最近9Sはレジスタンスキャンプに戻ると早々にある区画へと向かう。道具や武器を扱うアンドロイドたちが集うさらに奥、レジスタンスキャンプの中枢部ともいえるアネモネたちが集う場所のすぐそばにある「音楽」を再生することができるジュークボックスという機械に、最近彼は興味津々らしい。
今日も、そうだ。定期メンテナンスと補給のために寄ったはずなのに、キャンプに着くや否や2Bの制止もろくに聞かずそちらへ向かう。楽しげに走ってゆく背中を見送りながら小さくため息をついて、遅れて2Bもそちらへと向かった。
――定期メンテナンスには、義体そのもののコンディションもだが、当然それにはメンタル的な部分も含まれる。9Sのあれは、いわば精神面でのメンテナンスなのかもしれない。
何かにつけそう自分自身に言い訳をしながら、ふと2Bは同時に疑問を覚えた。
では、自分はどうだろう。
ヨルハ機体は基本的に戦闘行為が目的として作られている。その中でも特に戦闘特化型である2Bにとって、安らぎという感情はあまり馴染みのないものだ。休息は休息として必要であることは理解できる。ただ、それ以外の行為ついては、正直なところ2Bには理解しがたいものが多かった。
「音楽」に関してもそうだ。
人類は娯楽として音楽を聴くことを好んでいたという情報は知っている。ただ、「音楽」を聴いてでは何かを感じるかというと、なんともいえなかった。音の好き嫌いもよくわからない。
ところが9Sはそうではないらしく、ジュークボックスで頻繁にあれこれと「音楽」を選んでは聴いている。同じように「音楽」を好むアンドロイドと話も弾むらしく、しょっちゅう話をしては楽しそうに笑っていた。
2Bは他のS型と長い間行動を共にした経験がないので、それがS型の特性なのかそれとも9S自身の個性なのかはわからなかったが、そういうことを楽しむ彼を見ていると、まるで自分と彼とではまったく別の、共通項などなにもない存在なのではないかと思ううことがままあった。
* * *
「この回線を使うとは珍しいな」
正直、応答されるとは思わなかった。いわゆる「処刑」任務を請け負うE型のみが使える極秘回線――司令部と直接コンタクトをとれる回線がある事は情報としてインプットされてはいたが、実際に使ったのは初めてだ。しかも、これは任務外。端的に言えば2B自身の疑問を解消するための行動だ。
そんな私的な目的でこの回線を使うことに抵抗がなかったわけではない。以前の2Bであればまずしなかった、おそらくはそもそもそうした発想すらなかっただろう。
「司令官。ひとつだけ、聞きたいことが」
「私に答えられる範囲であれば、聞こう」
「9Sは」
9Sは、行動を共にする仲間であると同時に監視対象でもある。彼はその性能と特性上、ヨルハ計画の機密に触れることが多々あった。その都度彼を処分してきたのが2Bだ。そのことに対してあれこれと考えるのは、もうやめていた。それに今回はその話とはまた別件だ。
「彼は」
「どうした。何か、任務遂行上問題が起きたのか」
「いいえ。単刀直入にいいます。ヨルハ機体9Sは、いったい何のために作られたのですか」
音声データのみでも、司令官の様子情が変じたのがわかった。触れてはいけないことだったのかもしれない。否、それはわかっていた。そもそもこんな疑問を直接ぶつけるなどという愚行は、今までの2Bであれば考えられない行動だったからだ。疑問も感情も持たずに任務を遂行する。それがE型としての必要最低限度の、そして唯一の必須条件だ。
「……そうか。そうだな。お前は……知っていても、いいかもしれない」
たっぷりの時間をかけた後、司令官は自嘲気味に言葉を濁して応える。叱責されるとばかり思っていた2Bにしてみれば、それは意外な反応だった。
「S型そのものがまずハッキングを得意としたタイプであることは知っての通りだ。その特性から、自ずと自我データや防壁プログラムも他の型に比べ強固だし、索敵や単独での調査任務が多くなる以上その生存能力も突出している。これも、お前は知っているな」
「はい」
「特に最新型である9Sは、他ヨルハ機体と比べてもこの傾向が強い。共に行動をしているお前ならよくわかっていると思うが、彼があらゆる物事に興味を示して行動するのは、そうした特性からだ。そのおかげで、余計な苦労をさせてしまっているが」
「いいえ、それは……。そんなことは、ありません」
「彼が人類の文化や娯楽に興味や理解を示すことは想定の範囲内で、それによって旧世界のデータも充実する。彼が旧世界の情報にその好奇心を向けてくれれば、余計な仕事はしないですむからな」
確かに、9Sの意識がそちらに向かえば2B自身にとっても余計な神経をすり減らさないで済むという点では、ありがたかった。もはや麻痺してしまっている感覚が疼くこともない。
「もちろん、我々の最大にして唯一の目的は、機械生命体の殲滅。9Sに関してもこの点においては同様だ。ただ……」
「ただ?」
「彼はその設計思想が、根本的に他ヨルハ機体とは異なっている」
司令官の言葉に、やはりという確信と、諦観が、同時に沸き起こった。そうであるだろう、けれど、そうであってほしくなかった。そう思う理由を、2Bは具体化することはできない。
「気づいたんだろう。彼が、何を見て、何を考えているのかを。共に行動していれば、遅かれ早かれ気づくことだ」
司令官の問いは、確認だった。2Bは小さな声で肯定の意を示す。
「ヨルハ機体9Sは、生存そのものが目的として設計され、作られた」
音声ははっきり聞こえているし、認識も出来ているにも関わらず、司令官の声はどこか遠くから聞こえているようだ。
「それは、戦闘や任務に限らず、という意味で、ですね」
「そうだ」
皮肉な話だった。
2Bは、何度も、何度も、繰り返し、彼を殺してきた。それは、彼が計画の秘密に気づいたからだ。けれども、それでも9Sは何度も蘇る。今のヨルハ部隊にとって、それは当たり前の行為だ。機械生命体との戦闘や任務の最中に死ぬことは何度でもある。けれどもバンカーには各隊員が定期的にバックアップした自我データがある以上、何度でも蘇ることが可能だ。それは、長年に渡る機械生命体との戦いの中で、アンドロイドたちが編み出したひとつの戦い方だ。
けれど、9Sの設計思想は根本的に違う。
戦いの中で生き延びるために設計されたのではなく、生存そのものが目的として設計された。もちろんその中に兵士として戦いに赴くための思考はもちろん組み込まれるが、おそらくそれと同等か場合によってはそれ以上の重要事項として生存することそのものが目的になっているのではないか。彼と行動を共にして時折見られる不可解な行動は、それによるものではないか。2B自身の憶測は、当たっていたのだ。
「だから、喪うわけにはいかない。我々が次の段階に進むためには、彼が必要だ」
そして、お前も。
続ける司令官の声が、悲哀混じりに聞こえて、2Bは最低限の返事と礼を告げて通信を切った。
* * *
「報告:音声データ及び会話ログの消去、完了」
ポッド042の報告ログを流しながら、2Bは司令官との会話を記憶領域の最奥に閉じ込める。
これは、必要な情報ではなかった。ただ、確かめなければならないことだった。その上で、いつか下るであろう指令と、その瞬間のことを一瞬脳裏に思い描きかけて、2Bは思考を停止させた。
9Sを死なせてはならない。
けれど、いつか必ず9Sを殺さなければならない。
二つの矛盾した任務は、2Bにとってはいわば存在意義に等しい。
「おはようございます、2B。今日はずいぶんと起きるのが遅いから、義体か自我データにどこか問題があるんじゃないかって、心配してたんですよ」
極秘通信を内部音声のみで行うための擬似スリープモードを解除すると、まっさきに9Sの声が降ってた。想定どおりの彼の行動に、苛立ちと、少しの安堵を覚えながら2Bは義体を起こした。擬似スリープモードを解除したばかりの義体は、どこか重い気がする。
「9S……。大丈夫、少しだけ自己メンテナンスに時間がかかっただけで、たいしたことはない」
「2Bの大丈夫は信用ならないんですよね〜。もともと無茶しがちですし。あとでちゃんと僕がチェックしますからね!」
「わかった、……好きにするといい」
「そうそう、前に見つけた植物の種が芽を出したんですよ!2Bにも早く見せたくて、それで呼びに来たのにいつまでたっても起きないから」
「植物?種?」
「ほら、パスカルの村で機械生命体の子供たちが穴を掘ってたらたくさんでてきた、あれです。該当データがどこにもないから、じゃあ植えてみようって話になって…」
「ああ……」
そんなことも、あった気がする。植物の種なんて気にかけたこともないから、ほとんど覚えてなかったけれど、9Sのそれは嬉しそうな声と表情を見て、ふと先ほどの通信内容を思い起こしそうになって、2Bはそれを振り払うように立ち上がる。
「わかった。見に行こう」
「ほんとですか?」
「本当かって、今君が私に見せたいって言った…」
「いや、まあ、そうなんですけど…なんか、2Bってそういうの興味なさそうかなって思ってたから、ちょっと意外だったっていうか」
「きれいな花が咲きそうなら、見てみたいし」
「あ、オペレーターさん、花が好きですもんね。まだ花とかいう以前の段階なんですけど、どんな花が咲くかも楽しみですね〜」
レジスタンスキャンプにあてがわれた部屋から一歩外へと出れば、陽光が眩しかった。春というよりは初夏の日差しかもしれない。9Sが先んじて行く場所にはきれいに整えられた畝があり、確かにそこにはところどころに若芽が芽吹いていた。
「いつのまに、こんなもの」
「2Bが寝てる間に作っちゃいました」
冗談めかして言うが、あながち冗談ではないかもしれない。
「こうして土を整えて、それから肥料をやると、植生はよく育つっていう情報があったから、試してみたんです」
結果はまだよくわからないんですけどね。続ける9Sはやはり楽しそうで、共に作業したであろうアンドロイドの男性も同じように笑いながら、次は何を植えてみようか、などと会話が弾んでいる。
すでに水をやったのか、瑞々しい若芽には水滴がいくつもついている。そこにまだ高くまでは上っていない陽の光が反射してきらきらと輝いていた。眩しくて見ていられないはずなのに、2Bはその反射をじっと見つめる。眩しい。眩しくて、きらきらしていて、それは、とてもきれいだ。
「……きれいな花が咲くと、思う」
「2B?」
まったく意識しないで出てきた言葉を拾った9Sが、不思議そうにこちらを見ている。
否定するのも、肯定するのも何かおかしくて、2Bは妙な空気を無視するように若芽と反射する光をじっと見つめた。
小さいながらもまっすぐに、上を向いている新緑の若芽と、あちこちに光を撒き散らす水滴と、そこに映る色は、ほんとうに、きれいだった。