ぼくはその話を尋ねることはできたけれども自分からは尋ねなかった。知りたくないわけじゃなかったけれど、なんとなくきいてはいけない気がしていた。
変わったことはニーアさんがとても言葉が少なくなったこと、僕が村に入っていっても構わなくなったこと、その二つだった。村に入るのは躊躇われたのだけれども、入ってきて構わないといった時のニーアさんの顔が見ているとつらかったから、一度だけニーアさんの家に入った。けれども、そこはぼくが入っていい場所ではないような気になって古い木でできた扉のサビがちょっと目立ってきている蝶番をじっと眺めながら戸惑いを誤魔化していると、ニーアさんと一緒にいた見たことのない女の子が入っておいでよと手招きをしたので、恐る恐るいいんですかときいたらその子はにっこりと笑いどうして悪いの?と逆に返されて、ぼくは上手に答えられなかったから、結局、女の子のちいさなてのひらにひっぱられて家の中に入った。
初めて見たときに、この子がヨナさんなんだ、とぼくはすぐに分かった。
顔かたちが似ているとか、そういうのとは少し違うかもしれない、雰囲気も、あまり似てない。けれどそれでもヨナさんに会ったことがなくてニーアさんに会ったことのある人だったらだいたい皆すぐこの子がヨナさんだってわかるんじゃないかっていうくらい、二人は家族という繋がりを感じさせていた。
二人は二人だけで暮らしていたのだけれども、ぼくがこうやって二人の中に加わることをとても歓迎してくれていた。口数もめっきり減ってしまったニーアさんも、ぼくがいると少しだけいつもよりお話をするから、ずっとお家にいてほしいとヨナさんにはせがまれたのだけど、ぼくの家にはぼくを待っている人がいるからということを言うとヨナさんはそれじゃずっとここにいるとその人が寂しい思いをしちゃうね、とちょっと哀しそうに笑ってたまに遊びにきてね、お手紙も書くねと言ったからぼくは前にヨナさんとやりとりしていた手紙の話をした。ヨナさんもその事を憶えていてくれて、ヨナさんに宛てた手紙はほんとうはセバスチャンが書いていたのだということを言うとセバスチャンに会いたいと言いだしてしまって、でもそれをダメだとはぼくは言えなくて頷いてしまった。
ニーアさんは何もいわなかった。ぼくも何もいわなかった。ヨナさんはすごく嬉しそうに笑っていた。
そんなふうにして、少しだけとても変わってしまったぼくたちの日常は、ゆっくりと過ぎていった。ぼくは結局どうしてニーアさんは一人で戻ってきたのかを尋ねることが出来ないまま屋敷に戻った。でも、多分、もうカイネさんにもシロさんにも会えないということは、なんとなくだけれど気付いていたので、やっぱり何も言えないし聞けなかった。聞いて知ってしまったらもう現実になってしまうのが怖かったのかもしれない。
たまにぼくはニーアさんの村に遊びにいって、ニーアさんの畑で採れた野菜とか羊の肉を香辛料で煮込んだり焼いたりした料理や、よい香りがする焼き立てのパンや、とれたての山羊のミルクやチーズをご馳走になった。それは全部ニーアさんが作ってくれた。ぼくは何か手伝おうかと思ったのだけれどもあまり巧く出来なくて、ヨナさんにも笑われて一緒に待ってようよとにっこり笑われたのでそうするしかなかった。ぼくはあまり料理とかそういうものは作ったことはなかったし、全部セバスチャンが作ってくれていたから、ぼくがもし料理を作れるようになったらそれは少し素敵なことだなと思ったんだ、と、ニーアさんの料理が出来るまでの間ヨナさんと話をしていた。ヨナさんは私も少しだけ、作ってみたんだけれどと早口に言ってその後はえへへと舌を出して困ったように笑った。
こうしているとヨナさんは普通の女の子で、元気そうで、きっとこの先もふつうに成長していくに違いないんだと思えた。けれどこの時のヨナさんは病に蝕まれていて、ぼくやニーアさんに笑顔を見せているけれどもほんとうは体中が痛くて痛くてたまらなくて、どうにもならなかったんだということを、ぼくはニーアさんから後できいて知った。結局ヨナさんの病気は治らなかった。
シロさんがいなくなって、カイネさんまでいなくなって、でも、ヨナさんの病気は結局治ってなんてなかったんだ。
頭だけになっても生きていたお姉さんの身体と、身体を取り戻したぼくの魔力ならなんとかなるかもしれないとぼくはニーアさんに言ってみたのだけれど、ニーアさんは悲しそうに首を横に振るだけだった。
エミール、駄目なんだ。ヨナの病気を治す方法は、もうこの世界にはないんだ。
まるで世の中の全部の不幸と絶望を一身に受けてしまったみたいなニーアさんのしんどそうな口調と、ずっと物静かになってずっと疲れきって見える顔と、前みたいにきらきらとは輝かなくなった瞳が悲しかった。でも、この世界にはないかもしれないけれどぼくは元々この世界には上手にはまっていないんです。そういったらニーアさんは少しだけ表情を動かしたけれど、やっぱり首を横に振った。あまりにも疲れすぎていて、何もかもがただひたすらに通り過ぎてゆくだけの時間を無為に過ごす老人みたいなニーアさんに、それ以上ぼくは何かを言おうとしても言うべき言葉が上手に浮かばなかった。ぼくは何か出来たのかもしれないのだけれど、何も出来ないという気持ちがとても強くなってしまっていた。
だから俺はヨナの側にいてやろうと思う。
だから、ヨナが出来るだけ苦しまないように、痛みを感じないように、俺は側にいてやろうと思う。
それがいいと思います。ぼくは、そう言った。