ジルは汗をぬぐい、ようやく息を規則的に吐き出して練兵場の錆びついた扉を閉める。がらんと広い空間に、金属の軋む音がくぐもってきこえる。
斜陽がきつく、頬を灼いているのがわかった。この西日を頬に受けることで一日が終わった、という実感を覚えるのが、ここ数日のジルの日課だった。
デインという国の夏は、山岳地帯ということもあり、他国と比べると随分と涼しかったが、それでも日中の練兵場は熱気がこもり、慣れぬものは熱中症にやられることもあるのだ。
それでも、ジルは決して手を緩める事はなかった。むしろ新米兵士達に厳しい訓練を自ら施すことが、デイン王国軍に在籍する自身の拠り所だった。
訓練は好きだった。身体を動かしていれば、頭の中をからっぽにできる。余計なことを考えずにすむのだ。まったく連絡を寄越さない薄情な男のことも、忘れられるのだから。
「あれ、メグ?まだ帰ってなかったの?」
鍵束を指先でくるくると弄びながら扉に背を向けると、そこにはとても良く馴染んだ顔がある。
メグはジルの姿を見つけるや否や、廊下に一定間隔に据付けられた木製の椅子から立ち上がり、駆け寄ってきた。
小太りながら愛嬌のある顔つきの少女。ぽっちゃりとした体格と素朴な表情からはとてもそうは見えないが、これでも彼女はデイン兵であることを望んだ、正式な兵の一人だった。彼女の生まれ育ちこそクリミアだったが、何故かデインに残るという決断をした。その理由をあえてジルは追求はしなかったが、ともかく彼女は戦いの中で生き延びた。見た目で判断すると、意外な俊敏さにジルですら翻弄される剣の使い手である少女に、何度助けられたことだろう。
「えっと、あたし、ジルさん待っておったんです」
「私を?訓練が終わってから、ずっと?」
「はい」
ジルの問いにメグはこくりと頷く。あまりの素直な仕草と純朴さに、眩暈のようなものをジルは覚えた。
「ずっと、って。だってメグ、あなた、私が来る前からずっと、朝から訓練し通しだったんじゃない?」
「はい、そうです。でも、大事な用じゃ言うておられたから…さっき、王さまが」
「ペレアス王が?…なんだろう」
ジルは首を傾げた。戴冠式の折、総司令に任命されたミカヤや副将サザ、旧四駿の生き残りであるタウロニオであればともかく、ただの一介の将でしかないジルに、「大切な用事」とは。しかも、直接王その人が赴くような、重大な何かがあるのだろうか。
鍵束を懐にしまい込みながら、ジルは二三度首をかしげてみるが、心当たりはどうもない。
「詳しくは、直接話したい、って」
「ふうん。ともかく、わざわざありがとう、メグ。今頃、皆メグのこと心配してるだろうから、早く帰ってあげて」
ジルの言葉に、メグは喜色を溢れさせてにこりと笑った。その表情を見てジルは安堵する。よかった、この子はまだクリミアの田舎を忘れているわけじゃない。
「うん、そうさせてもらいます、今日は沢山ジルさんとも訓練したからなあ、いつもの倍くらい、疲れたようにおもいます」
「ふふ、明日も覚悟しておいてね、容赦しないんだから」
ぱたぱたと、俊足で廊下を駆けてゆく少女の後ろ姿は、何度見ても微笑ましい。それでも、尚もジルはメグの境遇を思うとやるせない気持ちになっていた。ジルはそのような感傷を抱かぬ事にしていたのに、何故か唐突にそういうことが胸に突き刺さった。
メグも、意味なくこのような場にいるわけではない。彼女は彼女の選択として、この場にいることを、彼女自身が望んだのだ。
第一、戦いは続く。まだすべてが終わったわけではない。そうなるような気がする。三年間虐げ続けられた祖国が、やっとの思いで取り戻した「自由」は、まだ実感を伴ってはいない。ふわふわと、不安定でそしてしっかりとした基盤が感じられない。そういう言葉はジルの頭の中にあるのだが、結局のところそれらは漠然とした根拠のない不安だった。
祖国は自由を得た。
あの、多くの民の歓声もまだ耳に残っている。けれどもジルの脳裏にこびりつき離れない不安定で漠然とした感覚は、日増しにひどくなっていた。だからジルは厳しい規律と訓練を自ら望み、鍛錬を繰り返していた。とにかく、このよくわからない不安から逃れたかった。ジルは、足早に廊下を駆けた。
「本日は、どのようなご用向きでしょうか」
王城の西端、元は物見の用向きで建てられたのであろう簡素な塔の一室、それが王の私室。
ジル個人の感想を言えば、『とてもじゃないけど偉い人がくつろいだり寝たりするような場所に見えない』場所だった。机上に山積した書類や書物の束は、まるでこれでは文官の書斎だと言われたほうがむしろ納得がゆく。
部屋の広さもさることながら小さな窓といい質素な調度品といい、一国の王たるものがこれでは格好がつかないのではないか、という見当違いな危惧を覚えさせるほどに、部屋は殺風景だった。贅を嫌うペレアス王の人柄が出ているといえばそれまでなのだが、それでも、一領主の娘として育ったジルにとっては、とても生活水準を満たしているようには見えない。元来贅を悪しきとするデイン王国独特の認識がなければ、それだけで見下されかねない。最低限度の取り繕い、というものはあるのだ。
「やはり、領主の娘のジルから見ても、この部屋は質素すぎるのかな」
ジルの内心を表情と態度から読みとったのか、ペレアスは日ごろから穏やかな面に苦笑を滲ませていた。
「はい。何事も、取り繕うことは必要なのかもしれない、と、この部屋を見て思いました。私は、そういうことは、好まないのですが」
ジルの答えに、ペレアスは笑った。けれどもその笑みも、声も、以前とはまったく違う。ジルがはじめてこの若き王に見えたその時に抱いた印象とは、別物に思えた。
よくわからぬ不安。この部屋に来て、その不安は増している。久しぶりに、王の笑った顔を見たはずなのに、それは尚のことジルの内心の不安を煽るのだ。
「そうか。君にまでそう言われてしまっては、少し、考えなければいけないのかもしれない」
どこまでが本音なのかわからない。そういう表情と声をしている、と最初に思った。信用できない、という類の印象とはまた違うのだ。その心の内にある情熱を、言葉を交わすよりも先にジルは理解できたように思えたし、実際言葉を交わしそれは確信になった。その、思いや言葉を表に出せばよい、そう、何度も思ったこともある。けれどもペレアスは、不思議と自らを誇示するような真似をしなかった。それを、性格なのだ、と割り切ることは、ジルにはできなかった。未だに、その事に関してはどこかで不透明な感情を抱いている自覚がある。けれどもペレアスは王となり、デイン王国は復活した。
ジルは決してこの新王を嫌いではない。個人として思えば、好いているほうだと思う。だからこそ、そのような些事ですらが気になって仕方がなかった。
「君をこんな時間に呼び出したりしたのは、済まなかった。ただでさえ忙しいだろうに」
ようやく、という風にペレアスは切り出した。斜陽がきつい。練兵場の廊下のそれよりも、ここの日射しは直接目に突き刺さるようだった。
「いえ、わざわざ王が宿舎になんて足を運ばれたりしたら、それこそ格好がつきません」
再びペレアスの表情のみが砕ける。私室の隅、彫像のように動かぬ騎士タウロニオは先ほどから気配をまったく感じさせてはいない。戦場では、いるだけで兵の士気を高め敵を怯えさせる圧倒的な存在感を見せる老練の将でもある。以前から王の側にはべっていた猫背の男の姿は見えない。その小男を、ジルは好きではなかった。だから、どうでもよいことだ、と思った。
「でも久しぶりにメグやエディたちに会えたから、良かったよ。彼らも、元気そうだった」
言いながら、笑みをかすかなものにしたペレアスの言外には、やはりたとえようのない寂しさが見え隠れしている。
ジルはとっさに視線を伏せる。軽かった場の空気が、どこかしら、沈んだ。
王は、解放軍時代も自らがただの旗印であるという自覚があり、必要以上に表に出る事のない人だったが、それでも自軍の核となりうるような人間の名は、その貴賤を問わずきっちりと把握していた。ジルが、この若き王に好感を持てる要因のひとつが、それだった。
「王よ」
まるで影のごとくにあったタウロニオが、ペレアスを促す。ペレアスは頷いてみせ、ろくに装飾すら施されてはいない簡素な椅子から立ち上がった。その眼前の机上は、書物やら何やらが山積するも、見苦しくはないほどに、整頓されている。
「今日わざわざ出向いてもらったのは、他でもない、シハラム・フィザット。君の父上の事だ」
ペレアスの口にした名が、ジルを意識を強烈に惹く。思わず正面から見てしまった王のまなざしは、確信に満ちている、と思った。
「ジル、君は以前言っていたね?君は、亡くなった父上を誇りに思う、と」
そんな話をしただろうか。いちいち記憶にとめる事ができぬほど、ジルの父へ対する憧憬の念は、そのままジルの信念であり志になっていた。恐らく、当たり前のように口にしていたのだろう
「はい。父は、誇り高く、そして、最後まで真実の忠誠を、貫きました。その死を看取った娘の私が保証いたします」
それでも父の名が出たとたん、ジルの口調は重くなり、表情も硬くなる。言葉の端の切れが、鈍った。
その名が彼女にとって何を意味するか――ペレアスは、先刻タウロニオから聞き、知ってはいた。
だが、実父というものを知らず、そしてまたその存在を想像できぬペレアスにとっては、決して理解出来る部類の感情ではない。だがきっと、そういうものを知っているのは、とても幸せなのことなのだろう、と思う。
「ダルレカ領のフィザット卿。元はベグニオン貴族。ベグニオンの一方的かつ理不尽な体制を厭い、少数の部下とともにデインへ亡命。当初こそ前王アシュナードに重用されるも、まかされた領地は王都より程遠い国境付近の僻地ダルレカ。それでも河川の氾濫に悩まされる領民のため、長年考えていた灌漑事業にいよいよ着工という時、戦が始まり、国境を突破したクリミア軍により領地は甚大な被害を被り、卿もまたクリミア軍と相対し討死」
ペレアスは手元に書類を見る事もなく、すらすらとそらんじてみせた。
「それでも未だにダルレカの地では、前領主を慕う声は決して小さくはない」
ペレアスがようやく言葉を切り、沈黙の元、ジルをじっと見ていた。王がいましがた口にした言葉それは、ジルが知る真実とほぼ同じだった。ジルが知り得ぬ事すらも、王は知っていた。
確かに、今のデインには三年前の戦の事情をよく知る人間はいる。タウロニオはクリミア軍がダルレカを通過したあの戦いに参戦はしていなかったが、逆にだからこそ知り得ている事も多々あるであろうし、ツイハークなどは当時クリミア軍としてジルと行動を共にしていて、あの時その場に居た、いわば生き証人だ。
大きな息を、ジルは吐いた。わだかまりも、一緒に吐き出したような気になった。
「驚きました」
言っても良いのだろうか。戸惑いが、わずかだがジルの中にはあった。
だが、戸惑いは、ほんとうにわずかなもので、むしろ言わねばならぬ、という確信もまたジルの中には存在していた。
揺らぐ感情に決着をつけ、ジルは顔をあげた。再び、王の眼差しを見た。ペレアスは無礼だとは咎めず、タウロニオも何も言わなかった。デインとは、そういう国なのだ。
「ペレアス王、私の父の名を、あなたのお父上は、ご存知なかったのです」
そのことは、思い出すだけでも気が重かった。目眩すらした。
「あなたのお父上は、対峙した私に言いました。『誰だ、それは。我がデインの将か?』」
ひどい話をしていると思う。仮にも、ペレアスにとっては父であるアシュナードの事を、あろうことか貶めるような意図の発言をしているのだ、という自覚はあった。
陽はとっくにおち、部屋は薄暗ささえ増して来ているにもかかわらず、王は灯を灯すこともなく、ジルの言葉に耳を傾けている。
真意がわからない。けれども、その言葉と態度は誠実であり、権力を手にした今でも、変わらない。そういう王であったからこそ、ジルは、真実を伝えねばならぬと思った。
「『誰だ』と。『知らぬ』と」
両の太ももの脇の拳を、握りしめる。いつの間にか声が震えた。
「………私は、あの時、…あの時、祖国に背く事に、自ら祖国の王に刃を向ける事、何ら疑いもしなかった。父は、父は努力したのです…!懸命に、デインの民になろうとした!その名を覚えてもいない…そんな…そんな王に、それでも、従って……!!!」
次第に感情が高まり、言葉が叫びになるジルに対し、ペレアスはまるでその全てを吐き出させんといわんばかりに、黙ったままだった。
そのお陰で、仮にも王の前だ、という事をジルは完全に失念していた。
タウロニオは、部屋に落ちた影のように、何も言わず、微動だにもしない。彼もまた、あの前王の最期の瞬間を知る、数少ない人間だった。
沸き上がる感情が、黄昏とともにジルをのみこんでゆく。
「父は……武人としての、最期までデインに忠節を貫いたのです。あのような、国に価値などはないという、王と、知りながら」
呼吸と、言葉と、感情が、ついに飽和してしまい、自分でも何を言っているのかジル自身ですら把握出来なかった。
「ジル」
それでも、なんとか息を整えようとジルが言葉をなんとか途切れさせた頃合いを見計らったかのように、王はその臣下の名を呼んだ。
慌てて呼吸を整え、佇まいを正すジルに、その必要はないのだと、ペレアスは首を横に振ってみせる。
「よく、話してくれた」
即興で身につけたにしては、その佇まいも言葉遣いも、板についたものだ。何よりも、その声だ。穏やかで、すんなりと耳に届く声なのだ。息をととのえながら、ジルは主君に、まるですがるような視線を向けた。
「父アシュナードは偉大だった。だがその偉大さは、強者に属するものだ。決して弱者には理解の目を向けず、存在に価値を見出すこともない。だから見落とすものもまた多かった」
「………ペレアス王?」
「シハラム卿のこと、最初から、君の父だと知っていたわけではない。ただ、解放軍旗揚げ以降集まった、元デイン貴族、軍属し辛くも三年前の戦を生き延びた兵たち、彼らが多く口にする人物の名が、フィザット卿、ダルレカの領主、そして、君の名だった」
そうだったのだろうか。ジルは、何も、知らない。ただ、祖国解放の強い思いのため、戦っていただけだった。
その行動が他人にどのように評価されるかなど、ジルは考えた事もなかった。己の信念を疑う事など、なかったのだから。それは三年前も、今も、かわってはいない。
「皆、言葉は違っても、同じ事を言っていた。フィザット卿は立派だった。その忠節は、かつての四駿にも劣らぬもの、とまで言う者もいた。そしてまた君も、その志を継ぐ者と」
ある意味で王の言葉は、ジルにとって衝撃的だった。己の行動が、どのように評価されるかを、ジルは初めて知ったのだ。
「ダルレカの竜騎士ジル・フィザット。貴公を、改めて我が騎士として迎えたい」
「ペレアス王……!」
「同時に、その父でもあり前ダルレカ領主シハラム・フィザットの生前の功を讃え、名誉を回復しよう。かつて一度は王宮騎士であった――その名を、再び、デイン王国騎士団の中に連ねる事とする」
こういうことが、あるのだろうか。かつて父の栄誉を存在を踏みにじったアシュナード。そしてその父の栄誉と存在を、名誉を再び認めるのだというペレアス。
あまりのことに、ジルはしばし言葉を失った。落ち着いていた筈の頭の中は、再び混乱しかけている。だが、王の言う言葉はしっかりと届いていた。心の中に、直接響くようだった。ジルを見る王の穏やかな面差し。それは、ジルの父シハラムに対する敬意も含まれているのだ、と、思える。震えがくることを、ジルは止められなかった。だが、この震えは三年前のそれとは違う。意味も、理由も、なにもかも。
「………………私、は」
「ジル?」
「……わたしは、……ずっと、そのお言葉を……。三年前、三年前も、……デイン王たるアシュナード、へいか、か、ら、…その言葉を…ききたかっ…」
忘れ得ぬ、屈辱と憤怒の記憶。三年前、あの瞬間のどうしようもないほどの怒りは、今も鮮明に記憶している。
結局は、自分では歯が立たなかった。比べ物にならなかった。狂王を直接屠ることも――かなわなかった。渾身の一撃は弾かれ、どころかアシュナードは、ジルの相手をすることもなく、ただ、一瞥し、去った。
それからの三年。故郷で、父の墓を守り、領地を守り、けれどぴんと張詰めた糸の上にのみ許された平穏な時間は、決してジルを癒さなかった。かつての父の部下であるハールがいればこそ、耐えられたといってもよい。
そして、一年弱前。解放軍の旗揚げ。「アシュナードの遺児」という言葉を聞いた時の、言い得ぬ感情。
実際に対面したときの、真逆の、けれどもやはり形容しがたい感情。
「ジル…。君のお父上は、デイン人よりもなお、デイン人だった。その生涯の最期まで」
穏やかな声がすんなりと心の中に溶け込んだ。昂ぶる感情そのものを、慈しむように撫でられたような心地だった。何度口を動かしても、声が出ない。代わりに熱くなった目頭から、あふれるものがある。ジルは思わず顔をうつむかせた。唇を噛み、鼻の奥の痛みを堪えた。まさか醜態を晒す訳にはいかない。
「ジル。こういってしまったら恥になるが、私は王としてあまりに無知すぎる。そして、王たるものとしても、所詮は飾り物かもしれない」
王の言葉を、ジルは俯いたままに聞いていた。だから、その言葉の意味までは考えが及ばなかった。
「それでも、王でなければならない。もうイズカだけに頼ってればよいわけではない」
このところ、特徴的なあの猫背を、見かけてはいない。失踪の噂すらもある。
だが、王はまったく取り乱してはいない――あるいは取り乱せないだけなのか。
「父のようにはなれないだろう。ならなくてよい、とまでは思わない。だが、私は父とは違う道を歩みたい。国を導くものとして未熟なれば、私はデインの民全ての助力を必要とする。デインに住まう民とともに作る、すべての民の力を生かせる。そんな国を、つくってゆきたい」
民とともに。民の力を王が欲する。
言葉の意味するところを、ジルはとっさには掴みかねた。
王というのは絶対であり、その血にはアスタルテの祝福が脈々と受け継がれている。ゆえに、王とは常にただひとりしかおらず、決してその血筋を途絶えさせる事なく、終生を国を導くものとして終える。
常識という以前の話であり、そもそも民と王とは存在そのものが違っていた。同列に語ることなどは出来るはずもなく、そしてそれは、民よりは王に近く、ゆえに王に直接の助力をなしえる貴族とも一線を画する存在だ。王は、どこまでも王なのだ。
本来であれば、王が未熟であるならば、王宮に近しい、相応の力のある貴族から宰相と言われる存在が選ばれる。だが、生憎と三年前の戦の折、名だたる貴族はほぼ壊滅状態にあった。王家の血筋自体、すでに前王が絶っている。つまり、ペレアスは頼りたくとも頼れるような人物がそう多くはない、ということだ。なれば、もはやその貴賤を問わず、能力に優れたるものを、という意図なのか。
それは、前王アシュナードの政策を、更に大規模にしたようなものだ。前王はそれを軍事面にのみ止めていたが、ペレアスは全てにおいて門戸を開くと言っている。
だがそれでは王を利用しようという輩が現れるやもしれない。その危機性を含んでも、との覚悟があるのか。
ジルは、影のようにたたずんでいるタウロニオを見た。
タウロニオもこちらを見ている。小さく、頷いたような気がする。
「ペレアス王。私のような、経験の浅いもので構わないというのであれば…私は、王の期待に応えるよう、努力を惜しまぬ所存です」
深く頭を垂れながら、ジルは考えた。なればこその、自分たちなのかもしれない。
タウロニオなどは、先代のみならず先々代にも仕えている。人物を見る目も、あるのだろう。また、ランビーガの娘フリーダなどは、あの若さで見事にマラドを守っていた。イズカの失踪後、王が側近に指名したのは、この二名だった。
この王は、そういう人の使い方をする人なのだ。
「青臭い理想論だと、一度タウロニオやフリーダに諌められた。それでも、彼らは私に従ってくれている。私も努力は惜しまぬつもりだが……時に間違う事もあろう。そのときは、その非を咎めることも辞さないでほしい。すべては、デインのためになる。民のためになる。ジル・フィザット。君もまたデイン王国の一員であり、民であり、そして騎士だ。その言葉、力強く思う」
他人の力を欲せねばならず、だが王でなければならない。そのような苦境を、ジルは想像は出来ない。
王たる者は、本来強靭な意志力を生まれながらに有していなければならない。それを持たぬペレアスが、それでも玉座につかねばならなかったことが女神の導きなれば、そしてその王が助力を欲するというのならば、デインに住まうものは、各々が出来うる限りにおいて助力をするのが筋なのだろう。
少なくとも、いま、目の前にいるのは、間違いなくデインの王だった。
ジルの知る、解放の英雄ミカヤの影に隠れていた、イズカがいなければ何も出来なかった気弱な王子ではない。
そしてジルは、己の確信を、この時信頼した。
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