「ねえ、アル、ヴァン………。僕は、間違えたのかもしれない」
初冬の夜空には、雪雲を遮るほどの強い光が煌煌と輝いていた。
やがて、うす雲も晴れ、冬の冷たい月は光を等しく注ぐに違いない。それは、コーンスにしてみると恵みの光ともいえる。主たるセリューンが、己の眷属を等しく愛している光は、コーンスにその優れたる力の源を注いでくれる。身体を横たえ休ませている間に、主の慈しみは控えめに、施されるのだ。
「でも、言い訳はしないよ。言い訳はしない。だって僕は、生まれた時からコーンスだったんだもの」
宿舎は冷えきっていた。
そして、寝台とそこに敷かれた藁も布も、体温を逃さず、外気を遮断するには不十分だった。眠れないわけではなかったが、ナッジは、とても眠れるような気分ではなかった。
同室のルイセは安らかな寝息を立てている。見れば、テーブルには何やら薄い書物やら羊皮紙の束やらが置かれていた。そういえば、彼はアカデミーの生徒だった。冒険者のように十分に戦う力を持たぬ彼らですら、生まれつきの才を生かそうと必死なのだろう。
「僕らは、勝たなければならないんだ。護らなきゃ、ならない。僕ら自身の誇りを、僕ら自身を」
だから、ルイセみたいに戦う術を知らないコーンスですら、慣れぬ手つきで魔道書の頁をめくり、或いは槍を握っている。そこに在って、戦う術を持ち、また実力もある自分が戦わずして綺麗ごとを並べ、一人将軍に歯向かったとて、では何になるというのか。
先ほどまでは、ナッジもそのようには考えてはいなかった。むしろ、逆だった。最悪の場合実力行使に及んでも、ジラークの愚行を止める、そんな覚悟があったのだ。
だがそれは、確かに愚行で暴挙ではあったが、揺らぎようの無い信念と、強い願いが込められていた。多くの願いと、望みが、其処にあった。
ジラーク一人の独断と暴走であるなれば、ナッジは止めたであろう。例えそこで命を落とそうとも、同朋のため、愚かなる選択をさせるわけにはいかない。
けれども現実は違っていた。
ルイセを始めとした、力の無いコーンス達ですら、この最北の地に集っている。
こんな夜中にすら、労苦を厭わずに新たに宿舎を訪れる者もいたし、普段は滅多な事では表に出る事をしない女性コーンス達の姿もあった。彼女達に戦う力こそ少なかったが、すべき仕事は沢山あったし、中には魔法の素質に優れているものも少なくはなかった。
それらの意味するところにナッジは気がついたのだ。
何もこれは、ジラ−ク一人が暴走し、同朋を巻き込み無謀な戦いの狼煙をあげたわけではない事を。
ここに集う、力なき願いや、知られざる祈りが、これだけ短期間のうちに、驚くべき熱狂を伴い、このような僻地にまで同朋を集わせたということを。
だからこそ、あの時のジラークの双眸は、どこまでも、澄み切っていたことを。
「……そう。だって、僕にも守れるものがあるって、そもそも体得してきた力を使うべきは、守りたいものを守るため。それを教えてくれたのはアルだし、アルと一緒に旅したから、わかったのかもしれない。僕もヴァンも、あの小さな町にいたなら、もしかしたら一生、気がつかなかったのかもしれない」
そう言ったら、多分照れくさそうに笑うんだろうな。ああ、僕はアルとヴァンの笑顔が本当に好きだった。あんなに純粋な笑顔は、あんまり見れないんだって、色々冒険して、後からわかったけれど。…だから、本当は君たちの笑顔を、曇らせるような事はしたくない。
でも。
選び取ったのは、同朋の命運だった。だから、こんな風にした回想も、本来なれば慎むべきだと、ナッジは思っていた。だが、頑に一方を否定しての結論は、危うさを加速させる。
ナッジにとって、二人の友人は、確かにかけがえのない存在だ。唯一無二の、家族で、財産だ。
離れると宣言した時のイアルパは、そのような様子はおくびにも出さないではいたが、誰よりも側にいる時間の多かったナッジには、一瞬垣間見せたその寂しげな瞳を見せた。それに胸が痛まなかったわけではない。
普段の快活さを失い、烈火の如く憤り涙するヴァンの言葉が、心を刺さなかったわけでもない。
だが、だからといって譲れるものではない。
そう感じた確信は、一体いつの間に挫けていたのだろう。長い長い道のりが、一人きりの旅が、心を弱らせていたのだろうか。ジラークの言う理想が、あまりに非現実的に思えたからだろうか。
言葉は、時に強くくじく心すら助ける。だが逆に、真実は、言葉だけには留まらない。少なくともナッジは、ジラークが狂気に冒されたとは思わなかった。鋭く尖った深い瞳は、深いまま、静かなる湖のように光をそこに貯めている。あの揺るぎない決意と静寂は、決して彼一人のものではないということも知った。
そこに、恐怖は感じなかった。そして己が辿るであろう命運が絶望的に思えても、不思議と何の迷いも感じはしない。
時折、木枠を揺らす風は、相変わらず途切れる事のない粉雪を運ぶ。
けれど、見上げると、凍るような輝きの月が、そこにある。
風の哭く細い、長く繋がる音は、最早遠くなってしまった故郷を思わせて、ナッジは少し、微笑んだ。