なりゆきと結果

 質のいいワインが手に入った、だなんてその日のテメノスは仕事中からご機嫌だったーー実は性根が真面目で真摯な彼らしからぬ言動にクリックは少々の違和感を覚えながらも、機嫌が良い彼を見ているのは好きだったから良いことにした。
 だから、というわけではないが、その晩はだいぶお互いに酔っていたのだが、だからといってその時の出来事をクリックは酔った勢いでの間違い、ということにはしたくなかった。



 その時のテメノスは繰り返すがとても機嫌が良く、何時もよりも酒も進んでいた。普段の聡明さをどこかへ置いてきたような、ふわふわとした喋り方や上気した白い頬、そして潤んだ瞳は非常に欲をそそり、かつ煽られなかったといえばウソになる。そして、あろうことかテメノスは隣に座るクリックの肩に頭を預けて、殆ど中身の入っていないワイングラスを弄びだした。
 飲むわけでもなく、かといって何かを喋るわけでなく、ただただその時間を、空間を楽しむように。
 漂ってくるのはブドウの深い香りと、同じくらい主張している清涼でほんのりと甘い彼の香り。ふわふわとたまに頬を擽ってくる繊細な銀糸。そして、なにより、ずっと感じていたいと思える自分よりほんのりと低い体温。
 だから、思わず、クリックはその濡れた薄いくちびるを凝視してしまっていた。そこも上気した頬同様にほんのりと朱に染まり、色香を漂わせている。そうでなくとも、今晩のこの光景だけで暫くは夜のお供に事欠かないと下世話なことを脳裏に描きつつも、同時にこれ以上この人に飲ませてはいけないという警鐘が脳裏で鳴っていた。
 鳴っていたのだが、クリックの理性はとうに限界を超えていたし、といえばそれは言い訳にしかならないのだが、気づけばテメノスのうっすらと濡れたくちびるに己の指を這わせていた。

「クリック君……?」

 不相応に幼気な表情のテメノスは全く状況を理解していないように見えた。クリックは、そのまま唇を合わせる。小さなリップ音とともに重ねられたふたつのくちびるは、しかし味わった途端互いに引き離せないと悟ったかのように互いを求めあった。
 クリックの分厚いくちびるがテメノスの薄いくちびるに重なり、犯し、濡れた音を立てる。
 そのまま勢いで皮膚のうすいくちびるを食み、舌で舐めるとそこで息があがったのか、テメノスの口から甘い呼気が漏れてきた。堪らなくなって、クリックはそのまま勢いで舌を絡めとろうとしたが、ここが酒場の、しかもカウンターであったことに今更のように気づき、慌ててくちびるを離す。名残惜しいぬくもりが離れてゆき、見ればうすいくちびるは先ほどよりも濡れていて、ひどく色を覚えた。

「……っ、は……君、どういう、つも、り……」

 困惑するように告げられた言葉に、クリックは現実をまざまざと見せつけられた。それはそうだろう、そもそも勝手に懸想していたのはクリックだけで、テメノスが同じ気持ちかどうかなど分からないのだ。だというのに、勢いでくちづけをしてしまった。聖堂騎士にあるまじき愚行だ。この場にオルトがいなくてよかった。いや、そうじゃない。まずは謝らなくては。そう思うのに、潤んだ瞳とほんのりと染まった目じり、そしてじわりとにじんでいる涙をたたえている睫毛を見ていると、舌の根が乾いたかのように言葉が出てこない。
 テメノスはといえば、言葉を探しているのか、あるいは驚きのあまり告げられないのか、何も言わず、ただ色素の薄い肌を染め、幼気な表情のままクリックをじっと見つめている。その視線に焼かれていると感じながら、クリックは深呼吸をした。

「すみません!そ、その……僕……思わず……」

 そこで言葉が途切れる。思わず、何なのだ。勢いでくちづけをしてしまった。それは、テメノスに対して下心を抱いているからに他ならない。そのことを、この人に正しく告げなければならないのに。

  「……こんなこと、順番を間違えてしまった僕が言うのも、何なんですけど、……すき、です。テメノスさん、僕はずっと、あなたのことが、好きでした。その、つまり、そういう、対象として……」

 ああ、そうだ。眠れぬ夜にテメノスを思い慰めたことは、数えきれない。その度に、護衛対象として、そして神の御遣いたるテメノスを穢しているという事実に背徳的なものを感じながらも興奮し、昂っていたのは事実だ。自らも聖火教徒の一員であるというのに、ふしだら極まりない。同じ神の使徒として情けない。そのような自虐すら興奮材料になった。

「……まったく、君はいつまでたっても子羊君ですね」

 けれども、返された声は決して突き放すものではなかった。
 クリックがきょとんとして目をしばたたかせていると、テメノスはわずかに残っていたワインを飲み干してから、クリックのくちびるに己のそれを、重ねてきたそれは――ほんのわずかの時間の出来事ではあったけれども。
 そして、ふわりと笑い、クリックの頬をするすると優しく撫でてくる。
 わけもわからず、ただされるがままになっているクリックの顔を見て、まるで子供のように笑っている。

「テメノス、さん……?」
「これでわかりませんか?それとも、察しの悪い子羊君には、「審問」のほうが良かったかな」

 テメノスの言葉に、クリックは慌てて「いいえ!」とだけ告げる。その様子がおかしかったのか、テメノスはクスクスと笑い続けながらクリックの首筋にすり、と頬を寄せてきた。

「たまには、こういうのもいいでしょう」

 楽し気に告げるテメノスに、クリックは目を白黒させながらも、自分よりもずっと華奢な肩を抱き寄せる。

「テメノスさん、後からあの時は酔っていた、は、無しですよ。僕は、その、本気ですから……」
「ええ。わかってますよ、クリックくん」

 こんな時だけ「子羊」だなんて呼ばないいとおしい人が憎らしくて、けれどもそれ以上にいとおしくて、たまらなくなり、もう一度くちづけを交わした。