カラカラと干からびた音を立てる風車が嫌いだった。決して一定ではなくて鳴り止むことのない、頭蓋の中の脳みそを直接ぐちゃぐちゃにかきむしられるような悪寒を覚える。皮膚の下を這いずり回る虫の感覚がじわりじわりと神経を侵食する。あの、この世の中で、一番醜い、クソッタレ中のクソッタレ、クソ風車のしみったれた骸骨の遠吠え。骸骨か、でなければもう人間ではなくなったあの忌々しい泥人形どもだ。
棚引く襤褸切れみたいな、渓谷そのものに息づく無様な住処にはなくてはならない風の恵みと暴威を知るための手段ですら憎悪していた。
そこにあるものは砂粒ひとつですら例外なく、すべては闇という途方もない穴に集束する絶対負に抱かれていた。
記憶は単純にすべてを否定したいと強く、強く望んでいた。そうしなければこの忌々しさから逃れられないという強迫観念だ。こんな場所に属して野垂れ死ぬとしたらそれは最低最悪の死に方であって、最後までこのクソッタレの仲間入りだ。
そこはすべての悪であって、すべての原因であって、すべての始まりであって終わりであり、監獄であり同時に棺桶であった。そんな中に好き好んで存在している連中ときたらそれこそ頭がイカれた人間モドキなのだから。そもそもここに本当に人間が住んでいるのか、それすら知らないし確かめたくもない。そいつらが人間かどうかなどはどうでもよいことだった。
カラカラ、バタバタと音が木霊する。嘲笑うように、其処に在る存在を貶めるためだけに鳴く風が吹き抜けてゆく。それを、ただ怯えながら享受するだけなど、まっぴらだ。
聞こえてくる音の半数以上は耳障りなそれらを含んでいて、いつだって足は地面に付いたことのない馬鹿げた住処。
どうして、何を好き好んでこんな馬鹿な場所に住んでいるのかもわからない、愚かで忌々しくクソッタレな住人ども。
つまりは、風車は憎しみの象徴だった。薄暗くて、寒々として、まるで人の息づく気配などない、そのくせいつだって他人という存在をマモノのように恐れ、怯えて暮らしている。風さえなければ、こんな陰鬱な閉ざされた場所に吹き抜けてゆく風と、一日のほんの数時間だけ入り込む光さえなければ、こんな場所に棲むモノなど、いなかっただろうに。けれどもそんな場所に住み着いたでく人形、泥人形。
忌々しくて仕方のないこの場所のことを、カイネは一度たりとも懐かしみ慈しむような気持ちで考えなかった。そんな発想すらなかった。できるわけがない。
それほど明確に、シンプルに、苛立ちに起因する場所などはこの世界が如何にクソッタレであるかを繰り返し認識させてくれるだけだし、そうした苛立ちが募れば募るだけ、正常な思考は遠ざかる。だから余計に腹が立つ。
そんな、まったく得にもならず意味もない、感傷の欠片すらも思いつかないようなこんな場所などは、とっとと消えちまえと何度心の奥底から、願ったことか。
想像するだけで記憶の中だけに止め表に出さず、出すこともなくそれがたとえ今現在の自分自身の形成に大きな影響を与えていたとしても決して認めることはなく、否定して否定して否定してその存在のあらゆるものを憎み続けて、クソッタレなものを重ね塗り続けて、憎しみを忘れぬことで雁字搦めになりその存在に影響され続け、逃れられないとわかりながらもそれでも否定することしかできない、そんな己の脆弱さなどは一笑に伏して終わるそれだけのことだ。
兎に角認めてはいなかった。
認めてはいない。憎しみと同じくらいの疎外感、寂しさ、悲しみ、幼い心を散々に引き裂いた底意地の悪い薄気味悪い、忘れたくても憎みすぎて忘れられない、心の中にいつまでも刺さったままじくじくと膿み傷口を広げる塩だらけの棘みたいなドス黒い記憶の塊。
何度も消えてしまえと願って。
何度も罵り、或いは呪い、憎み。
何度も、何度も、何度も、何度も。クソッタレ。引き裂いて、すり潰して、嘲笑って、見下して、心の中で、夢の中で、生々しく夥しい血液を流して、悲鳴と絶叫が繰り返されて、黒い炎に包まれて、そうして気づけば何も現実は変わっていない。そんな目覚めの悪い朝を幾度繰り返したか知れなくて。
そう、願っていた。祈っていた。無力で小さく震えるだけの幼かった自分は、己の力で何かをするしかないのだと絶望しきっていなかったあの頃の自分は、いまでもひっそりと心の一番奥まった、密やかで穏やかでやさしげな場所にひっそりと隠れていて、かたかたと震えながら無力な瞳に涙を浮かべて願っていたのだ。まったく、ばかげたことに!醜い出来損ないの癖に!
憎んだら憎んだだけ憎まれるということを漠然と知っていたくせに、世間がどれほど醜く恐ろしく矮小で意地汚くていっそ慈悲などはないなどとは理解せぬ少女は、世界から自分を必死に守るように小さな膝を抱え、震えながらも願っていた。