司令官の部屋には、たくさんの花が飾ってある。ドライフラワー、つまりは花を干して乾燥させたものだが、彼女は必ず自然な劣化のくすんだ色合いのものを好んでいる。
彼女の部屋には無数といっていいほどのドライフラワーが、そこだけ秩序正しく陳列していた。色彩の薄いバンカーで、唯珍しく色があるようだと最初に感想を漏らすと、彼女は少しさびしげに微笑んだのだ。6Oは、最初その花の骸の意味を知らなかった。そう、それは、まさしく花の骸だったのだ。

「青いカーネーションは、元々自然界に存在していた色ではなく、人類が花の遺伝子を組みかえることによって作り出し、改良し、栽培し、命を繋ぐようになったものだ。花言葉は<永遠の幸福>――むかし、とある研究者がいた。彼は、将来を担う自分のこどもたちに永遠の幸福を願い、青い花を授けた話を、君は知っているか?」

 いつだったか、そんな風に彼女に問いかけられたことがあった。常に携帯している端末を開き、該当データの検索をする。青い花、研究者、開発、人類、こどもたち、永遠の幸福――検索ワードの項目を任意にいくつか増やしてデータベースを調べてみれば、一番最初に出てくる項目は決まっていた。人類で、初めてアンドロイドの開発に成功した研究者。少なからず滅亡をたどるであろう人類の未来を知り、彼はアンドロイドに自分たちの存続と願いを託そうと考えた最初の人間だった。

「アンドロイドに感情をインプットしようって考えて、双子のアンドロイドに自分の亡くなった双子の娘の思考回路をデータ化しインストールした、あの研究者のことですか?通称ファザー。我々アンドロイドの父親みたいなひと」

 6Oがそう答えると、司令官――ホワイトはまた、寂しそうに小さく笑う。部下や公の場では厳しく凛々しい表情が常の彼女が、プライベートになればいつでもこうして寂しそうに笑っていることを知っているのは、おそらく6Oだけだ。

「そうだ。その双子モデルが……最終的には人類を破滅に追いやったのは、皮肉な話だがな」

 それから彼をファザーと呼ぶのはG地区の旧型アンドロイドだけだ、だからあまり口にはするなよ、とホワイトは付け足す。ヨルハ部隊でも該当双子モデルの事件を知っているのは司令部所属オペレーターと司令官以上の立場のアンドロイドだけだ。
 西暦3465年、とある地区の管理者であった赤毛の双子モデル・デボルとポポルが暴走し、結果ゲシュタルト計画の要たるオリジナル・ゲシュタルトは消滅して人類は消滅の道をたどるしかなくなった。
 その後、人類であったものの残骸であるレプリカントたちは徐々に数を減らし、そして最後の一人が死に、文字通り人類は死に絶えた。その、遺伝子情報のみを残して。そして残されたアンドロイドたちは、その最後の「人類の情報」を厳重に保護し月面基地に保管したのだ。それこそ、アンドロイドたちが守り続けている人類の「真実」だ。

「でも、私不思議なんですけど」

 いいながら、ホワイトの背後に回りこんだ6Oはそのまま痩身の肩に凭れ掛かるように腕をまわした。座ったままじっと手にした五本の花は、何れもが微妙に色が異なる、青紫のカーネーションだ。五本の青いカーネーション、いつつ、五、五体、五体のアンドロイド。五、という数字に気がつき、6Oは理解する。作戦遂行時、というよりか作戦の最中に機体がロストすると、その晩は決まって彼女は植物実験棟から青いカーネーションを持ち出してくる。その数は、その都度ロストした機体の数、何れも同一の色だったためしはない。そもそも花とはそういうものらしいのだが、興味本位できれいだなと思う以上の情報を気にしたことのない6Oには、その微妙な差はよくわからないことが多かった。けれど、今回はよくわかる。よくわかるのは、自分がかかわっている作戦だからかも、しれなかった。

「どうして人類は……ファザーは、私たちアンドロイドに感情をインプットしようとしたんでしょう。ファザーが最初に作った双子モデルのアンドロイドは、彼の亡くなった双子の姉妹の記憶をデータ化したものをそのまま移植されたって聞いたことありますけど」
「それは山のようにある彼に対する逸話のひとつで、もっとも一般的なものだな。真実は故人のみぞ知る、というやつだろうが、どうなのだろうな。我々の母たる双子のアンドロイド、彼女らは確かに、私たちアンドロイドに必ず感情を学ばせ、教え、そう在れと願ったという手記は旧データベースに残っているようだが」

 椅子ごと振り向こうとするホワイトは、けれども背後から6Oに半ば拘束されているような格好で動けず、仕方なく小さなため息とともに視線だけをチラと背後に向けた。応じるよに6Oはホワイトの耳元から垂れる長い金糸に指先を絡める。戦闘タイプではない、オペレータータイプ特有の華奢で繊細な作りの指が、投影されたキーボードを操作するように細やかに、けれどもタイプする時とはうらはらの優しくゆったりとした動きでさらさらと指先をくぐりぬけてゆくなめらかで細い髪の毛をもてあそぶ。

「そうですねー、でも、それって答えになってないですよお」

 くすくすと笑いながら、6Oはホワイトに自らの義体を押し付けるように体重を少しだけかけて、凛々しくも滑らかな面の曲線をそうっと撫でてゆく。

「……そうだな」

 ホワイトも肩を竦めて目を閉じる。けれども6Oは面白くなかった。ホワイトは自分の相手をしているようで、していない。その証拠に、彼女の指先は、てのひらは、未だに五本のカーネーションをやわく握っているのだ。流石に彼女がその花に込めている想いを――殆どは後悔と贖罪のそれだとわかっていても、流石に無碍にはできない。知っていることは、重たいことだと何度繰り返したかわからないため息を心の中で落としてから、6Oはあたたかな頬に小さくくちづけを落とした。

「以降の発言と行動は、司令官ホワイトとしてのものではない。よって、公式記録からは削除するように」

 やわい口付けに応えるようにホワイトは6Oの頬をとん、と軽く叩く。そして首を小さく振り、悪戯に笑ってから五本の花をそっと机上に置き、手のひらを被せた。

「わかったな、ベルベットブルー」

 それは、二人だけが知っている暗号だった。ベルベットのようなブルーのカーネーションを初めて見た6Oが感激して、色素をそのまま保存しドライフラワーにしていたことを知ったホワイトが、いつしかふたりだけの場では6Oをベルベットブルーと呼ぶようになった。ふたりだけの、秘密だ。

「了解、ホワイト司令官」

 6Oはもう一度にっこりと微笑んで口元を覆うベールを外し、自らの唇をホワイトのそれと控えめに重ねた。


 ホワイトの手袋は外されて、6Oのそれに重なっていた。6Oは、五本の花に触れている。いつつの色、いつつの命の象徴。五つ、それは先ほど始まった第243次降下作戦ですぐさま犠牲になった五人のヨルハ機体、1D、4B、7E、11B、12Hの五人になぞらえているのだろう。いつしか始まったこの儀式を、一体いつから彼女がやっているのかを生憎と6Oは知らない。初めて彼女の部屋に入り、その乱雑さにも驚いたが、その乱雑な部屋の中で唯一、そこだけが別空間のように規則正しく綺麗に並んだ無数の色あせた花々はどこか異様に、異質に感じられた。その数は祈りの数であり、懺悔の数でもあるということを知ったのは、つい最近のことだ。誰かが破壊される度、犠牲になる度に彼女はこの行為を繰 り返している。彼女が何に、誰に祈るのかを6Oは知らないし、聞いたこともない。ホワイトも敢えて何も言うことはなく、ただ、静かに頭を垂れて祈る。
 ホワイトのてのひらが6Оのそれから離れてゆく。6Oが視線を動かすと、ホワイトは薄く微笑した――祈りの儀式が、始まるのだ。


 窓辺に五本のカーネーションを順に並べてゆく。ホワイトの口からは微かな声が漏れているが、6Oは聴覚機能を敢えてダウンさせ、その繊細な音を拾わないようにした。儀式のひとつ、死んでしまった魂に名をつける行為――意味などはない、ただの欺瞞で贖罪だとホワイトが自嘲気味に呟いた意味を考慮して、邪魔をしてはいけないと思ったからだ。五つの音を呟いたホワイトが、指先の数値を自らカスタマイズする。花を丁寧に撫でてゆくと、鮮やかに咲き誇っていた生花は一瞬にして水分を奪われ、萎れ枯れた。けれども、その鮮やかな青紫の名残は花弁に残り、最小単位の部品を扱う繊細な動作レベルでホワイトは五本の花を束ね、そして無数に並んでいる同じような花々の隣に、並べる。
 そして彼女たちは、幾多の犠牲のうちのひとつになった。
 個を与えられ、奪われ、死者となった。
 たった数分の出来事が、彼女たち五人の、1D、4B、7E、11B、12Hのいのちの意味だった。そのいのちは数多の犠牲のひとつでありながら、決して同一ではない。
 そういう欺瞞を、ホワイトは欺瞞と知りながら繰り返す。それが、司令官という立場なのだと彼女が言葉にしたことはなかった。そういう言葉を吐くひとではなかった。けれども、6Oは知っていた。知っていて、決して口外することはなかった。

 ベルベットブルー。その名を与えられた自分も、いつかこうして多くの死のひとつになるのだろうか。