「ほうこーく:ポッドー、もう歩けないです」
「警告:一応ここは外敵の侵入を徹底的に防いだ基地とは違う、機械生命体との戦いの最前線であることはわかっているのよね?さっさと歩きなさい」
「でも、つかれたしー、おなかすいたしー、脚部の具合も地上の重力に合わせたメンテしてないからしんどいしー、おなかすいたしー。というわけでちょっと休まない?ほら、あそこの建物の影とかどうかな」

 10Hが指差す先にあるのは、他の建物と比べてもまだ崩落を免れた、一見頑丈そうな高層ビルだ。周囲に機械生命体の姿はなく、のんびりと草を食む鹿が何体か見受けられる程度である。随行支援ユニット006は該当建造物のスキャニングを開始した。なるほど10Hの提案どおり、建物の一階部分に入り込んでいる動物以外の生命反応は、どれだけ徹底的にスキャンしても見られず、これならば安全だと006は判断をする。これならば非武装の10Hでも、大丈夫だろう。

「回答:該当建造物のスキャン完了。そうね、あなたのその体力のなさは想定外だったけれど、地上にあわせた機体メンテナンスも含めて少し休みましょうか」
「やったー、ポッド話せる!」
「ただし、ごはんは出せないわよ。材料も器具も何もないもの」
「……うう、それ聞いたら、おなかがよけいにすいてきた……今朝のパン、一枚余計に食べとくんだった……」
「食パン一枚のカロリー計算は八枚切の場合平均して130カロリー、ヨルハ機体のエネルギーとして変換した場合の必要一日摂取量はせいぜい二枚よ。それ以上食べると逆に消化エネルギーが必要になって結果的に稼動効率が落ちるって何度も言ってるじゃない」
「それは基地にずっといた場合の話!今日、もう、どんだけ歩いたかわかんないし!」

 もう動きたくない主張をすべくその場に立ち止まりぷりぷり怒る10Hの頭の天辺をこつん、と小さなアームでつくった拳で006が叩く。当たり前だが加減はされていたし痛くもないのだが、10Hは頬を膨らませて抗議の意思を見せた。

「まったく。提案:それなら先にレジスタンス・キャンプに行くことにしましょうか。地上に長くいるアンドロイドたちの拠点だから、食べ物なんかもあるんじゃない?」
「あ、それいいね!ポッド天才!そうしよう」

 食べ物、という単語を聞いたとたん10Hの機嫌が直り我先にと歩き出すものだから、006がくるりとその周囲を周りこれみよがしに駆動音を立てる。こういうときの006は呆れてて、それからそれでも付き合ってくれるのだ。
 もともと、右も左もわからない、初めて降りた地上で向かうべき場所の見当もつかなかったのだが、過去に降下したヨルハ機体たちのデータログが、幸いかな10Hが地上に降りるために使った転送装置にわりと雑に残されていた。こういうの、暗号化しないんだ、とちょっと不審に思った10Hだったがそれはそれ、これはこれ。ログをたどると、この付近に降下したアンドロイドたちは、だいたいがレジスタンス・キャンプという場所に向かっていたようだ――ということを006が導き出してくれたので、10Hのとりあえずの目的はそのレジスタンス・キャンプになった。戦闘行動をしたこともない、そもそも武器も携帯していない10Hが地上に降りてできることは多くはない。それが、一応は敵地の真っ只中に降り立ってしまったのだから、行動は早いにこしたことはなかった。
 それにしても、この区域と来たら歩きにくいことこの上なかった。あちこちの地面が崩落しているし、高層ビルは殆どが崩れかけ、半ば樹木に覆いつくされているものもある。しかも、そこに川が流れているものだから足場も悪い。月面(10Hはずっと海底だと思っていたけれど)基地にいたときはそもそも外になんて出たことがなかったし、だからこのヒールのショートブーツでも特に不便さを感じたことはなかった。
 ところが、である。
 地上の環境が今まで10Hのいた基地とはまったく違うおかげで、一番最初にしなければならなかったのは地上用に義体をカスタマイズすることだった。
 そもそも、ヨルハ部隊は地上戦を想定して作られているのだから、地上の環境に極力合わせた調節がなされている。ところがなぜか10Hはその調節がされておらず、ぶつぶつ文句を言いながら調節をする10Hに006は「あなたは地上に降りることを想定されてなかったのかもねえ」などといわれる始末。なにそれ、出撃も想定されてなかったっていうわけ?まあ、確かに、戦えないけど!

「まったく、基地にいたころそんなに食事が好きだったわけでもないのに、どうしちゃったの?」
「なんだろ、エネルギー効率も悪くなっちゃってるのかなあ……バンカーもないからバックアップデータも残ってないしなあ。この転送装置ってのに残ってるログにH型のやつはないんでしょ?」
「残念ながらね。この地区にはH型が派遣された記録はないみたいだから……まあ、ともかく歩くしかないわ」
「はあ、つかれた……」
「あんまり疲れた疲れたいうと、本当に疲れるわよ」
「だってほんとうに……あれ?」

 ぱたり、と10Hの足が止まる。正確には、動きが少しずつ緩慢になり、10H自身が動かそうとしても動かないのだ。当然ながら、人工筋肉も徐々に力を失い、立つのもままならなくなり、へなへなとその場にしゃがみこんでしまう。

「あれ?あれ?ポッド、私どうしちゃった?」
「回答:ごめんなさい、私の計算ミスよ。あなたのこの環境下における連続稼働時間、想定よりもずっと短かったみたい」
「えっ」
「推奨:救難信号を出す。幸いこの地区にブラックボックス信号がいくつか見受けられるから、運がよければ助けてもらえる、かも」
「かもって」
「訂正:助けてもらえると思う」
「……ポッド〜〜〜〜……」
「……ともかく、あなたのことを安全な場所まで運ぶわ」
「わかった、お願いね」


(中略)


「わあ、きれい」

 それが、その人に対する第一印象だった。窓辺に腰掛けて眠るようにしているひとは、きれいだった。
 日の光にすきとおるような銀髪が、そよ風でときどきゆらめく。とても長い髪の毛は一本一本が糸みたいに細くてとてもきれいなのに、義体は汚れだらけで傷だらけだったが、それすらもその人を形作る象徴のように見える。屈められているけれどもすらりとした肢体も、その形状だけでとても洗練された印象を受けた。とても整った顔立ちをしているし、むしろ戦闘型アンドロイド、と言われてもいまいちピンとこない、まるで芸術品か何かみたいだ――人類の残した「芸術品」をデータベースで何度か見たことがあった10Hはそんなことを考えた。きれいな、おんなのひとだ。

「ねーポッド、このひと、すごくきれいだよね」
「肯定:そうね。確かに、義体は傷だらけだし汚れてはいるけれど、二号タイプは美人だから」

 さらりと答える006はその人のことを知っているらしい。たぶんデータベースを参照したのだろう。

「二号タイプなんだ、このひと。へえ。聞いたことはあったけど……実際に見てみると、うん、ほんとうにきれい。触っていいかなあ」
「否定:だめでしょ。本人の意識がないときに好き勝手弄くられて気分がいいと思う?」
「そっか、うーん」
「そういうこと。けれど、これじゃあどうにもならないわね」
「何が?」
「あなたを無事にレジスタンス・キャンプに連れて行けそうなアンドロイドを探していたけれど、起動していないんじゃどうしようもないじゃない」
「うーん……。そうだ、このひとヨルハ機体なら、私修復とかメンテナンスできないかな?」
「チェックくらいなら可能だろうけれど、部品が足りなかった場合どうにもならないわよ。行動範囲内で集められれば別だけど」
「でもでもさ、やってみないとわからないじゃない。私は少し休んだからリカバリーしてるし、ね、ものはためし。ポッドがいう敵がいっぱいいる中を闇雲に歩くよりはいいと思うんだけどな」
「あなたにしては珍しく論理的な意見ね。どうして彼女が機能停止しているのかはわからないから、そこが少し気にはなるんだけど……」
「うーん、だめだったら、ごめんなさいすればよくない?壊れてるわけじゃないんでしょ?」
「彼女の意志に関しては探りようがないからなんともいえないけれども、あなたにこれ以上何か言っても無駄だっていうのは、わかったわ」
「よくわかってらっしゃる、さすが私のポッド」

 006のしぶしぶといった口調や様子は気にしないことにした。知り合いもいない、仲間も知らない10Hにとって、初めて出会えたアンドロイドだ。助けてはくれないかもしれないけれど、でも、助けてくれたらうれしい。すごく、きれいなひとだし。
 誰かを修理するのは初めてだけれど、チェックの仕方や必要な手順はちゃんと頭の中に入っている。なにせ10HはH型、修復や治療の専門家なのだ。その技術が今までは必要になることがなかったから使わなかっただけで、やろうと思えばできる。
 そういう自分に対する理解が、この時の10Hの行動に対する自信にも繋がっていた。


 10Hと006が過去のヨルハ機体データベースやら機体構造やらをチェックし、目の前の二号タイプと比較しながら修復作業をすること二時間弱。埃を取り払いきれいにした床に横たえられたその人のまぶたがゆっくりと、持ち上げられる。
 蒼い目だ。少し灰色がかってくすんでいる蒼い、すこし霞がかかった春の空の色みたい――実際に見たこともない色彩がとっさに10Hの脳裏に浮かぶ。実際には見たことはないけれど、暇つぶしで順に画像データを漁っていたときに見た色で、何らかの理由で記憶に残っていたのだろう。そういう色だ。そして、好きな色だな、と思った。

「ええっと、おはようございます?えと、私10H。月面基地にいたヨルハ機体」

 10Hが声をかけた瞬間、そのひとは一瞬で起き上がりぱっと距離をとった。そしてすぐさま武器を――彼女の背丈ほどもある軍刀に手をかける。その突然の行動に、逆に10Hは驚きすぎて反応できなかった。想像していた反応とだいぶ違う。

「……月面基地?ヨルハ機体?……追っ手、では、ないか、H型ならな、いや……ほんとうにH型か?」

 一瞬だけ彼女は警戒を解くが、すぐさまきりとこちらを睨みつけてくる。明らかな敵意、ではないけれど、どうも疑われているようだ。片手は、いまだに軍刀の柄を握っている。

「10H、あなた、彼女を随行支援ユニットでもないのに再起動させたのよ」

 006は少しだけ相手と距離をとると(たぶん相手に対して敵意がないと主張するためだ)、状況を飲み込めきれない10Hに助け舟を出した。その声で、何も考えられなかった頭が少しだけ動く。

「あ、えっとね、うん。あなたのこと直したのも私だし、正真正銘H型だよ。でも、ほんとうに直しただけだから、余計なこと、してないから」

 しどろもどろになってしまう10Hをじっと睨みつけている彼女のことを、不思議と怖いとは感じなかった。武器を手にしていたとしても、本当に敵意があってこちらを殺すつもりなら、たぶんこんなまどろっこしいことをこのひとはしないだろう。そんな気がした。

「どうして直した」

 ぐ、っと彼女は手に力をこめる。でも、武器を抜くことはなかった。

「どうしてって、助けて……ほしかったから」

 それなら、嘘をついても仕方がない。そもそも、警戒している相手に嘘をつく気もない。10Hは立ち上がると、それでも少しばかり上にある彼女の目をまっすぐに見つめた。

「……助ける?」 

 困惑したように表情を動かしてから、彼女は少しばかり首を傾げた。それから、武器から手を離した。10Hは内心でほっとする。例え攻撃されないだろうとわかっていても、物理的に攻撃できるものを持たれている状態は、緊張を伴う。

「うん。あのね、私のこと、この近くにあるレジスタンス・キャンプに連れて行ってほしいんだ」
「自分でいけるだろう、そのハコもいることだし」
「ハコ?ポッドのこと?それがね、私あんまり長時間連続稼動できないぽくて……義体調節するにも、部品必要で、その部品も手元にないから、お手上げなの。ポッドが私のこと運べるのも、そんな長い距離は無理みたい。だから、誰かアンドロイドいないかなって探してたら、あなたが寝てたから」

 そこまでを10Hが言うと、きれいな顔が少しだけ歪んだ。怒っているのか、それともあきれたのだろうか。

「それで、わざわざ再起動させたのか!?」

「ご、ごめんなさい!その……あとね、あなたと話したかったの!」
「話?」
「うん、すごくきれいだし、初めて見た仲間だし、話してみたかったの!直してだめだったならごめんなさい!でもでも、あの、だ、だめ、でしょうか?」

 彼女は答えてはくれない。くれなかったが、あきれたようなため息をついてから、一歩、こちらに踏み出してきた。青いふたつの瞳がその間もじっと10Hに向けられる。他人の視線を、それも自分を注視するようなものを受けたことがないから、ひどく緊張して、なんだか自分の挙動もあちこちおかしい気がする、気がするというか慣れない地上で再起動した直後なので、そもそも順調ともいえないのだけれど。

「連れて行くだけなら、だ」
「え?」
「私は話は苦手だ。だから、連れて行くだけだ」

 いつのまにか、10Hの前にそのひとの手があった。きれいだな、と、特に理由もなくそう思う。あんな重たそうな武器を持つような手じゃない。でも、このひとはれっきとした戦闘用アンドロイドなんだ。

「あ、えっと、それって……」

 余計なところに思考がすぐ及ぶ10Hに焦れたように、彼女は少し苛立ちを露にする。

「何だ、さっさと行くなら行くぞ。それとも、行かないのか?」
「えっと……うん、うん、ありがとう!そうだ、あなたの名前、まだ教えてもらってない、私は10H」

 10Hが差し出された手を取ると、少しだけ驚いたように、青の瞳が見開かれる。あれ、自分から手を差し出したのに、なんでだろう。不思議に思ったけれど、握った体温が心地よくて、てのひらはすべすべしていて、ずっと握っていたいなあと思った。

「それはさっき聞いた」

 それを知ってか知らずか、10Hが無意識に手に力をこめようとするまえに、その手はさっと離れてしまう。そして、くるりと背を向けて、ふわりときれいな銀髪が奔放になびいて、それから。

「……A2だ。そこのハコなら知ってるだろう」
「うん、ありがとうA2、A2ちゃん!よろしくお願いします!」


 (中略)


「ここまでだ。この丘をあがればレジスタンス・キャンプがある。リーダーのアネモネに話をすればいい」

 突然手を離されて立ち上がらせられると、A2は10Hから少し距離をおいた。そして、視線で場所を示して告げてくる。

「え、A2ちゃん一緒にいってくれないの」
「私は行けない。さすがにこの距離なら歩けるだろう。キャンプ内には同じヨルハ機もいるし、お前を調節できるのもいるはずだ。そいつに頼むといい」
「知り合いもいるなら、連れて行ってくれればいいのに」
「否定:理由があるんでしょう。行けない理由。それでも、ここまでつれて来てくれたんだから、先にお礼をいいなさい」
「そうだね、ポッド。ごめん。ありがとう、A2ちゃん。ほんとうに助かったよ、運び方は雑だったけど実はすごく配慮してくれてたし、いろいろお話もできたし」
「それじゃあ」
「あ、待って!」

 もと来た道を戻ろうとしたA2の手を、10Hは自分でも驚くほどの速さで掴んでいた。A2の手を、両手でしっかりと握り締める。

「えっと……」
「何だ、まだ何か用があるのか」
「え、ううん、そうじゃないんだけど、ほんとうはついて来てほしいんだけど、あんまり無理にともいえないし、ええっとそうじゃなくて……」
「だから、何なんだ」
「わかんないんだけど、なんか、これきりお別れってのもいやかなって」

 10Hの言葉に、A2が呆れたような顔をする。けれども、手は振り払われなかった――もっとも、かといって握り返してくれるわけではなかったのだが。

 じっと縋るように見上げる10Hに、A2は嘆息する。

「……だったら、また来ればいいだろう。私はしばらくはあそこにいるつもりだ」
「ほんと?また、会いにいっていいの?」
「よくなければ、こんなことは言わない」
「ありがとう、A2ちゃん!わかった、こんどは自力で会いにいくね!」

 満面の笑みでそう返すと、A2はなんともいえない複雑な表情をしてから、ゆっくりと手を離した。
 それは、拒絶するのではなく、単に、歩き出すためだ。だから10Hも反発することなくそのてのひらを離した。ほんとうは、もう少し握っていたかったし、話をしたかったけれど、仕方ない。必要な準備もあるし、たぶん時間もかかるけれど、また会いにいけばいいだけなのだから。

「それじゃあな」

 別れ際、ちゃんと挨拶をしてくれるA2の背中に、10Hはもう一度声をかけた。

「うん、またね、A2ちゃん。今日はほんとうにありがとう」

(後略)