出会い、歯車は回る

 殺して下さい。そう小さく呟き、嗚咽を繰り返す少女に、イアルパはしばし言葉を失った。

 他人にそう関心は持たない。それは信条のようなもので、そしてイアルパの生き方でもあった――家族という温もりを一度は失い、幸いにして再びそれを手に出来た子供は、失うことを恐れながら生きていた。そして己の無力さも同時に知っている。だから、余計なものはいらない。それが当たり前の考え方であったはずなのに、理屈ではないもので、イアルパは目の前で泣きじゃくる少女に不思議な感覚を覚えていた。
 既視感にも似たそれは、村の広場で大剣を前にし緊張している少女を見たときからだ。
 何処にでもいるような村娘が、物々しい鎧を着ている――その姿に、相当な違和感をイアルパは最初に抱いた。けれどもその違和感はすぐさま失せて、台座に突き刺さっている大剣に臨む決死の表情に意識が吸い寄せられた。大きな二つの瞳が、強い信念めいたものを宿してすらいる。
 突如現れた魔物から、彼女を守らなければならないと思ったことに、明確な理由を見つけることは出来なかった。むしろあの時とっさに彼女をかばうように動いた自分自身に、一番驚いていたのはイアルパなのだ。

 少女の名を、何といっただろう。

 愕然と立ち竦み、己のしてしまった事に慄き絶望してゆくさまをじっと眺めながら、イアルパ何故か彼女のそばを離れてはならないのだと思った。

 馬鹿を言うな。

 胸中で激しい感情が弾け、続けざま何の変哲もない言葉が自分の口から出てきたことに、やはりイアルパは驚いた。少女も同じように驚いた顔でイアルパを見ている。双眸にたっぷり溜まった涙が、再び溢れ頬を濡らしてゆく。声もなく泣く少女を、イアルパもまたじっと見ていた。
 自分のしてしまった事に怯え、自分自身の浅はかさを疎い、彼女は絶望している。けれど、イアルパの言葉を耳にしたとたん、彼女から死の影が消え去った――彼女の目は、そしてその光は、決して死を望むものの目ではなかった。

 彼女の言葉は心の底から望んだ言葉なのだろう。見ず知らずの、偶々その場に居合わせた(彼女を最初に救った男はその場から立ち去ってしまっていた)イアルパに、真剣な表情で涙を零しながら懇願するその姿が演技なのだとしたら、相当な役者だ。少なくともこの純朴そうな印象の少女が、そのような芸当が出来るとも思えない。彼女に対し、イアルパは己が心を開いている、と思った。不思議だったが、そのことは意外とすんなり受け入れられた。彼女に対する感覚が、どこか普通ではないからだ。
 弾けた強い感覚は、久しぶりだ。じりじりと心が焦げ付くような、痛みにも似たもの。強い、怒り。彼女が死に捕らわれることに対し、そして彼女が死を望むということに対して、イアルパは怒りを覚えた。理由は、わからない。ただ、自分自身の理屈ではないものが、彼女の死を拒むのだ。それが自分自身に由来する感情なのかどうかですら、その根源の所在の曖昧さもあってイアルパ自身に判別はつかない。
 ただ、彼女の死というものは、受け入れがたく、そして許せなかった。

「……私が、生き延びた理由が、ある……そう、なのですか?」

 イアルパは頷いた。これ以上の言葉は、既に生を意識し始め光を取り戻した目をする彼女に必要はないだろう。

 彼女の声は震えていたが、しっかりしている。イアルパに問いかけるようなそれは、自分自身に対する問いかけでもあるのだろう。

 少女の名を、イアルパは思い出した。そして彼女に背を向ける。
 あまり彼女の強い瞳を見ていると、自分自身の脆弱な何かが白日の下に曝されてしまうような気がする――わずかな恐怖を、イアルパは覚えていた。


 そして己を取り戻した彼女の言葉を二度肯定して、イアルパはその場を立ち去った。背中にかけられたしっかりした声が、少女の存在の強さを更に認識させる。

 ノエル。その名をもつ少女とは、いつかどこかで必ず出会う気がする。やはり、それも、理屈や理由のない漠然とした感覚だった。