Su Coraggio

「難儀な性格ね」

 呆れた、と、言外にそう言っている。

 辛辣ともとれる言葉の主はディンガル帝国玄武将軍ザギヴその人だった。
 流れるような美しい黒髪も、はっとする美貌も、すらりとした肢体も何もかも、決して幻ではない。失踪の噂もあったが、現にその人はディンガルの首都エンシャントから西方アキュリュースへと向かう街道にあった。もっとも、冒険者風の格好をした彼女を、一目でそれと見破れる人間は少ないだろう。

「褒め言葉なら有難く受け取る、そうじゃなかったらご返済で」
「………本当に、難儀な性格ね」

 決して馬鹿にしているわけではなく、彼女なりの率直な感想だった。
 この女性からそのように軽々しい物言いを導き出せるのは、多分バイアシオン大陸に置いては一人しかいない。移動用のウマの背に揺られ、さして愉快そうでもなく、かといって不愉快そうにも見えない青年の名はイアルパ。大陸に名を馳せること久しい「駆け抜ける風」は、彼と彼の仲間たちの異名でもあった。

「そう?そっかあ……?だって、本人納得づくだぜ?そいつを邪魔なんか、俺はするつもりねえし」
 まったく、何の事かなんて皆まで言ってないのに。
 ザギヴは思わず喉の奥から忍び笑いを漏らした。

 彼女が何をもってしてイアルパを「難儀な性格だ」と評したのか。

 それほど言葉を交わしたわけではないが、気心の知れた仲間というのは、互いにある程度の共通認識を持てる。場違いな淡い確信を抱くと、ザギヴの心は少し軽くなっていた。それならば、少しいじめてやってもいい。

「あら、だったら何故私を殺してくれなかったの?」
 ディンガル政庁時代、よく部下をからかう時にやっていた笑みを浮かべる。己の美貌を、武器として扱えるほど器用な女ではなかったけれど、ある程度まで気を許した部下たちには、たまの褒美をあげるためだったけれど。

「………ていうかさ……底意地だけは悪くなったよな、姉さん」
「ごめんなさいね。別にそういうつもりじゃないの」
「そういうつもりじゃないんなら、どういうつもりなんだよ?ったく、これでもね、俺は俺でそれなりに苦労してるんですけど」
「そうね、あなたは私には伺い知れないほど、苦労人に思えるわ」
「やだなあ、頭のイイ人間の皮肉って、シャレになってねーよ」

 ザギヴは逡巡する様子を見せてから、ちらと眼差しだけでイアルパを伺うも、顔は挙げなかった。紅を差さずとも朱のさす唇を、少し噛み締める。
「……意外、だったわ。あなたきっと、止めると思ったから」
 直前までの軽い調子はどこへやら。声のトーンを落とし、ためらいがちに瞼を伏せたザギヴの、歯切れの悪い言葉の意図をつかむ事は容易だった。しかし、イアルパは押し黙ったままウマに揺られている。

 ザギヴは、イアルパにとってあの二人の少年たちが一体どんな存在なのか、具体的には知らない。だが、対外的にそつなくこなしてしまいかつ殆ど本心を見せぬ青年が、年相応の笑顔を見せるのは、決まって彼らか、或いは彼らに関する事のみだった。それは、彼らとともに旅をした寡黙な剣士が酒の席でぽつりと呟いた言葉だった。
 その剣士の言葉は、確かに正しいように思う。何より、彼らを見守るイアルパのまなざしの穏やかさは、ザギヴの心の奥底の何かを思い起こさせた。そして記憶が疼くのだ。すでになくしてしまったもの、本当は望んでいたのかもしれないもの。
 時に抜き身の刀身のような印象を受けるイアルパが、たった一つ、しがみついてでも何をしてでも、守りたいもの。
 守るべき者を知る人間こそ、或いは運命というしがらみに立ち向かえるのではないのかと、まるでばかばかしい綺麗ごとだったが、ザギヴは考えていた。陳腐な言葉をあえて口にする必要などは、彼らの間では不要なのだ。

 そしてそこに自分が介入する余地などはない。

 多少の失望とともに、ザギヴは痛烈に感じていた。だからこの人は強い。ザギヴにとって、今でも決してその面影がぼやける事のない英雄とはまるで異質で、けれども、その強さはひどく似ている。
「俺とアイツらはダチだからな」

 そう言い振り向くイアルパの顔が、心なしか笑っているように見えて、ザギヴは思わず手綱を取るのも忘れて見入ってしまう。


 なんていい顔で笑うの。

 突然御者を失ってしまったウマは、しかし悠然と街道を西に向かい徒を進めていた。


 遥か彼方の西の海から吹き付ける風は、その勢いこそは衰えているものの、晩秋のディンガルの厳しさを伴いつつある。決してやさしくはない、向い風だ。
 二人の冒険者は、しかしそれに怯む事はなく、西に向かう。目指す地は、アキュリュースを経て更に北、高山地帯を貫く街道を一週間ほどかけた先に聳える旧時代の城壁の都市、アルノートゥン。その神聖王国時代から続く霊験にあやかりにゆくわけでは、なかった。
 そもそも補給すらもままならないようなアルノートゥンに、何の準備もなく篭城しようなどという無謀な行動を、あの慎重派のジラークが決行した事自体がザギヴにとっては意外だった。多少の蓄えはあるだろうが、それでも篭城が数ヶ月に及べば十分とは思えない。まして、彼らのうちに戦神ソリアスが降臨するなどと考えられなかった。
 …或いは、最初から勝利などは想定してないのかもしれない。そう思わせるほどに、あまりにも無為、無謀な彼の行動を、理解しようなどとはザギヴは考えなかった。ただ、彼の行動が彼の同朋の命運をゆがめ、そして狭めているとは思った。

 異種族とはいえ、ザギヴもまた、ジラークの功と才覚を認めていた。
 あれだけの識者など、そうそう大陸中を捜しても見つからない。彼は学者でもあり、そして優れた軍略家でもあった。その思想には思う所がないでもなかったが、学者ながらも現場の理屈も理解し、それを生かして軍を率いる事も出来る。その懐は、決して狭くはなかった筈だ。ザギヴの知る所で、ジラークを公に批判する人物などいなかった。
 彼はコーンスという己の種族を、何より誇りに思い、そしてまた胸を張っていたはずではなかったのか。

 しかしその、誇りのために今までの評価も立場もかなぐり捨てて、死を厭わぬというのか。……理解出来ない、愚かな。そう切り捨てるのは簡単だった。
 以前ならいとも簡単に一言のもとに切り捨てていたであろう。ザギヴの生きてきた世界は、そういう世界だった。

 だから、それに同調し、イアルパの元を立ち去ったナッジを、やはりどこか冷めた目で見ていた。

「そう、羨ましいわ」
 ザギヴの言葉に、イアルパは硬直する。

 にこりと微笑む様子それは花の顔か、野辺の花のように飾らず、そして美しいと、イアルパがそんな事を思ったわけではない。むしろ彼女の言葉が、イアルパを驚かせていた。
「あなたたち三人は…きっと、バラバラになっても、同じように笑えるんでしょうね」
 続くザギヴの言葉に、今度はイアルパは、幼い少年のような笑みで答えた。


 この青年に用意されている命運というものは、何よりも過酷かもしれない。

 自らも闇の予言に苦しみながらも、闇に落ちる前にこの青年の手により救い出されたザギヴにとっては、そのような事は避けて欲しいと考えてしまうのも、自然な成りゆきだった。

 他者の事を、そのように願う己の心の変化を歓迎しながらも、ザギヴは、普段は祈らぬ神にも祈らずにはいられない。

 愛の神ライラネートよ。せめてこの人の唯一の安らぎを奪う事のなきように。この人の笑顔を、奪う事のなきよう。