バンカーが陥落し塔と呼ばれる建物が崩壊後、あれほど活発だった機械生命体たちの侵攻がなぜかぱたりとやんだ。
 彼らのやる気を失わせたものが何であるかは調査対象になりえたが、目下生き残ったヨルハ機体たちはといえば、ここぞとばかりに好き勝手やっているのが現状だ。
 ある日2Bがイカを釣りたいと言い出して、それになぜかA2が加わり、さらには釣りを趣味にしていたアンドロイドたちがのっかり、なぜか漁船を作り出し(どうやら太平洋で沈没した空母の残骸を9Sと勝手に混ざってきた4Sとジャッカスがデータベースを元に小型化し漁船に改造したらしいが、詳細は説明されても10Hには理解できなかった)、その漁船での初水揚げが大量のイカだった。
 それも偶然ではなく、予め海流と水質、水深や海水温及び天候からある程度イカの群れの行動を弾き出していた9Sの予測が当たったからのようだったが、それもやはり聞いてもちんぷんかんぷんだった。予測が当たりすぎて処理に困ると9Sがぼやいてはいたが、そういう彼は実際は異様に楽しそうであまり困っているようには見えなかった。

 彼女の名は10H。元・月面基地の番人で、ひょんなことから地上に降りてしまったH型、つまりヒーラーだ。
 その、ヨルハ機体の生き残りの中でも貴重なヒーラーは現在、イカと格闘中だった。


■10Hと9S


「あきた」

 ぽつりと漏らされた一言に、答える声はない。おそらく無視されている。そもそもこの言葉を漏らすのはこれで十三回目。はじめは律儀に答えてくれていた006も相槌すら打ってくれない。

「ねえちょっとポッドなんかいってよこれ新手の拷問かな」
「回答:知らないわよ」
「……ですよねー……はあ……」

 そもそも、この作業をやりたいと言い出したのは10H本人なので、作業自体をどうこういうつもりはなかった――作業開始から五分までは。五分ほど経つと徐々にこの単純作業に飽きてきて、飽きてくると集中力が低下して、指先の動きも神経伝達も鈍くなる。そうなると作業効率が落ち、捗らない。次第に作業が面白くなくなり、結果が冒頭の発言に繋がっている。

「疑問:そもそもこれをやりたいって言い出したのはあなたでしょう?」
「んー、まあー、まあ、そうなんだけどさー、意外とむずかしいし、なんかつかれてきた」
「作業開始から7分24秒しか経ってないわよ」

 言いながら作業の手を止めて、右腕の肘を左手で支えるようにして上に伸びをしながら首をまわす。ゴキゴキといい音がした。あ、だいぶ肩凝ってる、そもそもアンドロイドが肩こりとかちょっと意味不明なんだけど、なんかおもしろい。内心でひとりごちながら10Hはこっそり笑う。

「ひとりでにやにやして気持ち悪い子ね」
「えー、気持ち悪くないもん、ちょっと気分転換してただけですー」

 首を何度かぐるぐる回して見上げた空は、いっそ透き通るほどに蒼い――つい先日まで、10Hはこの空の蒼さも知らなかったのだ。晴れ渡る空はどこまでも蒼くて、そよいでくる風は10Hの頬をやさしく撫でる。その風が若干生臭いのは気にしない。

「あーあー、お昼寝したいなー」
「推奨:はやくこれを終わらせることね。そうしたら好きなだけ寝れるわよ」

 006がアームで示す先にあるのは、大量のイカ。分類学上は軟体動物門頭足綱十腕形上目とされる海生軟体動物を、10Hは地上に降りて初めて見て、こんなものを食べようと思った人類を尊敬した。
 はっきりいおう、意味がわからない。
 なにゆえにこんな見るからにアレそうなものでも創意工夫して食べて自らの血肉にしていたのか。データベースを参照する限り、人類は地上におけるありとあらゆる生物を食そうと数多の手段を試みる歴史を繰り返してきている。その努力たるやいっそ健気で、人類にとっての「食」というものが生存する上で必要不可欠だったという知識が10Hの中でようやく理解を得るに至った。
 そして口にして、現金なものだが人類に感謝した。
 こんなにおいしいものを、おいしいと感じられるように作ってくれた彼らに幸あれ!そうしてならば自分でそのおいしさを引き出す料理なるものに挑戦しようという気になるのも、致し方ない。
 致し方なかったのだが、現実はそう優しくはない。アンドロイドにも適性、というものがあった。  そもそもヨルハ部隊所属の通称ヨルハと呼ばれる黒衣のアンドロイドたちは基本戦闘任務のために作られた自動歩兵人形。戦うための手段も機能も山ほど持ち合わせている一方で、いわゆる文化的活動や生産的な行動を得意とするものは決して多くはない。その中でS型やH型といった、どちらかといえばサポートが得意なヨルハ機体は、他に比べて手先が器用だったり知識が豊富だったり、或いはそうした作業に特化したような性格の持ち主だったりすることが多い――はずだった。

「これを、終わらせ……る……あー……」

 ごとりと乱暴に首を作業台の上になげだして、ため息とともに、10Hはつぶやく。
 目の前には、未だ処理されずに水揚げされ一時的に氷で保存されている大量のイカ。一方10Hの手元にある、皮を剥かれ腑を取り出し足を別にしたものは、ごくごく少数。そのどれもが等しく無残にひきさかれ、千切れ、あるいは原型をとどめてない。
「……提案:9Sに助けてもらう」
「うっ……それは……」

 それだけは、できれば、勘弁願いたい。なんというか、正直彼に合わせる顔がないのだ。
 ヨルハ機体9Sは、10Hがたまたま・偶然・半ば事故気味に地上に降下する前に地上に降りていたヨルハ機体で、S型であるからやはりというか当然器用で、10Hが地上に降りて初めて口にして感激のあまり悲鳴じみた歓声を上げた料理をこしらえた、張本人だ。
 あんまりに誉めそやした(感動のあまり語彙が乏しくなった)10Hに気をよくした9Sが、10Hもヒーラーならたぶん手先は器用だし少し勉強すれば料理くらいは出来るだろうと、嬉々としてさまざまな調理方法を教えてくれた。もちろん10Hも自分であんなおいしい料理が作れるならと、勇んで9Sに倣った、が。
 結果は、惨憺たるものだったのだ。
 9Sいわく、このあたりは経験やら技術やらもあるがそれは単純に回数をこなせばなんとかなるし、なんならある程度義体のカスタマイズでどうにでもなる。ただし根本的なセンスだけは、どうしようもない。こればかりは義体によるというか、義体の初期セッティングの問題のようで、そこを弄ると他の感覚やバランスまでおかしくなる可能性が高く、バンカーのバックアップデータもない今、下手に調節はしないほうがいいらしい。バックアップ自体はH型の10Hの仕事のようなものであるし、機体のメンテナンス・修復に特化した10Hであればその点問題ないように思えるが、そもそもその10H自身の義体の問題であればどこをどう弄ればいいのかもわからない――基地にいたときは、味覚や調理のためのカスタマイズなんて、したことがなかったからだ。
 ただ、幸いなことに、10Hの味覚分野そのものは非常に高性能というか高感度らしい。
 おいしいと感じる能力はあるのに、おいしいものを自らは作り出せない。
 そのことを知ったときは流石に人類を呪いたくなった。人類を、そして、こんな機体調節した技術部を。
 しかしそこは楽天家で深く考えない10Hだったから、まあだったらできることからやっていけばいいかな、くらいに思っていた。調理技術は致命的かもしれないが、味覚が大丈夫ならたぶんなんとかなるだろう、という根拠のない自信を元に、懐疑的な9Sに「私でもできることやりたい!」と強引に詰め寄った結果、彼にある程度調理も可能なようにカスタマイズしてもらい、そして与えられた仕事が、この大量のイカの皮むきだった。
 まあ要するに調理作業できないなら下処理しててね、というやつである。ただし量が量なので見た瞬間に10Hの心は半ば折れていたのだが。

「……っていうかさ、なんでこんなに大量にイカだけがあるの。太平洋のイカ根こそぎとってきたの」
「回答:2BとA2と一部釣りと漁に目覚めちゃったアンドロイド有志が、9Sや4Sとデータベースにあったイカ釣り漁を船を作るところから始まり沖合いに出るようになって半年、ようやくそれなりになってきたところに偶然イカの大群が鉢合わせして笑えるくらいに獲れちゃってあと数ヶ月はイカ尽くしよ。三分の二は冷凍保存済み。よかったわね、あなたの大好物じゃない」
「イカはおいしいよね!どう調理してもイケるとか食材の王様!煮てよし、焼いてよし、刺身でもよし、フライもよし、てんぷらとかサイッコー、むっちゃおいしい!だーかーらー、私も2BさんやA2ちゃんみたく食べる専門がいい……」
「あら、2BもA2も食べるだけじゃなく自分で食べたいものを獲ってくるじゃない。A2は肉なら自分である程度解体しちゃうし。それにあなた、ヒーラーなんだから彼女たちよりは圧倒的に器用よ、私が保証するけど」
「……でもセンスないもん……」

 ちら、と自分の脇にあるかつてはイカだったものの残骸を見ると、いっそ惨めになる。9Sの調節が悪かったとは、流石に10Hも考えてはいない。これはもはや才能かもしれない。

「…………回答は控えるわ」

 随行支援ユニット006の回答は、情け容赦なかった。

「10H、そろそろ剥きおわ――」

 大量の金ザルを抱えながらやってきた9Sが、目の前のある意味大惨事を目にして10H以上のため息をついた。穴があったら入りたい、できればそこから出てきたくない、月面基地に戻れるなら戻りたいとこのと10Hは一生分願った。合わせる顔がない相手が向こうからやってきてしまった時の、いたたまれないこの空気。

「これは手伝ったほうが早いね」

 一方、目の前の大惨事を目の当たりにした9Sの決断は早い。元からあまり期待もしてなかったのかもしれないが、それはそれでちょっと悲しいかなと現状を棚にあげ10Hは思った。

「うぐっ、そ、そのよう、ですね……?」
「じゃあポッド、そっちお願い。ええとあと、006もお願いできる?」
「了解:少なくともこの子よりは上手にやれると思うわ」
「ええええ、なにそれ聞いてないんだけど!」
「回答:だって、あなたそんな指示一回もしなかったじゃない」
「ちょっとー私の支援ポッドでしょー、その辺の空気読むとかさああ、気を使うとかさあ、あるじゃん!」
「まあ多少はね、支援対象の精神状態をチェックして推測から援護することもあるけれど、この程度の軽作業、命にかかわることじゃなし、第一これをやりたがったのは10H、あなたでしょう。随行支援ユニットは基本、支援対象の望みを優先するものよ」
「うー、それはそうだけどー」
「推奨:ヨルハ機体10Hは口より手を動かす」

 二人(?)のやりとりに痺れを切らしたのか、9Sの随行支援ユニット153が冷静に告げ、それを聞いた9Sがこらえきれずに噴出した。

「ポッドが他人に文句言うの、初めて聞いたよ」
「153に同意:あなたさっきから手が止まりっぱなしじゃない」

 確かに、飽きた発言から10Hの作業はこれっぽっちも進んではいない。一方、先ほどきたばかりの9Sの方はといえば153と共にさっさと腑分け作業をすすめている。その手際のよさときたら見事としかいいようがなく、ここまで圧倒的差を見せつけられてしまうといよいよ言葉を失う。

「腑の部分は傷つけないほうが好ましいけど、多少壊れてもそれはそれで使えるからあんまり気にしなくていいよ。特に問題はないから」
「あ、う、うん……」

 たしかに10Hの作業が遅々として進まなくなった理由が、この作業的には第一段階である腑を取り出して分別する、である。第二段階の皮むきに至っては説明もしたくないレベルなので、途中からあとでまとめてやろう、あとからやればなんとかなるという根拠不明の謎理論で後回しにしていた。

「えっと、これも食べるわけ?」

 今度はうまく袋を破らずに取り出せた腑をしみじみ見つめて思う。なんだかドロリとした粘着質な液体のようなものがこぼれおちてくる。これは食べ物なのだろうか。

「もちろん。というか、これがないと味がしないって怒るアンドロイドもいるくらいだから」
「ふーん……食べれるんだ……」

 おそるべきかな人類。なんかこの明らかに見た目もアレなものすら食べるのだというから、まったく食材に対する飽くなき情熱とすべてを無駄にしないその心意気はお見事としかいいようがない。
 ただ、考えてみると、10Hがレジスタンス・キャンプにお世話になるようになってからも、2Bが持ってくる正体不明の海生生物の中にはおおよそ食するには適さないような外観および形状をしているものもあるが、9Sはそれを戸惑うことなく調理したり口にしたりしているから、おおよその海生生物は摂取したところでアンドロイドに害があるわけではないのだろう。
 例外が「アジ」といわれる魚だが、「アジ」の件に触れると2Bと9Sの顔色が変わるので10Hの中で「アジ」は禁則事項化していた。


(中略)


■10HとA2


 9Sは先ほどからやたらと巨大なおにぎり(のようなもの)を作っている。彼がこしらえているおにぎりは他にもあり(おそらく森林地帯のレジスタンスへの差し入れだろう、数から察するに)、それら全て大きさも形もきっちりそろえられており、だからこそ今彼が握っているおにぎり(のようなもの)の違和感たるや尋常ではない。中に入れている具も、10Hが知る限り複数入っているし、拳どころかアンドロイドの頭部ひとつ分くらいある。あんなの誰が食べるんだ、と思いつつ、巨大おにぎりが出来上がってゆく様がなかなかに面白くてついつい10Hは見入ってしまっていたのだが。

「10H、手が空いてるだろうから、ちょっと4Sのところにいって収穫した米もらってきてもらえないかな」

 9Sに突然声をかけられて、10Hは思わず驚いたように声をあげてしまった。

「米?米って、重くない?」

 9Sのほうはといえば10Hの答えは想定内だったらしく、肩を竦めながら言葉を続けた。

「……そういうと思って、あと道中襲われたりしたら寝覚め悪いからA2に護衛を頼んであるから。はいこれA2の分のおにぎり。間違っても君、食べないでよね」

 言いながら例の巨大おにぎりを渡される。あ、これA2ちゃんのやつだったんだ。ていうかA2ちゃんこんなの食べるの?

「たっ、ちょ、さ、さすがにひとのごはん食べたりしないです9Sひどい!」
「まあ君の分もあるけど、こっちね。間違えてこれA2に渡すとかやめてね」

 念を押す9Sだが、どうがんばってもこれは間違わない。間違えようがない。片方は拳大、片方は頭一つ分。単純にデカイ。おにぎりのおおきさが。これを持てというのがだいぶ無茶だ。背負えってか。

「そこまで阿呆じゃないですーー!ていうかなんでこんなデッカイわけ、A2ちゃんのは」
「そのへんは、渡せばわかるから。じゃ、よろしく」

 そこまでいうと、9Sはやたらとそっけなく手を振って調理場へと戻ってゆく。

「よ、よろしくってちょと」
「警告:9Sはまだ作業が残ってるんだから邪魔しないの。ほら、とっとと自分の仕事なさい」
「うぅ、でもさあ、米運んできてって、このレジスタンスキャンプの全員分のじゃない?H型の私にはしんどくない?」
「何言ってるの、大丈夫だから頼んでるんでしょ。変なところでかよわいフリしないの。さっさといくわよ」
「ポッドひどーーい!フリじゃないってばー」
「はいはい、そういうことにしておいてあげるわ」
「恩着せがましいーー」


 レジスタンスキャンプをようやく出るや、目の前に巨大なイノシシの鼻面が鎮座(?)していた。

「え?え?え?なに?」
「遅かったな。結構待ったんだが、いったい何をしてたんだ」

 いかにも面倒ごとを押し付けられた、といった風のA2の声が、続けざまに振ってくる。思わず10Hは声の方を見上げると、なんともいえない表情をしているA2の表情とぶつかった――あ、これ、私を拾ったときのA2ちゃんの顔だ、命の恩人(?)の表情なので、当然よく覚えている。その時は何も考えずぼんやりきれいなひとだなあ、なんて、思ったものだけれども。

「あ、A2ちゃん、こそ、なにやってるの……」
「見ればわかるだろう、9Sに頼まれてお前を迎えにきたんだ」
「いや、えっと、それはわかるんだけど、なんで先に頼まれててなんでイノシシにのってるの」
「面倒な説明ははぶく、とりあえずこの方が早いだろう。お前もさっさと乗れ。それから例のものだ」
「例…?のモノ?」
「お前が必死に持ってるソレだ」
「あ、このばかでっかいおにぎり……」

 10Hがつぶやくように言うやいなや、A2がさっとイノシシから降りてきて10Hの手からおにぎりを奪い、ぱくりとだいぶ豪快な一口を口に含み、堪能する。もぐもぐとやたら健康的に口を動かしている様子とその表情が、先ほどつまみ食いにきた2Bと非常によく似ていてなんともいえない感情が10Hの中に生まれていた。美人もおいしいごはんには弱いんだ……そっか……とかなんとか、妙な納得をしながら。

「ふん、また妙な小細工をして……私は何の変哲もない塩むすびでいいといっているのに。鹿肉なんか入れられたら、断りようがないじゃないか、まったく……だいたい私の好みを把握していること自体がおかしいんだ、なんだって」
「A2ちゃん豪快……一気にそんな量食べちゃうのすごい……」

 一口で中の具がわかるところまで食べてしまうA2の食べ方もだが、なんだかんだ文句(?)を言いながらもおにぎりをほおばっている彼女の表情はほころんでいるというか、うれしそうだ。9Sが渡せばわかるといっていたのは、こういうことなんだろうか?よくわからないけれど。

「ほんとは9Sのおにぎり楽しみにしてるのよね、A2は。ただまあ色々あったからお互い素直になれないだけで」
「それは思った、A2ちゃん、なんかうれしそうだし」

 あっというまにおにぎりを食べ終えたA2にぐいぐいと押し上げられて、ようやくイノシシの背に乗った10Hは、その背中の感触の独特さに目を白黒させながらもにこにこと素直な感想を口にした。

「はぁ?……なんだこのハコは?だいたい、どうして私たちのことを知っているんだ?お前は塔崩壊後地上に降りたんだろう?」
「あら、随行支援ユニット間での情報共有は常にしているわよ」
「……余計なことを……。ほら、さっさといくぞ」

 プイ、とそっぽを向いて促すA2の背中はなんだか照れ隠しのように見えてカワイイな、と10Hは思ったが、当然口には出さなかった。たぶん、これ以上余計なことを言ったのならば、即座にイノシシの背中から蹴落とされるだろうから。


 (後略)