Stardust/sample

 考えてみれば、最初から仕組まれていたみたいだった、だとか、そういうのは悔しいし、嫌いなんだけど。
 でも、不穏な夜空を映しこみながらも、もう俯くまいと決めた瞳の色はとてもきれいで――世の中に、こんなに綺麗な色があるのだということを、リタ・モルディオが初めて知った瞬間でもあって。

――まだまだ、世の中知らないこと、わからないことだらけだわ。

 そんな、敗北宣言にも似た独白ですら、心地よい。仕方ないと納得すらしている。きっと、アスピオの連中が聞いたら信じないだろうけれど。あの、リタ・モルディオが仕方ないとか、納得する、だなんて。

――でも、仕方ないじゃない。だってあの子、エステルに関しては。

 エステリーゼ、皇位継承権を持つ少女。ふわふわしていて、危なっかしくて、でも頑固で向こう見ずで、無茶苦茶で、だから目が離せない不思議な子。
 壊れ物みたいなくせ、結構丈夫。華麗に細剣を振り回し盾を構える姿は様になっている。稀有な治癒術の遣い手で、それゆえにその存在を否定されて、それでも立ち上がった、大切な友達。
 そう、あたしの、数少ない友人が相手なのだから、そもそも勝とうと思う方が間違いなのだと、アスピオの連中には一度教えてやらなければなるまい。

 このあたしが敵わないエステル相手に勝とうなんて、百年早いんだっ、て。


 ***


 ぼうっと地面に座り込んで、空を見て、漠然とした物思いに耽りたい夜もある。
 例えばそれは、今夜。
 夜空の色は世界の危機を示すように不穏なまま、失われることのない幾多の星の輝きと併せて、まるで地上に降り注ぐ災厄の前触れのよう。だのに、ひどく綺麗だ。
 心の中に静かに蠢く不安が、だからこそ、よりはっきり感じられるのかもしれない。

 結界の外でキャンプする事にも慣れた。危険が常に隣り合わせなのも当たり前になった。だが、エステルの感じている不安はそれとは違う種類のものだった――そうした危険に関しては、誰よりも、それこそ自分よりも信頼できる仲間たちがいてくれるのだから。色々な事があったけれども、それでも共にいてくれる、大切な仲間たち。
 今も、皆それぞれが好き勝手なことをしているけれど、視界に入っていなくとも、何かあれば必ず駆けつけてくれるし、逆ならばエステルもそうする―そういう、仲間たちがいるから、心配はない。

 心配がない。そう、だからきっと、この胸の中の不安はなくならない。

 そのジレンマに、エステルは気付かない振りをしてきていた。それは、彼らと共に行動する時間が長ければ長いほど、居心地がよければよいほどに募るもの。

 厳密に言えば、エステルの漠然とした想いの向く先は、仲間たちのうちの一人に集約される――いつでも、当たり前のようにエステルの側についてくる、年下の少女。彼女の存在は、いつだってめげそうになるエステルの心を強くしてくれていた(勿論、彼女だけではないのだけれど)。

 仏頂面の、自分の素直な感情を表に出すのが苦手で、己が為すべきことをはっきりと自覚している、優しさを裏返した厳しい言葉で叱咤激励してくれる、エステルの大切な友人。
 厳しい態度や言葉は、その年齢に似合わない冷静さは、彼女の中の大きな不安の裏返しなのだと知っても、だからこそエステルは彼女、リタが羨ましくて仕方なかった。
 心が贅沢だから、そんなこと言えるのよ。出会ったばかりの頃、ぶっきらぼうに言われた事だってまるで昨日のことのように鮮明に思い出せる。彼女の哲学は明確で、その強さはエステルにとって魅力的で、心強くて、気付けば彼女の関心を惹こうと必死だった。仲良くなりたかった。

 そんなエステルの、時に強引な態度に目を白黒させながら―冷静さを装うとするくせ、どこか子供っぽい仕草もなんだか意外で可愛らしくて―気乗りしない風を装いながらも応じてくれるのが、本当に嬉しかった。

 そうしたエステルの行動がリタの気を引くきっかけになりえなかったのは少しばかり悔しかったけれど、でも、結果的にリタはエステルに―正確にはエステルの持つ潜在的な力に興味を引かれた、それだけのことだったけれども。 

 でも、きっかけとか、そんなのはもう、どうでもいいです。大切なのは、リタが私の友達でいてくれること。私のことを友達だと、言ってくれること。

「あら、まだ眠れないの?」
「はい、今日は少し…色々なこと、考えたくて」
「そう?」
 不思議そうに首をかしげ、けれど余計な追求をせず「そろそろ冷えてくる頃合よ。それと、あの子にもそう伝えてね」言って笑みで立ち去るジュディスに、エステルは頷きを返した。少しばかり変わり者のクリティア族は、彼女なりに気を遣ってくれているのだ。
 否、ジュディスだけではなく、皆が、エステルのことを気にかけてくれている。
 エステルは小さく、溜息をついた。
「…また、同じ事、考えてます」ぽつりと漏れる言葉。
 呟いたところでどうにもならなくて、だからこそ言葉としてエステルは吐き出すのだ。
 そう。ここにいる仲間たちは、エステルをただエステルだから気にかけてくれるのだ。皇族だからとか、満月の子だからとか、そういう理由ではない。その事がとても嬉しい。
 けれども、だからこそ募るジレンマはいよいよ大きくなる。
 今は、こうして、世界を歩けるけれど。旅をしているけれど。

――いつか、そう、この旅の終わりには、私は、私がいるべき場所に、戻らなければ。

 まだ今はこんな状況だから、一人の女の子として夢を見ることが許されているけれど。絵空事みたいな夢を語っても、誰も、笑ったりしないけれど。
 仲間たちは、誰もエステルの夢を笑ったりしない。いいんじゃないか。やってみたら。そんな風に言ってくれる。けれど、彼らに自らの夢を語るエステル自身が、そんなことはありえないのだと一番理解しているのだ。

 そもそも、これはいつか終わる夢だから。長い長い夢に、とてもよく似ているものだから。
 そう、でも、この夢で得た多くのものは、夢ではなくて現実へと繋がる。だから。

 エステルはもう一度息を吐いた。ふるりと震える唇に触れる夜風が、ほんのりと冷たい。夜空から視線を外すと、腰を上げた。