タルテュバの野郎が死んじまった。それもあっけなく。けれどもその死は、思ったほどは惨めじゃあなかった。
あんなやつが死んだ、そんなことはどうでもいい。俺は、そう思いたかった。
あんな屑野郎が一人死んだくらいで、何も、変わりはしない。そう思いたかったんだ。
他でもない、俺自身のために。
俺はやつが大嫌いだった。
俺が大嫌いな特権階級の、俺が大嫌いな、自分の権威でもって弱者をいたぶるのが当然だと思っているような、最低な奴だった。
そういうことでしか、己の強さを認識出来ない。最低な、やつだった。
スラムの連中を暇つぶしにいたぶったこと、戯れに怯えさせて、まるで家畜か何かみたいに扱いやがって。
ああ、あいつのやったことだって、許すなんて、こいつを助けようと思うなんて、どんだけ夢見の悪い夢でだってありえる話じゃあなかった。
最早主人のいなくなってしまった屋敷。そして、俺の屋敷と思えと与えられた、何時訪れても馴染めない屋敷。
訪ねていった俺を出迎える、いつでも忠実な門番と軽く言葉を交わしたあと、ティアナの待つ部屋へと、俺は急いだ。
彼女の望む言葉を届けるために――少しだけ、市街の人々に笑顔が戻っている事、そいつを、日々この荒廃しきったロストールという国の復興に粉骨砕身の努力を惜しまない彼女に、まっさきに俺は報告したかったんだ。
ところが、扉を開けて部屋へ飛び込んで、彼女に言われた一言は、俺をその場に凍り付かせるに、十分だった。
そして俺は、死にかけたタルティバの野郎を目の前に、こいつの命を、救おうとしていた。
いや、誤解されちゃ困る。
決して、仏心だとか、そういう類いじゃない。むしろ逆だ。
俺は、こいつが、こんな簡単に死ぬことが、許せなかった。
皆、簡単に死んじまいやがる。自分のやったことも、やってきたことも、何もかも、皆、ほうって、勝手に死んじまいやがる。
せめて生き長らえて苦しみを味わえばいい。それが、今までこいつがやってきたことへの、せめてもの償いだ。
ティアナに乞われ、「生命のかけら」をこいつに与えたのは、むしろこいつにはもっと苦しんでから死ねばいい、そんな感情に従った、それだけのことだったんだ。
けど、あまりにも情けなく悪態をついて自分自身を罵るタルテュバの姿を見たら、俺は。
俺は、ほんの少しだけだが、助けてやりたいと、思ってしまった。
思わず俺は、こいつの言葉に最後まで耳を傾けて、今にも死にそうな顔に向かって、死ぬな、そう、言ってしまったんだ。
その瞬間、俺は悟った。
こいつは、俺なんだ。
まぎれもない、今、目の前で死にかけている最低野郎は、まるで俺だった。
だから、嫌悪の感情しか持ってないはずのこいつに、俺は、一瞬でも生きて欲しいと願ったんだ。
自分自身を嫌悪し、どうにもならない自分に諦めをつけることで、大嫌いな自分を演じることでしか、こいつは生きてはこれなかった。変わろうという決断を出来るほどに強いわけでもなく、けれど自分自身を省みて絶望するくらいには、頭は弱くはなかった。
ああ、まるでこいつは俺じゃないか。
正直、俺は、俺という人間に心底、愛想が尽きている。
無駄な希望を持って、ありもしない奇跡ってやつを信じて、なんとかなる、なんて根拠のない自信をふりかざして。失ったものは、あまりにも多すぎた。
俺がもっとしっかりしてたのなら、こんなことには、ならなかったんじゃないのか。
俺があいつの信用に足るような、あいつの信頼を裏切ることのない、もっともっと立派で強いやつだったのなら、あいつは死ぬことなんて、死ぬ必要なんて、なかったんじゃないのか。
埒もない。現実味がなくて、たいそう馬鹿げてて、ガキの我侭だ。ああ、だが、そんなことを考えれば考えるほど、どんどん自分てやつが、最低の最悪野郎にしか思えなくなってきていたんだ。 理解するとか、しないとか、そういう事じゃないんだ。俺はナッジのやつが、勝手に。…勝手に、そう思ってた。勝手な事しやがって。勝手に一人で悩みやがって。勝手に、死にやがって。
大陸一の冒険者だとか、竜殺しだとか、無責任におだてられたところで、俺の本質は、チンケでどうしようもない、ただの、弱い自分自身が大嫌いな人間だ。
だからせめて、タルテュバには、死んで欲しくはなかった。こいつは俺だ。
そんな下らない、どうしようもない自己満足だけのために、俺はこいつに死んで欲しくはなかった。
結局俺の願いも、ティアナの祈りも虚しく、タルティバの野郎は、そのまま気力を取り戻す事はなく、死んじまった。
確かに俺の手前勝手な願いなら、多分だれだって聞き入れちゃくれまい。だが、ティアナの祈りはそうじゃなかったはずだ。ティアナは本心から、タルティバに生きて欲しいと、もう一度、こいつに、生きるチャンスを欲しいと、…俺とは違う、真直ぐな心から、願っていた。
だからだろうか。タルテュバの死に顔は、ひどく、安らかだった。
俺は、こいつを救ったのだろうか。
死際、たしかにタルテュバは俺とティアナに向かって感謝していた。
だが、そうじゃない。そうじゃないんだ。
俺は、まっとうな理由から素直に生きろと願ったわけでもなく、俺自身が自分の言葉に驚いたくらいなんだ。
だから、こいつは、最後まで、感謝するならティアナだけにすればよかったんだ。
俺はどうしようもない、駄目な人間で、だからこそ、死んで欲しくなかっただけだ。
感謝なんかされなければ、まだ、俺は、ティアナの側にいて、ロストール復興の喜びを共有したいと思えたかもしれなかったのに。
憎いとは、思えない。思える、わけがない。
嫌悪して仕方のない、憎みたくて仕方のない、理不尽ともいえる怒りを覚える、けれども憎みきって蔑んで逃げる事すら、出来やしない。
いっそ以前のように傲慢に振舞えよ。最期の最期に、安らかな顔なんかさせてたまるか。ああ、そうだ。感謝するならティアナだけにしろ。
なのに。
どうして。
どうしてタルテュバは俺に感謝なんかしたんだ。