砂礫 2(BOFIII)

バサバサと、翼のはためく音。
 遠い遠い声で、彼は啼いていた。
 とても気高い声。とてもこころが締めつけられるような声。
 真っ青で、すじ雲ひとつなくて鮮やかすぎる深みすら覚える青に、一気に真紅の翼が舞う。
 それはとても優雅で、猛々しくて、そしておもわず息をのむほどに神々しい。
 あたしは感激のあまりぞくぞくしてきて、無意識のうち自分で自分の両腕をぎゅっとだきしめる。あたしの背に在る、もはや空を飛ぶことはできない、象徴となってしまっただけの純白の翼が、強い風にはためく。あたしは飛べない。けれど、彼は飛べる。広い広いこの大空を、おおきな翼でとんでゆける。
 あの真紅の翼を力強くはためかせときおり声をあげながら、雄大な空と大地のうちに繰り広げられる大いなる流れに身をまかせ、一体化しているのが、あたしのたったひとりの大切なおさななじみ。
 思わず涙がこぼれおちそうになって口元をおおう。
 それほどまでに、その光景は美しかったから。そして、そんなおさななじみが、何よりも誇らしかったから。
 あたしは、こんなにまでうつくしい生き物を滅ぼそうとした神は、なんて愚かなんだろうと思う。
 それとも神は、このうつくしさに嫉妬をしたのだろうか?だとしたらとてもおかしな話。
 あたしがウインディア城で一番物知りの、ちょっと変わり者だった老人からきいていた「神様」は一寸違う。「神様」はあたしたち命を皆愛していた。だってあたしたちは、皆、「神様」の子供だから。
 
 先ほどの無機質な空間の中につくられた小さな世界で起きた出来事は、あまりにも思いだすには凄惨すぎたし、あたしはその当事者ではないから、隣で歯を食いしばって難しい顔をしている虎人の青年や、今はるか上空を滑空しているおさななじみの気持ちはわかりたくても、わからない。
 あたしは、あのときは、声を発することすら、呼吸することすらわすれそうになっていた。
 そしてあの場から逃げ出せたのならと、どこかで願っていた。それほどまでに、痛々しくて、苦い光景だった。
 押し黙って沈黙をとおす空を映した瞳のおさななじみと、咆哮をあげて感情あらわにする虎人と。その対照的すぎる二人が、どちらもがそれぞれの方法で自分をせめていたのは、間違いがない。
 あたしは、あの「三人」の中へははいってはいけなかった。
 
 やがて真紅にかがやく神の生き物は徐々にその高度をおとして、ゆっくりとはばたいて旋回しながら降りてくる。
「ね、ニーナ。私たちも、行きましょうー?リュウ、降りてくるわー」
 のんびりと間延びした声が背後からきこえてくる。けど、そのゆったりした声の印象とは違って、いつもよりもずいぶんと真摯な表情をした野馳り族のモモがあたしを見て、こくこくとなんどもうなずく。その動きにあわせて、ぴん、とつきだしている先祖の特徴を色濃く残した両の耳と、ふわふわの彼女の髪がゆれていた。
「…うーん。奇麗よねー………リュウ。なんだか、私たちってとっても幸運なのかもね〜…」
 ぽつりと、遠くを見てモモがひとりごとのようにつぶやく。少し離れたところに立ちつくす、虎人の青年にはきこえないように。
 あたしがびっくりして彼女をみつめていると、モモはちょっとだけ眉をよせて、すこし頬をゆるめる。
「だって、ふつうの人はあんなに奇麗な生き物が、存在してるって事も、知らないのよー?
 …ん〜……私は、もちろん、機械が一番好きなんだけどー、でも、竜は、そういうのとは一寸違うのよ〜……。
 理屈じゃなくてー、そういうふうに、ただ感じるだけなのよー」
 彼女にうながされて、飛ぶ術をしらないあたしたちはこの無機質の都から、同じくらいに無機質な装置をつかって地上へと降りてゆく。その間もあたしは、空をゆっくりと舞うおさななじみをずっと見ていた。
「これってー………不謹慎だと思うー?」
 すぐそばに立っていたモモが、あたしにこっそりと耳打ちをした。
 あたしは、一寸複雑な顔をして、でも、首を左右にふる。
「あたしもそう思うわ、モモ」




 硬い、けれど今度はたしかに大地の上にあたしたちはおりたつ。やっと、息を肺いっぱいに吸い込むことができた。
 既に朽ちかけた、しかし未だ原形をとどめている古代都市を足早に抜けて砂しかない灼熱の大地へと、…帰ってきた。
 本当はまだ、全てが終わったわけではないけれど。
 しばらく、あたしたちは皆無言であるく。すると、突然空がかげり、ものすごい風のうずが生じた。目もあけていられないくらいにはげしく砂塵が舞い上がる。
 頭の上から聞こえてくるのは遠くまで響き渡るたかい声。
 やがてゆったりとした羽音とともに、彼は降りてきた。
 そのあまりに大きな身体とはうらはらに、そっと大地に降り立つ。いささか小さな前足には、……子供の竜をしっかりとやさしく抱いて。
 誰も、動けないでいた。ゆっくりとその光景に見入るだけだった。
 まるでヒトの介入を拒むような、それはほんとうに神聖な儀式のような、そんな時間だった。

 あたしたちの目の前で竜はそのすがたを霞のように彼方へと消し去ってしまい、あたしたちと同じヒトの形態をとる。
 恐ろしくも美しく、畏怖を覚える姿をした巨大な生き物ー竜は、空を宿した青年へと姿を変える。
 遠目で顔はよくみえない。だから、その表情もわからない。
 そっとちいさな竜の骸を、くぼんている砂地へおろすと、何かをそっとささやいて彼はさらさらと砂をかけはじめた。
 ひたすらに、まわりから砂をかきあつめ、
 さらさらと。
 さらさらと。
 細やかな砂漠の砂は、ほんのすこしの風にもまいあがる。
 きつい太陽の日射しに砂がおどって、きらきらと輝いている。
 わずかな風、かたむきかけてはいたけれども、容赦のない太陽の日射し。ひたすらに彼は砂をかけつづけた。
 何も、いわず。
 だから、誰も、なにもいえなかった。
 誰も、うごけなかった。
 

 
 
 空は満天の星。夜の砂漠の星空は、まるで宝石箱をひっくりかえしたみたいに綺麗だ。もっとも砂漠越えをしていた頃は、そんな余裕なんてなかったし、何よりももっと気候が厳しかった。
 ずっと昔の都市があった名残りなのか、古の都とあたしたちが便宜的に呼ぶ街の付近は、同じ砂漠でも比較的穏やかな気候なのだ。そのへんの理屈なんかはわからないけれど、でも別にどうでもいい。
 こうして星空を見ていると、なんだかとても透明な気持ちになれるから。
「…姫さん、……リュウは?」 
 あたしはひとり、砂漠のうえにぽつんとすわって首が痛くなるくらいに空を見上げていると、背中から声がした。
「ん…、さあ。知らないわ。このへんにいないの?」
 顔だけそちらへむけると、おいてけぼりをくらった子供みたいな顔をした男がそこにたっていた。
「……あ、ああ、そうか……。悪ィ、邪魔、したな……」
 男はひょいと肩をすくめて、さっさと立ち去ろうとした。
「…ちょっと待って」
 いって立ちあがってから、あたしははたと思う。男をひきとめてどうするんだろう。きゅ、と、肩からかけた薄地の布を胸元にひきよせる。
 男は、歩きかけた足をとめてあたしを見た。あたしはすこしだけ考えを巡らしたけれど、あまり、意味はなかった。あたしも本当は、最初からそうしたかったのだから。
「私もいくわ。リュウ、さがしてるんでしょ?」
 男はすこし目をみひらいて、まばたきをする。そして、わずかに顎を動かすと再び歩き出した。
 だからあたしも、その後を駆け足で追った。


 さくさくと、砂地をあるくときにする音が規則的に聞こえてくる。その他に音はなかった。
 昼間吹いていた風も、いまはすっかり落ちついている。
「なあ、………姫さんよ。あいつ、…あいつのこと、どう、思う?」
 唐突に、となりから低い声がする。あたしがすこし顔をそちらにむけると、金色の中にぽつんとうかぶ青緑色の瞳とぶつかった。
「………………どうって、………おさななじみだわ」
 少しだけ考えてそういった。
 他に、いいようがないといえばそれまでだけれど。
「そう、か、……。おさななじみか、……。そう、だよな……」
 男はあたしを正面から見ているのがつらいとばかりに不自然に顔をそむけて、小声で、まるで自分にいいきかせるようにつぶやいている。
 男の歩く速度が、おちる。たちどまるわけではないのだけれど、ゆっくりとした歩調で。
「何?はっきりしないわね。いじけた男は手に負えないから嫌いだわ」
 とくべついらいらしていたわけじゃなかったのだけど、どこか刺を含んだ言い方になってしまうのを抑えられない。あたしの考えていたことが、この男と、多分、同じだから。
「ははっ、……手厳しいな、ウインディアの王女様は。あァ…オレは、よくわかってねえんだよ」
 男は自嘲ぎみに唇の両端をあげて笑みをつくる。
「………急に、あいつらがオレの手の届かないところにいっちまったみたいに思えた。泣き虫だったリュウも、いじっぱりだったティーポも、……全部最初からそんなもんはなかったんじゃねえかってな」
 男は顔をふせ、目をふせている。ほとんど独白。でも、誰でもいいからきいてほしい独白。
「リュウは、いまでもオレのことを兄貴って、呼ぶだろう。昔と違って、さっぱり愛想もなくなっちまったし、可愛げもねえけど、……兄貴ってな、呼ぶんだ」
 ほんのすこし、男の表情がゆるむ。どこか、誇らしげだ。……あたしはすこしだけ、この男がこの瞬間、うらやましかった。
「あいつと再会したときの、オレの不甲斐なさ、……姫さんも、見てたろう?オレは、本当にどうしようもない駄目なヤツだ。あいつに、兄貴なんて呼ばれるようなヤツじゃない。現にさっきだって、取り乱してたのはオレばかり」
「………………………」
「…ふさわしいとか、ふさわしくねえとか、そういう次元の問題じゃねえんだよ。……見たよな、……急に金髪になって、まるで神様みてえだったあいつ。
 全身の毛が、逆立った。背中がゾクゾクした。獣がよく、自分よりも絶対的に強いヤツに出遭うと陥るような緊張感、……まさに、ソイツを感じてた。そして思ったよ、ああ、オレとこいつは、…違うってな。半端な小悪党みてえなオレとは」
「………………………」
「…でも、やっぱりあいつに兄貴っていわれると、……素直に嬉しい。どっちなんだろうな。オレの、本音は」
 そこまで一気に吐きだして、男はふたたびあたしを見る。困ったような、なんだか情けない顔をしていた。そのくせその視線は、わざとあたしからそらされ、そのへんをうろうろしていた。
 あたしはすぐさま応えることができなくて、眉をしかめてみる。
 ……多分、あたしも、この男も。
 もうひきかえすことなんでできるわけもないのに、フっと緊張の糸がきれた瞬間、一気に不安という不安にのみこまれてしまう。それだからつい、後ろを振り返って自分の影をたしかめるのだ。
 あまりに話が、おおきすぎて、自分がその大きな流れの中に含まれているのかと思うと、途方もない感覚になる。
 あたしのおさななじみ、この男の弟分は、神じゃない。けど、だからといって、あたしたちとも違う。今彼はまさに、この世界にうずまくおおいなる流れの中心ちかくにいる。
 強大な力をもつだけ、それだけで、あたしやこの男と変わらないのかも知れない。頭でそうは思っても、感情のもっと奥、無意識の本能みたいなものがときどきそうじゃないと告げている。
 でも、それでも、やっぱり、…そういうところを全部含めて、彼は彼で、あたしのおさななじみだし、この男の弟なのだ。
 すっかり同じことを考えて、同じことで悩んで、……同じ結論を、自分の中では見つけだしそうになっている、否、もう、出しているかもしれない。
 けれど、どうにも不安なのだ。自身でそうは思っていても、あまりにも色々なことがありすぎて、自分自身が混乱しているのも判っているから。どこまでも先の見えない迷路にまよいこんでしまったみたいに、前も後ろも本当はわかっていないけど、進むことをよぎなくされる。
 だから。
「きっとどっちもよ。
 でも、いいの。私はリュウのおさななじみだし、貴男はリュウのお兄さん。それでいい、他に、考える必要なんか、ないわ」
 あたしも、あたし自身にいいきかせるように、もう一度言う。
「だって、悩んで迷っているのは私や貴男だけじゃない。皆同じだわ。リュウだって、一見迷いなさそうだけど、……そうじゃない。多分私たちなんかよりもずっと、考えている。ずっと苦しんでいる。だから、私が…私たちが、傍にいてあげないとね?」
 あたしは男にむかってにっこりと満面の笑みとともにそう言うと、男も自然にその顔に苦笑いをうかべた。
「まったく……あんたは、たいしたタマだよ、お姫さん」
「まあ、仮にも年頃の女の子に向かってその言い方はないんじゃないの?」
 すこしおどけた調子でいうけれど、男はやっぱり肩をすくめるだけで、ふたたび足をはやめた。


 わずかに、そこだけ不自然に盛り上がった砂丘。とはいったって、注意していなければとりたててまわりと区別がつくわけじゃない。
 たったひとつちがうのは、そこに、まるで墓標のように枯れた木切がつきささっていること。
 そこに、あたしのさがしもとめていた青年は仰向けに寝転がっていた。あたしたちが近付くの気配は、とっくに悟っていただろうにもかかわらず、おきあがる気配も動く気配もない。まったく、こんな何もない砂漠のど真ん中、身をまもるものを何ひとつ持たずに、無防備に寝転がるなんて、一体どういう神経をしているのやら。
「俺、眠いから、寝る。疲れた」
 まるでわがままをいう子供みたいな口調でぶっきらぼうに、空をみあげたままに近付いたあたしたちに向かって彼は言う。あたしは苦笑いをかみ殺していたけれど、隣に立つ男は幾分難しい顔をしていた。
「……めんどくさい、ことは、明日きくからな、……オヤスミーー…」
 男の存在にもすでに気付いていたんだと思う。彼はわざとらしくおおきく溜息をつくと、ひらひらと片手をあげて手を振った。…こうなってしまうと、このおさななじみはまず人の話を聞かない。昔から変わらない困った癖。
「あのねえリュウ 。そうやってねっころがってないで少しは人の話聞きなさいよ。そういうとこ、ぜんっぜん変わらないんだから」
「…………ていうか聞いたって、途中で寝るぜ」
「それでもいいから、聞きなさいったら」
「うるせえなあ……ったく」
 あたしが少しキツくいうと、めんどうくさそうにリュウは上半身を起こして不満もあらわにした顔であたしたちを睨んでいる。あまりの大人気のなさと、なんだかんだとあたしの言うことを聞いてくれるリュウに、かみ殺していた笑いをもらしてしまう。
「ヒトの安眠妨害までしてしたい話って、何だよ」
 さらに眉をしかめるリュウを後目に、あたしは隣に立つ虎人の男の逞しい背をそっと押した。男はよたよたと、まるで酔っ払いみたいな足取りで前に出る。顔だけあたしの方をむいて、なんだかその様子が助けてくれといわんばかりで尚更おかしかった。
「レイが、あなたに用事があるって」
「………兄貴が?」
「そう。あたしはついてきただけだから、じゃあね」
「ち、ちょっとまてよ、おいっ、…姫さん!」
「あら何?私に用があったわけじゃないでしょう」
 きびすをかえして立ち去ろうとすると、男はあわててあたしをおいかけようとする。
 なんだかこれではさっきとはまるで逆だ。またあたしはこっそり笑う。
「そうじゃなくってよ……いいのか?あんたは」
「私は関係のない人間だから。あなたと、リュウと、ティーポの事に関しては」
 くるりとふりむいて、まっすぐに、まぶしい星と月の下、かがやくように風になびく金色の体毛を全身にもつ、この、世間じゃ見かけるのも珍しい希有な存在の虎人の男を見る。
 あたしの視線と、あたしの言葉のはっきりとした口調に、男は黙り込んだ。
 そう。
 あたしは、関係ないから。
 あたしは、はいりたくてもはいりこめないから。
「だから、それは、貴男自身がきっちりと決着をつけて頂戴。いくら私がおせっかいでも、そんなところまで介入するほど莫迦じゃない」
 あたしはわざとつきはなすような言い方をした。
 男が眉をひそめて、言葉につまる。
 その更に後ろ、とうのリュウ本人はといえば、あたしと目が合うと、早くしてくれよといわんばかりに鼻をならした。
「ほら、さっさとしないと、リュウ、本当に寝るわよ。そういうヤツだから」
「…………参ったな。かなわねえや」
 男は降参だよ、と小さく口の中でつぶやくようにつけたす。
 あたしはもういちど、男に微笑いかけた。

 それで、いいんだ。
 あたしは、今度こそきびすをかえして戻る。おだやかな風は、まだ二つ並んだ足跡をけしてはいない。
 今日はもう、ねむろう。色々ありすぎて疲れたのは、あたしもだ。
 ねむって、目覚めたら、多分すっきりした気持ちでもう一度あの冷たい遺跡の中へと行ける。
 そうして本当にさいごまで、この目で見届けるのだ。
 あたしのおさななじみがえらびとる、道を。
 ……あたしは、リュウを、しんじているから。