黄昏の中に灰色が広がり塩は白色でそれを覆い隠す、モノクロームの中に沈む。
 初めて見た世界の輪郭は、たったそれだけだった。目覚めてみれば、それが当たり前に存在していたのだ。


 最初から、二人だった。
 この身体に意志が存在したその瞬間から、隣には当たり前のようにそっくりな―よく似ているけれども完全に同一ではない存在があった。
お前たちは対なる存在だ、と、告げられた。
何らかの事故が発生した場合のバックアップ的な役割である、と、彼は告げた。けれども彼は、その後に不思議な言葉を続けた。

「千年という時間の果てのなさは、綻びを生む可能正も十分にある。お前たちの力を私は信じるが可能性も信じている。長き時と強い思いは、魂を宿らせるのだよ」
「百年の時を経た人形が心をもつように、五百年の時を経た巨木が慈しみと悲しみを覚えるように、千年の時はお前たちを、きっと、かけがえのない存在にすると、信じている」

 彼の声は静かだった。静かに、染み渡るような声をしていた。その言葉が意味するところはよくはわからなかった。けれど、目覚めたばかりの二つの顔の頬に手をのばし、触れた感触は「あたたか」だった。他人の体温は、あたたかいのだとその時に知った。
 言葉の意味することまでは理解できなかったが、二人は、その音をデータとして記憶していた。
 灰色に沈むこの巨大な水槽の中で、その音はとてもあたたかくて鮮明で、異質で印象的だったからだ。
「マスター」ステレオが響かせる音に、彼は満足げに頷く。「イエス」そう、彼は言った。
「イエスだ、二人とも」重なる言葉も表情も、穏やかだ。
 感情をデータとして認識し識別するアンドロイドの二人は、その言葉を大切なものだと認識し、記憶の最下層に静かに沈めた―――千年を越える長い永い時を経ても、二人の機能が停止しない限り、決して失われない情報として残すためだ。


 彼は、コールドスリープすることなく、塩となり砕けこの世界を覆う灰になった。彼は、この世界にも希望があるのだと、最後の瞬間に告げた。繰り返し、お前たちは希望だと言った。
 計画遂行のためのアンドロイドはデボルとポポルの二人だけではない。だから自分たちを特別な存在だとは思ってはいなかった。ただ、オリジナル・ゲシュタルトを監視し続ける存在としては、確かに特別だった。


* * * 


 時が、過ぎた。
 それたとても長くゆるやかに進んであまりに静か過ぎて千年という時の流れを感じることができないほどに、短くも感じられた。
 二つの存在。二人の、人間もどき。課せられた使命をただ、果たすためだけに存在している瓜二つの。

 千年という時間の中で世界もまた変化した。かつて地上に栄えていたものはゆるやかに崩れていった。
 冷たい鉄とコンクリートの街はまるで塩に清められたようにその息吹を取り戻しつつあった。鉄の上に静かに堆積した塩は鉄を腐食してやがてそこに苔が生えた。コンクリートの下に封じ込められた土の中に眠っていた種子が発芽して殻を破り瑞々しい若芽を伸ばしていった。苔は塩の雨も鉛の雨も養分に変えた。若芽は灰色の空のその向こう側を目指して成長した。
 世界を覆っていた塩も鉛も鉄も病も、けれど人以外の何者も脅かすことは無かった。人という存在が世界の中でひどく脆弱になり、弱い彼らはひとところに集いそして永い眠りについている間、世界は、光に満ちていた。
 やがて鉄の上にも花が咲くようになった。
 やがて、コンクリートジャングルは森に変化していった。
 鉛色の空は色彩を取り戻し小鳥が舞い戻ってきた。汚染された海はゆっくりと元来の豊かさを取り戻していた。かつては灰色に覆われていた都市は、緑豊かな深い山野と穏やかな草原になった。
 静かに、密やかに、その光の世界の住人であったものたちは、自分たちがこの世界の住人なのだと信じていた。彼らは、彼らのためだけに生きていると信じていた。彼らは彼らの生を全うし、そして死ぬのだと信じていた。
 彼らは笑った。彼らは嘆いた。彼らは喜んだ。彼らは怒って、悲しんで、後悔して、悔しがって、そして学んでいた。
 人を模したいれものであった彼らはいつしか、ほんとうに人になっていた。
 彼らの言葉の中には歌があった。
 彼らの声の中には祈りがあった。意味もわからぬ揺りかごの歌に彼らは聞きいり、感嘆し、歓迎した。

 世界は、まるでその巨大な器を静かに光に満たしてゆくように、再び命を育みだしていた。

 かつて千年という昔、自分たちが生み出されたたったひとつの目的の成就は、すぐそこに見えていた。