最初はあの人を赦せなかった。
赦していないのは、多分今でも変わらない。
赦せない、というよりも、殴らせろ、が正しかったかもしれない。行き場のない感情を発散するには、それ位しか思いつかなかった。
共に旅をしていてもどこか底知れなかったし、他のみなと違ってどこか一線を引かれているという印象だった。だから、俺もそこまで踏み込もうとは思わなかった。ただ、どこか寂しそうなとおい眼をする人だなという印象だけは強くあって、だから、俺自身何とも言えない感情を彼・サザントスに抱いていた。
ロンドのように強い信頼を寄せ尊敬することが、正直できなかったのは、そのあたりが理由かもしれない。そもそも俺には守るものがあったし、それはもう二度と喪いたくはない大切な家族で故郷だったから。
それを消そうとする彼を、当然赦せるはずはなかった。
けれども、彼の過去を聖火の中で垣間見て、彼の足跡を俺自身が追従するかのように体験して、そのあまりにも深い痛みを、悲しみを、喪失を、怒りを知ってしまった。
「スティア、フェン、ローラナ。俺さ、あの人のことを、助けたい」
幼馴染たちにそう吐き出したとき、だれも驚かなかった。
「うん、知ってたよ。君なら多分そういうだろうなって」
「何年お前と付き合ってると思ってるんだ」
「私を赦してくれたアスターが、あの人を赦さない訳がないと思ってました」
「待って、ローラナ。それはちょっと違うんだ。贖罪を願ってる君とあの人は違う、でも……ただ倒してしまうのは、違うと思った」
ちょっとだけ言い訳をすると、ローラナはくすりと小さく笑う。なんだか、最近ローラナが母さんに似てきたと思う。
「君が選ぶ道を、誰も否定はしないよ。あたしたちは君についていくだけ。君が力になってっていうなら、いくらでも力になるよ」
旅立ちからずっと行動を共にしていたスティアの言葉は、とても頼もしい。いつでも傍にいてくれた、俺の一番の家族だ。
「そうだな。そのために俺たちがいる。頼ってくれよ、俺たちをさ」
一度は力なさに絶望して、けれども真っ先に戻ってきてくれたフェンは力強く拳を作って軽く俺を小突く。いつもの、だ。
「大丈夫、アスターの想いも、言葉も、きっと……届きます。聖火神エルフリックすらあなたを認めたんですから」
ローラナにそういわれると、改めてあの聖火神エルフリックの試練に打ち勝ったのだという実感が湧いてくる。そうだった、俺は、俺の願いのために、神様にすら立ち向かった。
「願いも、祈りも、未来も、ね。君の望んだ世界だよ。それは、きっとたくさんの人たちの夢で、たくさんの人たちの幸福につながると思う。サザントスさんの作った世界は優しかったかもしれないけれど、寂しかった。君がそう言ったんだよ、アスター」
「うん、あの世界は……寂しくて、悲しかった。それが押し付けられたから、授けられたからというだけじゃない。優しいけれど、止まったままの世界だった。ウィッシュベールにあった沢山の音も匂いも感じられなかったんだ」
「はは、まるでデリティアみたいなことを言うな。そういやお前、デリティアやハンイットさんに一時期倣って狩人もしてたっけか」
懐かしい話を持ち出したフェンに、俺は頷きがなら覚悟を決める。
彼を――サザントスを救うのは、多分尋常じゃない覚悟が要る。指輪の力を喪った俺に、それを為せるかどうかはわからない。
けれど。
「やるしかない、よな。皆、力を貸して」
「いわれなくとも」
三人が、笑顔で応じてくれる。仲間たちも頼もしいけれど、いつだって俺の背中を押してくれるのは、この三人だった。
(中略)
いろいろなところを歩いた。
いろいろな街を、訪れた。
オルステラ大陸を回りながら、まずは最初の目的地であるオルサ島を目指した。多分、あの人はそこにいるから。それは、なんとなく、勘だった。
実際に崖の上にその後ろ姿と印象的な銀髪を見たときは、正直驚いたけれど。
「サザントス」
声をかけると、少しだけ間をおいてから、逆光で影になっていた背中が振り返る。多分、母さん――ファラメさんに似ている、とても端正な顔立ち。正直造形的な意味でも、印象的な意味でも、俺とはあんまり似ていないと思う。
「アスター、そなたか……」
なんだか覇気がない、気の抜けた、でもまだそこには確りとした意志のある声。迷い子だった時のリラみたいだな、とちょっとだけ思った。
「何してるの、こんなところで。あなたも旅?」
「いや……そう、だな……」
俺が隣に立つように崖に近づくと、少しだけ驚いた顔をしてから、その隣に立つことを認めてくれた。かつては旅路を共にし、その後は争いあって――共に邪神を倒した。なんだかこれだけ聞くと、無茶苦茶で、俺は可笑しくなって笑ってしまった。案の定サザントスは顔をしかめている。理解できないときの顔だ。ロンド程じゃないけど、俺も少しだけ、この人のことがわかってきていた。以前旅路を共にしていた時の俺は、一線を引いていたこの人のことを理解しようとは思わなかったけれど、この人のすべてを知ってからは、理解者でありたいと思う。だからかもしれない。
「どうせ何をしていいかもわからないんだろう?だったら、俺についてきてよ。あなたみたいに腕の立つ人が一緒なら、心強いし」
俺の言葉に、サザントスは目を見張る。こうして表情が崩れると、意外と幼く見えるんだな。
「私を、用心棒替わりにするのか?」
「強い人を頼ることって、悪いことかな。それに、あなたを助けたのは俺だし。俺は、あなたの隣にいる権利があると思うよ。これくらいは、言わせてもらわないとね」
スティアやフェン、ローラナが聞いたら、びっくりするかな。それか、納得されるかのどっちか。今だと後者になるのかな、ラムシチューを賭けてもいい。
サザントスはため息を落とすと、小さく「そうだな」と零す。一応分かってはいるんだ。
「俺はね、もう、この手から何も零したくないんだ。痛みも悲しみも怒りも、もう、十分だから。家族を失うのも、もうごめんだし。誰かさんは放っておくと勝手に野垂れ死にそうだし」
サザントスは黙っていた。相変わらず口下手な人だと思いながらも、俺は勝手に言いたいことを言うことにした。この不器用な人は、こうでもしないとわからないだろうし。
「あの旅は亡くしてばかりだった。ほんとうに、たくさん、失ったよ。一時は何もかもが憎くて、悲しくて、絶望して、後悔して、無力感に打ちひしがれて。救えなかったものもたくさんだった。でも、だからこそ、俺は立ち向かえたんだと思うし、願って、求めて、今ある大切なものを大切だと思えた。一緒に苦しんでもがきながら、それでも希望を諦めなかった皆がいたから、俺は、ずっと聖火を失わずに済んだ。信じることはね、難しいけれど、とっても心強くあれることなんだよ」
誰に対してでもなく、俺自身に向けた言葉だ。
けれど、隣に立つ不器用なたったひとりの家族にも、聞いて欲しかった。
「俺の祈りは、欲だったかもしれない。でも、人はそれでいい。じゃなきゃ、夢も未来も希望も、何もなくなるから。あなたが作った世界みたいに、ね」
「だからそなたは、私の世界を、否定したのか」
「そうだね。あなたの作った世界は優しかったけど、止まっていたから。未来も、夢も、何もなかった。知ってる?水って流れないで停滞すると濁るって」
「……」
沈黙は、肯定の意味なんだろう。不器用なこの人らしい。
「空気も水も人も土も風も、火ですら、流れなければ停滞して、濁る。そりゃ聖火だって黒呪火になるよ。そんな世界は初めから死んでいるのと同じだ。それは、辺獄と何が違う?あの亡者の世界は、静かで、何もかもが停滞していた。俺の家族や仲間たちを勝手に弄ったことは、多分ずっと許さないけど」
「……そうか。そなたは、そのようにあの世界を捉えていたのか」
「うん。何より居心地が悪かったし、違和感がすごかった」
「そうか……」
何を考えているのかもわからない表情で、サザントスは遠くを眺める。その目に映るものは、いったい何なんだろう。
俺にそんなことはわからないけれど、隣に立つことは出来る。
それから、触れることも。
すっかりと冷え切っていたその手に、自分のものを重ねると、サザントスはわかりやすく驚いて、手を放す。でも、俺はその手を無理やり取って、握りこんだ。
「うわあ、何時間ここにいたんだよ、冷え切ってるし……ずっと思っていたけど、あなたって賢いはずなのに驚くくらい莫迦なところもあるよね。ロンドの苦労が伺えるよ」
「……一体、何を」
「手くらいはつながせてよ、サザントス兄さん」
そんな風に呼ばれることを想定していなかったのか、拒絶しきれずにサザントスは大人しくなる。エルサ島に吹き付ける強い海風に吹かれながらすっかり冷え切った手は、俺の体温で少しずつだけれども温もりを取り戻してきた。まったく、本当に、こんな風になるまで何をしていたんだか。
「俺のこと、ここで待っていてくれたの?」
「藪から棒だな」
「ふうん、つまり、それは当たりってこと?」
答えはないけれど、否定がないんだからそういうことなんだろう。
「で、用心棒の件だけど、承諾してくれたってことでいいかな」
「まだ私は答えてなどいないぞ」
「隣に立って、手をつないで、話をして、それでもダメだって?」
「そなたの基準はどうなっているのだ?」
「あなたに一般論は言われたくないけどね。それに、俺の旅の目的の半分はあなただから、嫌だといったって連れていくよ。タトゥロックに聞いたんだ、海の向こうにはまだ沢山の知らない大陸があるって。なんなら頼めばガ・ロハの船にも乗せてくれるって約束してくれたし」
「……何を言っている?あの女帝の?冗談じゃない」
「あなたが嫌がるなら、そうしようかな。リーヴェンに寄ってリシャールに使い鳩を飛ばしてもらおうよ。わざわざエルトリクスに頼むよりは合理的でしょ。それにガ・ロハの船なら外海だって平気だろうし」
サザントスはまた黙りこくってしまった。ちょっと言い過ぎたかな。でも、結構いい考えだと思うんだけど。誰も知らない外海を平気で往ってくれる船なんて、それこそエルトリクスの船団かガ・ロハの女帝くらいじゃないか。一緒に行きたがりそうな人なら数人思い浮かぶけれど。
「俺は、外世界を見てみたい。いろんな場所を、この脚で歩きたい。いろんな土地の土を踏みしめたい。そして、いつかウィッシュベールに帰るんだ。どっちも、勿論あなたと一緒にね。そういうわけなんだけど、どうかな」
サザントスは何か考えているみたいだった。握っている手を時折離そうとするけれど、それは俺ががっちりつかんで離さない。すると観念したように力が抜けるんだ。それから、おずおずと握り返してきた。呆れるくらいに不器用だな、本当に。俺が一緒にいなかったら、本当にこの人野垂れ死にするんじゃないか。
「そなたには」
「ん?」
「家族が……そなたには、まことの家族がいるだろう。旅路の共が、その者たちを差し置いて、私でよいのか?」
その声は小さくて震えていて、あのサザントスのものとは思えないくらいに弱々しかった。思っていた通りだけど、この人は本音を吐き出すのが本当に下手だ。
きっとそれは、ずっとずっと抑圧され続けた末の、自分自身を守る逃げ道。そうして出来てしまった悲しいひとが、今のサザントスなんだ。
許すことは出来ない。
その悲しい足跡を知ったとしても、彼が踏みにじってきた多くの人たちの、魂の、絶望と悲しみの叫びがなくなるわけではないから。
でも。
彼も、俺と同じ人間だ。
願えば、変われる。祈りはきっと、届く。
未来は、ある。
だって、彼は邪神と対峙したあの時、確かに俺に呼吸を合わせてくれた。
共に戦ってくれた。だから、俺はこの人を信じたい。否、信じてる。あの戦いを生き延びた仲間たち皆のように、きっと、この人だって自由に生きる権利はあるに違いないから。
「それこそ俺が選んできたんだよ。それに、スティアたちにはウィッシュベールを守ってもらわなきゃならない。俺と彼女たちの往く道は違うかもしれないけれど、間違いなく繋がってる」
「……呆れるほどに強いな、そなたたちは」
「後悔はもうしない。俺が見るべきなのは、昨日じゃなく明日だ。あなたもそうじゃないの?」
「明日、か……」
「それはたくさん失われた命や犠牲を背負って生きている人の務めだって、ソロン王の言葉だけどね。俺は結構気に入ってるよ」
「明日を生きる、……私が……」
だんだん面倒くさくなってきたな、この人。まだこれでもウジウジしてるのか。
まあ、今までのことがことだから仕方ないかもしれないけれど、旅の共としては聊か辛気臭すぎる。いつまでもこの調子だと、俺までグッドウィンみたいにならなきゃダメじゃないか。とてもじゃないけど、あの豪放な海難王の真似は出来ない。
一度大げさにため息をついてから、唐突に隣に立つサザントスの頬に拳を叩き込む。
流石に不意打ちだったそれを、きれいな顔面が見事に受け止めて、どさりと地面に倒れこんだ。
「思いあがるな。あなた一人でどうこうなる世界じゃないんだよ、もう」
サザントスはまだ俯いている。長い銀髪が強い海風を受けて奔放にたなびいて、白い外套がバサバサと音を立てる。その主は、相変わらず頑として動かない。
「とりあえずこれは、俺の故郷を使って変な夢を見せた分。あれはだいぶ腹が立ったからね」
何も言えないのか、殴られたことに放心しているのかいまだにわからないけれど、サザントスは茫然としたままこちらを向いた。何をしていいのかわからない顔は、その作りの端正さと相まって非常に奇妙だった。
「……まったく。とりあえず、ラムシチューでも食べて。まだフェンみたいには作れないけど、それなりの腕にはなってきているんだ。初めて振舞うわけじゃないから、そこも安心してほしい」
面食らったように上げられて俺を見る顔は、年齢よりもずっと幼く見えて、子供の時のサザントスと被る。ママ、と最後に母親を呼んだ時の表情ともかぶって、俺はまたため息をついた。
とはいえ、こんなに海風の強いところで突っ立って食事っていうわけにもいかないから、サザントスを強引に引っ張ってちょうど岩陰で風がしのげそうな場所に移動する。
精霊石で火を起こして、集めてきた薪がぱちぱちと音を立てて燃え始めてもサザントスは茫然と突っ立っていた。それを知りながら、俺は知らないふりをして調理を始める。持ってきた材料だけで故郷の料理を再現するのは難しいけれど、セルクが教えてくれた精霊石を使った保存食の作り方で、だいぶ携帯食のレパートリーは増えた。だから俺でも多少なら手の込んだ料理でも再現できるようにっていた。
作るのはラムシチュー。携帯してきた乾燥させた羊肉を真水で戻してから、精霊石を使って味を閉じ込め固形化させたスープを入れる。
あとは適当にありあわせのものを入れれば、簡易的だけど似たような風味にはなることはあの学者先生と実証済みだった。
「さあ、準備できたから食べて」
「……強引な……」
「どうせしばらく何も食べてないしろくに寝てないんじゃないの。そりゃ考えることもウジウジするし、辛気臭い顔になるし、全然吹っ切れないし、迷いもするよ。それからこれ、アーフェンが残してくれたハーブティーだけど、あなたみたいな馬鹿みたいに落ち込みやすい人にはぴったりだと思うから、食後に飲んで。そしたらゆっくり寝ること」
一気にまくし立てて、次々とカバンから食料品やらお湯やらお茶やらを出しててきぱき支度をする俺を、ぽかんと阿呆みたいに見つめていたサザントスだったけれど、火の精霊石で温めたラムシチューに口をつけた瞬間、その表情が少しだけ、ほころんだ。
「……美味い、な……」
それみたことか。空腹には、母さんのラムシチューが一番なんだ。フェンどころか母さんの腕になんてまだまだ及ばないけれど、盗賊として、薬師としてそれなりに器用にやってきたからか、少しずつ料理の腕も上がってきてるって皆に褒められたのは伊達じゃないね。まあ、今回は簡素なものばかり使っているからちゃんとした材料を使った本物にはかなわないけれど。
「このように、食べ物を美味いと感じたのは、いつぶりだろうな……」
「もっと美味しいラムシチュ―が食べたいなら、いつかウィッシュベールに来てもらわないとね」
サザントスの声がくぐもっている。俺は気づかないふりをしてハーブティーを淹れてから、そっとその場を立ち去る。
誰だって、泣いているところは見られたくはないだろうから。
(後略)