「リタ?入りますよ?」
何度もノックをしたけれど、返事がない−−ので、五度程呼んだ名をもう一度告げてから、エステルは控えめに扉を開いた。
目的はあれど、久しぶりにゆっくり出来そうな機会であれば、研究熱心なリタは行く先々で入手した『興味ある』ものを分析するため、一行が滞在すると決めた宿に篭りきりだ。
らしい、と皆が口を揃えていたし、彼女はそうした時に邪魔をされるのを嫌う。リタを、言葉は悪いがほったらかしにするのはいつものことだし、彼女の性格を理解しているからこその思い遣りでもあるのだけれど。
そうした理屈は、エステルにだけは通用しない。
扉を開けば案の定、あー、だの、うー、だの唸ったり、独り言をぶつぶつと呟きながらせわしなく何かを手元に書きとめたり、エステルには理解できない何か(おそらく魔導器の一部であったり、或いはそれに付随するもの)を眺めたり、弄ったり−−ともかく、非常に熱心なリタの背中がある。
−−最初の頃は、入ったとたん怒られたりしたんですよね。
リタが座っている場所からはベッド一つを隔てて、エステルは腰をおろす。携えてきた少しばかりの甘味と飲み物は、サイドテーブルに置いておく。リタの食は細いが、甘味に関しては頭の働きをよくする、といい少しなら口にしてくれる、ということをエステルは最近知ったのだ。気が向けば彼女はそれに気づき、口にしてくれる。
だから、エステルはベッドに腰をおろしたまま、しばらく少女の背中を見つめていた。
それだけでも、結構彼女のことが見えてくるのだ。研究熱心さは、目的に対する一途さでもある。実際、一度決めれば彼女は迷わないし、結論付けることも早い。迷ってばかりの自分とは大違いで、そんな自分よりも年下のリタがまぶしく見えて仕方がない。
リタが少しばかり休憩したくなるタイミングも、その背中を見ていればなんとなくわかるようになっていた。ふわりと、彼女を取り巻く空気が緩む瞬間があるのだ。それも、やはり、こんな風にずっと彼女を見ているから分かるようになったこと。
ハッキリとした理由はないけれど。エステルは、初めて会った時から、リタが眩しくて仕方がなかった。
言葉も態度もぶっきらぼうの、しかも遠慮なく取り繕うこともない彼女は、けれども凄腕の魔導士で、天才といわれるだけの実力のある少女。彼女の存在のなにもかもが、新鮮で、衝撃的で、眩しかった。
けれど、それはリタという少女と行動を共にすることで、少しずつ変化してゆく。
彼女は彼女なりに必死であり、その才能は、たゆまぬ努力によるものだとか。容赦なく見えるが、時折びっくりするような気遣いをしてくれるだとか。彼女の色々な面を見つける度に、エステルはうれしくて、楽しかった。だからリタに話しかけて、手をとって、友人になりたかった。
そして、今は。
「あ、エステル」
振り返るリタは、エステルの姿を認めると、そっけない言葉にほんのりぎこちない笑みを乗せる。エステルがその場にいるのは、彼女にしてみればもう『いつもの』ことなのだ。
「いいえ。リタは、どうです?」
「そうね、まあ、順調よ」
「それはよかったです」
くき、と首を軽く鳴らしながら、リタは立ち上がると、「もらうわね」と断り、エステルの持参した一口大の菓子を口に含む。口をもぐもぐと動かして、こくりと飲み込んで。若葉色の目がエステルの方を向いて、ぱちりと瞬く。
「ありがと」
そして、少し照れたようにはにかむのだ。
その瞬間、エステルの中にふんわりと暖かいものが広がる。リタの猫っぽい眼がくるりとまわってから、戸惑うようにちらちらと動いて、ふい、とそらされる、その瞬間だ。
あたたかくて、ほんのり甘くて、背中が少しうずくような、とても柔らかなもの。
「ふふ、喜んでもらえると、うれしいです」
「あ、甘いものは、…疲れてると、よけいに、おいしく感じるのよ」
そんな、あからさまに付け加えられる早口の言葉も、くるくる回る表情も、とても彼女らしい。
「そうですね。リタに、教えてもらいました」
「そ、そうだったっけ…そうね…。うん」
こほん、と咳払いをしてぷいとそっぽを向くのも、愛らしい。
リタという少女は、相変わらず眩しくて、新鮮で。けれども、とても、愛らしい。
だから、エステルはリタの側にいたいと思う。いつでも彼女の側で、そんなリタの色々な表情を、声を、見たり聞いたりしたいと思うのだ。