、それからの記憶は曖昧だった。
僕はすぐ傍にいるテメノスさんのことばかり考えていて、行く先々や会う人々に合わせてか、その表情がころころと変わる様がとてもいとおしくて、ドキドキして、他のことを考える余力なんて、なかったから。
テメノスさんは村の雑貨屋を回って生活に必要なものを買ったり、老人の家を訪ねて必要な祈りをしたり、子供たちの遊び相手になったり、そんなことをしていた。と思う。正直僕がついてくる意味がわからなかったけれど、テメノスさんが僕の手を離さないものだから、僕もそれをよいことについていっていた。その温もりを手放したくなくて、離れたくなくて、必死についていった。
そうして村中の家々を回ってから、テメノスさんは大聖堂への山道へと進んでいく。僕の手は、握られたまま。
大聖堂への山道は聖火の分け火により魔物は近づけなくなっていて、巡礼の人々も安心して登れる道だから魔物の心配はなかったけれど、それでも野党の類などは防げない。だから本当はいつでも剣を抜けるようにしていなければと思っていたけれど、僕はその手のぬくもりを離したくなくて、テメノスさんの背を負いながら歩調を合わせて彼が導くまま、山道を登って行った。
「今日は、色々と連れまわしてすみませんね。少しだけはしゃいでしまいました」
「あの、それって……」
「ふふ、年甲斐もなかったかな。でも、楽しかった。とても楽しかったです。君と一緒にまわれて、ね」
そういってはにかむ表情は、夕日を背にしているからはっきりとは見えない。
けれども声色はとてもやさしくて、僕は感極まってしまい、握られたままの手ごと、テメノスさんを抱き寄せた。
「……!」
「テメノスさん……好き、です。ずっと……ずっと、好き、でした」
テメノスさんが僕の腕の中で、少しだけ身をよじる。
けれども、逃れようとする気配はない。うつむいた表情からはその感情は読み取れなかったけれど、拒まれては、いない。多分。
「出会ったときから、たぶん……僕は、あなたのことが、好き、でした」
思い切り、息を吐き出すように告げると、一拍ほどおいてからテメノスさんが僕を真正面から見てきた。その翠の双眸に宿っている真意は、わからない。
「友情なんて芽生えてない……そういったのは、誰でしたっけ?」
テメノスさんが僕の胸の中でとても小さな声で、いじけたように呟く。確かに、僕はあの時そんなことを言った覚えはある。けれど、あれは、今思えばたぶんだけれど本心の裏返しだった。
「あ、あれは……その……。自分の気持ちに、気づいてなかっただけというか……まだ、自覚が持てなかっただけで」
「そういうことに、しておいてあげます……それで?」
テメノスさんの目に少しだけ柔らかい光が宿る。
僕は思わず息をのんだ。その表情は真剣で、けれどどこか甘い期待をしているようで。なんというか、初めて見る表情だった。
テメノスさんでも、こんな顔をするんだ――そう思わせるくらい、あどけなくて、言葉を選ばなければ、とてもかわいらしくて。元から甘い顔の作りの人だったけれど、それに拍車をかけているように、目元もほんのりと染まっていて、それは決して夕日のせいだけではない。
「……好きです、テメノスさん。これからも、ずっと、……あなたを傍で、守らせてください。だから、どうか」
僕が最後まで告げる前に、テメノスさんの唇が、僕のそれに軽く重ねられた。
柔らかくて甘い感触に頭の中が蕩けそうになる。つないだ手から熱が伝わって、背筋がしびれてしまいそうになる。もっと、目の前の人が、ほしくなる。僕はこんなに欲張りだっただろうか。止めどなくあふれてくるいとしさと切なさに、我慢出来なくなって目の前の瘦身をさらにぎゅっと抱きしめた。
「クリック君、私も、君が好き……君が、私を信じてくれて、私は本当に嬉しかった。だから、君をこの場所に連れてこようと思ったんです。もしオルト君に反対されたら、浚ってでも連れてくるつもりでした」
まったく冗談に聞こえないようなことを言いながら、テメノスさんは優しく微笑むと、視線を上げる。その視線は僕を通り越して天を仰いでいた。僕もつられるように、空を仰いだ。
夕方から夜に向かう黄昏時――一番星が光る、短い刻限。燃えるような夕日がゆっくりと沈んでいって、空は紫色から静かに闇に色が落ちてゆく。同時に、月と星たちの競演が緩やかに始まる静寂。
肌寒さから僕はテメノスさんを抱きしめたままで、テメノスさんも僕の背に腕を回してくる。谷から吹き上げてくる風は冷たかったけれど、見上げた先の見事な月と星の共演に、僕は言葉を失う。
吹雪と雪雲に包まれているストームへイルでは決して見ることはできない、満点に輝く星空がそこには広がっていた。
「昔ね、ロイとよくこの空を見に来たんです。もちろん教皇様には内緒でね。ここはよく流れ星も見えて……」
テメノスさんの言葉と同時に、きらりと流れる光が僕の視界を横切ってゆく。
「ほら、見つけた」
くすくすと、僕の腕の中でテメノスさんは楽しそうに、子供みたいに笑っている。
「この景色を、君に見せたかった。ずっと、一緒に、見たかった」
そんな単純で素朴な願いをテメノスさんが持っていたのは別に不思議なことではない、と思う。
テメノスさんは家族といえる人を立て続けに失っていたから、きっと、そんな誰でも持っている素朴なぬくもりを欲しているんじゃないか、とは……確証はなかったけれども、傍らにいることで、なんとなくだけれど、感じていたから。
「これからも、一緒にこの景色を、見ましょう。僕でよければ、ずっと……年を取ってからも、何度でも、見にきましょう」
僕の目をまじまじと見つめる大きな瞳が見開かれて、そこに、少しずつ水の膜が溜まってゆく。僕のサーコートをつかむ手がわなわなと震えて、次にテメノスさんは僕の胸元に顔を寄せて、うつむいてしまった。
「うん、……うん……ありがとう、……クリックくん……」
とても小さな声で伝えられた感謝の言葉に、僕はそっとその後頭部に手を添えて抱き寄せて、それから旋毛に口づけを落とした。いとおしいぬくもりを手放さないように。そして、もう一度星空を見上げる。
まるで落ちてきそうなほどの星の海の中で、僕は静かに誓った。
このかけがえのないかわいい人を、生涯手放さずに、守ろう。
「テメノスさん。僕が、ずっと、傍にいますから。幸せになりましょう。あなたは、幸せにならなきゃいけないひとだから」
多くを失って、それでも立ち上がって、明日を掴んだ強いひと。けれど、その内面はどれほどに傷ついてきただろう。僕もその傷をつけてしまった張本人だからこそ、わかる。
テメノスさんは、実はとても寂しがり屋で、内面は柔らかくて、優しい人だから。
もうこの人が二度と泣かないように、僕が傍で守ろう。僕が、この人の騎士になろう。
それからしばらく二人で星空の下にいたからか、すっかりと身体は冷え切ってしまっていた。
僕とテメノスさんは、二人で身体を寄せ合い手を繋ぎながら、まるで子供がそうするように冗談を言い合ったり笑いあったりしながらテメノスさんの家に戻ってきた。
「いっそ、私の家に住みますか?……一人では、この家をいささか持て余してまして」
暖炉に火を起こしながら、テメノスさんがとんでもない提案をしてくる。僕は一瞬何を言われているのかわからずに、ぽかんとしていた。
「クリックくん?」
「あ、ええと……いいの、ですか?」
するとテメノスさんはこちらを向いて、意外そうな顔をする。
「それとも人気も火の気もないような宿舎のほうがいいの、君は?」
「そ、そんなことはないですけれど……!迷惑ではないのかと思って」
「君なら、いつでも大歓迎ですよ」
その言葉の意味を一瞬とらえ損ねて、僕はぼんやりとテメノスさんを眺めていた。テメノスさんは、そんな風にあけすけに物事を言う人だっただろうか。
少なくとも、僕の今までの記憶では、とても珍しいことで……というか、そんなこと、あっただろうかと思える事態だった。
当のテメノスさんはとても楽しそうだし、なんというか、正直拍子抜けしてしまう。
けれど、さっきのテメノスさんの言葉や態度――僕を好きでいてくれる、というのが本当ならば、別におかしなことではないのかもしれない。僕の思い上がりや勘違いでなければだけど。
「クリックくん、顔に出ていますよ。いくら私でも、冗談で同性に好きとか言いませんし、大人しく抱きしめられる趣味もありません」
「あ、その……すみません。まだ、信じられなくて」
「信じられない?」
「だって、正直なところ、嫌われているは思ってませんけど……好いてもらえてるなんて、思ってなくて」
すると、テメノスさんが小さくため息をついて、僕のほうへと歩いてくる。そして至近距離で僕の目を見つめ、頬に手を置いてから唇を重ねた。
重ねるだけじゃなく、ぬるいものが僕の唇に触れる。
「んっ、てめ、の、す、さ……」
くちゅ、と水音を響かせて、テメノスさんは僕の唇を割り開き、熱っぽい舌を這わせた。僕はびっくりしてしばらくはされるがままになっていたけれど、テメノスさんの後頭部に手を回して抱き寄せると、口づけを深めた。舌を絡めだしてから、どれくらい経っただろうか。 テメノスさんが鼻で息をしだしたので、苦しいのかと思いって唇を離す。テメノスさんの瞳は潤んでいて、けれどもその奥には透明な炎が宿ったままだ――僕の大好きで、焦がれている炎の色だ。
「これでも、わからない?」
どこか怒ったように、拗ねたように言うテメノスさんに、さすがに僕は首を横に振った。それから改めて抱き寄せて、もう一度軽い口づけをする。
「大好きです。愛してます、テメノスさん。もう、絶対に、一人になんてしませんから」
僕がそういうと、テメノスさんは柔らかく微笑んで――幸せそうに、満たされたようなそれは、僕が見た中では一番きれいな微笑みだった。