海辺である水没都市エリアは恒常的に風が強い。それも、ただの風ではなくて塩気と湿り気を含んだ風である。水辺や海辺で戦うことも想定されているヨルハ型の機体は地上のいかなる地形・気候でも一定の水準以上の機能を保って行動できるよう設計はされているものの、個体差はあった。2B自身はことさらそれを気にしたこともないのだが、同行している9Sはそのあたりが気になるらしく、砂漠では砂が入り込んで動きにくいやら、海辺は部品が錆びそうだなどとよく文句を言っている。それで9Sの機能が低下しているわけではないのだが、本人曰くモチベーションが違う、らしい。
モチベーション。それを言うのならば今の2Bのモチベーションはあがっているといってもいい。
任務の傍らにいつだったかパスカルに頼まれたこの「釣り」は、なかなか興味深かった。
戦闘任務以外についたことのない2Bが初めて興味を示したものが「釣り」なのだと知ると9Sは驚いていたが、この、水の流れを読みながらポッドを操作して魚(或いは魚型機械生命体)を得るという行動は、戦闘行為では得られない奇妙な充足感を味わうことが出来るのだ。元々アンドロイドの間でも魚を好む個体はそれなりにいて、観賞用として飼うものや、食用のものをわざわざ取り寄せるものもいる。きっかけとなったパスカルが言うには、魚型機械生命体は、機械生命体たちが生活してゆく上で有効な部品やオイルが得られるらしい。
2Bは魚そのものには興味がなかった。ただ、この釣りという行為が好きなのだ。特に海に生息している魚を釣るのが面白い。適度な緊張感と、潮の流れを見極める目と、一瞬の判断。風や気候、海底の地形の影響もあるから、わざわざ随行ポッドに周囲の海底の地形を調べさせたりもした。最近は9Sが好きで調べてくれるので助かっている。この潮の流れも重要で、河や湖とは違いその時々で釣れる魚が異なってくるのだ。
今度の狙いは水深の深い場所にしかいないという「カジキ」だ。2Bはまだお目にかかってはおらず、データでのみ知る存在だ。なかなか釣ることのできないといわれているそれだが、ポッド042と9Sの分析結果によれば、今日のこの時間の潮であればかかる可能性が高いとのこと。それならばと、2Bは水没しかかっている廃墟ビルの上に陣取り、こうしてじっと仕掛けて待っているのだった。
同行している9Sはといえば、先ほどまで2Bが釣り上げた魚(と魚型機械生命体)の解体作業に勤しんでいる。最初のころは2Bも一緒にやっていたのだが、これがなかなかうまくいかなかった。9Sと同じように、教えられたとおりにしているつもりが、ほぼ破壊してしまう。「B型機体は戦闘特化型ですから仕方ないですね」と9Sは言っていたのだが、なんというか、そういうことでもない気がする。
解体作業は手間がかかるし、それなりに力もいる。魚型機械生命体の場合はともかく、生の魚の死骸はほうっておくとどんどん劣化して悪臭を放つようになるので、鮮度を保つためには釣り上げたその場で〆なければならない――と、9Sが過去のデータを参照していっていたし、実際以前に釣り上げたまま放置していたところ、作戦行動に支障が出るほどの悪臭を放ったので、今は2Bが釣り上げたそばで9Sが〆る、あるいは解体するのが当たり前になっていた。
一瞬の手ごたえと強い引きを感じてポッドを操作すると、激しい水音とともに巨体が姿を現す。
ウバザメ型機械生命体だ。初めてお目にかかった時はそのあまりの大きさに驚いたものだが、何度も見ているとこの巨大さにも慣れてしまう。それは9Sも同様であるらしく「うわあ、大きいのがかかりましたねえ」とどうでもいいような感想を漏らしながら一瞥したあとは作業に戻るそぶりを見せたのだが。
「う〜ん……案の定、ウバザメやウバザメ型機械生命体も多いんですよねえ」
「面倒なの?」
「面倒というか、機械生命体のほうは無駄に大きい割に希少価値がないんですよね。パスカルもあんまり活用できない、ってぼやいてました。深場に集まる魚の中だとどうしてもひっかかりやすいんですけど。ウバザメは食用可能部位が多いので量がとれるって喜んで買い取って貰えるし、そもそも淡白な味なので調理加工の試行にはもってこいなんですが」
「それなら、これは戻す」
「戻しても大丈夫だと思……あ、でも、こないだパスカルの村の子供たちがウバザメ型機械生命体の話をしたら見たがっていたので、捕獲しておきましょう」
「わかった。とっておくことにする」
「じゃあ、そこにおいておいて下さい。あとで楽に持ち運べるように処理しておきます」
そこまでを言うと、9Sは作業に戻る。彼の手際は見ていても気持ちのよいくらいによくて、さっさっと必要な部位とそうでない部位を切り分け、買い取ってもらえるもの、調理の試行にまわすものと分別してゆく。主に使いようのない魚の内臓や骨などは植物を育てる肥料として買い取るアンドロイドがいるので、それだけを耐水性のある丈夫な袋に入れ、一方食用可能な部位は、生命体に寄生している微生物類の繁殖を防ぐ加工を施した保存袋にいれてゆく。アンドロイドたちに直接影響を及ぼす微生物類は現存していないのだが、味や細胞を変質させるので特に劣化が好まれない種類のものに関しては簡単な氷温処理まで施すとあって、9Sが処理した生の魚は高価で買い取って貰えるのだ。
そのあたりのことは2Bはまったくわからないのだが、必要な道具類などはいつの間にか調達してきていて、その上彼が楽しそうなのでやりたいようにやらせていた。
魚型機械生命体に鮮度や劣化の心配はないので、こちらは主にそのままパスカルの村に持ってゆくことにしていた。ウバザメ型のように極端に大きく運ぶのに支障がある場合は適宜持ち運べる大きさに加工する。そのへんの一時加工はアンドロイドの技術でも可能なのだと聞いて、9Sがパスカルから教わっていた。
レジスタンスの道具屋でも魚型機械生命体は買い取ってもらえるのだが、こちらはあまり有効活用する手段を持っていないのだ。
2Bは釣りをしている間は釣りそのものに集中しているので、常に9Sの様子を見ているわけではない。役割分担した以上、時折データ分析結果などが欲しくなるときに9Sに声をかける程度で、普段2Bが釣りをしている間は集中の邪魔をしたくないのかあるいは作業に没頭しているのか、9Sも黙っていることが多かった。
「カジキ、かからないね」
「しょうがないですよ。なかなかお目にかかれない相手なんですから」
「……期待はしてないけど」
正直なところ、データの裏づけをとっていても確証は持ててはいない。今の今まで釣り上げたことがないのもあるが、同じように釣りを嗜むヨルハ隊員やアンドロイドたちの情報を総合しても、カジキはかかりづらい獲物らしい。だからこそ、という意気込みも、もちろんあるのだが。
「今日は大丈夫です。今までのデータの統計、傾向、地形からも今日のこの場所ならかかります」
9Sは2Bの顔をまっすぐに見て断言する。
「肯定。ウバザメ型機械生命体及びウバザメが存在する場所にカジキも存在する傾向は高い。また、カジキの習性や地形データ及び過去の行動や釣り上げられた情報を総合すれば、本日午後以降は捕獲率が上がる」
その9Sの言葉をさらに後押しするようにポッド153も続ける。スキャナータイプとその随行支援ポッドが断言しているし、なにより、こうしてじっと成果を待つ時間というのも、悪くはない。たぶん、これが9Sがよく口にする「楽しい」という感覚なのだろう。
「9Sがそういうなら」
「2Bなら捕獲できますよ、がんばってください」
「わかった」
(中略)
レジスタンスキャンプの一角には、もともと料理を好む隊員のための作業スペースがあったのだが、その筆頭隊員が現在は森の国のキャンプに滞在しており、彼が異動になる際にそれならば9Sが好きなときに使えるようにとアネモネに頼み込んでくれたらしく、アネモネ自身から好きに使ってくれと言われていた。そのため任務の傍ら調味料になりそうなものを見つけては、加工方法を調べてここに貯蔵させてもらっている。レジスタンス隊員の中には、それを使って独自の料理をしているものもいるしその逆に彼らが準備してくれていることもあるようで、デボルやポポルもその中に含まれていた。もともとあまり他のアンドロイドとは関わりたがらなかった彼女らだが、不思議と2Bや9Sには協力的で、また彼女たちが2Bたちと一緒にいることを咎めるものもいなかった。
過去の人類に倣って「厨房」と呼ぶようになったのは、いつだったか、誰からだったのかもわからない。ただ、2Bと9Sがこのレジスタンスキャンプに馴染んできたころ、いつしかこの場所はそう呼ばれるようになっていて、そのための道具も揃えられている。
「お、いい匂いだな。何を作ってるんだ?」
「アネモネさん!今日は、2Bが釣った魚と、それから前に貯蔵していたコイやエイもあわせて、レジスタンスキャンプの皆さんと一緒に食事をしようかと思って」
「それはいい。このところ戦闘続きで皆疲れていたからな……労いにもなるだろう。それにしてもすごい量だな…これは、全部、作ったのか?」
「あんまり凝ったことは出来なかったんですけど、デボルさんとポポルさんが手伝ってくれたからなんとかなりそうです」
「報告。ウバザメの表面が火により炭化。内部温度上昇確認。推奨、早急な対応、或いは指示」
「あっ、ありがとうポッド、ちょっと今手を離せないから、それは火を消しておいて!」
「了解。消火開始」
「ポッドまで手伝っているのか?そんなポッド・プログラムがあったのか?」
アネモネが、「厨房」の傍らの焚き火を囲うレジスタンス隊員に混じっている2Bに奇妙な表情のまま問いかける。
「さあ。ポッド153は9Sの支援ポッドだから、随行するヨルハ隊員の命令に従ってるだけかも」
「……確かに我々アンドロイドも人類に倣ってあえて必要のない調理をしたり食事をしたりするからなあ」
「まあまあアネモネさん。あいつらの作る料理はけっこういけるんですよ。ちっこいのに手際もいいし」
「実は簡単な作業は俺らも手伝ったんです。肝心のところは任せますけどね。これはこれで結構面白いもんだなって」
「そうか。2Bは手伝わないのか?」
「私は、食べる担当だから。手伝っても迷惑かけるし、見てるほうがいい」
(後略)